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紙漉き職人

 港町の漁師から、今川さんの名前を出して生海苔を買い取る。

 そしてそれを持って、紙漉き職人の仕事場に向かう。


 何でも大勢の弟子を雇っているという話だが、今は姿が見えないことが若干気になった。

 それでも施設はかなり大きいので、噂通りなのだろうと納得しつつ交渉を開始する。


 ちなみにお相手は、白髪が特徴的な厳格そうな親方だ。

 それにお茶を出して歓迎してくれた中年の奥さんも居る。


 私はそんな二人と、仕事場ではなく奥の個室の木の床の上で対面する。

 話し合いを進めているが、これがなかなかに手強かった。


「紙と食い物を一緒にできるわけねえだろ!」

「そこを何とか、お願いします」


 食品の加工に紙漉き工房を使わせて欲しいのだが、暖簾に腕押し糠に釘である。


「駄目だ! 俺の仕事場が磯臭くなっちまう!」


 本当に取り付く島もない。

 しかし、紙漉き職人の親方が言うことはもっともだ。


 これは戦国時代とは関係なく、常識的におかしい。

 前世に食品衛生法があったが何となく抵触してそうだし、現場の管理者に大反対されるのも当然であった。


(駄目だ。どうにも埒が明かない)


 まだ少ししか話してないが、まるで聞く耳を持たない。

 説得には骨が折れそうだし、大きな港町なので他にも紙漉き職人は居るだろう。

 ならばそちらと改めて交渉したほうが、スムーズに事が運ぶはずだ。




 ここで権威を振りかざして我を通すのは可能だが、非常事態以外はやりたくない。

 出来る限り互いに利益があって、平和的に解決するのが一番だと思っている。


 私は早々に諦め、次の手を打った。


「わかりました。別の工房に頼むことにします」


 自分が決断したのは他の理由もある。

 実はお供の人たちが、先程から青筋を立てているのだ。

 あと少しで刀に手をかけそうだし、そういう意味で結構ギリギリだった。


「稲荷神様っ! 汚名返上の機会を与えていただきとうございます!

 他の紙漉き職人の工房に、ご案内致します!」


 今川さんの使者が深々と頭を下げる。

 紙漉き工房の親方も、自分が斬られるとわかっていただろうが、それでも信念を曲げなかった。きっと立派な人だ。


 だがまあそれはとにかく、これでさようならである。


 特に案内役の人は事前に先触れを出しておいたのに、港町の大手の紙漉き職人がここまで融通がきかないとは思っていなかったようだ。


 鬼のように怖い表情を浮かべているし、私が抑えるようにと言っているので手を出していないだけである。

 あと少し刺激すれば、爆発してしまいそうだ。


 取りあえず紙漉き工房や職人を守るために、ここは大人しく身を引くのが一番賢い選択だろう。


「まっ待て! まさか、本当に!

 別の紙漉き職人に頼みに行くつもりか!」

「はい、そのつもりですが?」


 私がよっこらしょと立ち上がると、先程まで強気だった親方が急に声を荒らげて静止する。


 それだけではなく、何やら挙動不審な様子だ。

 奥さんまで、落ち着ついてくださいとばかりに、新しいお茶とお菓子を慌てて用意し始める。


「あーいや、……そのだな! 条件次第で譲歩してやらんこともないぞ?」

「……え?」


 私はさっぱり状況が掴めない。

 これを聞いた案内役は何かを察したようで、すぐこちらにこっそり耳打ちする。


 その内容を簡単にまとめると、港町の周囲は禿山だらけである。


 当然木材資源も枯渇していて、新しく手に入れようとするなら、多少値段が高くても他所から取り寄せるしかない。


 ここの親方も多くの弟子を雇っていて、港町で一番大きな紙漉き職人として、かつてはその名を馳せていた。


 だが、ここ最近は材料不足と価格高騰で斜陽となってしまう。

 経営を維持するどころか、弟子たちを養うのも難しくなっている。


 なので私との交渉は渡りに船で、本来なら一も二もなく飛びつくところだ。

 しかし、この際だから少しでも良い条件を引き出そうとした結果が、ゴネまくりということであった。


 今の自分は征夷大将軍で、それはつまり親方日の丸で国が後ろ盾になってくれる。

 つまり金に糸目をつけずに、値段を吊り上げるのも思いのままと睨んでいた。


 さらに相手は狐の耳と尻尾を生やしているが、見た目は幼い女子だ。

 交渉には不向きだと、親方はそう考えていた。


 しかし案内役から事情を聞いた私は、呆れてしまう。


 板海苔を食べたいがために、紙漉き職人の元までやって来た自分が堂々と言えることではない。

 けれどいざ対面したら、ケツの毛まで毟り取ろうと考えている守銭奴が交渉相手である。

 彼らにも生活があるので仕方ないが、私としては長山村の職人連中のように苦楽を共にする仲間のような関係を望んでいたのだ。


 だが何だかもう、色んな意味で真面目に話すのが馬鹿らしくなってきた。

 正直これ以上この場に留まる気はなくなったが、親方がまだ話したがっているようだ。


 なので最後に聞くだけ聞いてみるかと、溜息を吐きながらその場に座って口を開く。


「貴方の求める条件を提示してください。

 それに次第で、去るか残るか決めさせてもらいます」


 これが最後通牒だとは言わないが、向こうもそれぐらいわかっているはずだ。


「条件は、製造方法をうちの独占に──」

「話になりません。

 私は新しい海苔を、日本中に広めたいと考えています」


 そもそも新しい海苔を独占販売して儲けようと考えていたら、最初から身内だけで計画を進めていた。


 だが実際には違い、今も日本中の食生活を豊かにしたい。

 なので大手の紙漉き職人に製造方法を伝えて、ある程度確立したら寿司と同じく一般公開させる。


 特定の職人が利益を独占するのではなく、前世のように様々な種類の板海苔が生まれることを望んでいた。


 地方ごとに独自の強みを出して切磋琢磨するほうが、色んな味が楽しめて個人的にはお得なのだ。

 価格も差が出るだろうし、庶民も手を出しやすくなる。


 だが、親方の気持ちもわからなくはない。

 かつては町一番の紙漉き職人でも、今は経営が危うい状況だ。


 しかし私はもう、今回の交渉に見切りをつけていた。

 この後に及んで辛抱強く新たな条件を出させるより、さっさと別の紙漉き職人の工房に行ったほうが良い気がする。


「町一番の紙漉き職人はこの俺だ! 弟子も大勢居る!」


 自分の弟子たちを全国に派遣して、板海苔職人として活動させるつもりのようだ。

 きっと前世で言うチェーン店みたいなものだろう。


「そちらの目的とも合致する! 問題はあるまい!」


 私は口元に手を当てて、少しの間思案する。

 確かに前世の日本では珍しくなかったが、もし日本のハンバーガーショップがマックだけ、コンビニがセブンだけしかなかったら、それはとても寂しく思えた。


 何より定番の味ばかりでは、気分によって変えることもできずに飽きてしまう。


 私は首を横に振って再び立ち上がり、今川さんの護衛に声をかける。


「行きましょうか」

「かしこまりました!」


 親方に私の理想を説明しても、到底理解できるものではない。

 目先の利益ばかり追い求める彼は、そもそも耳を貸さないだろし、最悪またゴネられる。


 板海苔を作るのは自分のわがままもかなり入っているので、権威を使って無理やり押し通す気にもなれない。

 ゆえに私は、細く小さなおみ足に、泣きながらすがりついてくる親方を強引に引っ剥がす。


 そして振り返ることなく背を向けて歩き出して、下駄を履いて玄関から外に出ると、別の紙漉き職人の工房へ案内してもらうのだった。

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