稲荷様は平穏に暮らしたい：ＲＥ

戦国

甲斐の奇病

　永禄七年の春、犬山城の織田信清と和睦することで、ようやく尾張の統一が成された。

　手紙のやり取りをしている松平さんから教えてもらったのだが、また稲荷神の信者が増えたらしい。

　だが私は、今さら信者が少しぐらい増えたところで気にしない。

　既に三河と尾張の殆どを手中に収めているのだ。

　分母がとても大きいので、今さら多少増えたところで大差はない。

　そう現実から目を背け、考えないようにしている。

　もし直視してしまったら分不相応の過大評価に小っ恥ずかしくなり、布団の上で転げ回ってしまう。

　だがそれはともかくとして、今は戦乱の世を終わらせるのが重要だ。

　一足早く京の都に先触れを送り、上洛するための武将と兵を集めてもらう。

　なお、普通は一勢力だけで向かうのだが、今回は特別に三河と尾張の連合軍となった。

　私が間に入ることで抜け駆けや不意打ちの心配がなくなり、後顧の憂いなく協力して進軍することができるのだ。

　けれど、一体何処から聞きつけたのか、今川と武田まで稲荷神の上洛への参加を求める文が届く。

　ダメ押しとばかりに、斎藤は道中で合流することを告げられる始末であった。

　彼らが遥か遠くの勢力ならともかく、お隣さんで支援物資も送った実績がある。

　さらに私の教えを領地に広めており、本物の神様だと信じているらしい。

　狐っ娘の中身が未来の女子高生だとは夢にも思わなくても、バレた瞬間に討伐ミッションが始まるのは間違いない。

　なので秘密は誰にも打ち明けずに墓まで持っていくのは、昔から変わっていなかった。

　取りあえず結構ですと断って機嫌を損ねるよりも、監視下に置いて協力してもらったほうが良さそうだ。

　そう判断して、そこまで言うならと同行を許可する書状を送るのだった。

　そして永禄七年の秋に季節が代わり、いよいよ上洛が始まる。

　まず連合軍は岡崎城下に集合した。

　私はと言えば、収穫を終えた田んぼや領民を見下ろしながら、神輿に揺られて移動する。

　この時代で神輿に乗るのは地位の高い人に限られるが、私は稲荷神（偽）だ。表面上は、問題なく条件をクリアーしている。

　なお狼たちは大切な家族なので、当然同行していた。

　成長して体格は虎のように大きくガッチリしたが、すぐ近くをトテトテと歩いて付いてくるのが大変可愛らしい。

　私にとっては気心知れているので、むさ苦しい男衆の中に紛れる清涼剤だ。

　そして本来なら、武田と今川の軍に三河の領内を見られるのは、戦略上とても不味いことである。

　しかし今回の上洛で、天下を統一する予定だ。

　そうなれば敵国はなくなり、長き太平の世が始まる。

　日本国内を誰もが自由に行き来できるようになるので、警戒するのは取り越し苦労だと、そのような意見を口にした。

　私の発言を聞いた松平と織田、そして武田と今川、さらに斎藤の者たちが皆で大笑いする。

　それぞれが自分たちの視野の狭さと器の小ささを恥じることとなった。

　このような出来事があり、前代未聞の五国が集まる連合軍の上洛が始まったのだった。

　時は少し経って秋空の下、私は神輿の上から刈り取られた稲を眺めてのんびりしていた。

　自然に溢れた街道をゆっくり進んでいると、武田信玄さんから相談を受ける。

「甲斐の地方だけに蔓延る奇病ですか？」

「さよう。そこで稲荷神様、何か良い対策は存じませぬか？」

「ううん、そうですね」

　五万もの軍勢に守られながら、神輿に揺られるだけでは退屈だ。

　景色を眺めるのもいいが、話し相手になってくれるのは普通に助かる。

　そして今、奇病にかかった者にどのような病状が出るかを教えてくれたが、平凡な元女子高生が聞いても、皆目見当が付かなかった。

　それでも少しでも力になってあげたいので、頭をフル回転させる。

「病気と言うのは季節の変わり目、または冬。もしくは体が弱っているか、不衛生な環境で発生するのが一般的です」

　口に出すことで考えを整理していく。

　すぐ近くで飾り立てられた馬に乗っている松平さんや織田さん、今川氏真さんも私の言葉に興味津々といった表情で聞いていた。

　武田さんから聞いた情報では、そこまで不衛生ではないのに年中発病している。

　これは明らかに不自然で、確かに奇病としか言いようがない。

　だからと言って、現代の日本でそんな病気が蔓延していたら、世界的な大ニュースになってもおかしくない。

　ならば、前世ではその奇病は存在しない。

　つまり病気の原因を潰したか、厳重に管理下に置いて隔離していると私は考えた。

「推測ですが、甲斐だけに存在する生物がキャリア。ええと、つまり病気を運ぶ者の可能性が高いです」

「ふむ、甲斐だけに存在する生物？　稲荷神様、できればもう少し詳しくわからぬものか？」

　確かにこれだけでは大雑把過ぎる。

　ならばと頭の中であれこれ考えて、少しずつ答えに近づいていく。

　水や空気に奇病の原因が混じっていればウイルスが広範囲に飛び散って、もっと大きな規模になっていてもおかしくはない。

　だが被害は、甲斐の一部地域のみに留まっている状況だ。

「その生物は殆ど動けないか、甲斐の一部でしか生きられません。

　でなければ、奇病はもっと広がっていたでしょう」

「ふむ、なかなか面白い仮説じゃのう！」

　楽しそうな顔で武田さんとの会話に入ってきたのは織田さんだ。

　彼は馬を操りながら、何やら真剣に考え込んでいる様子だ。

　そして気づけば周囲を護衛している皆も、思案気な表情に変わっていた。

　クイズ番組でもないのに、皆ノリが良いことだ。

　つまり私と同じで、長時間の行進はそれだけ退屈だということだろう。

「地元を知る武田さんは、何か心当たりはありませんか？」

「いやはや申し訳ない。皆目見当がありませぬ」

　やはりそう簡単に原因はわからないかと、私はまた上洛軍の進行先に視線を戻す。

　すると今度は松平さんが、ふと気になったのか話しかけてきた。

「甲斐のみに生息するわけではありませんが、鼠のような小生物ならば、あまり遠くにはいけないのでは？」

「確かにネズミは、病気を媒介する生物の筆頭であり、黒死病の運び屋です。

　しかしあれは伝染性がとても強いですし、奇病の患者とは病状が異なります」

　私がああでもないこうでもないと考えていると、武田さんが感心したような表情でこちらに声をかける。

「稲荷神様、その黒死病と言うのは？」

　聞かれたからには記憶を引っ張り出して答えていくが、そんなことより今は甲斐の奇病だ。

「致死率が非常に高い厄介な病気です。

　主にネズミが媒介して、結果的に何千万、何億もの死亡者が出て、世界人口が大きく減少しました」

　周囲の驚きやどよめきを気にすることなく、私は思考の海に沈んでいく。

　しかし、今の着眼点はなかなか良いかも知れない。

　あれは確か、ネズミにくっついたノミが真犯人だった。そうなると今回はノミが原因ではなく、その感染範囲の狭さから、多分だが地上を移動することができない生物だ。

　矛盾点が多い仮説でも、可能性さえあればと強引に絞り込んでいく。

「例えばその生物はとても小さく、水場に生息しており、殆ど移動ができない。

　なので感染範囲は極めて狭い。例としてあげると、貝の一種ならどうでしょうか？」

「「「おおおー！！！」」」

　足りない頭を捻って考えた答えを皆に披露すると、大歓声があがった。

　これが正解かはまだわからないが、仮説としてはそれなりに筋が通っている。

　そして正直、今にも知恵熱が出そうだ。

　私としても、とても頑張ったと自分を褒めてあげたい。

「ではその貝を駆除すれば、甲斐は救われるのか！？　稲荷神様、それは一体どのようにすれば！」

「えっ？　あっ、そっそうですね」

　武田さんが鼻息荒く詰め寄ってくるが、私が口に出したのはあくまでも仮説だ。

　本当に貝が真犯人なのかは、まだ不明である。

　スズメを害鳥だと決断して駆除して回った結果、国中でイナゴが大発生した失敗談もある。

「武田さん。今の話はあくまで仮説です。事実かどうかはわかりません。

　ですので現在打てる対策は、水場に極力近寄らないようにして様子を見て、候補を絞り込むことなのです」

「しっ、しかし、水田に入らねば甲斐は！」

「武田の領土には金山があり、水田に入らずとも食っていけるじゃろうが」

　悲観する武田さんに、織田さんが横から口を出す。

　だがどういう理由か、彼は顔をうつむかせて押し黙ってしまう。

　確かに鉱物資源があるなら、わざわざ水田を作る必要はない。

　しかし食料自給率＝国力の戦国時代では、どちらも大切なのはわかる。

　私は秋空の下で神輿に揺られながら、織田さんにはっきりと告げる。

「織田さん、鉱山というのは掘り続けていれば、いつかは尽きるものです。

　おまけに周辺の土壌汚染が深刻で、最悪人が住めない土地になる危険性すらあります。

　ですので食料自給率を上げるのは、決して疎かにはしてはいけません」

「稲荷神よ。その辺にしておいてやらねば、武田が卒倒しかねんぞ」

　織田さんの言葉にハッとして、うつむいている武田さんを見る。

　彼の顔色は明らかに悪くなっていた。少し脅かし過ぎたのかも知れない。

　自分としては、前世では当たり前のことを口にしただけなのだ。

　しかし立場上は神様だし、そんな存在から正論を言われると心に刺さるのだろう。

「あのー、武田さん。金山がなくなったり、水田に入らなくても、民が飢えずに済む方法はちゃんとありますよ」

「稲荷神様！　それは本当か！？」

「ええ、まあ、ですがこれは、天下を統一した後の話になりますね」

　ガバっと顔を上げて鼻息荒く私を見つめる武田さんに驚きながら、現代の日本で水田がない地域を思い出す。

　果樹や野菜、田んぼではなく畑を耕す。

　そして収穫物を加工したり他の領地に売ったりして、儲けたお金で他所から食料を買っていた。

「甲斐の詳しい情報を見て計画を練る必要がありますが、大丈夫です。道は必ず開けます」

「おおっ！　稲荷神様！　感謝致す！」

　この場合は甲斐の土地柄に合った作物でなければ上手くいかない。

　あとで武田さんや部下の人たちと話し合って、詳しい資料をまとめてもらう必要がある。

　とはいえ、まだ解決してはいない。

　早くも真剣な表情で私に祈りを捧げる信濃勢は、色々な意味で恐ろしく感じた。

「しかし、これは顕微鏡（けんびきょう）の開発を急ぐ必要がありそうですね」

　キノコ栽培を始めると同時に菌を観測するために顕微鏡の開発がスタートしたが、まだ満足できる結果は出ていない。

　そして将来的には公開予定でも今はまだ極秘研究なので、またもやあれこれ聞かれることになるのだった。

　しかし、日を追うごとに信奉者が増え続けている。

　私は引きつった笑みを浮かべたまま、明後日の方向を眺めた。

　自分は神様でも何でもない元女子高生なのに、民衆に熱心に崇められている。

　妖怪だと思われて討伐されないためには仕方ないことだが、やっぱり直視すると小っ恥ずかしくてお尻が痒くなってくるから、のどかな田園風景をぼんやりと見つめて現実逃避するのだった。