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ヴァルム


 昼過ぎの神都ラディエン。

 食堂やカフェが立ち並ぶ南区の一角で、男は小さな食堂を見つけた。

 古ぼけた赤い煉瓦が積み上げられた壁には「ヴァルム」という看板がかけられ、その横には「OPEN」の札がぶら下がっている。


「腹ァ減ったな。飯にするか」


 新たなクエストを求めて来たばかりの神都は広く、足もくたくたで、空腹も限界へと迫っている。

 店から漏れる香ばしい香りにつられて、男……ハーベストは店のドアを開けた。


 ──カラン、とドアベルの軽快な音が鳴る。

 店内はカウンター席とテーブル席。

 掃除は行き届いているが、外見通りの古くて小ぢんまりとした店だ。

 昼のピークを過ぎたからか、客はカウンターの隅に女が一人だけ。どうやら、ティータイムを楽しんでいるようだった。

 長い金髪が目立つ、顔の整った良い女。

 これは美味い飯が食えそうだと、ハーベストは女の一つ隣の席へ座った。

 

「いらっしゃいませ」


 厨房の奥から男が一人、出てきた。

 彼以外に従業員はいないようだ。つまりは彼はここのマスターだろう。

 マスターは紫紺の瞳を細め、人懐こそうな笑顔を浮かべてハーベストの前に立つと、水をカウンターの上へ置いた。


「何にしましょう?」

「あー……おすすめでいいや」

「かしこまりました!」


 マスターは元気よく返事をして、厨房へ向き直るとフライパンを手にとって何かを調理し始めた。

 肉の焼ける香ばしい匂いと、スパイスの香りがハーベストの腹を鳴らす。

 グラスに入った水を口に含んで、料理が出てくるのを待ちながら、ハーベストは女を横目で見やった。

 

 やはり、こんな古い食堂には似つかわしくない、美しい女だ。

 気品と知性を感じる凛とした顔立ち、すらりと伸びた手足は細く、それでいて出る所はしっかりと出ているし、腰などは折れてしまうのではないかと思う程、くびれている。

 そして何より、吸い込まれそうな琥珀色の瞳は目を引く。

 透き通るような白い肌も相まって、まるで絵画の世界から抜け出てきたような美しさだと、ハーベストはいつの間にか女をじっくりと観察していた。

 その視線に気付いたのか、女がハーベストを見やる。

 チャンス、と言わんばかりにハーベストは女に声をかけようと身を乗り出して口を開いた。瞬間、突然女との間に腕が伸びてきた。


「お待たせいたしました。スープとサラダ、それからパンもどうぞ」


 厨房でフライパンを煽っていた筈のマスターが、満面の笑みを浮かべて、サラダやスープを置く。

 なんてタイミングの悪い男だろう。

 ヒトが口説こうと身を乗り出したのが見えなかったのか。

 気を取り直して女を見たが、もうこちらを見てはいなかった。


(くそっ……まあいい、まだチャンスはあるはずだ)


 見れば、女の前にはケーキが1つとクッキーが5つ。まだたっぷり入った紅茶をゆっくりと飲んでいる。

 ということは、女はここに長居をするつもりなのだ。

 この店を出たところで声をかけてもいい。

 ハーベストは出されたサラダにフォークを突き立て、じっと女の方を見つめた。

 こうして見つめていれば、またこちらを見るかもしれない。

 そうすれば、脈アリだということだ。

 が、そんなハーベストの視線をまたもや腕が遮る。

 

 「本日のランチ、鹿肉のステーキです」

  

 この男はどうして横に料理を出すのだろう。

 カウンターの上にでも置いておけば良いものを、わざわざ腕を伸ばして視線を遮ってくる。

 文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、ステーキの芳しい匂いに空腹の体は逆らえず、ハーベストはグッと言葉を呑み込んだ。

 赤ワインのソースがかかった鹿肉を切り分け、一口含む。

 ──口の中で、じゅわっと肉汁が溢れた。

 

 「うんめぇ……」

 

 思わず言葉に出していた。

 柔らかく、それでいて脂身がないためサッパリとしていて、噛めば噛むほどに旨味が広がる。

 若い鹿を使っているのか、調理の仕方がうまいのか。 肉の臭みは殆どなく、香り高い赤ワインソースが良く合う。

 ボリュームがあるのに食べ疲れせず、もにゅもにゅという食感が脳を刺激し、広がる旨味に舌が蕩ける。

 これはいくらでも食べられそうだ。

 夢中で食べ進めていくうちに、ステーキはあっという間になくなり、最後に食べ忘れていたパンとスープを平らげて、カウンターにいるマスターへ「ご馳走様!」と威勢よく声を上げた。


 「ありがとうございます。良ければ、食後のコーヒーなんていかがですか?」

 「気が利くねぇ、マスター」


 ハーベストの賛辞に、マスターは照れることなくニコニコと笑って返す。

 顔が良い女に、料理が上手くて気の利くマスター。

 良い店を見つけた。

 ハーベストはこの店を気にいった。 これからは、ちょくちょく通うことにしようと思いながら、出されたコーヒーを啜った。

 

 「それにしても、良い鹿肉だ」

 「はい。 今朝獲ってきたばかりのものです」

 「そいつはすげえ。 マスター、あんたハンターなのかい」

 「いいえ、俺が獲ったものではありません」

 

 今朝獲れたものを市で仕入れてきたということだろう。

 それもそうだ、こんな優男が狩りなんてできるはずがない。

 

 「俺はイタの方でハンターをやっていてね。 肉にはうるさいんだ」

 「そうでしたか。 こちらへはお仕事で?」

 「ああ。 マスター、あんた、九つの尾を持った狐を知っているか?」

 「いえ、知りませんね。 そんな狐がいるんですか」

 

 ハーベストがニヤリと笑う。

 それからまたコーヒーを一口啜った。

 

 「ランスィの小さな村にいたらしいんだが、いくら探しても見つからないんでこっちに来てみたんだ」

 「ああ……そういえば昔、旅をしていた時にそんな御伽話があると聞いたことがあります」

 「御伽話じゃねえんだよ。 十二、三年くらい前にそいつを見たって証言がいくつもあってな。 で、その話を聞いた収集家の貴族様から是非剥製が欲しいって依頼があったんだ」

 「……そんなこと、罰当たりじゃないですか」

 「たかが狐だ。 鹿や兎と変わらねぇよ」


 そう言って、ハーベストはコーヒーを飲み干して席を立つ。

 そのまま流れるように、端の席で未だ紅茶を飲んでいる女に腕を回した。

 

 「なあ、姉ちゃんもそう思うだろ?」

 「……あ?」

 

 突然肩を掴まれて驚いたのか、女は一言口にしただけで、琥珀色の瞳をハーベストに向けて細めている。

 近くで見れば見るほど、良い女だ。 怯えているのか、驚いてしまったのか、口の端をぎゅっと曲げて黙っているのが、また可愛いと思った。

 ハーベストはニンマリと笑って、女をぐっと自分の方へ引き寄せる。

 

 「どうだい? 俺と一緒に狐を探しにいくか? 見つけて差し出せば大金持ちだ。 丁度、姉ちゃんの髪みたいな綺麗な金の毛皮で……」

 

 言いかけたところで、ハーベストの体が強引に離された。

 振り返れば、マスターが険しい顔をして腕を掴んでいる。

 

 「おいおい、マスター……空気読んでくれよ。 俺は今この女を口説いてんだ」

 「いいえ、見過ごす訳にはいきません。 お客様、おやめください」

 「ああ?! なんだと!?」

 

 ハーベストが怒鳴っても、マスターは顔色ひとつ変えない。

 それどころか、腕を掴む手に力を入れてくる。

 

 「とにかく、今日はお帰りになった方が身のためだと思います」

 「なんだぁ? たかが食堂のマスターが、こんな細っこい腕……で、俺に、勝てると……」

 

 そこまで言ったところでハーベストは言葉を止めた。

 振り払おうとした腕が動かないのだ。 まるで、鋼の塊を相手取っているかのように、うんともすんとも言わない。

 掴んでいる腕もよく見れば太い気がする。

 

 「て、テメェ、客を脅そうってのか!?」

 「え、脅す? いや、そんなつもりじゃ……」

 「ふざけんな!!」

 

 勢いよく腕を振り上げたその時、ハーベストの頬を小さな火の粉がかすった。

 

 「ふざけてんのはどっちだ。 貴様、良い加減にしろよ」

 

 先ほどまで大人しくしていた女が立ち上がり、指先に小さな炎をいくつも浮かべている。

 頭には大きな耳がいつの間にか生えていて、鳥の囀りのような美しい声に似つかわしくない口調は、ハーベストの言葉を失わせた。

 そんなハーベストの横を、マスターが慌ててすり抜けていく。

  

 「おい、天狐! お客様になんてことするんだ!」

 「うるさい!! 喧嘩売ってきたのはあっちだろうが!」

 「だからって店内で魔法使うなよ」

 「外なら良いのか? おい、男。表に出ろ」

 「違うって! お前もう二階上がってろ」

 

 天狐、と呼ばれた女はマスターに背中を押されると、カウンターの中へ引っ張られ、厨房の奥へと押しやられてしまった。

 

 「すみません、お客様。 お怪我はありませんか?」

 「オイオイ、なんだよあれ……」

 「妻は狐の獣人なので、あまり見つめすぎると喧嘩を売られていると勘違いしてしまうんです」


 何とか視線を逸らそうと思ったんですが、とマスターが申し訳なさそうに眉を下げた。

 

 「妻ァ?! ふ、ふーん、そうか……まあ、俺も悪かったよ」

 「いえ……今日はお代は結構ですので、またいらしてください」

 「お、おう、また来るぜマスター」


 しどろもどろとしながら、ハーベストは逃げるように店を出た。

 外に出た途端、むわっと生暖かい風が頬を包む。

 先程、頬を掠った火の粉の感覚を思い出して、ハーベストは身震いをした。

 恐ろしかったのはあの火の粉だけではない。

 美しいと眺めていた琥珀色の瞳がギラリと金色に変わるのを見た。 あれは一体、何だったのだろう。

 この世のものではない、もっと恐ろしい何かを見た気がした。

 獣人、とマスターは言っていたが、あれは獣と言うよりは、ダンジョンの奥で魔物に会った時の緊張感だった。

 

 「あんなの、ただのハッタリだ……」

 

 震える声でそう呟き、路地裏を駆け抜けてハーベストは神都の中心へと走った。

 中央には観光名所にもなっている神樹がある。

 それを眺めて、心を落ち着けようと思ったのだ。

 

 

 

 ──ハーベストが走り去るのを眺めてから、マスターは「OPEN」の札をひっくり返して「CLOSE」に変えた。

 コーヒーカップを回収し、洗い物を済ませてから住居スペースのある二階へ上がる。

 リビングのソファを覗き込めば、天狐の長い尻尾が頬を撫でた。

 

 「お客さんに魔法使ったら危ないじゃないか」

 「あの野郎、次来たらなぶり殺してやる」

 「だからダメだって。 言う事聞かないなら、当分おやつ抜きだからな」

 

 頬を撫でていた尻尾が急降下する。

 

 「私に命令するな。 そもそもフロガ、お前はあんなクソみたいな客を庇うなんてお人好しがすぎるんだよ」

 「確かにあまり良いお客さんじゃなかったけど、もしお前が暴れて噂が広まったらここにいられなくなるだろ」

 「……それもそうだな」

 「そうだろ」

 「でも殺せば何も言えなくなる。 死人に口なし、だ」

 「おやつ抜きにしてもいい?」

 「……次来たら二階に行く」

 「それがいい。 まあ、かなり怯えてたから次は来ないかもな」

 

 そう言って、フロガは天狐の隣に座った。

 先程まで、フロガの頬を撫でていた尻尾が首筋に触れる。

 それからまた一つ、フロガの頬を尻尾が撫で、また一つは顔を覆い、視界を奪う

 全部で九つの尻尾はフロガを包み、視界を奪っていた尻尾が退けられた時、膝の上で金色の狐がクンクンと鼻を鳴らしていた。

 

 「天狐、あそこで尻尾全部出してたら危なかったぞ」

 「そんなヘマするわけないだろ」

 

 フン、と鼻を鳴らした金色の狐……天狐の頭を撫でてやると、嬉しそうに金の瞳が細められた。

 やがて膝の上で丸くなると、すやすやと寝息を立てる。

 それを眺めながら、フロガもゆっくりと瞳を閉じた。

 

 昼下がりの静かな午後、まったりと時間が過ぎていく。

 また目まぐるしい時間がやってくるのは、酒場が始まる夕方になってからだ。

 

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