開拓村
<難民>
十分に休憩を取った俺たちは、役人の案内で数日かけて移動し、開拓村へとやって来た。
だが老人や女子供も混じっているので、そんなに遠くまでは行けない。
とにかくそこは、山間に開かれた平野だった。
辺りには鬱蒼と茂る草木が目を引き、他にいくつかの家と倉庫が目に入る。
一番近くの村までは、歩いて半日ほどかかるようだ。
周囲には他にこれといった物のないので、まさに閑散とした土地と言っていいだろう。
案内してくれた役人は、この村は担当区域の一つらしい。
困ったことがあれば相談に乗ったり助言を与えるので、心配はいらないと励ましてくれた。
(お役人様も、悪い人ばかりではないのだな)
故郷の村の担当していた役人は、最悪だった。
年貢の横流しや賄賂の要求。歯向かう者には殴る蹴るの暴行を加える。女子供に乱暴狼藉が当たり前だ。
領主に嘆願書を出しても聞き届けてはもらえず、やられるがままだった。
自分の妻は、役人にとっての女盛りを過ぎていたらしい。
毒牙にかかることがなかったことだけは、唯一の幸運だ。
その役人を亡き者にするという手段もあったが、それは出来なかった。
何故なら彼には村が厳しい時に、金や物資を融通してもらった恩がある。
裏では寺院と繋がっているという噂だが、そんな高潔な役人が何故非道な行いをするのかはわからない。
しかし今振り返れば、最初から全て仕込みだったのだ。
俺たちがそれに気づいた時には、もう全てが遅かった。
だが何にせよ、前の村にはもう戻れない。
まあ今さら戻ろうとは思わないが、自分たちはこれから三河国の開拓村で、一生を過ごすことになるのだ。
「十日間はこの地に留まるが、他の開拓村の様子も見ねばならぬ。
なのでもし不在の間に困ったことがあれば、半日前に通り過ぎた村に書状を送ることだ」
今は村民全てを長屋の前の広場に集めて、大声で話している。
役人が玄関の引き戸を開けて、内部の様子を確認しながら身振り手振りで説明をする。
見た感じ、これは大部屋がいくつも並んだ作りの建物だとわかる。
「家族に大部屋一つの割り当てとなる。
仕切りは古紙だが、そこはお前たちが工夫せよ。
また、窯や水場、側屋と風呂は共同となる」
大部屋が隣り合っているが、仕切りは木の板ではない。
余り物の古紙を繋ぎ合わせて、天井から吊るした粗末なものだ。
所々に穴が開いているし、俺には読めない謎の字が書かれている。きっと子供が習字の練習でもしたのだろう。
しかし、難民のために急いで開拓村を作ろうにも、人手も時間も足りない。
外観と骨組みを間に合わせるのが、精一杯だったようだ。
それでも俺たちには、雨避けの住居があるので十分にありがたかった。
さらに一年という猶予期間があるので、その間に自分たちが使いやすいように改築していけばいい。
だが、ここで疑問が浮かんだ。
窯や水場、側屋が共同なのはまだわかるが、その後に続く風呂というのは一体何なのかである。
村の代表として、わからないことをそのままにはしておけない。
俺は手を上げて、すぐに質問を行う。
「お役人様、風呂とは何なのでしょうか?」
「ふむ、お前たちには、水浴びと言ったほうが馴染み深いかも知れぬ。
詳しく説明するなら、熱いお湯に浸かって汚れと疲れを落とすことだ」
役人が付いて来るようにと言ったので、村人一同が彼の後ろを歩く。
しばらく進むと、開拓村の一角に井戸が掘られていて、その隣に小さな小屋が建っていた。
彼は躊躇うことなく小屋の引き戸を開けて中に入り、施設の説明に移る。
「手前が脱衣所で、奥が浴室だ。
使い方はあとで説明するが、最低でも七日に一度は村人全員が入浴せよ」
村長の自分が一番前に立って、小屋の様子を確認する。
すると、大きな竹籠がいくつか床に置かれていたことがわかった。
「大棚も用意したかったのだが、時間も銭もなくてな」
これらが何の意味があるのかはまだわからないが、役人の説明を噛み砕いて考える。
先程聞いた通り、水浴びの代わりにお湯に浸かって体を洗うのだろう。
しかし、何故そんな面倒なことをするのか疑問がある。
水を温めるには当然薪が必要になり、井戸水を汲み上げるのは大変だ。
雨避けの屋根の下には、謎の円盤と丈夫な紐と桶がついていた。
だが俺には、あれに何の意味がるのかはわからない。
「入浴ではなく、水浴びや布拭きで済ませようと考える者も居るだろう」
今の発言で、自分の他にも何人かの村人が挙動不審になった。
どうやら役人には、全部お見通しだったらしい。
彼は小さく笑いながら、何故定期的に入浴を行うのかを教えてくれた。
「体を洗って清潔に保つことで、病気にかかりにくくなる。
だが冷えた水を直接浴びると、体調を崩して風邪を引くかも知れぬ。
だからこそ風呂場でお湯を沸かし、適温で体を清潔に保つことを習慣にするのだ」
これら全ては稲荷神様の教えであると、役人は堂々と言い放つ。
確かに、今までの常識とはまるで違う。
稲荷神様の教えでなければ、疑問だらけのこの状況で素直に従おうなどとは、誰も思わないだろう。
「三河国では、病気予防の成果は十分に出ている。
体調不良による労働力の低下を避けるためにも、是が非でも習慣化してもらう」
挑発的な笑みを浮かべる役人だが、それを見た村人たちは黙って頷く。
「ただし、薪とて無限に使えるわけではない。節約のためにも入浴時間を設けさせてもらう」
一早く稲荷神様の教えを取り入れた三河国が、計画を練ったのだ。
現時点で効果が出て正しいと証明されているこそ、俺たちにこの上ない安心感を与えてくれる。
「だがまあ、今言ったことは建前に過ぎん。
稲荷様いわく、熱い湯に浸かる風呂は命の洗濯。つまり、至福である」
「「「えっ?」」」
言葉短く役人はそう語ると、風呂小屋の引き戸を閉めて村の別の施設へと向かう。
彼は実際に経験したのか、確固たる信念を持ってそう言い切ったように思える。
結局稲荷神様の教えは、ただ右から左へ聞くだけでは駄目なのだろう。
役人も言っていたが、一度体験してみないと、そのありがたさや素晴らしさは微塵も伝わらない。
頭ごなしに否定するのではなく、騙される覚悟で思い切って実行に移すべきなのだろう。
なお後日となるが、おっかなびっくりで初めての入浴をした村人たちは、風呂とは極楽であったかと、皆が揃って口に出したのだった。




