医者
京都に医療学校が建てられることに決まったものの、流石に今日明日というわけにはいかない。
なので、しばらくは仮宿の伏見稲荷大社だけでなく、他の稲荷系列の神社の空き部屋を病室に改築する。そこを無料で利用させてもらうことになった。
私が盛大に巻き込んだ形になるが、終わりよければ全てよしだ。
最後に民衆の信頼を勝ち取りさえすれば、プラマイゼロになる。
もちろん完全に無料というわけではなく、少額でも良いので寄付をお願いしていた。
払える人と払わない人、または今は払えない人など色々居るが、全体的に見ればプラマイゼロだ。
人材や時間や金とトントンだが宣伝にはなるので、どうか我慢して欲しい。
そして京都だけではなく、他の国々にも怪我や病気で苦しんでいる人は大勢居る。
医者を志す人たちも、最先端の医療技術を学べると続々と集まってきた。
だがそういう事情があっても、私は漫画の無免許医ではない。
あまり期待されても困るのだが、狐っ娘の身体能力で練習を重ねれば、メスの腕前だけなら追いつけそうだ。
ちなみに新しく建てられる予定の医療学校の建設費用だが。松平、織田、武田、今川、斎藤に続き、稲荷関連の神社、さらには何故か朝廷や公家まで参加してくれた。
他には、私が希望した医療器具や薬等の援助も同様である。
伏見稲荷大社の神主さん云わく、朝廷や公家は貧乏で、内職に励まないと家の修繕をするお金も捻出できない程と言っていた。
相当無理をしたのではないかと、少し不安になる。
しかし、許可を得た上で彼らのホームである京都に建てるのだ。
支援者として関わっていないと、あとで将来的に後ろ指をさされることになる。
先見の明があるのが良いことだが、常日頃からやらかしまくっている私は、何だか申し訳なく思うのだった。
色々考えたが、ただ朝廷や公家に資金援助をしても一時しのぎにしかならない。
そのために私は朝廷や公家に仕事を与えて、自分たちの手で稼いでもらうことにした。
具体的には彼らが見聞きしたことを書き記し、後世に残すという大仕事を依頼する。
他には虫食いや朽ちる前に、古来から受け継がれてきた書物を一語一句違わずに写本したりと、顔の広い彼らに文化的価値の高い品々を収集させたりと、多岐に渡った。
私は前世で、何でも鑑定する番組を視聴したことがある。
古い物には、歴史的に物凄い価値があると知っていた。
ただ何故こんな値段にと、当人はさっぱり理解できなかったが、とにかく後世には文化的価値が高くなるので、やって損はない。
ただ数百年先に戦争が起きて空襲で燃えたり、外国に持ち去られたり、劣悪な環境で管理してたりと、色んな理由で紛失したりする可能性もある。
だが数を増やせば多少は国内に残りそうだし、やっぱり重要に思えた。
それに文化財の保存を今のうちからやっておくことで、未来を生きる人々に当時の私たちがどのような生活をして、どんな事件が起きたのか伝えることができる。
一人の人間ではなく多方面から書き記したり収集を行えば、効果はより高まるだろう。
そこで朝廷の関係者や、大勢の公家さんを伏見稲荷大社に招いた。
これらの内容を説明すると、大変な感謝を受けて深々と頭まで下げられる。
内職だけでは厳しい生活環境らしく、私の提案は渡りに船とのことだ。
松平さんにはあらかじめ話をつけておいたので、買取は問題ない。
しかし、保存場所の確保はどうしたものかと考える。
そしていつもの場当たり的な判断で、江戸幕府を開いた後に正倉院を再現した建物を作り、未来に残す重要文化財はそちらに保存することに決定した。
将来的に、国家予算の一部を文化保護に当てる予定だ。
まあまだ絵に描いた餅ではあるが、相変わらず自転車操業を抜け出せない状況が続く。
それでも一応、朧気ながら見通しを示せたことには意味があるはずだと、私は深く頷くのだった。
ちなみに医療技術に関しては、成績優秀な者を各国に建てた医療学校の校長に就かせると聞いている。
生徒を教育して医療分野の底上げを図る等で、何処の国も未来に向けて計画を練っていることが伺えた。
松平さんが言うには、稲荷神様が関わった企画は必ず大成するとのことだ。
なので詳細が不明でも初手全額投資は基本らしく、必ず当たる宝クジじゃないんだからと心の中でツッコミを入れる。
だが理屈はわかっていても、納得はできなかったのだった。
医療学校は一朝一夕で建てられるわけではない。
京の都の木工職人が頑張ってくれているが、完成は当分先になりそうだ。
それまでは伏見稲荷大社の一室を借りて、いい年したおじさんたちを相手に勉強会の毎日である。
途中で判明したのだが、庶民は歯磨きの習慣がなく、身分の高い人は木の棒で磨く。
未来でも爪楊枝があるし、一応は納得できた。
だが続けて聞かされた新事実に、完全に言葉を失う。
何と、虫歯治療は神仏に祈るのである。ギュイーンと回転して歯を削る、お子様にとっては拷問器具に近いアレがないのだ。
私が対処するにしても、神経に到達したら引っこ抜くしかなさそうだ。
なので、予防の重要性がより高まったと言える。
他には、鉛入りの白粉を顔に塗りたくるのが上流階級の嗜みなのも知った。
前世を知る私からすれば、そんな悪しき習慣が当たり前に受け入れられている現状に、色んな意味で寒気がした。
これは何としても、未来の衛生管理を広めなければならない。
京の都に多く存在するヤブ医者を弾いたり、美にこだわる女性の執着は凄いので、白粉の代用品を用意するのは容易ではない。
しかし千里の道も一歩からで、今はとにかく手探りでもやるしかなかった。
理由は、漢方治療の他は自然治癒力に頼るのが主な医学では限界があるからだ。
だが私も似たりよったりだけど、今の時代よりもまだ詳しく知っているはずである。
だから各々の生活習慣を改めさせ、怪我や病気の予防に努めるのだった。
そんなある日のことだ。
私は伏見稲荷大社の一室で、風邪を引いた患者の口を看護師見習いの花子さんに開けさせていた。
そしていい年したお医者さんたちを前に、真面目な顔で実習を行う。
「体が熱を出すのは免疫反応の一つであり、体内に侵入したウイルス。あーいえ、病原菌? ……これも違いますね。
ええと、ようは目に見えないほど小さな病魔を殺すために、肉体が発熱しているのです」
続いて炎症の説明をするが、私は本当に基本的なことしか知らない。
白く染まった舌を見せたあとは、あまり長く口を開けさせると患者の病状が悪化しそうだ。
花子さんに合図を送って、手を離してもらう。
そして大勢のおじさんの前で、布団に横になっている今回の実験体、もとい若い女性患者の熱を測る。
体温計がないのではっきりとはわからないが、今の狐っ娘が平熱だとすれば、やはり高めだ。
そのことを、戦国時代の人にもわかるように気をつけて説明する。
途中で、生徒の一人が手を上げて質問してきた。
「稲荷神様、病魔は熱に弱いのですか?」
私は診察を一時中断して、どう答えたものかと思案する。
「発熱は体が病魔に抵抗している証拠です。
くしゃみや咳、発汗などの現象は、目に見えない小さな侵入者を体外に追い出すための、正常な反応なのです」
私の一挙手一投足に注目する生徒たちは、なるほどと納得している。
しかし、実際の医療現場で自分の知識や技術が、何処まで役に立つのかはわからない。
「あくまでも患者の体が熱を生み出すことに意味があり、外部から直接熱するのは、多くの場合肉体的な負担が大きすぎて、逆効果になります。
衣服や布団で寒さから身を守り、体熱を維持する程度に留めると良いでしょう」
最後に、常々気をつけるようにと伝えて、私は口を閉じる。
しかし。この説明も気を使う。
何しろ今の時代に合わせて伝えることが必須となるのだ。
前世の日本の原文そのままでは説明できないし、薬や医療器具も殆ど存在していない。
信じるに足る根拠は、稲荷神(偽)である私の言葉だけだ。
あとは経過を見るか成果を出して、各々が納得してもらうしかないのであった。
その割に、神医や無病息災の御加護を与える稲荷神様の噂が京都中に広まっているようだ。
しかも信憑性だけが独り歩きしているのか、どういう理由か皆が信じてくれている。
まだ成果は殆ど出ていない状況で、過大評価にも程があった。
そもそもの話、私は医療や衛生に関しては、高校一年の基礎分野しか学べていないのだ。
重い病気や怪我の治療は、その他の分野の知識で予測を行い、さらに医者を題材にした娯楽作品の知識を重ねて、出たとこ勝負で対処するしかない。
大麻が医療用麻薬だというのも、漫画で知ったのだ。
密かに探して見つけたあとは、厳重に管理しつつ、罪人や志願者を募って人体実験で試していた。
何度も試行錯誤を続けて、地道に医療を発展させていく。
野球ゲームの博士ではないが、医学の発展に犠牲はつきものなのだ。
そんな私は表情こそ冷静だが、頭の中では周囲からのワッショイワッショイに悲鳴をあげる毎日である。
また別の日のことになるが、患者の診察と説明が一区切りしたのでおもむろに立ち上がる。
たとえ自分の評価が過大だとしても、平穏な暮らしを送るためには否定している暇はない。
次の授業内容は、今朝亡くなったばかりの罪人の死体の解剖だ。
まずは、あらかじめ作成していた人体の図面を片手に、基本的な仕組みと働きを教えていく。
一区切りついたら、生徒たちに付いて来るようにと伝えて、伏見稲荷大社の裏庭に早足で向かうのだった。




