宣教師の扱い
稲荷大社に人々を集めて説得してから時は流れ、永禄十年の春になった。
自分は京都の朝廷のように、君臨すれども統治せずを貫いている。
政治のことがさっぱりわからないのもあるが、それでも徳川さんや幕府の関係者から相談を受けたり、尾張から遊びに来た織田さんと各領地の経営について話し合ったりはしていた。
殆ど直感的だが決断や基本的な方針は出しているし、山のような書類仕事も片付けているので、完全にノータッチというわけではない。
ちなみに何処で仕事をしているかというと、外周には深い堀に囲まれ、広大な森の奥に建てられた荘厳な稲荷大社だ。
歴史は凄く浅いが、それでも江戸を代表する神社と言っても過言ではない。
さらに本宮の片隅に、小ぢんまりとした木造家屋が建てられている。
自然に囲まれた環境なので、三河から連れてきたワンコたちを放し飼いにしていた。
何気に前世の皇居よりも敷地が広く、いつの間にやら独自の生態系を築いていたりと、都会の中の田舎といった感じだ。
それはともかくとして私は書類仕事を一時中断して、今日は個人的な客人の相手をしている。
各地から届くお供え物をおすそ分けしてもてなすなど、たとえ征夷大将軍となってもやっていることは変わらない。
「稲荷は異国の宣教師には、どのような対応をするのじゃ?」
本日のお客さんである織田さんが、緑茶に口をつけながら話しかけてくる。
都会の喧騒も森の奥までは届かず、狼たちが見張ってくれているので、ここに来る人は殆どが密会のような話し合いになるのだ。
なお織田さんは私の言いつけに従い、稲荷と呼んでくれている。
他の呼び方は様をつけるか、中には恐れ多いという理由で神をつける人もいたりと色々だ。
ただ無理強いはしていないので、可能なら稲荷で頼むと言った感じである。
それはそれとして我が家を訪れる一般人は、石畳が敷かれている場所以外は進入禁止だ。
広大な森は全て神域になっているし、本宮の裏手の小道には見張りが立っている。
24時間体制で、通る人を厳しくチェックしているのだ。
そして通行を許されている私の数少ない友人は、今は座敷の畳の上に腰を下ろして、高級玉露で喉を潤していた。
先程の質問に関して、私はうーんと首を傾げて考え、やがて結論を出す。
「誰が何を信じるかは自由です。仏教然り、稲荷神然りです。
しかし、一神教ですからね」
肌や髪、目の色が違うだけでも差別意識が生まれて、さらにそこに宗教が絡んでくると、ますますややこしくなる。
もし唯一神以外の全てが邪神であるいう教えが日本に広まれば、私など即火あぶりの刑を受けることになってもおかしくない。
それに関して織田さんも思うところがあるようで、クックックと笑いながら相槌を打つ。
「海の向こうからすれば、稲荷は邪神に見えるであろうな」
「否定はしません」
特に今の時代は厄介で、宗教活動が非常に活発に行われている。
さらには先進国が、発展途上国を植民地化している真っ最中だ。
まあ何処がどの国を支配しているかはさっぱり覚えていないが、多分そういうご時世だったはずだ。
とにかく日本も舵取りを誤って失速すれば、これ幸いと隙を突くようにして他国に侵略される可能性もある。
「じゃが、心配はいらぬ。稲荷は国教じゃ。
異国の神など入る余地はないわ」
またもや豪快に笑う織田さんだが、私は微妙な表情だ。
「私は、稲荷神を国教にしたつもりはないのですが」
「わざわざ政策として打ち出さずとも、既にそうなっておるではないか」
薄々気づいていたが、稲荷大明神、征夷大将軍、天下統一、五穀豊穣、泰平の世の到来などなどと、誰もが認める超絶コンボを決めていた。
もはや、後世にまで語り継がれる偉業のバーゲンセール状態だ。
なのでいくら私が宗教の自由を公言しようと、他の宗派から稲荷神に改宗する者が大勢出るのは避けられない。
さらに民衆は稲荷神こそが国教であると、盛大に勘違いしてしまうのだ。
だがまあ逆に考えれば、そのおかげで異国の宗教が広まらない。
外国の人が新しい宗教の種を植えようとした土地には、既に狐色の芽が出ていて現地住民も大切に育てている状況だ。
現在、新たにキリスト教が入る余地はない。
私にとっての分不相応の評価やワッショイワッショイで頭の痛い問題だが、考えようによっては国内の情勢を混乱させる要因が一つ減って、統治をしやすくなる。
それに各国の寺院の抗議活動だが、天下統一後は目に見えて激減した。
今の流れに逆らっても身の破滅が待っていると、ようやく理解したのだろう。
そのおかげで、古くて間違った常識を廃して、正しい教えを広めることができた。
今の時代を生きる人たちにとっては、意味不明な改革だろう。
それでも、やがては便利で快適で豊かな生活を送ることができるのだ。
結果的にますます稲荷大明神に心酔することになるが、私が退位した後のことを考えると、あまり喜ぶべき流れじゃないなと、と大きく溜息を吐く。
思考の海から戻ってきた私は、玉露を一口飲んで気持ちを切り替える。
次に、さっきの織田さんの質問に答えていく。
「外国との兼ね合いもありますし、宣教師を弾圧する気は一切ないです」
「であるか」
「ですが国内情勢が安定するまでは、外からの干渉は邪魔です。
しばらくは内政に専念したいので、鎖国するのも良いかも知れませんね」
まずは国民全ての衣食住を保証して、毎日を安心して暮らせる世の中の仕組みを作るのが先決だ。
地盤が固まる前に外からちょっかいを出されたり、稲荷神の教えに反対する勢力でも現れたら、私の退位が遠ざかってしまう。
「早めに天下泰平の世を築いて、征夷大将軍を退位したいですね」
「稲荷よ。それは本気か? 冗談ではなく?」
玉露を一気に飲み干しながら、困った表情を浮かべる織田さんに堂々と宣言する。
「私はいついかなる時も本気であり、嘘はつきません。織田さんもよくご存知でしょう?」
自分は神様だと大嘘をついてはいるが、それ以外は本音で話している。
今もそうなのだけど、彼は目を白黒させて、すぐに私を憐れむような視線を向けてきた。
「儂は応援しよう。じゃがまあ、もし退位できずとも、気を落とすでないぞ」
「何を言ってるんですか! 織田さん! 私は絶対に退位しますからね!」
「⋯⋯であるか」
なお織田さんは一人で出歩くことはなく、身辺警護のために影のように目立たないように付き従っている部下が居る。
室内には森蘭丸が一人だけだが、彼まで何故か可哀想な子を見るような視線を私に向けてきた。
だがそれはそれとして、今の日本は戦国時代とは比べ物にならないほど、情勢が安定している。
ならばこのまま地盤を固めていけば、そう遠くないうちに退位できるはずなのだ。
若干ヤケになっている私は、ちゃぶ台の上に置かれたお菓子に手を伸ばす。
これは民衆が稲荷煎餅と名付ける直前に、草加煎餅にしましょうと強弁して名義変更したお茶菓子だ。
なお煎餅屋には、稲荷神様も大絶賛のノボリが可愛らしいイラスト付きで立ち並んでいる。
しかし、自分の名前が商品名になるよりはマシだ。
それでも完全に防ぎきれてはいないが、雨後のタケノコのようにポンポン出てくるので仕方ない。
ともかく私は不機嫌な表情を浮かべたまま、草加煎餅を二枚同時に小さな口に突っ込む。
勢い良くボリボリ噛み砕いてから、玉露で流し込んで強引にストレスを発散するのだった。




