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算数勝負

 突然だが、私の行き当たりばったりの発言によって、山の一部を切り崩し、寺小屋ではなく、学校が建てられることになった。


 指導員を育成するのが目的だが、教師は自分がやらないといけない。

 前世の知識や経験を持つ者が他に居ないのはわかるが、正直に言えば面倒である。


 しかし、快適で平穏な暮らしを手に入れるためには、避けては通れない。

 これも必要な仕事であると割り切り、仕方なく重い腰を上げるのだった。




 なお、少しでも効率的に授業を進めるために、私の要望を全面的に取り入れることとなった。

 だが一から構想を練るのが面倒なので、昭和の木造校舎を参考にさせてもらう。

 母校に旧校舎が残っていて良かったが、本当に予想外のモノが役に立つんだなと思った。


 しかし、授業内容は西暦二千年の初頭だったり、家庭科室や図書室、理科実験教室も組み込んだりと、色々と混ざって混沌とした建造物である。




 当然、三河国の最重要機密だ。

 兵隊を派遣して、交代で一日中見張りをしている。


 何だかこれだけ見ると物騒で、平穏な暮らしから遠ざかっているような気がしてしまう。

 だが三歩進んで二歩下がっているので、結局は先に進んでいるのだと前向きに考える。


 その証拠に、美味しい物は着実に増えている。

 生活も戦国時代に転生した頃と比較すると、かなり快適になっていた。


 代わりに仕事は山積みで終わる気配がないどころか、日々増えている。

 これでも悠々自適な楽隠居に近づいていると思わないと、気分的にやってられるかと匙を投げたくなるのであった。




 仕事が忙しいことを嘆いても仕方ない。

 私は一年一組の表札がかけられた教室の引き戸を開けて、中へと入る。


 廊下の窓にはガラスではなく、木枠で開け放たれていた。

 なので廊下を歩いていると丸わかりだが、それも慣れたものなので、真っ直ぐ教卓の前へと進む。


 そして踏み台に乗って、少し凹凸がある黒板っぽい板に、気をつけないとポッキリ折れてしまう脆いチョークで、稲荷神と名前を書いた。


 続いて開校初日に集められた、三十名の生徒に顔を向ける。


 皆は、初めてで慣れない洋式の椅子に腰かけて、落ち着かないのかソワソワしていた。

 そして机の上には筆とスズリ、あとは紐で繋いだメモ用紙が置かれていた。


 ついでに全員が成人し、髭が濃くてむさいおっさんという全然嬉しくない構図だ。

 年齢的に皆が私よりも上なので圧迫感を覚えて、内心で若干引き気味になってしまう。


(定時制高校とかで、こういうのありそう)


 成人男性が働きながら学校に通うという点では、定時制に近いものがある。


 まあそれは置いておいて、必須のはずの教科書は用意していない。


 これは私が、戦国時代の常識を良く知らないからだ。

 ついでに生徒たちの頭の良さがピンきりで、果たしてどの学年の教科書を用意すればいいのか、わからなかったからもある。


 あとは今の時代のミミズのような文字が上手くかけなかったりと、様々な理由があった。


 とにかく、これらのことを考えて、私がその場に応じて口頭や実験で説明した事柄を、各々の頭の中で噛み砕いてもらう。

 それをメモ用紙に記載するという方式を取ることにした。

 いつもの場当たり的な判断というやつだ。




 黒板に書いた稲荷神は、高天ヶ原で使用している人間界の文字を最適化して、読み書きしやすくしたモノだと伝えた。

 その後は、簡単な自己紹介を行う。


 一通り終わったので、時間が限られているから早速授業に入ろうとすると、そこで待ったがかかった。


「殿も、何故このような子供に、教えを請えなどと申されるのか!」

「然り! 取ってつけた耳や尻尾で偽りの稲荷神を演じておると、一目瞭然であろうに!」

「ここは我々が女狐の化けの皮をはぎ、殿の目を覚まさせてくれようぞ!」


 三人組の武士が、教室中に響き渡るほどの大声で私への不満を口にする。

 教師ドラマあるあるのテンプレである。


 しかし私は、これを冷静に受け止めていた。

 何故なら松平さんが事前に用意してくれた仕込みであるのは、一目瞭然だからだ。


(自分よりも年下で、何処の馬の骨とも知れない子供に教えを請うなんて。

 武士階級の人なら、反発して当然だからね)


 先輩後輩や年上年下の序列を儒教がどうたらこうたら言う人も居るが、私には良くわからないし、そんなの知ったこっちゃない。


 とにかく気になるのは、たった今喋ろうとして出遅れ、教室の隅で小さくなっている別の三人の武士だ。

 そっちは一体何を言いかけたのか尋ねたいが、今は目の前の問題を片付けるのが先決である。




 まずはテンプレ通りに異議ありと口にした三人組を、ギャフンと言わせる。

 そして教員免許を持っていない私が、生徒を教え導くのに相応しい存在だとわからせるのだ。


 なので私は、彼らに堂々と返事をする。


「私に教わるのは不満ですか?」

「不満に決まっておろうが! 我々武士が子供に教わることなど! 何一つないわ!」


 武士の総意と言い切るとは、大した自信である。

 演技にも熱が入っていて、良い感じだ。誰が見ても本気で憤っているようにしか見えない。


 私は心の中で流石は松平さんの仕込みだと褒め称えながら、表情は困った顔をして小さく溜息を吐く。


「困りましたね。ではどうすれば、私を教師として認めてくれますか?」

「ふんっ! お前を教師と認めるだと?

 天地がひっくり返ろうと! そのようなこと、断じてあり得ぬわ!」


 三人組だけでなく周りの生徒も触発されて、口には出さないがそうだそうだと言う表情で語っている。

 これでは、学級崩壊待ったなしである。




 確かに前世なら、教員免許を持っていない自分が成人男性に指導しても、すんなりとは受け入れられない。


 しかし私は、四百年以上も未来からきた女子高生だ。

 たとえ知識や経験は平凡そのものであろうとも、戦国時代の武士よりは頭が良いだろう。


 なので彼らに、ある提案を持ちかける。


「ならば、一つ勝負をしましょうか」

「勝負だと? どういうことだ?」


 てっきり私が泣き出すとでも思っていたのかも知れない。

 だが現実は全く動じず、堂々と振る舞って微笑まで浮かべる私の姿に、教室内は一瞬で静かになる。


 そして別に勿体つけるわけでもないので、さっさと話を先に進める。


「もし私が負けたら、教師の資格なしと認めましょう。そして貴方たちに頭を下げて謝罪し、即刻辞職します」

「ほほう! それは面白い!」


 三人組はどうせ自分たちが負けるはずがないとでも思っているのか、あからさまな嘲笑を教卓の前に立つ私に向けてくる。


「ですが、もし私が勝ったら──」

「真面目に授業を受けろと言うのだろう? 我らが負けるはずなし! 受けて立とう!」


 三人組はまだ私を下に見ているようだが、その程度で許すわけがない。

 なので私は、はっきりと告げる。


「授業を受ける前に、きちんと謝罪してください」

「何だと!? 何故我らがお前に頭を下げねばならん!」


 まだ己の立場がわかっていないようなので、きちんと順序立てて説明していく。


「元々私は、松平さんの頼みで教師をしているのです。

 彼の部下である貴方たちが真面目に授業を受けるのは、当然のことです」

「……ぐぬぬ!」


 何がぐぬぬだとはツッコまずに、私は三人組がどのような反応をするかを観察する。

 仕込みなら長考することなく、即決でこちらの提案に乗ってくれるはずだ。


 だが真剣に思い悩んでいるようで、やけに時間がかかっている。

 それでも彼らは再び挑発的な笑みをこちらに向け、堂々と声を上げた。


「よかろう! お前の提案を受けよう! 大人が子供に負けるわけがなかろう!」

「武士に二言はありませんね?」

「無論だ!」


 武士としての誇りを鑑みて、不自然に思われないために時間を使ったのだろう。

 まるで本当に思い悩んでいたかのように、凄い演技派である。




 結果的に、私は彼らと勝負をすることになった。

 なので、これから行うことを、なるべくわかりやすく説明していく。

 内容はあらかじめ考えていたものだが、これがなかなか難しかった。


 私が戦国時代では認知されていない正しい解答をしても、彼らは誰一人として理解できないのだ。

 今の時代でも通用する問題で、勝負を決めなければならなかった。


 そこで提案したのが、計算問題であった。


「計算問題の早解き勝負だと? 武士は商人ではないのだぞ!」

「自軍と敵軍を計算し、戦況を素早く的確に把握するのは重要です。

 もし敵数を見誤って、危機的状況に陥ったらどうするのですか?」


 これには一理ありと思ったのか、彼らは少し悩んだ末にまあ良いだろうと頷く。

 私の辞職を賭けて、算数勝負となった。


 すんなり決まって良かったが、仕込みなので当たり前だ。


「どうせなら、生徒全員でやりましょうか。

 算数も勉強の一つですし、私は絶対に負けませんしね」


 三対一どころか、一対多数となる。

 教室の全生徒が、私に馬鹿にされていると思ったはずだ。良い感じに闘志を燃やしている。


 どうせなら圧倒的な実力差を見せつけたほうが、その後の授業も真面目に受けてくれそうだ。


 中には極低確率で本物の天才も混じって居るかも知れないが、こういう勝負事は皆で遊んだほうが楽しいのだ。


 もし万が一自分が負けたら、その時は実は三回勝負とか言い出して別の手を考えればいい。

 完全に遊ぶ気満々な私は、何とも楽観的であった。


 しかし今さらながら、一つ大きな見落としがあることに気づいた。


「あっ、……問題を出す人を用意するのを忘れていました」

「おっ、お前は!? ええい! 少し待っていろ!」


 三人組の一人が立ち上がり、何やら怒りながら教室の外に出ていく。




 幸いなことに逃げ出したわけではなく、少し経って戻ってきた。


 そこには彼だけでなく、外の見張りをしていた男性も一緒で、全く況が掴めていないという表情で首を傾げて困惑していた。


「こやつは商家の三男で、計算が得意とのことだ。

 この男に問題を出させるというのは、どうだ?」

「私は構いません」


 何故商家の三男が見張りなどやっているのかはさて置き、こっちの事情を全く知らない若い見張りが、即興で計算問題を出すことになった。


 こうして一年一組の全員を巻き込んで、私の辞職を賭けた算数勝負が始まったのであった。




 なお、私は暗算はあまり得意ではない。

 前世では平均的だったが、それでも戦国時代のイノシシ侍に負けるほど遅くはない。


「二百八の味方に、五百七十四の援軍が駆けつけました。答えは?」

「七百八十二」

「ええと、……せっ、正解です」


 即興で問題を考えた商家の三男を、あっさり追い抜いて先に正解を叩き出す。

 このように時代的には色々とおかしい現象を起こしており、教室内の生徒たちはそれを見て唖然としていた。


「敵軍は正門前に二十人の分隊を、横に十六ほど並べて守りを固めています。合わせ──」

「三百二十」

「すっ、少しお待ちを。えー……正解」


 途中からは、もう出題者の言葉を遮って答えていた。

 早解きにも程があると、誰かがツッコミを入れてもおかしくなかった。


 なお早解きの都合上、後半の捻った引っ掛け問題には見事に引っかかる。

 結果的に、私がぐぬぬする場面も何度かあったのだった。




 だがまあ歳が離れたおじさん相手との辞職を賭けた勝負だが、久しぶりに楽しく遊んだ気がする。


 それに何より、戦国時代の武士とは比較にならない、圧倒的な計算速度を持っていることも知ってもらえた。

 全問私が答えてしまって心がポッキリ折れたのか、三人組も武士に二言はなく素直に謝罪してくれた。


 こうして教師としての実力を示すことで、生徒たちは私を先生として認めることになる。

 松平さんが選抜した優秀な仕込みのおかげで、学級崩壊を回避して無事に一件落着になったのだった。

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