比叡山
延暦寺と本願寺から送られてきた書状の内容は、やたらと格式高くて遠回しな表現が多用されていた。
だが予想通り、その殆どが私への苦情や罵詈雑言ばかりだ。
一つ、お前が直接出向いて土下座して詫びを入れれば、仏のお慈悲で許してやる。
二つ、民衆たちから不正に巻き上げた利益を、全て延暦寺と本願寺に寄付しろ。
三つ、今後は仏のために身を粉にして働き、全ての銭や物資を寺院に供えれば、死後は極楽に逝けるであろう。
このように直接的ではなかったが、長々と回りくどく丁寧に書かれていたのだ。
桜さんが読み上げたからまだマシだったが、黙って聞いていた私は呆れてしまう。
それでも一言も喋らずに最後まで聞いたが、流石にちょっとイラッとした。
結局のところは、私が生み出す利益を全額寄付して、本願寺と延暦寺に従えと命令しているのだ。
相手は名のある高僧らしいが、戦国時代に詳しくないので見たことも聞いたこともない。
さらに言えば、高名な人物に許されたり名誉を得ても、腹は膨れない。
私は既に神を語って皆を騙して後には引けなくなっているので、誉れに泥を塗る行為であった。
まあつまり書状をもらっても良く燃えそうだや、ヤギの餌になるか程度しか興味がなかった。
なので全文読み終わった桜さんに、こっちに渡すように伝える。
恭しい姿勢の彼女から受け取り、私はそれを間髪入れずにくしゃくしゃに丸めた。
次に空高く放り投げて、両手を合わせて独特の構えを取る。
溜まりに溜まった鬱憤を晴らすために、かつてないほど気合を入れた。
「……か~め~は~め~!」
両手の平に狐火が収束していく。
大気がゴゴゴゴと微細に振動し、やがて準備が整った。
「破ああああーッ!!!」
掛け声と同時に両手を突き出すと、青白い本流が解き放たれて、宙に放り投げた書状を正確に撃ち抜き、飲み込んだ。
ちなみにモーションや技名は、完全にその場の勢いでやっていて深い意味はない。
きたねえ花火だとばかりに呆気なく燃え尽きて灰になった書状と、ちょうど真上に広がっていた分厚い雲をぶち抜いて綺麗に吹き飛ばし、そこから光が差し込んできたので私の気持ちも少し晴れる。
だが喉の奥に引っかかった小骨のように、イライラは完全に解消されたわけではない。
いつも通りの場当たり的な判断した私は、ついポロッと口に出す。
「決めました」
「何がでございますか?」
桜さんの質問に本当に何の深い考えもなく、自らの願望を口に出した。
「延暦寺と本願寺を焼き討ちしましょう」
「「「えっ!?」」」
私の発言に驚いたのは桜さんや使者たちだけでなく、周りの参拝者も同様だ。
それでも自分の中では焼き討ちは決定事項で、今さら取り消す気はない。
しかし、流石は高僧だ。
心から仏を信じているのかは知らないが、腰抜けから気力で復帰したのか、慌てて立ち上がって待ったをかける。
「そっ、そのような非道な行い! 仏は決して許さぬぞ!」
「それが何か? 私は稲荷神ですよ? 何より、全ては日本の民を思ってのこと。
たとえ仏罰を受けてこの身が焼かれようと、歩みは決して止めません」
延暦寺や本願寺の評判については、今の京都の住民から聞いている。
アンケート結果をまとめると、前世の日本で不正を行う政治家のほうが遥かにマシという評価だった。
新たに台頭してきた稲荷神が表向きは清廉潔白なのもあって、判断基準がおかしくなったのかも知れない。
とにかく事情はともかくとして、今は全国的に食糧難であらゆる物資が足りてない。
だが、一部の権力者は全く気に留めることなく、私腹を肥やしている。
代わりに民衆の生活が圧迫され、最終的には多くの者が亡くなるのだ。富裕層にとっては痛くも痒くもなく、反省の色も見えない。
これだけでもイラつかせるのに、民衆を飢えや病気から救おうとする私の行いを非難するだけでなく、表向きは儲かっているように見えても現実は先行投資に追われて、自転車操業で運営している。
彼らはその利益を、全部奪おうとしているのだ。
別に私は寄付金を募って贅沢をするつもりは毛頭ない。
今よりも機能が充実した施設や薬、または様々な道具などを開発して、民衆の生活を豊かにしていく。
ただでさえ三河や尾張は私の無茶振りで尻に火がついているのに、無駄使いする余裕など全くないのだった。
これらの事情から本願寺や比叡山延暦寺がやろうとしているのは、世紀末覇者に出てくるモヒカンが、か弱い老人から種籾を奪うような暴挙である。
ゆえに、今の自分は冷静にキレている自覚があった。
そもそもの話、私は元々国や神仏のために身を粉にして働こうなどとは、これっぽっちも思っていない。
どうしても自分と相容れないと判断したら、あっさり見捨てて安住の地を求めて隠遁する気満々なのだ。
三河の稲荷山を拠点としていても、先祖代々の土地とかそんなわけではない。
たった数年しか住んでないし、お世話になった人たちには悪いと思うが、やはり命あっての物種で自分の身が一番可愛いかった。
それに今の私は己だけ良ければいいというわけではなく、犠牲になった人たちの分まで前に進まなければいけない。
最低でも天下を統一して世の中を平和にしなければ、彼らも浮かばれないだろう。
なのでそれを邪魔する延暦寺と本願寺は、どうしても許す気になれなかったのだった。
結局桜さんに命じて使者を追い返して、伏見稲荷大社の入り口に念入りに塩を撒かせた。
本願寺や延暦寺が、相当大きな組織なのは知っている。
だがまるで統制が取れていないことからも、肥大化と腐敗がかなり進んでいるのは間違いない。
もちろんまともな人もいるし、彼らが乗り込んできたのは普通ではあり得ないのもわかる。
しかし前世でも熊が街に出没した際に色んな意見の人がいるように、私に文句のある人たちが勝手に暴走する可能性もゼロではないのだ。
それはともかくとして、連合軍の協力を得るための会議を開いた。
参加している各々の代表の表情は、伏見稲荷大社の個室の座布団に腰を下ろしたまま、静かに怒る私を見て明らかに強張っている。
だが若干物怖じしたけど、特に問題なく会議は進む。
まずは比叡山延暦寺、次に本願寺の焼き討ちは即日決定となったのだった。
やがて少しだけ時が流れて、永禄七年の秋の終わりになった。
ちなみにここまで時間が空いた理由は、念入りな根回しである。
何しろ延暦寺も本願寺も、仏教の一大勢力だ。
そこを攻めるとなると各勢力からの反発は必至で、天下統一を目前にした今、周りが全て敵になるのは何としても避けたい。
だからこそ、手間暇かけた根回しが重要になってくる。
もちろん周辺勢力には、こっちの目的はしっかり伝えている。
朝廷や公家も表向きは認めるわけにはいかないが、裏では許可をもらっていた。
もし事が上手く進めば、正式に稲荷神様の焼き討ちは正しいと公言してくれるらしい。
それはともかくとして、各勢力には五千の兵を出してもらう。
合計二万五千の大軍勢で、比叡山延暦寺を取り囲む。
だがしかし、包囲網は割と穴だらけであった。
僧兵は地の利を生かした戦術が得意なので、包囲されても打って出てこない可能性は高い。
それに寺院は、無関係な人を大勢匿っている。極悪非道な焼き討ちどころか、この期に及んでも本気で攻めたりはしないと、高をくくっているだろう。
しかし私は、嘘をつくのは嫌いだし、やると言ったら本当にやる。
なので当初は、一人で殴り込みをかけるつもりだった。
だがそんな無謀なことをさせられないと、各々の陣営が腕利きの武将や兵士を護衛としてつけてくれた。
合計二十人の決死隊。……まあ別に死にに行くわけではない。
近衛みたいなものかも知れないが、急きょ結成したのだった。
秋の終わりの早朝、まだ朝靄が立ち込める中を、二十人の精鋭と一人の狐っ娘は、比叡山の参道を登山でもするようにのんびりと歩く。
目的地である延暦寺に、周囲を警戒しながら向かっていた。
だがしかし、その途中で木の上に登って身を潜めていた僧兵が、私めがけて矢を放ってきた。
けれど狐っ娘の人外の身体能力があってからこそ可能な、見てから対処余裕でしただ。
中指と人差し指で矢をしっかりと掴む。
「お返ししますね」
さらに相手に直接返すように、手首を捻って放り投げる。
「なっ、何ぃ!? ……ぎゃああ!!!」
見様見真似で初めて使う技だったからか、狙いがズレて威力もおかしいことになってしまった。
僧兵が乗っていた大木の太い枝を、へし折る結果になった。
彼は悲鳴をあげながら落下し、頭を地面に強く打ち付けてあっさり気を失った。
色々と計算違いだが無力化には成功したので、取りあえずはヨシである。
その後も何度も待ち伏せからの奇襲を受けて、私はいちいち対処するのが面倒になった。
常に狐耳を澄ませて索敵を行い、先手を打って潰すことにする。
殺さずの侍漫画に出てきた亀の人ではないが、人間の体は常に音を発している。
一切口を開かなくても、狐っ娘には何処に居るかわかるのだ。
「前方の茂みに十五、後方に十八です。弓矢に気をつけてください」
「ちいっ! 気づかれ……ぐわああっ!!!」
私は見敵必殺を行い、少しでも怪しい素振りがあれば、一瞬で距離を詰めて手加減してヤクザキックをぶちかます。
そもそも格闘技はド素人なので、華麗に敵を倒すのはとても難しい。
たまに加減を誤って、骨の一本や二本を容易くへし折る。
だが再起不能にするのは問題はないし、死ななきゃ安いだ。
「近づかれる前に射殺せ! 女狐に矢の雨を浴びせろ!」
また、接近戦は不利と悟ったのか、四方八方から弓矢で射殺そうとする。
ならばこっちは狐火を全方位に飛ばして、炎の熱で焼き尽くすまでだと思ったが、途中でそれは不味いことに気づいて、ただ勢い良く放出するだけに留めた。
結果、強風にでも煽られたかのように矢の勢いはみるみる衰えて、私たちに届く前に全てが地面に落下する。
最初は鏃まで一瞬で焼き尽くせばいいかなと考えたが、ここは比叡山で周りには木々や落ち葉だらけだ。
そんなことすれば山火事間違いなしで、私はともかく近衛が無事では済まない。
確かに焼き討ちは確定しているが、自分たちまで燃えては本末転倒である。
なので咄嗟に低温の狐火を勢い良く放出したが、上手く言って良かった。
未だにこれがどんな力なのか把握しきれていないが、私が想像した通りに周囲の物を吹き飛ばすことも可能だと、また一つの機能が明らかになったのだった。
その後は何度か襲撃があったが、悠々と距離を詰めて相手の弓をポッキリ折ったり、薙刀を握り潰したりした。
そして自分は当たっても傷一つつかないが、護衛が怪我をするので止めなさいと、優しく丁寧に言い聞かせる。
私に同行している二十名は、もう稲荷神様だけでいいんじゃないかなといった、何とも言えない表情が浮かんでいた。
心の中で、だから護衛は要らないって言ったのにと内心で呟き、大きな溜息を吐きながら参道を登っていく。
やがて、寺院にしては場違いなほどに巨大な門が目の前に現れた。
普段は開けっ放しなのだろうが、今日に限っては蟻一匹通さないぞとばかりに、完全に締め切られていた。
「閉まっているでござるな」
「問題ありません」
同行している本多さんが、どうするつもりかと声をかけてきた。
私は口で説明するより見せたほうが早いと判断し、巨大な門の前まで無防備に歩み寄る。
矢が飛んでこなかったことから、逃げ帰った僧兵が撃っても無駄だと学習して、上司に報告したのかも知れない。
そして寺院の門を閉じられたからといって、これは敵わんと諦めて帰るつもりは毛頭ない。
巨大な木製の門まで到達した私は、静かに両手を当てて、少しずつ力を込めていった。
幼女の体重では、どれだけ押しても足が後ろに下がってしまい、ろくに力をかけられないが、どういう理屈か、私が込めた力がそのまま門に伝わるようだ。
やっぱり狐っ娘は普通ではないと再確認している間に、正面の扉が徐々に軋んでいく。
そして、やがて何かが折れる音が周囲に響き渡った。
「ぎゃああっ! 助けてくれー!」
「妖怪じゃ! 妖怪が攻めてきおったぞ!」
「仏よ! 我らをお守りください! 悪霊退散ーっ!」
屈強な大人が複数人で持ち上げて正門にはめ込んでいた巨木の閂が、ものの見事にへし折れてしまったようだ。
正門の隙間から見える逃げ惑う人たちの足元に、もはや完全に使い物にならなくなった木の板が転がっている。
とにかく、これで障害はなくなった。
私は少々立て付けが悪くなった山門を軽く押して、大きく開け放つ。
そして、延暦寺の境内に堂々と侵入するのだった。




