滑車
水不足の解消という仕事を、脳筋ゴリ押しでも一応やり遂げた私は、山の中腹の我が家で数日ほどのんびりさせてもらった。
狼たちに狩りを教えたり一緒に遊んだりしていたが、ふと自分の掘った井戸がどうなったのかが気になり、久しぶりに麓の村に下りてみることに決める。
何度か通った参道は、村民が仕事の合間に下草を刈ったり足場を整えたりして、歩きやすくしてくれているようだ。
けれど、それより何より、私自身が今の身体に慣れてきている。
力加減もバッチリで、一度も止まることなく駆け下りて長山村に到着した。
そして私は時々すれ違う地域住民に丁寧に挨拶して、目的の井戸に向かう。
「井戸はどうなりましたか?」
「男手をかき集めて石組みを行いましたので、間もなく完成でございます!」
近くに村長さんが居たので声をかけると、興奮気味に答えてくれた。
そう言えば人手やお金が足りないから井戸を掘れないと言っていたが、私が果たした仕事はとても大きかったらしい。
戦国時代には前世のような重機はないけど、そこを圧倒的なパワーで掘り進めたのだ。
一番大変な仕事は既に片付いているため、あとは村中から男手かき集めればなんとかなる。
「稲荷神様が深く掘られましたので、万が一にも崩落しないように念を入れております」
夜通しの突貫工事になっているのは私のせいだとも説明され、何とも申し訳ない気持ちになる。
だがまあ、それでも低予算で完成間近まで行ったのだ。
長山村に貢献できたので、地域住民と信頼関係を築けたのでとにかくヨシッと開き直る。
とにかく水不足が緩和できれば、稲荷神としての役目は果たせたことになるのだ。
それに雑菌だらけの川の水より、地下で濾過された井戸水のほうが良い。
腹を下す可能性は低くなるので、汲み上げるのは大変でも長期的に考えても確実にプラスになるはずだ。
そして私があれこれ思案している間にも、興奮気味の村長さんは喋り続けていた。
だが途中で、少しだけ声を落としたことに気づいて、現実に引き戻される。
「しかし一つだけ問題がありまして──」
「問題ですか?」
井戸が完成すれば地下水脈から直接汲めるので、日照りの影響を受けにくくなる。これは確かなはずだ。
それの何が問題なのかと、私は彼の言葉の続きを待つ。
「井戸が深いために、釣瓶を引き上げるのが大変なのです」
それを聞いた私は、思わず言葉を失う。
未来なら電動ポンプ式で汲み上げるので、ボタンを押すか蛇口をひねるだけ済む。
しかし戦国時代には当然そんな便利グッズはない。つまりほぼ全てを人力に頼ることになるのだ。
(多少は苦労するとは思ってたけど、そんなに?)
私はその場の勢いで掘り進めたので、実際にどれぐらいの深さかはわからない。
だが井戸が深ければ深いほど、釣瓶を引っ張り上げるのが大変になる。
ひょっとしたら健康な若い男性ならまだしも、女子供や老人には重労働かも知れない。
ならば、これまで通り近くの川まで汲みに行ったほうが、水汲みとしては遥かに楽だ。
たとえお腹を下す可能性が上がっても、地域住民は皆そちらを選ぶかも知れない。
(もしかして、失敗した?)
誰も利用しない井戸など、村にないのと同じだ。
それでも川の水が干上がったら、渋々といった感じで井戸を使うだろう。
いざという時の備えは必要だし、かかった労力は一概に無駄とは言えない。
だがこのままでは、私が必死こいて掘った井戸は綺麗サッパリ忘れ去られる可能性がとても高かった。
稲荷神の信用がプラマイゼロどころか、低下しかねない失態である。
(何とか! ……何とかしないと!)
石組みが済んだ井戸に雨避けの屋根がつけられている。
木工職人が釣瓶がぶら下げられているのを見た私は、もう必要なくなった地下深くの松明代わりの狐火を消した。
続いて、疑問に思ったことを何となくで口に出した。
「井戸に滑車はつけないのですか?」
「かっ、滑車?」
村長さんどころか、村の木工職人も首を傾げた。
私はその辺りに落ちていた木の棒を拾って手に持ち、地面に軽く押しつける。
「ええと、滑車と言うのは──」
木の棒の先で、時代劇に登場した滑車付きの井戸を簡単に描いていく。
前世では自室でイラストを描いていたりしたので、経験のない人よりは多少は絵心に恵まれている。
それでも神絵師と比べれば上手いとは言えないが、設計図ぐらいは描けるのだ。
とにかく村の職人らしき人たちが地面に描いた絵を見て、腕を組んで考え込んでいた。
「輪っかの部分だけが回転することで、下に引く力で釣瓶を引き上げることが可能になるのです」
そもそも時代劇には、人が引っ張って走る大八車が出てきたはずだ。
基本的にはそれと同じ原理なので、戦国時代にはないのは不思議だと思った。
しかしたとえ存在しても麓の村の道はでこぼこで、雨が降ってぬかるみにハマればすぐ動けなくなる。
ゴムのタイヤなら多少はマシかもだが、木製ではどうしようもない。
ついでに水車にも同じような技術が使われているのだが、小型化は困難なのだろう。
なので、きっとあっても広まらなかったのかもと頭の片隅で考える。
滑車も同じように職人の数が足りないなどで、都市部では知られていても長山村には存在しないとか、そんな理由だろうし、今聞くべきことでもないので一旦置いておく。
とにかく木工職人が滑車の実物を作成する前に、まずは模型から始めたらどうかと提案する。
今は何とかせっかく掘った井戸を、村民の皆にも使ってもらえるように必死で身振り手振りをし、拙い説明を続けるのだった。
なお、私が掘った井戸は水汲みが重労働でも、村民の使用頻度は非常に高かった。
稲荷様の聖水などと呼ばれて有難がっているようだ。聞き方によってはR18的な意味にも間違われかねないので、一時期は羞恥のあまり顔が真っ赤になってしまう。
今も村民の噂を聞くと凄く恥ずかしいが、水質は良好で川の水より美味しいらしい。
滑車が完成する前でも、利用者がゼロでなかったことは純粋に嬉しかった。
しかし新装開店セールのような物珍しさで、飛びついているだけとも考えられる。
初動の好調さは、そう長くは続かないのできっとすぐに飽きるか忘れられるだろう。
そうなる前に滑車を取り付けて、少しでも利便性を上げたいところだ。
そんな悶々とした思いを抱えながらオンボロ社務所に引き篭もっていると、村長さんがわざわざ伝言に来てくれた。
麓の村の木工職人が滑車について聞きたいことがあるらしいと、教えてくれたのだ。
滑車の構造は単純なので、戦国時代でもすぐ作れるはずだと最初は割と楽観的に考えていた。
いつものように麓に下りて、木工職人の仕事場に行く。
そこで何とも重い空気が漂っていて、とても困惑した。
「稲荷神様! よく来てくださいました! まずは、こちらをごらんください!」
待ってましたとばかりの親方が、模型ではなく試作品らしき滑車を見せてくれた。
私はそれを手に持って色んな角度から観察して、実際に回してみたりもする。
「どうやら、内と外の円形の大きさにズレが生じているようですね」
ある程度の遊びは必要だが、隙間が大きくなってしまうと回すたびにガタガタ揺れる。
負荷がかかることで壊れやすくなるので、精密さが必要なのは言うまでもない。
だがまあ木製なので耐久力に難があるのは仕方ないし、適時交換が必要になる。
それでも水を数回汲んだだけで壊れてしまったり、激しく揺れたり、円ではなく角があって回転がスムーズにいかなかったりしたら、滑車を取り付ける意味がない。
それに何よりも、知識や技術を教えた稲荷神の名に傷がつくというものだ。
「では、私が見本を作りましょう」
「稲荷神様自らですか!?」
「滑車の構造は先程見て覚えました。これなら何とかなります。……多分」
狐っ娘の身体能力はとんでもないものがあり、実際にあっという間に滑車を完成させた。
なおその前に三つほど失敗したが、親方が言うには失敗作は稲荷神様がお作りになられた駄目な見本として、新人の教育のために公開展示しますと嬉しそうに言っていた。
私としては黒歴史を堂々と公開される辛さがあったが、処分する理由も思い浮かばない。
好きにしてくださいと恥ずかしそうに視線をそらして、話を切り上げるのに精一杯であった。
何にせよ、木工職人から工具と素材の杉を受け取り、身体能力に物を言わせて物凄い速さで円形を正確に掘り進めた。
現場の職人に説明を受けながらなので、途中で手を止めることがしばしばあったが、何とか無事に滑車第一号が完成したのだった。
「これが滑車ですか?」
「そうです。中央の溝に縄を取り付けて上に引っ張るのではなく下に引くことで、水汲みの負担を軽くする道具です」
他にも色々と応用が効くので、今後はこれを参考にして作成するようにと、一仕事終えた私は彼らに第一号の滑車を渡す。
「取り付け作業は大丈夫ですか?」
「大丈夫です! あとは我々だけで行えます! これ以上稲荷神様の手を煩わせるわけにはいきません!」
確かに雨避けの小屋に滑車を固定するだけなので、ここまでやれば完成したも同然だ。
私は満足そうに微笑み、では楽しみにしていますねと一言告げる。
深く頭を下げる木工職人たちに背を向けて、狼たちと山へ帰って行くのだった。