戦わずして勝つ
四日に延長した稲荷祭も、無事に終えることができた。
そして稲荷山(元々名前はなかった)を登って本堂に戻り、再び中年の生徒たちを前に教鞭を執る。
しかし今は何を思ったのか、織田さんと松平さん、そして護衛の武将たちがすぐには帰らなかった。
予備の座布団と机を最前列に並べて、一緒に授業を受けるのだ。
「稲荷神は他国と、どのようにして戦うつもりなのじゃ?」
ただでさえ三歩進んで二歩下がる亀の歩みだった。
講義の邪魔をしないという条件で見学を許可したはずだが、織田さんは好奇心旺盛の性格というか知識欲が強いようだ。
大人しい松平さんとは違って、少しでも気になったことはすぐ質問する人だった。
無視するのは神様的にNGなので、思いつきで答えていく。
「私なら、戦いません」
「それは、戦わずに降伏するということか?」
「違います。戦わずして勝つのです」
「ふむ、……どういうことじゃ?」
また講義が脱線かと思ったが、織田さんの質問はこの学校を建てた目的にも絡んでいる。
丁度良い機会だと考えて、この場を使って皆に教えることにした。
「質問を質問で返すことになりますが、この学校を建てた目的を知っている方は居ますか?」
すると、いの一番に松平さんが手をあげた。指名して発言を許可する。
「それは稲荷様の教えを広めて、国を豊かにするためです!」
「松平さん、正解です」
見事に正解を言い当てた松平さんである。
だが元々彼の提案で学校を建てて、計画当初から関わっていた。目的を知っていても当然とも言える。
「それではさらに視野を広げましょう。
何故国を豊かにする必要があるのか。はい、……本多さん」
松平さんに負けじと勢い良く手をあげたので、今度は彼を指名した。
「国が豊かになれば、それだけ兵力を増強できまする!」
「半分正解ですね」
「はっ……半分でござるか!?」
その答えはまさに、戦国時代の象徴とも言える。
勝利を目指すのは間違ってはいないが、私から見ると正解とは言い辛い。
極めて前世の女子高生らしい考え方だが、戦争なんてマジ勘弁なのだ。
「話し合いでは決着が付かず、どうしようもなくなった時、最後に取るべき手段が戦です。
勝てれば大儲けですが、負ければ大損。命を賭けた壮大な博打ですね」
さらに戦によって損失する可能性のある物、食料、人員、武器や防具、領土、時間、銭などを、思いつく限りあげていく。
「もうわかったと思いますが、勝利者も失う物が多いです。
正直に言えば、やらないほうがマシまでありますね」
たとえ戦に勝って領土を増やしたとしても、損失分はすぐには取り返せない。
国力を回復させるには、とても長い時間が必要になることを付け加えておいた。
「だが稲荷神よ。戦乱の世は終わる気配がない。どの国も戦に明け暮れておるぞ」
「それは上に立つ者が皆、目先の利益を追い求めるからです」
とうとう織田さんが手をあげず、腕を組んで考えながら私に話しかけてきた。
しかし。今の話にここまで付いてこれる人は、戦国時代ではかなり少ないはずだ。
「自領が貧しいからこそ他領の富を羨み、領土が大きいほど豊かになる。
貴方たちの考えは、何も間違ってはいません。
ですがそれでも、私から見れば愚かとしか思えません」
今の時代は弱肉強食で、弱小勢力が生き延びるには、他領に侵略戦争を仕掛けて勢力を拡大するしかない。
そのことは理解しているが、戦乱の世の一般常識を私は真正面から否定した。
「私ならば、まず自国を豊かにして人心の安定と国力の増加を図ります。
攻め込んでも容易に跳ね返され、侵略する側の被害が増えるだけならば、戦争など誰も仕掛けません」
なので、国を豊かにして兵力を高める本多さんの答えは半分正解だった。
学校を建てた目的は三河を豊かにすることだが、最終的には日本の民、全てと仲良くしたい。
これも前世の価値観だが、あっちでは他県と戦争などは起きていない。
国内では事件や事故はあっても、大勢の人たちが平和に暮らしている。
なので何故ここまで険悪になって殺し合いをしているのか、歴史を知らない女子高生には本当の意味で理解も同意もできないのだ。
「あとは互いに損のない協力関係を結ばせ、味方や中立国を増やしていくのが、これからの戦です」
私が平穏に生きるためには、戦など邪魔でしかない。
だから今のように他国から奪う必要がなくなるほど、日本全国を豊かにする。
この時代の一般常識では、領土が大きいほうが食料や物資も豊富なのは必然だ。
しかし前世の知識や技術があれば、小国でも飢えや病気が抑えられ、治安を安定させられる。
もちろん容易なことではなく試行錯誤や長い時間がかかるが、それでも実現すれば戦を起こして他から奪う必要はなくなる。
「もし日本全国が飢えなくなれば、戦乱の世も終わると思いませんか?」
平和になっても人の憎しみは消えないだろうが、やらない善よりやる偽善だ。
真面目な顔をして講義を聞いている織田さんは、歴史の教科書に何度も乗るほどの有名人である。
話について来られたので、頭も凄くいいはずだ。ぜひ今回の講義を、今後に生かしてもらいたい。
とにかく学校を建てた目的から、私の戦国時代でも平穏に暮らしたい計画を、大雑把だが最後まで説明した。
見たところ付いて来られたのは、織田信長さんと松平元康さんの二名だけのようだ。
「まさに五穀豊穣の稲荷神であるな! この織田信長! 感服したぞ!」
「素晴らしいお考えです! 松平元康! 稲荷神様にますます惚れ込みました!」
そう思ったら、生徒の殆どがウンウンと意味深に頷いていた。
教育のおかげなのか、戦国時代でも頭の回転が速い人が相当数居るようだ。
「どっ……どうも、ありがとうございます」
正面から褒められると、ちょっと照れてしまう
連日講義を受けて、物事を柔軟に捉えられるようになったのだろう。
先程までは、きっと身分の高い人が勢揃いしたことで、萎縮してしまっていたのだ。
「指導員だったか? 稲荷神よ。すまんが尾張にも貸してくれんか」
「私は構いませんが──」
チラリと松平さんを見ると、彼は明るい笑顔で織田さんに声をかける。
「もちろんです! 私たちは同じ道を歩む者! ならば向かう先も同じ! もちろん協力させていただきます!」
「それは助かるのう! よろしく頼む! 松平殿!」
「それはこちらの台詞ですよ! 織田殿!」
互いに笑い合って肩をポンポンと叩いている。同盟相手だし仲が良いに越したことはない。
それだけでなく、尾張と三河の武将も、何だか良い雰囲気だ。
昨日の敵は今日の友と言うべきか、何だか知らないがとにかく良しである。
しかし私は授業が途中だったことを思い出し、感動もそこそこにして脱線した授業を元に戻す。
両手をパンパンと叩いて、騒ぎを収めるのだった。
彼らはその後、三日間学校に滞在した。
未知の美食に舌鼓を打ち、天然温泉を満喫し、戦国時代では珍しい土産を山程持って、それぞれの領地に帰っていった。
ちなみに織田さんは、外国の珍品名品を収集するのが趣味のようだ。
お金は後ろ盾になってくれている松平さんにお願いし、私が今欲しい物をまとめた書類を渡しておいた。
私のおぼろげな前世の知識や経験では、なかなか見つからないのだ。
しかし探してくれる人が増えれば、効率も上がると判断した。
織田さんは快く引き受けてくれて大助かりだ。
ただし、条件として私の教えを請うことを希望した。
この提案を、三河と尾張は同盟を結んでいるので、松平さんが即許可したのだった。
なお私が書いた集品リストだが、カタカナは避けて、漢字とひらがなだけを使って書かれている。
それでも皆は大層驚いていたので、この期に及んでは隠し通せないのではっきりと言っておいた。
「貴方たちの書く文字は、どれもミミズがのたくったようにしか見えません。
これでは読み解くのに、長い修練が必要になります」
皆も薄々感じていたのか、気まずそうに俯いたり顔をそむける者も多かった。
この発言を受けて、織田さんと松平さんは、私のひらがなと漢字を自領に広めようと乗り気になる。
ぜひ講義に盛り込むようにと、随分熱心に頼まれた。
しかし、ただでさえ脱線続きで三歩進んで二歩下がる状況なのだ。
そうしたいのは山々だが、これ以上授業科目を増やすわけにはいかず、はっきりと断った。
それでも雪に閉ざされる冬の間に、ひらがなと簡単な漢字、ついでに足し算引き算と掛け算割り算をまとめた教科書を作成することに決まる。
あとは三河国と尾張国でも学校を建てて、指導員に教鞭を執ってもらえば良い。
松平さんと織田さん、さらに部下の方々や生徒たちと相談して、そのような計画を立てるのだった。
やがて時は流れて、永禄五年の冬になる。
稲荷山と学校を閉めて、山中の警護も兵士から狼たちに交代してもらう。
それでも警備員の人たちは帰ることはなく、長山村に滞在して警察のような役割をするようだ。
なお生徒は例外なく三河と尾張への帰国が命じられており、多くの者が別れを惜しんだ。
ぶっちゃけ温泉旅館に泊まりながら学校に通っていたので、環境が大変魅力的だったらしい。
何はともあれ、学校を開いてからの初年度は無事に終了することができた。
かなりの詰め込み教育だったがこれからの彼らは、それぞれが個別に新しい指導員を育てていく。
三河だけでなく尾張も豊かにしてくれることを、切に願う。
そして冬の稲荷山は大変危険だ。
私が全面通行止めの立て札を撤去するまでは、参道に入らないで欲しい。
神主さんには話を通してあるので、これで来年までは平穏に暮らせるはずだ。
長山村の社の隣には警邏隊の詰め所が建てられ、無謀な冬山登山を試みる参拝者を止めてくれるらしい。
それでも絶対ではないし、稲荷神(偽)から参拝の自粛を呼びかければ、誰も登ろうとはしない。
けれど稲荷山に押し入ろうとする者もいるけど、殆どの場合で他国の間者だ。
怪しい輩は家のワンコたちが問答無用に捕縛して、麓まで引きずっていっている。
「ふう、……これも有名税なのかな?」
我が家兼社務所の中央にある囲炉裏に、村の鍛冶屋に打ってもらった金網をセットする。
そして、前世と同じような製法で作った角餅を二個乗せた。
座布団に腰かけた私の近くには、狼たちが寒い外を避けて暖を取り、我が物顔でくつろいでいた。
「毎年規模が大きくなっているし、来年が怖いよ」
教師としての活動が、無事に実を結ぶかはまだわからない。
しかし、やらないよりはマシだ。三河と尾張が発展して治安が高まれば、それだけ長山村が戦に巻き込まれる可能性が低くなる。
どの程度の効果が見込めるかは不明だが、今年は不穏な気配はなかった。
このまま雪解けまでのんびり過ごせそうなので、一先ずはヨシである。
しかし私の認知度が高まってきたことで、稲荷祭の規模が膨れ上がっていた。
来年は岡崎城下で開催することに決まったし、そのことを考えると今から気が重くなる。
ついでに不審人物も増加して、検挙率もガンガン上がっていた。
冬でも毎日のように稲荷山への侵入者が現れて、狼たちの狩猟本能を満たすのに協力してもらっている。
麓の警邏隊から捕まえた報酬として、鹿やイノシシの肉をもらうのを密かな楽しみにしているようだ。
皆俄然やる気になっているようで、最近では地の利を生かしたり、陣形を組んで効率よく侵入者を狩る術を覚えて、戦闘能力が格段に高くなっている。
そんなことを考えながら、正面のお餅を注意深く観察する。
「さてと、お餅焼けたかな? よっ……と」
片面が焼けたようなので角餅を指で摘んで裏返すが、表はまだ焦げていない。
「お餅と同じだ。片面だけ焼けても、全体にはまだ熱が通ってないんだよね」
稲荷神の名前がどれだけ広まっても、まだ噂止まりだ。
私の教え通りに平和になったのは、三河と尾張だけである。
それでも、敏い者は気づき始めていた。
日本を焼いている餅に当てはめれば、まだ金網に乗せたばかりだ。
私の教えた現代知識が全国で実を結び、天下泰平の世になるのは当分先になるだろう。
「千里の道も一歩からだけど。私の場合は天寿を全うできれば勝ちかな」
妖怪として殺されるのだけは絶対に嫌なので、とにかく平穏無事で心穏やかに暮らしたい。
まあ狐っ娘が人間と同じ寿命なのかは怪しいが、そうであって欲しいと願っている。
「でもこの先も平穏に暮らしていくには、戦国時代が終わらないといけないんだけど」
最終的に徳川家康が江戸幕府を開いて、めでたしめでたしだったことは覚えている。
だが残念ながら、そこまでの道筋はさっぱりだ。
けれど下手に動いて、戦乱の世が激化することになったら目も当てられないし、どうしたものやらだ。
とにかく今は、三河が攻め込まれないよう、あとは敵を跳ね除けるだけの力をつけられるように色々頑張る。
そして自分が寿命でポックリ逝くまで、時間を稼ぐのだ。
焼けたお餅を箸で摘んで醤油で満たした小皿に移し、フーフーと息を吹いて美味しそうに頬張る。
どれだけ熱くても舌は火傷はしないが、ハフハフと小さな口を動かす。
二個目のお餅も焦げる前に、急いで回収だけはしておくのだった。




