千歯扱き
洗濯板やヘチマタワシなどの開発が始まったが、個人的にはまだ試験段階で完成とは言い難い。
それでも試作品の一部が流通し始めた長山村だけでなく、周辺地域の村々の民から毎日のように感謝の声が届く。
少しでも役に立っているなら本格的に流通させて、使用者や生産者の声を参考にして少しずつ改良していけば良いかと、方針を改めた。
なお私は、そんな毎日を墨をつけた筆で紙に書き記してた。
処理すべき案件が多すぎて覚えきれないので、とにかく記録しておかないと忘れてしまう。
前世と比べて筆まめになったものだと思いつつも、ついでに日記も書き残すようになった。
他愛もないその日に起きたことだが、私が転生してから歩んできた足跡だ。誰かに読ませる気はないけど、たまには過去を振り返るのも良いかも知れない。
……とまあ色々言ったが、正直に言うと今の時代は娯楽がないのだ。
なので基本インドア派のわたしは、自宅に籠もって狼たちと遊ぶ以外に暇潰しの方法を知らない。
毎日のように参拝客が訪れはするが、仕事と趣味は違う。
そこで何気ない日々の記録を残すことで、余った時間を有意義に消化している気分を味わえるのだ。
とにかくそのおかげで、戦国時代に来てからもう一ヶ月近くが過ぎたのだと実感できた。
一方で、そろそろ収穫が近いようだ。
麓の村々から参拝客が山の中腹までやって来ては、五穀豊穣の祈りやお供え物を捧げたりと、何とも慌ただしく活気が出てきている。
そんな私はマイペースを守っているが、周囲が忙しくなってきたある日のことだ。
村長さんと木工職人が大勢で参道を登り、自分の住んでいるオンボロ社務所にやって来た。
今となっては慣れたものなので、中にどうぞと招き入れる。
居間の木枠の床にペラッペラの座布団を敷き、少しヒビが入って歪んだ湯呑を並べた。
それぞれに白湯を入れて、その後に私も所定の位置に腰を下ろす。
彼らがここに来た目的を前置きなしに率直に尋ねると、ある意味予想通りの答えが返ってきた。
「収穫作業を楽にする道具ですか」
「秋に入ると収穫作業で休む暇がなくなるのです。
ですので、稲荷神様のお知恵をぜひともお貸しいただきたく──」
村長さんのお願いを聞いた私は、この時代の貴重なタンパク源であるお供え物の鹿肉を、横目でチラチラ見る。
餌に釣られるのも癪だが、稲荷神として頼られれば応えないわけにはいかない。
しかし私が神の奇跡は起こせないので、前世の知識に頼ることになる。
おまけに常に成果を上げ続けなければ、いつか住処を追い出されて妖怪として退治されてしまう。
今の関係は良好だが、常に予断を許さない状況にうんざりする。
だが嘆いても始まらないので、真面目な表情でしばらく考えた私は、思いついたことをそのまま口に出す。
「千歯扱きを作りましょう」
「稲荷神様、千歯扱きとは?」
皆は興味津々という表情でこっちを見るが、上手い言葉が思い浮かばない。
どう説明したものかと、足りない頭を悩ませるのだった。
前世の日本で、私が通っていたのは田舎の小中学校だ。
そこでは、ちょっと変わった課外授業があった。
機械に頼らず直接苗を植えたり、肥料や農薬の作成。
さらに脱穀や精米に至るまで殆どの工程を、生徒たちにやらせるのだ。
小さな田んぼとはいえ、当時は何でこんな苦行をと毎年嫌々やっていた。
しかし世の中何が役に立つかわからないもので、今ではあの時やってて良かったと思っている。
それと同時に、できれば活用する機会は永遠に来ないで欲しかったと、内心で大いに嘆いていた。
だがまあ、とにかくだ。
千歯扱きを他の生徒と一緒に旧校舎から引っ張り出し、ヒーヒー言いながら脱穀した経験は使えると考えた。
もちろん最初から完璧な物を作って、一発成功とはいかない。細かな調整を、数え切れないほど行う必要があるだろう。
だがたとえ模造品でも実用化できれば、手作業よりは効率が良くなる。
そこまで考えた私は、スクっと立ち上がって戸棚にしまっておいた墨と筆を取り出す。
スズリに水を入れてゴリゴリと擦り、ある程度黒くなったところで筆を浸した。
続いて目の荒い紙に、千歯扱きの簡単な構図を描いていく。
「これが、……千歯扱きですか?」
「そうです」
どうやら誰も見たことがないようだ。
戦国時代の脱穀は別の道具を使っているのか、それとも手作業なのかは知らない。
もうありますと言われなかったので、赤っ恥をかかなくて済んで少しだけ安堵する。
「歯の間隔だけは要調整ですが、完成すれば手作業よりも効率は遥かに上がるでしょう」
「「「おおー!!!」」」
戦国時代での稲作の経験がない私では、どのぐらい効率が上がるかはわからない。
それでも手作業より楽になるのは、間違いないだろう。
何より自分の拙い前世の知識でも、目の前でこうして喜んでくれる人が居るのだ。
身振り手振りでしどろもどろではあるが、頑張って説明するのは悪い気はしなかった。
「稲荷神様! もしや他にも道具を知っておられるのですか!?」
「他の道具ですか? ええと、……他にはですね」
私は再び、紙に簡略化した道具のイラストを描いていく。
人力で風を起こしてお米を選別する唐箕。傾斜を転がして米ぬかをふるい落とす千石通し。
あとは収穫作業とは関係ないが、ホームセンターで販売していた、耕作で深く効率よく土を起こす備中鍬。
クワ以外の造形はうろ覚えで怪しいが、構造は単純だった。
もちろんこれも千歯扱きと同じく要調整だが、今年は試験運用で終わっても来年には実用化できるだろうと考える。
取りあえず説明が一段落したところで、私は白湯に口をつけて喉を潤す。
向こうのお願いは叶えたことになるので、今度はこちらから質問させてもらった。
「ところで、米の他には何を栽培しているのですか?」
「米以外には、規模は小さいですが麦等の雑穀を育てております」
つまりは基本的に稲作以外は、あまり積極的には育ててはいないようだ。
年貢があるから仕方ないかと、私は頭の中でぼんやりとそう思った。
「では、田んぼの肥料は何を?」
「あの……稲荷神様? ヒリョウとは何でしょうか?」
村長さんに質問を質問で返されてしまい、私は思わず硬直する。
なお、狐っ娘は少し前に田畑には肥料を撒かないとを教えてもらっていた。そのことを綺麗さっぱり忘れていたが、言われて思い出す。
ちなみに後で知るのだが、戦国時代は牛糞や人糞などを田畑にすき込んでいた。
その一方で、田の神を汚してはならないと忌み嫌われている地域も、確かに存在していた。
だがまあ、そんな歴史事情はどうでも良い。
今問題なのは長山村では殆ど米しか育てておらず、田畑には肥料を与えていないということだ。
いくら山からの流れてくる水に肥料成分が含まれているとはいえ、米が病害虫や災害、日照りに襲われれば、その年の収量は大きく低下してしまう。
人間の手でもある程度は収穫量を増やす術があるのに、それをやっていないのは由々しき事態だ。
(これはもしかして、不味い状況なのでは?)
先程までは、稲の収穫作業が楽になったよ。やったね狐ちゃん! と、無邪気に喜んでいた私だった。
しかし今、戦国時代の食糧事情の深刻さに気づき、思わず真顔になる。
他にも連作障害や冷害に備えたりと、農作業には厄介事が山程ある。
戦国時代で快適で平穏な暮らしを成し遂げるのがいかに大変か、口頭での説明だけで否応なしに思い知らされた。
これはもう四の五の言っている暇はない。
そう考えた私は、姿勢を正して堂々と声を上げる。
「今から肥料の作り方と、来年からの栽培方法を教えます!」
「「「えっ?」」」
栽培方法の改善と肥料作りを教えることで、強引にでも収穫量を増加をさせる。
それに病害虫の対策も行い、少しでも自然由来の被害を抑えるのだ。
なお、米以外を育てる余裕がないという言うなら、作業効率を上げて他の雑穀を育てる時間を捻出する。
一つの作物に依存しきった農法では、もし疫病が流行したら終了ガタ落ちでたちまち食糧難になるからだ。
そして前世では人糞は下水から浄化施設へと送っていたが、知ったこっちゃない。
戦国時代には化成肥料など存在しないし、自分には到底作れないので戦国時代にもある肥やしや農薬を使うしかないのだ。
寄生虫の混入などが怖いと聞いた気もするが、そこはまあ十分に発酵させて殺してやれば大丈夫だ。……多分。
それに図書館で読んだ戦後の漫画にも、人の糞尿を肥料として使っていた場面があった。やってやれないわけではない。
そのようなことを順序立てて考え、私は麓の村の大改革を行う決意を固めた。
「村の住人全員に私の教えを徹底させなさい! さすれば必ずや、五穀豊穣がもたらされるでしょう!」
「「「はっ、ははー!!!」」」
珍しく声を荒げる狐っ娘が余程恐ろしかったようだ。
オンボロ社務所だけでなく、外に居る村人たちも深々と頭を下げる。
だが正直に言うと、現代の稲作が戦国時代に合っているかはわからない。
課外授業や農家の手伝いに駆り出された経験があると言っても、うろ覚えの部分もかなり多い。
それでもこのまま彼らに任せていては、快適で平穏な暮らしは一生かかっても達成できない。
何より、住処と食料の提供元である麓の村々が困窮すると、私も道連れで生活レベルがガタ落ちになるのは確実だ。
少なくとも、毎日をのんびり暮らしているだけでは、一寸先は闇からの脱出は不可能だ。
そんな、いつ沈むかもわからない泥舟に乗って、大海原をあてもなく彷徨い続けるのは、絶対に嫌である。
(平穏な暮らしとは、明日への不安がないこと。
でも現状では達成できてるとは言い辛いし、ご飯が不味いのが致命的すぎる)
私は心の中で大きな溜息を吐いた。
既に色々やらかしているが、これから自分が積極的に動くことで、本来の歴史が大きく変わるだろう。
しかし、稲荷神(偽)としての力を誇示するという目的には合致している。
何より自分の望む平穏な暮らしを手に入れるためには、大改革を行って古く非効率的な風習を上書きすることで、文化や技術の発展を後押しするのが最短ルートなのだ。
それでも外に出るのが怖いので、基本的には山の奥に引き篭もるつもりだ。
とにかく千里の道も一歩からで、まずは麓の村を豊かにしようと心に決めた。
けれど、失敗したら狼たちを連れて夜逃げするので、一応備えだけはしておこうと予防線を張ったり、ちょっとだけおっかなびっくりなのだった。