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ホットミルク

 

 砂金をばら撒いたような星空が、きらきらと輝いている。

 冷たい風がひゅう、と吹けば樹々に咲き乱れる黄色い花の花びらが美しい星空を背景に舞い、イルミネーションに照らされた。

 それはまるで、空から星が降ってきているようであった。


「星がよく見えるけど、今日は風が冷たいなぁ」


 今夜はよく晴れているから、星を見に散歩でも行こう。などと天狐を誘ってみたは良いが、思っていたよりも風が冷たい。

 ヴァルムがある狭い路地を抜け、南区の広場に出て冷たいベンチに腰掛ると、天狐も同じように隣へ座った。

 

「雪がないだけマシだろう」


 星を見上げる天狐の声は、いつもよりやや高い。この星空を楽しんでいるのだ。

 舞っている花びらが髪に付いてしまっているのにも気付かない程に、天狐はじっと空を見上げていた。


「それもそうだな」


 天狐の髪に付いた花びらを取ってやって、フロガも空を見上げる。

 すると、こぼれるように星がひとつ、ふたつと流れていく。

 それに気付いた天狐が嬉しそうに声を上げた。


「……フロガ」

「うん、綺麗だね」


 流れる星を見上げたまま、フロガが天狐の手を握った。

 その手は大きくて温かくて、冷えた指先までじんわりと暖めてくれる。

 握られた手をそのまま握り返してやれば、フロガは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 いつの間にか、何故か星よりもその横顔に視線が移ってしまうのを天狐は誤魔化すために再び夜空へと目を向ける。

 

「なあ、天狐」


 星を見上げたまま、フロガが呟くように呼ぶ。

 慌てて視線を逸らし、天狐は今気付いたように「なんだ」と返事をした。


「俺、お前のことが好きだよ」

「そうか」

「お前に、ずっと一緒にいてほしいと思ってる」

「知っている」

「俺もずっと天狐の隣にいるからさ、これからも俺の奥さんでいてくれる?」

「毎年同じ言葉を言って、よく飽きないな」


 呆れた声で答ると、フロガが天狐に向き直り、紫紺の瞳でじっと見つめてくる。


「何回でも言うよ。だから毎年答えてほしい」


 フロガが初めてこんな事を言ってきたのは、八年程前だった。

 その時は「奥さんでいてほしい」ではなく「結婚しよう」だったが。



*****




「だから、天狐にずっとそばにいてほしい。 結婚しよう」


 その日も今と同じように星降る夜であった。

 珍しく緊張した顔をして、低い声でそう言ってきたのは、恋人のような関係になって一年程経った頃だ。


「お前と一緒になるつもりはない。 さっさと別の女を見つけろ」


 それが最初の答えだ。

 酷くショックを受けた顔をしていたのを覚えている。

 次の年の星祭りも、同じ言葉で「結婚してほしい」と言ってきたが、天狐はそれも断った。


「諄いぞ。 言っておくが、私は子供なんか孕めないからな。 諦めて他の女を探せ」


 この言葉は諦める決定打だと天狐は思ったのだが、フロガは一向に諦める気配がなかった。

 翌年も翌々年もその次の年も、同じ日に同じ言葉でプロポーズをするものだから、天狐はつい本音をこぼしてしまったのだ。


「なあ天狐。 今年こそ結婚しない?」

「諄いって言ってるだろ。 それに、どうせお前は私より先に死ぬんだ。 お前の死に目なんか、見たくもないんだよ」 

 

 思わずそう口走ったとき、フロガは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたがすぐに真顔になった。


「寂しいってこと? ……俺が何の考えもなしにプロポーズすると思ってるの。 お前を一人にするわけないだろ」

「なに、馬鹿なことを言っているんだ」

「考えがある。 だから、俺はお前を置いて死なないし、二人で一緒にいられる方法を探す」


 やたら自信満々にそう言うものだから、天狐は折れてしまった。

 それが当てずっぽうで言っているということはわかっているつもりだった。

 だから、入れ込まないようにして、そのうちフロガが本当に愛しい者を見つけた時に別れればいい。

 そう思っていたのだ。

 フロガがプロポーズを始めて五年目のことである。


 

 そんな事を思い出しながら、天狐はフロガの瞳を見つめた。

 あの頃と変わらない、柔らかな笑顔と紫紺色。

 その目尻には初めて出会った頃には無かった、小さな笑い皺が刻まれていた。

 腕を伸ばしてその目尻に触れると、フロガは天狐の手を取って、優しく握る。

 大きな手は温かくて落ち着く。 きっと元から体温が高いのだろう。


 ──この大きくて温かい手も皺が増えて細くなり、やがて冷たくなって動かなくなってしまうのだろうか。


 そう考えると、急に目頭が熱くなってきた。

 悟られないように、天狐はフロガの手を払い、ベンチから立ち上がる。


「寒い。 そろそろ帰るぞ」

「そうだな。 帰ったら温かい物でも飲もうか」


 フロガも立ち上がって再び天狐の手を握り、歩き出す。

 手を繋いで歩くなんて殆どしたことはないが、今日は周りに人がいないので恥ずかしがることもない。

 家にまでの短い距離を、二人はゆっくりと歩いた。



 家に着くと、フロガは早速小鍋を用意して、何かを温め始めた。

 室内は魔具で暖められているため、夜風で冷えた身体は表面から徐々に温かくなってくるのだが、まだ体の芯や指先は冷たい。

 天狐がソファの上で指を擦り合わせていると、目の前の小さなキッチンからまろやかな香りがしてきた。 これはミルクの匂いだ。


「はい、おまたせ。 寒かっただろ」


 マグカップを二つ持ってきたフロガが、隣に座る。

 渡されたのは真っ白いホットミルク。 その上には大きなマシュマロが一つと、シナモンパウダーがかかっていた。

 まろやかな香りの中にシナモンの甘い香りが混ざって、なんとも眠くなる匂いだ。

 一口飲めば、体の中に熱がゆっくりと広がっていくのが心地良い。


「うまい」

「そうだね」


 思わず素直な感想が口から出てしまったが、何を言う訳でもなく、フロガは嬉しそうに頷く。

 それからしばらくは無言でホットミルクを飲み進めた。

 居心地の良い沈黙の中で徐々に体が温まっていくのを感じながら、天狐はフロガが隣にいるという安心感に浸る。

 このままずっと一緒にいられるなら、それはきっと幸せなのだろう。


 ──しかし自分はそうでも、フロガはどうだろうか。


 そんな疑問が過ぎった瞬間、天狐は無意識にフロガへ視線を向けた。

 

「どうした?」


 フロガが首を傾げた。

 いつまでもと変わらないと思っていたその顔の造形も、少しずつ変化している。

 その変化すら愛おしいと思うが、対して天狐はどうだろう。

 出会った頃とは言わず、百年も二百年も恐らく千年経っても何も変わらない。


 ──何の面白味もない、ただの化け物。

 

 昔、誰かにそんな事を言われたことを思い出す。

 その程度で傷付くような繊細な心など持ち合わせてはいないが、今思い返してみれば確かにその通りだ。

 時間の経過を共有できないのだから、面白味など欠片もないだろう。

 

「天狐?」


 いつまでも口を開かない天狐に、フロガが呼び掛ける。

 優しくて落ち着いた声だ。

 フロガに会う前であれば、こんなふうに呼ばれるときは大概酷いことをされるので警戒していた。

 今では、その声で名前を呼ばれるのが嬉しいと思う。


「フロガ、お前はまだ私と同じくらい生きるつもりでいるのか」

「もちろん。 そのために神都に来たんだよ」


 何年経ってもフロガはこうして生きる方法を探してくれている。

 だが、果たしてヒトという生き物は百年以上生きることに耐えられるのだろうか。

 体が耐えられても、心はどうだろう。

 周りは変化するのに自分だけは何も変わらない。 親しい者は先に死んでいく。 心無い者から、昔の天狐のように化け物呼ばわりされるかもしれない。

 そんなことに、フロガは耐えられるのだろうか。

 ……そんな苦渋を、味合わせて良いのか。


 それに、長く生きる中で天狐に嫌気が差してしまったら。


 それこそ、長寿になってしまった事を後悔するだろう。

 フロガだけではなく、恐らく天狐自身も。

 天狐は今更になって、「どうせすぐに死ぬ」等と言ってしまった事を酷く後悔した。

 

「……訂正する」

「訂正?」

「私のために、長く生きる必要はない」

「……どうして?」


 フロガの顔から笑みが消える。

 怒っているのが半分、悲しんでいるのが半分、といったところだろう。

 しかし天狐は言い直すつもりはなかった。


「ヒトの心は長寿に耐えられないかもしれない。 他人からお前が化け物だと罵られるのも嫌だ。 つまり、お前のためにならない」

 

 一気にそこまで言ってから、天狐は視線を逸らした。

 隣で軽い溜め息が聞こえたが、フロガを見ることはできない。


「わかったよ。 お前がそう言うなら、お前のために長寿の方法を探すのはやめる」

   

 あっさりと引き下がったフロガの返答に、天狐は思わず拍子抜けした。

 顔を見れば、先程の微妙な表情は消えて、いつものように穏やかな顔をしている。


「代わりに、この先もずっと俺のそばにいてくれる? ……今年の返事、まだ聞いてなかっただろ」

「……ああ、そばにいさせてくれ」


 フロガが柔らかい笑みを浮かべて天狐を抱き寄せると、それに応えるように天狐も広い背中に腕を回して服を握り締めた。

 ゆったりと揺れる尻尾を眺めながら、フロガは愛しい天狐の髪を撫でる。


 ──その顔には、今ほど浮かべていた穏やかさも、柔らかな笑みも無い。


 あるのは、重く光る紫紺色。

 それは決意と執着が混ざった、底冷えするような瞳であった。

 

(絶対に手放さない)

 

 寿命等というくだらないもので、この幸せを手放すものか。

 ただ、「お前のために」と言うのはやめることにする。

 天狐がそれに引け目を感じるというのなら、自分のため長寿の方法を探すことにしよう。

 共に生きたいという、私欲のために。

 

「愛してるよ、天狐」


 星降る夜に甘美な言葉が響く。

 フロガの腕の中で天狐は小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

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