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七曜

 炊き出しの手伝いは大忙しだった。


 なお私は戦国時代では珍しい特注の白い割烹着を着て、大鍋をグルグル回していただけだ。

 肉体労働で休憩なしではあるが、狐っ娘は疲れ知らずである。

 さらに考える必要がない単純作業なので、気楽であった。


 そして、これには深くはない浅い理由がある。

 自分の立場が征夷大将軍、さらには稲荷神なことが原因だ。


 そんな肩書だけは偉い私が命令したら、本来現場を取り仕切る人たちが萎縮してしまう。

 なので私は信頼できる部下たちに任せて、ニコニコ笑顔で大鍋をかき混ぜ続けるのだ。

 それが一番穏便で、もっとも効率良く仕事ができる。




 それに、難民は千人以上居る。

 大鍋はいくつも並んでいて、それら全てを焦げつかないようにかき混ぜる続けているので、かなりの力が必要になる。

 狐っ娘は疲れないので平気だが、体力がいる作業であった。


 難民にも協力するよう頼んで正解で、昨日は相当な激務だったようだ。

 多少は改善されたが、未だに心底疲れ果てた顔をしている現場の職員を見て、そう感じたのだった。




 炊き出しの手伝いが一段落したあとは、稲荷大社の建築工事も手伝わせることを提案する。


 その言葉を待っていましたとばかりに、松田さんも方針転換したらしい。

 動ける元気の残っている者を集めて近くの船着場へと向かうと、歩いて十分程度の距離の大河に到着する。


 その後は松田さんの案内で、停泊していた船に乗り込む。

 選抜された難民たちは後続で、私は一足先に上流へと漕ぎ出したのだった。




 蒸気機関やガソリンエンジンがない時代だ。

 風を受けるか人力で漕ぐかの二択で、下流に向かうなら流れに身を任せるため早く進む。

 しかし、今回の目的地は上流だ。


 途中で軽快な速度で下ってくる船と、何度もすれ違った。


 ちなみに川幅は、大河の名に相応しいほど開けていた。

 だが途中いくつかは、互いにすれ違うのは難しそうなほど横幅が狭い箇所もある。


 何よりやたらと曲がりくねっていて、大雨が降るたびに氾濫を起こしてそうで不安になってしまう。


(一応治水工事はしてるんだろうけど。

 全国がこんな感じなら、街道と同じく早急に整備しなきゃ)


 私は今は静かに流れている大河を眺めながら、頬に手を当てて思案する。

 前世の日本ではライフラインの崩壊は死に直結するし、便利で快適な生活を送るために、あって当たり前のモノがないのは落ち着かない。


(電気、ガス、水道、通信、輸送……だっけ?

 今の時代に、すぐ実行に移せるのは少なそうだけど)


 まずは治水により水資源の安定化を図り、街道整備で輸送を円滑にする。

 そうすれば、物資や情報の伝達速度も上がるはずだ。


 だがこれは一朝一夕では不可能で、本当に長期に築いていくしかない。


 しかし今、私があれこれ考えた所で、大した意味はないと思い直す。

 全ては幕府を開いてからなので、実行に移すのはまだ先になるのだった。




 今はせっかくの川登りなので、周りの景色を見て仕事漬けの気分を追い払う。

 なお、その際に少し気になることがあったので、隣の松田さんに尋ねる。


「大木を船に乗せて運んでいるのは、何故ですか?」

「稲荷神様が住まわれる本宮は、いわば聖域。

 近くに木材がないゆえに、北の山で樹齢の長い大木を見繕い、建築素材にする必要があるのでございます」


 そう言われると、私が要求した場所は、殆どが沼か浅瀬だ。

 幸い土壌の栄養は豊富そうだが、環境的に木材資源の入手は難しい。

 近隣住民が既に伐採してしまっているのは、容易に想像できる。


 そうなると、北の山から御神木っぽい大樹を運んできたり、下流で建築素材にするのは納得できる。

 ただそれが何本も続くと、そんなに木材必要なのかな思えてしまう。


「稲荷神様のお住まいを再現するためには、多くの木々を移植して森にしなくてはなりませぬ」


 神社を建てる以外にも、実家周りも再現するつもりのようだ。

 確かに地盤を安定させるためには、大木に深くまで根を張らせるのは悪くない手段だ。


 私も人が多くて賑やかな場所よりも、今住んでいる稲荷山の静かで小ぢんまりした一軒家のほうが、落ち着いていて好きだ。

 さらに狼たちやその他野生動物も放し飼いするとなると、かなりの広さが要求される。


 まあ、その点には何の不満もない。

 しかし、すれ違う船の乗員を横目で見て、これはちょっと不味いのではと感じた。


「建築工事は、そこまで過酷なのですか?」

「労働が過酷なのは当たり前では?」


 質問を質問で返されてしまった。


 私が見て感じたことは、行き交う船の舵を取っている乗員の顔色が悪い者が多数存在することだ。

 それに船に乗って休んでいる者も、皆が心底疲れ果てている。


 松田さんにとっては、そんな状況を当たり前だと思っているようだ。

 けれど長山村や私が関わっている地域では、無理せず体を休めて、効率良く働く流れが広まっている。


 なので私はいつも通り、北条さんに向けて本音で質問する。


「北条領の労働について質問なのですが、一日のうちにどれぐらい働かせているのですか?」

「日が出てから、沈むまでです。

 稲荷神様が望めば、松明を付けて夜間もやらせますが?」


 このぐらいなら予想していたが、後半に私が望めば躊躇なく徹夜させるという発言が出てきた。

 何とも闇が深く感じる。


 そんな悲惨な事情を知ってしまった以上、自分に我慢できるはずがなかった。

 だからこそ、いつものぶっちゃけトークを披露する。


「これからは一日の労働は八時間。いえ、四刻までにしなさい」

「えっ? そっ、それはどういう?」


 この時代の人には、理解不能な発言である。

 松田さんだけでなく、同じ船に乗っている者たちも、興味津々といった顔をして集まってくる。


 稲荷神として理屈抜きのゴリ押しを、恥じることなく堂々と発言するのには、もう慣れた。

 まあ良いことか悪いことかはわからないが、快適で平穏な暮らしを勝ち取るためにはやむを得ない。


 なので何処で聞いたか忘れた謎知識を、恥じることなく口に出す。


「人間は精神的な疲労が蓄積しても、作業の効率が大きく低下してしまいます」


 深くツッコまれると面倒なので、そういうものだと受け入れてもらう。

 さらに私は尋ねられると答えられないかも知れないと考え、言葉を途切れさせずに続きを話す。


「ゆえに朝から晩までの働き詰めより、心身を高い水準で健康に保つほうが、結果的に仕事の効率と進みが良くなるのです。

 そして、その最適解が四刻なのです」


 実際この一日八時間労働が、本当に正しいかは私はわからない。

 それに今言った効果があるかも、今いち信じきれてはいなかった。


 大体人間とは個人差がある生き物なので、人によって最大パワーで働ける時間は違うに決まっている。

 だが前世の日本ではずっと同じことをしているので、多分これで良いのだろう。


 少なくとも、戦国時代の労働環境よりも断然マシだと、お気楽に考える。


「あとは一週間、……ではなく、最低でも七日に一度は体を休める日を入れれば、効率はさらに高まります」

「勉強になりますな!」


 松田さんや周囲の人たちが感心している。

 だがこれは、稲荷神だから信用してくれたのだ。

 もし何の実績や権威もない小娘ならば、鼻で笑われていただろう。




 しかしそのおかげで、疑問に思われることなくすんなり受け入れられて助かった。

 逆に信頼を裏切る結果になったら、あっさり手のひらを返すだろうが、その時はその時だ。


「しかし、七日に一度ですか。これは少々覚えにくいですな」


 松田さんが顎髭を弄って考え込んだ。

 けれど失敗の許されない綱渡りは、戦国時代に来てからずっと続いている。

 多少は慣れても別に生きるか死ぬかをしたいわけではない私は、とにかく思いついたことをそのまま口に出す。


「では、一週間で区切ると良いでしょう。例えば、月火水──」

「なるほど! 七曜でございますな!」


 ポンと手を打つ松田さんから七曜と聞いて、一週間の概念は戦国時代にもあったのだと理解した。


 しかしその割には、全然普及していない気がする。

 もしかして平安初期には生まれていたが、誰も注目しなかったのかも知れない。


 まあ曜日の背景が何にせよ、戦国時代では教養のある人だけが知っているのが、七曜ということになる。


 とにかく松田さんが知っているなら話が早い。

 彼は周囲で七曜とは何ぞやと首を傾げている者たちに向けて、得意気に鼻を鳴らして説明を始めた。


「七曜とは七つの天体から来ておる。

 先程稲荷神様が申した略式では、月火水木金土日となっていて──」


 私は黙って聞いているだけなので楽でいい。

 できれば早いところ征夷大将軍を退位して、こういう面倒とは無縁な平穏な暮らしに移行したいとしみじみそう思った。




 やがてしばらく話していた松田さんがこちらに顔を向けて、休日を決めるにしてもいつにすれば良いのかと尋ねてきた。


 私は迷うことなく、土曜が半休か一日休み、日曜を休日にする案を出す。

 相変わらずの行き当たりばったりだが、深く考えずに堂々と発言するのだった。

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