洗濯板
滑車を井戸の雨避けの小屋に取り付けることで、深い井戸の底から水を汲み上げるのが楽になった。
だがしかし、麓の村の井戸が完成してめでたしめでたしと思っていたのは私だったようだ。
現実には一難去ってまた一難であり、まだ稲荷神様ワッショイワッショイのターンは終了してない。
稲荷神様の聖水が飲める滑車付きの井戸の噂が、凄まじい勢いで周辺地域に広まっていく。
ぜひうちもお願いしますと、熱心に参拝しに来てお頼み申す人が激増したのだ。
ただお参りに来るだけなら、行けたら行くわで済むことだ。
しかし、その人たちは実際に水不足で困っている。
お賽銭やお供え物を持って、まだ整備途中の参道を苦労して登り、山の中腹辺りに建てられている我が家の前まで来て、深々と頭を下げてお願いするのだ。
個人的には受けた恩は返すものだし、もし目の前に困っている人がいたら、できるだけ助けたい。
だが、あれもこれもと手を広げるわけにもいかない。
何より、我が家という安全圏からはなるべく出たくなかった。
理由は、戦国時代は刀や御札を振り回して妖怪退治をする武士やお坊さんの存在だ。
前世で幅広い娯楽作品に触れて、そういった変な知識だけは持っていた。
麓の村の外に出た途端に遭遇し、殺される可能性もあるのが怖いところだ。
人類は髪や肌の色や思想の違いで争い出す生き物であり、そこに狐耳と尻尾を生やした幼女が現れたらどうなるかなど、もはや想像に難しくない。
たとえそれが偏った知識だとしても、お命頂戴になる可能性はゼロではないのだ。
前世から自宅に籠りがちだったからか、見知らぬ他人を助けたいからという理由だけで、命の危険がある場所に出向く気にはなれなかった。
だが何もしないと、あの女狐は稲荷神を語る偽物だなどと、悪い噂が流れてしまう。
なので私は各方面に媚びを売るというか、定期的に自分は神様で人類の味方だよアピールをしないといけない。
けれど直接出向くのは大変で危険もあるので、何か上手い作戦を考える。
ボロい社務所に籠もって足りない頭を捻っているが、なかなかこれといった名案は出てこないのだった。
ようやく解決策を思いついた私がやって来たのは、麓の木工職人の仕事場である。
新発明の滑車の量産で忙しいところ申し訳ないが、今だけは稲荷神(偽)の要求を聞いてもらいたい。
取りあえず一旦作業を止めてもらい、コホンと咳払いをする。
「突然ですが、洗濯板を作ります」
開口一番、集まった村長と職人たちを前にして、私はそうはっきりと言い放った。
「稲荷神様。その洗濯板とは、服を洗う時に使う板という扱いでよろしいのでしょうか?」
「その通りです」
私がコクリと頷くと、皆が何でそんなものを今さら作ろうとするのかと、そう言わんばかりの反応だ。
滅茶苦茶微妙な表情になっているが、こっちもまあそうなるわなと思っていたので、一から十まできちんと説明する。
「洗濯板を使えば汚れ落ちが良くなり、時間の短縮や節水になります」
「はぁ、そうなのですか」
集められた木工職人たちは、話を聞いただけではとても信じられないとばかりに、じっと私を見ている。
だが、実際に説明している自分も半信半疑だ。
ちょっとは効果あるはずと不安に思っているのは秘密である。
それでも長山村の洗濯は、河原での手洗いや踏み洗いが一般的だ。
なので少なくとも、それよりはマシだろう。
「とにかく物は試しです。この絵図の通りの板を作成します」
木工職人の親方が、私が墨汁で描いた構図を上から下までじっくり観察する。
やがて一息ついて、ポツリと呟く。
「ふむ、……名前の通り、本当にただの板ですな」
ちなみに実家の脱衣所の全自動洗濯機の近くに立てかけてあり、埃を被っていた物を参考させてもらった。
注意深く観察したことはないが、殆ど毎日目にしていたから細部までよく覚えている。
多分、災害や停電の備えのために購入したのだろうが、使う機会は結局なかった。
手洗いよりもマシなのだろうが、どの程度上かとなると本当に未知数なのだ。
後日談となるが、洗濯板は大好評だった。
しかも都合の良いことに、戦国時代の衣服は殆どが麻で作られており耐久性が高い。
そのため少しぐらい強く洗っても、破れたりほつれることはなかった。
それでも使い方を教えるために実演をして、優しく丁寧に洗い、終わったら風通しが良く涼しい場所で干して乾かして、カビを防いで長持ちさせるように努めること。
そうやって稲荷神(偽)である私が水桶と洗濯板を使用し、記憶も定かではない母が使い方を丁寧に説明してくれたことを思い出す。
私もそれに倣って、路上販売のように身振り手振りで詳細を頑張って説明したのだった。
ここで、今なら石鹸とセットでお安くなっていますと言いたいところだ。
しかし平凡な女子高生が製法を覚えているはずがなく、安価で買えるのに自作もしなかった。
(夏休みの自由研究や、科学実験で作った気もするんだけど)
石鹸作りの記憶は、朧気だが何となく覚えてはいる。
だが戦国時代に簡単に手に入る物の組み合わせではない気がするが、清潔好きな日本人としては諦められない。
固形が難しければ、まずは自然物か液体で試すべきだろう。
今後はその辺の木の実や草、または米や野菜の残りをすり潰す等して、現代知識を参考に試行錯誤を重ねれば、いつか実用化できるかもと、前向きに考える。
なお何処から種が飛んできたのかは知らないが、村外れの荒れ地の片隅にヘチマが自生しているのを見つけたのは、本当に幸運だった。
一体いつから日本に渡来したかだが、多分室町時代にはすでにあったのかも知れない。
それはともかく、他にはないかと探すと日当たりの良い場所に、他に数本生えているのを確認した。
取りあえずはヘチマを大切に育てるために、障害となる周りの雑草を即座に引っこ抜く。
簡単な支柱を立てて蔦が巻きつくように固定し、雨にも負けず風にも負けずで、家庭菜園でもしてのんびり栽培して増やしていくのが理想だ。
しかし結局は、遅かれ早かれ現場に丸投げになった。
私個人として平穏な日常を夢見ているものの、現実はそうはいかない。
今は地域住民と信頼関係を築くのが肝心で、毎日のようにお願いされるのだ。
全部叶えていたら時間がどれだけあっても足りないし、自分もそんなに暇ではない。
なので村民の願いは厳選し、私でも何とか解決できそうなモノだけ、足りない頭を捻って解決策を考えるのだ。
その間、麓の村民にヘチマの管理を任せることになる。
その際には食用にするのではなく、秋の終わりに実が茶色くなったらタワシを作るので、また長山村に出張しないといけない。
いずれはヘチマを増やして食用にしたり、洗濯板とタワシをセットにして全国に広めたいものだ。
なお戦国時代の食器洗いは数日に一回で、少なくとも長山村ではそのように聞いた。
普段の毎日の手入れは食器に白湯を注いで、漬物があればそれで器を拭い、なければ飲み干す。
そして最後でボロ布で水気を取るだけ。……らしい。
いくら水が貴重で油物が少ないからと言っても、こんな不衛生な生活は断じて認めるわけにはいかない。
一体どれだけの有害な雑菌を体内に取り込んでいるのかと考えると、個人的に耐えられそうにないのだった。
話は変わるが、ヘチマの茎を切って染み出す水は薬になるとか聞いた覚えがある。
だが、実際にタワシを実習で作ってあれこれ説明を受けたのは小中学校の頃だ。
そのせいで記憶は曖昧で、薬効や保存方法などは忘れてしまった。
なのでこの時代の専門家に丸投げして、そちらも色々試してもらいたい。丸投げでは申し訳ないので、自分もできる限り手伝うべきだろう。
けれど、とにかく稲荷神としての仕事は今回も無事に達成した。
色々とガバガバ判定ではあるが、心の中で乗り切れて良かったと安堵するのだった。