退屈
京都の伏見稲荷大社を私の仮宿にしてから、数日が過ぎた。
三好の反乱は無事に鎮圧され、足利義輝さんは説得されて征夷大将軍を退位することになる。
脅しに近い手段だったが、このままお役目を続けても乱世が長引くだけなので仕方ない。
なお、その際には、脅しに近い手段が取られたらしい。
たとえ五千もの三好軍に囲まれても、連合軍は少数精鋭であり、まさに一騎当千の強者を揃えていたので、少なからず犠牲は出るものの、実際にはいつでも包囲網を突破することができた。
つまり二条御所に立て籠もって足利将軍を守る重要度は、かなり低かったのだ。
むしろここで見捨てて三好に殺させるか、こっちから征夷大将軍を殺害したあとに、全ての罪を被せた賊軍を一人残らず討伐して、何も知らない次代に継がせて操ったほうが、後腐れなく片付くだろう。
これを知った私は、流石は命が軽い戦国時代。血も涙もなかったと感じた。
だがまあ色々思う所はあるが、終わり良ければ全て良しだ。
私も大分この時代に毒されてきたが、たとえ現実を受け入れることは出来ても、やはり気苦労は絶えないので、いい加減平穏な余生を過ごしたいと、切に願うのだった。
それはそれとして上流階級への根回しと言うか、面倒で格式張った準備が必要になるらしい。
流石に、今すぐに征夷大将軍を継ぐというわけにはいかなかった。
私は早く三河の我が家に帰りたいなと思いながらも、当分の間は伏見稲荷大社でお世話になることになった。
しかし、これがなかなか精神的に辛い。
自分は稲荷神(偽)で通っているので、御本尊が安置された部屋に籠もることになる。
さらにはそこは聖域として扱われ、神職の中でも位の高い者や私が許可した者以外は、近づくことは許されない。
ついでに入室を許可している知人や神主さんは、足利将軍を穏便に退位させるために、京都の位の高い方々への根回しに大忙しだ。
私に会いに来る者は殆ど居ない。
さらには、主だった神職は稲荷神関連の仕事に追われている。
今現在の伏見稲荷大社は、人手が全く足りていなかった。
なので朝昼晩の食事の時間以外は、殆ど誰とも顔を合わせないので退屈極まりない。
「今日も暇ですね」
御本尊の安置された部屋は聖域で、本日何度目かわからない呟きを口に出す。
今現在この部屋に居る人は私一人だけなので、何処からも反応が返ってくることはなかった。
「筆記や模型作りなら時間潰しになりますが、いつ人が来るかわかりません。
それに、わざわざ京都に来てまで仕事に没頭するのは、何か違う気がします」
念の為に狐耳を澄ませているが、今は近くに人は居ない。
独り言を聞かれる心配はないが、警戒しておくに越したことはなかった。
初日はうっかりゴロ寝している所を当番の巫女さんに見られてしまい、危うく稲荷神(偽)だとバレるところだったのだ。
言葉遣いが丁寧なのは、念には念を入れてのことである。
今も入室こそしないものの、定期的に巡回していた。
三河の実家は参拝客が大勢訪れても、門を越えて入ってくることは滅多にない。
しかし伏見稲荷は神職の人たちが行ったり来たりしており、知らない人の足音が障子戸の外まで近づくのは、珍しくなかった。
耳を澄ませて本堂で待機している私に異常がないかを、確認しているのだ。
時間潰しで何かをしようとしても、そのたびに気になって集中力が切れてしまう。
それに、京都の伏見稲荷大社は仮宿だ。
私の立場としては、外からやって来たお客さんに過ぎない。
住み慣れた我が家とは違い、あまり気が休まらずに居心地が悪かった。
そこで私は、いっそのこと考え方を変えてみる。
「せっかくの京都です。この際ですし観光してみましょうか」
私にはこのあと、征夷大将軍になる大仕事が控えている。
だが、それがいつになるかは未定のままだ。
それにずっと緊張しているのは、精神的に辛いものがあるし、せっかく京都に来たのだ。
戦国時代の日本の首都を見物するなど、滅多にできることではない。
ゆえに気分転換や暇つぶしには、外をぶらつくのが丁度いいと考えた。
ぶっちゃけ退屈すぎて、少々苛立っていたのが一番の理由だ。
しかしそれを口外すると、面倒を見てくれている伏見稲荷大社の関係者の胃がヒギイするので、お口チャックである。
だが思い立ったが吉日とばかりに、私は豪華な座布団から立ち上がって大声を出した。
「これよりお忍びで京都を散策します! 目立たない衣服の用意と、案内役の手配を!」
今現在の私の心の内は、京都観光一色に染まっていた。
そして待つこと十秒ほど、神主さんは多忙なためここには来れないが、たまたま近くを通りかかって声が聞こえたのか、大慌てで廊下を駆けてくる足音を捉える。
人数は一名のようで、御本尊の部屋の前で足を止めた。
若干息を切らしてかしこまりながら、恐る恐るといった表情で障子戸を開けて入室してくる。
続いて明るく元気の良さそうな若い巫女さんが、緊張しながら話しかけてきた。
「失礼致します。稲荷神様、京都を散策とお聞きしましたが──」
「その通りです。繰り返しになりますが、貴女に目立たない衣服の用意と、京都の案内を頼みます」
私にとっては京都観光さえできれば、お供は誰でも良かった。
そして狐っ娘の本体と年齢が近い同性の巫女さんなら、言葉は崩せないが気持ち的には割と楽だ。
なので深く考えることなく、殆ど直感で決めてしまう。
「えっ、あっあの?」
「お願いしますね」
言葉を強めると、若い巫女さんは明らかに困惑していた。
最終的には若干顔を青くしながらもコクリと頷いた後、慌てて部屋から出ていったのだった。
さっきの巫女さんが上に報告したのか、本堂の周囲が慌ただしくなってきた。
しかし外出するのも一苦労とは、戦乱関係なく狐っ娘には優しくない世の中のようだ。
けれど狐耳と尻尾が生えた人間など、この世には存在しない。
稲荷神のフリをしなければ問答無用で妖怪認定を受けて、今より悲惨な状況になっていただろう。
とは言え、たらればの未来を考えても意味はない。
今は京都観光をして、成り行きで征夷大将軍をやらされるストレスを解消することが大事なのだった。
先程の若い巫女さんだが、お忍びの着付けや観光案内だけでなく、今後は私のお世話係として配属されることも同時に決まった。
伏見稲荷大社の神職は皆大忙しだったので、手が空いている人は殆ど居ない。
そこに最近入ったばかりで、私が来るまでは数日ほど先輩の指導を受けていた、見習い巫女さんが通りがかる。
私にとっては幸いだが、苛烈な椅子取りゲームや、お世話係を巡る恨み妬みが繰り広げられることはなかった。
今は上を下への大騒ぎで、それどころではないのだ。
だが色々な事情があっても、最終的には私の一言で決まる。
状況的にも妥当と言うか、指導員のはずの先輩は多忙で手が離せない。
重要な仕事が割り振られていない人員は彼女しか居ないと判断され、かなり迷ったが渋々任せられたのだった。
ちなみに巫女さんの名前だが、名字はなく、桜さんと言うらしい。
それはともかく、今の私は藁笠に長く上等な絹を薄く垂らして、素顔を見えないようにしている。
金色の髪は、お団子状に束ねて耳と一緒に隠していた。
さらには巫女服も、伏見稲荷大社の物に着替えている。
サイズ的には一番小さくても、私的には少々大きめだ。
ふわもこの尻尾もちゃんと隠せるため、完璧な変装と言える。
なお伏見稲荷大社や五国の連合軍からは、念の為にと護衛を用意してくれた。
しかし、ぶっちゃけ狐っ娘が一人居れば何とでもなる。
ぞろぞろと連れ歩いたら京都観光の邪魔になってしまう。
なので自分が呼ばない限りは一定の距離を開けて、決して散策の邪魔もしないことを条件に、同行を許可した。
だが言葉で言っても納得しないだろうから、私がただ守られるだけの存在ではないことを証明するために、その辺に落ちている石ころを拾う。
そして、躊躇いなく素手で握り潰した。
さらに神主さんに許可を取って、境内の大岩めがけて小石を投げつける。
すると大きな亀裂が入り、轟音や衝撃が周囲の空気を揺らした。
続いて駄目押しとばかりに一瞬で距離を詰めて、縦に真っ直ぐ手刀を振るう。
結果、大岩は綺麗に真っ二つとなった。
その後、ただちに危険はないので、もし怪しい輩が近づいて来ても即切り捨て御免は駄目だと、驚愕の表情を浮かべる護衛のお侍さんたちに、言葉ではなく実力で説得したのだった。




