雨乞い
狼たちと協力し、大イノシシ狩った次の日のことだ。
私は木板の上に自作した煎餅布団を敷いて、呑気にスヤスヤ眠っていた。
標高が高いと麓よりも気温が低いので、季節は夏でも朝は少しだけ肌寒い。
狐っ娘が風邪をひくかは知らないけれど、気を付けておいて損はないだろう。
とにかくまだ朝日が登るよりも早い時間に狼たちの代表であるボスに、前足でほっぺをポンポンされて無理やり起こされた。
「ふあぁー、どうしたの?」
別に眠らなくても平気な体なようだが、人間だった頃の習慣が根強く残っている。
私も別に人間を辞める気はないし、一日三食と睡眠はきっちり取っていた。
それはそれとして、まだ眠いが大きくアクビをしながら体を起こす。
寝ぼけ眼を擦りながら軽く伸びをし、ガラスがなくて開けっ放しの木枠の窓から外を覗く。
すると、太陽はまだ山陰の向こうのようだ。我が家の周囲は朝靄が立ち込め、薄暗がりが広がっていた。
時計がないのではっきりとはわからないが、多分午前五時よりも前だろう。
「んー……誰か来たのかな?」
起こしたボスだけでなく、他の狼たちもウロウロして落ち着かない様子だ。
私は少し思案して狐耳を澄ませると、複数の足音が落ち葉を踏みつけながら参道を通り、こちらに近づいていることを感知した。
また狼などの野生動物かと一瞬体を固くしたが、その割にはボスたちは落ち着いている。
なので、昨日匂いを覚えていた村人が来たのかなと、そう思い直す。
だがここで問題なのは、我が家に来る目的だ。
早朝の参拝という可能性も捨てきれないが、十中八九で私に用事がありそうである。
そして重要なのが、村人たちと私の持ちつ持たれつの信頼関係である。
正直に言うと不安だし、だからと言って面会拒否すれば追放まっしぐらなため、居留守や撤退は許されない。
なので、とにかく自分の想像する稲荷様っぽく振る舞わなければいけないのだ。
あいにく元が平凡な女子高生が使える有効な手札は、一枚も持っていない。
きっと今後も増えることはないため、かかってこい相手になってやると言わんばかりの、完全ノーガード戦法で迎え撃つことしか出来ないのだった。
何にせよ、時間的余裕はあまりない。
とにかく深呼吸して気持ちを落ち着かせ、頬を両手でピシャリと叩いて眠気を追い出す。
そして外に出るために歩き出し、土間にきちんと揃えた下駄を履いて、立て付けの悪い引き戸を何度か揺らしてガラッと開ける。
早朝で、しかも冷夏なのかまだ暗くて冷え込んでいる。
おまけに朝靄で視界も悪いが、狐っ娘の体は暑かろうが寒かろうが何の問題もない。
うっかり熱い鍋に触れても火傷しなかったことから、心頭滅却すれば火もまた涼しができる。
ついでに私が我慢しようと思えば感覚も切り離せるようで、なかなかに便利である。
だが今は関係ないので置いておいて、準備万端な私は外に出てしばらく待つ。
すると、まだ薄暗がりで朝靄の立ち込める山中の参道を、五人の村人が大荷物を抱えて慎重に歩いて来ることに気づいた。
彼らはオンボロ社務所の前に立って、じっと待っている私の姿を見て驚く。
そして近くまで来て足を止めると、緊張気味に姿勢を正して、お辞儀をしてから挨拶を行う。
「おはようございます! 稲荷神様!」
「貴方たちこそ、お早いですね」
「お早い……えっ? もしかして、まだ眠っていらしたのですか?
稲荷神様の眠りを妨げてしまい! 申し訳ありませんでした!」
彼らはそう深々と頭を下げて謝罪したのだが、図星を突かれた私は動揺してしまう。
どうすれば村人たちに呆れられずに、稲荷神としての威厳を保てるかを考えて、恥じることなく堂々とした態度で、その場しのぎの体裁を取り繕う。
「いえ、起きていました。そうではなく、イノシシの肉を供え物として届けるのが早いのです」
「なるほど! そちらでしたか! 勘違いして申し訳ありません!」
代表として話しかけているおじさん以外にも、四人の村人が同行している。
彼らは約束通り大イノシシの肉を木箱に詰めて、ここまで運んで来てくれたのだ。
狐っ娘の嗅覚で中身を見なくてもイノシシの肉だとわかったので、咄嗟に言い逃れができて助かった。
そんな彼らは、どうやらお供え物を届けるのが目的のようだ。
私はご苦労さまですと一言、感謝を告げる。
宅急便屋さんのように、小さく頭を下げて受け取った。
続いて両手が塞がっている時の未来の習慣で、家の玄関の引き戸に足を引っ掛けて開けて、荷物を入り口の土間の一角にある台所へと持っていく。
(お供え物が届くのが早いと思ったから、嘘ではないよね。
それにしても戦国時代の人って、朝が早いね。
次回からは私も、来客に備えて早起きしないと)
少しだけ木箱の蓋を開けると、お肉の他にも山菜や塩、お米が入っていた。
実家からの仕送りを受け取った気分のように、ありがたや~と心の中で感謝する。
そして荷物は家の中に置いたので、再び外に向かって歩きながら、朝が早い理由をいくつか考えた。
まず電灯は間違いなくないだろうから、明かりと言えば油か木を燃やすぐらいだ。
あとは地味に気になるのはロウソクのある無しで、時代劇には提灯や行灯と一緒に出てきたことを覚えている。
だが、たとえあっても庶民が気軽に使える物ではなさそうだ。
(明かりを灯す燃料が貴重だから、日が出る前に起きて夜になったら寝ちゃうんだろうな)
夜でも明るい、自分の生きていた未来とは大違いである。
もし私がこの時代で平穏で快適な暮らしを手に入れようとしたら、相当な苦労するのが容易に予想できてしまう。
先のことを考えると少しだけ気が重くなる。
だが表情には出さずに家の外に出て、立て付けが悪くてボロい引き戸を小さな手で丁寧に閉める。
とにかく荷物を届けてくれた村民には、ボロが出る前にお礼を言って帰ってもらうべきだろう。
私が彼らに顔を向けて口を開こうとすると、五人の代表らしいおじさんが一歩前に出る。
続いて、こちらに向かって恭しく頭を下げる。
「本日から長山村の代表となりますことを。お許しいただけると幸いでございます」
わざわざお伺いを立ててきて、少し驚く。しかしすぐに私は神様として振る舞っていることを思い出して、黙って話を聞く。
つまり彼は麓の村の代表だけではなく、稲荷神(偽)の窓口的な役割も兼ねることになるのだ。
ぶっちゃけて言えば、村長兼神主のようなものだろう。ただし私専用という肩書がつく。
ならば許すも何も、私としては面倒がなくなり、願ったり叶ったりだ。
だがその分、彼の負担が増すので申し訳ない気持ちもある。表情に出さないように気をつけて、率直に尋ねる。
「村長と神主の二足の草鞋は大変でしょう。貴方に不満はないのですか?」
「不満などありません! むしろ、恐悦至極でございます!」
「そっ、そうですか」
一体その信仰心は何処から湧いて来るのかわからない。
だが彼がそれで良いと納得しているなら、私からは何も言うことはなかった。
それでいて内心で断られなくて良かったと、ホッと息を吐く。
「では、貴方が長山村の村長であることを認めます」
「ははー! 有難き幸せに存じます!」
私は村長さんに向けて、恭しく宣言した。
形式としてはかなり簡略化してるし、これで良いのか不安はある。
だが当人や他の村人も喜んでいるので、一件落着だ。
とにかく私がこれで終わりだと一息ついたのも束の間、彼はまだ言うべきことがあるらしい。
顔を上げて、真面目な表情で言葉を続ける。
「あのー……代表になって早々で申し訳ありませんが。実は、稲荷神様にお願いしたいことがございまして」
まあそう来るよねと、この展開はある意味では予想通りではあった。
できれば、このまま山を下りてもらいたかったが、そう上手くはいかないようだ。
「ふむ、お願いですか?」
流石に荷物を届けに来たり、村長任命だけで終わるはずもない。
ここまで登って来るのは大変だから、用事も一度に澄ませるつもりなのだ。
だがしかし、確かに予想はしていた。
けれど稲荷神へのお願いは、私にとっては物凄く対処に困る。
何故なら、狐っ娘の中身は平凡な女子高生だ。
つまり、ぶっちゃけ頼まれても大したことはできない。
それでも稲荷神として自信満々に振る舞わなければ、信用を失いたちまち追われる身になる。
最悪妖怪として退治されるので、内心では警戒心バリバリである。
態度には出ないように気をつけて、彼のお願いを緊張しながら待った。
「実は最近、雨が降らない日が続いておりまして、川の水が減り始めて村民が不安がっております。
なのでどうか、稲荷神様のお力で──」
つまり雨を降らせてくださいである。だがしかし、雨乞いの祈りなど私にできるわけがない。
稲荷神にどんな御利益があるかは、はっきりとは覚えていない。
だが少なくとも、川の神とか水神のたぐいではないはずだ。しかし五穀豊穣の神なら、ギリギリ効果範囲に含まれるのかも知れない。
私は見た目こそ狐っ娘でも、中身は一般人だ。
やれることと言えば、身体能力にものを言わせた脳筋ゴリ押しと、あとは狐火での焼却と明かりだろう。
雨乞いして水不足を解消するなど、逆立ちしても絶対に無理だ。
この瞬間にはっきりと自覚して、マジでどうしたものやらと内心大慌てになるのだった。
この場を乗り切るために、足りない頭を捻って考える。
だがそう簡単に名案を思いつくわけもなく、かなり悩んだが、すがるような表情でお願いする村民たちに向かって、はっきりと告げる。
「私には、雨を降らすことは出来ません」
「そっ……そうですか」
村の代表だけでなく、お供え物を運んできた人たちからも、何となくだがガッカリした雰囲気が伝わってくる。
私のことを信頼して、水神様ではないが本物の神様ならもしやと思って望みを託したのだろう。
それが叶わないとなれば、落胆しても仕方ない。
だがまだ自分のターンは終わっていないので、続きを話していく。
「しかし、村の水不足を緩和することはできます」
「「「えっ!?」」」
私の続く言葉を聞き、肩を落としていた村人たちが顔を上げて大いに驚く。
自分は水の神様ではないので、雨は降らせない。
それに川の水を元通りになるまで増やして、村民の不安を解消することはできない。
しかし、水不足を緩和することなら可能だと考えている。
(問題は私のガバガバな現代知識の中に、水不足解消の役に立つものがあるかどうかだけど)
だがまあ元々お気楽な思考をしている私は、取りあえず実際に見てから考えればいいやと、強引にでも前向きに切り替える。
そして新しい村長さんに、まずは状況の把握を行いたいのでと、長山村の案内をお願いするのだった。




