表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
272/280

昭和の終わり

リクが陸になっていますが、こちらの世界線ではそのようになっています。ご了承ください。なおこの物語はフィクションであり、実際の人物や団体とは一切関係はありません。

 私はチェルノブイリ原発事故が発生してから一週間が経っても、ロシア連邦に留まって日本に帰れないでいた。


 だが別に、奴隷も同然の酷い扱いを受けているわけではない。

 一流ホテルのスイートルームで歓迎ムードである。

 ワッショイワッショイは慣れているが、ロシア連邦もペロリストが多く存在することを否応なしに自覚させられて、正直複雑な気分であった。




 さらに日本とロシアの交渉も難航しているようで、待遇は良いがこのままではいつまで経っても家に帰れそうにない。

 なので私は、テレビカメラの前でロシア連邦の首相と対談をしたいと直接申し出た。


 自分が日本に帰りたいと大勢の前で伝えれば、家に帰してくれるかもと、そんな薄っぺらい理由だ。

 だがまあ、向こうの思惑はどうあれ、私の要望はすんなり通ったのは幸いだった




 何はともあれ、ロシア連邦だけでなく各国の取材陣が集まる撮影スタジオで、ウォロトニコフ首相と対談を行うことになる。

 ホームである大本営発表ではないため、若干緊張しつつ受け答えをする。


「うちのホテルの居心地はどうですか?」

「悪くないですね」

「そうですか。それは良かった」


 だが直接話しをしてみると、この首相が一筋縄ではいかないとすぐにわかった。


 何しろ私が家に帰りたいと伝えようとすると、さり気なく話題を変えられるのだ。


 真っすぐ行って右ストレートでぶん殴ることしか能がない私とは、相性最悪である。

 のらりくらりと躱されて、このままでは判定負けかスタミナ切れでこっちがダウンしてしまう。




 しかし、会話をする中で朧気ながら理解したこともある。

 ロシア連邦は、どうしても私を手放したくないようだ。

 日本と同じように、この国でも最高統治者をやって欲しいと願っている。


 だが正直、自国の公務も仕方なくやっている感が強いのに、これ以上仕事を増やしたくない。

 なので少しだけイライラしてしまい、ウォロトニコフ首相を突き放すような発言をする。


「ウォロトニコフ首相。いつまでも私を頼るのではありません。

 自分が蒔いた種ぐらい、自分で刈り取りなさい」


 原発事故について遠回しに叱る。

 今のロシア連邦では、この程度の突き上げは慣れっこのはずだ。


 だが現実にはたったの一言で、これまで爽やかな微笑みを浮かべて応対していたウォロトニコフ首相はしゅんと項垂れる。

 それだけではなく、あからさまに肩を落として元気がなくなっていた。


(これじゃまるで、私が悪者みたいじゃん! これも演技だとしたら、大した役者だけど!)


 今の彼は、まるで母親に叱られた子供のように居たたまれなくなっているように見えて、とても演技とは思えなかった。


 私は多くの報道陣に囲まれる中で首相らしからぬ醜態に驚き、流石に言い過ぎたかと反省して、慌てて助け船を出す。


「すみません。今のは言い過ぎました」


 だがしかし、これ以上帰国を遅らせられては堪らない。

 なので私は、よいしょっと椅子から立ち上がると、相変わらず元気のない彼にゆっくり歩み寄る。


「ウォロトニコフ首相は頭が良い方ですし、私の助力など必要ありません」


 そして少しだけ背伸びをして、ウォロトニコフ首相を優しく抱き寄せた。


「それでも原発の暴走を止めたように、ロシア連邦が危機に陥れば、何度でも助けることを約束します。

 ですが、あまり頼りにされては困ってしまいますし、早く私の助力が要らなくなると良いですね」


 そう言いながら、彼の頭をそっと撫でる。

 何というかシュンと縮こまった首相があまりにも可哀想に見えたので、咄嗟に子供を安心させるような、母親的行動を取ってしまった。




 結果、おじさんのウォロトニコフ首相が泣きながら謝り、狐っ娘幼女がヨシヨシする無限ループが発生する。

 自分でやらかしておいて何だが、誰得のシーンだ。

 私の小さな胸に顔を埋めて、ヨシヨシと慰められる一国の首相が全世界に生中継される恐るべき事態である。




 だがしかし、対談が終わった後は、その日の内に帰国するためのチャーター便を手配してくれることになり、彼も国民もとても良い笑顔で送り出してくれた。


 正直何が何だかわからないが、とにかく一件落着となった。

 なので私は、一週間ぶりに稲荷大社に帰り、家族と触れ合うことで、ようやく一安心したのだった。







 そんなこんなで五月四日になり、東京で先進国首脳会議が開催された。


 当初は稲荷大社の謁見の間を会場にしようと各国が猛プッシュしてきたが、それでは高確率で自分も出席する流れになるので、断固拒否した。


 なので、サミット会場は東京都港区にある迎賓館となり、プラザ合意よりも参加国が増えての開催となった。




 内容については情報量が多すぎて混乱したが、大まかにまとめると、世界平和や食糧や環境問題、それと国際テロリスト等の対策等である。




 そんなサミットは置いておいて、私個人としては同年の終わり頃に三原山が噴火したことのほうが、余程大ニュースだった。


 何しろ自然災害の規模が大きすぎて、島民一万人以上が住んでいる土地を追われる非常事態になったのだ。




 脱出作戦は自衛隊によって行われたらしいが、リアルタイムで現場で指揮を取らされていた私としては、まさに手に汗握る展開であった。


 ここに至った経緯としては、内閣組織に組み込んでも防衛省は私の直轄組織だ。


「非常時だからこそ、稲荷様が現場で直接指揮を執り、自衛隊員の士気を大きく上げる必要があるのです!」


 そのような理由を防衛省長官から告げられれば、ぐうの音も出せなくて受けるしかなくなる。

 わざわざ子供用の大将服を着て、お飾りの最高責任者として現場に急行するハメになった。


 ただまあ命令文は偉い人たちが考えてくれるので、基本的にはカンペを堂々と読み上げたり、小さなお尻で椅子を温める仕事であった。




 それは一旦置いておいて、日本政府が土地を買い取ったわけではないが、私はまたもや勝手に狐色の髪をバッサリと切り落とした。

 そして周囲のお付きの者たちが慌てふためく中で、これで島民の御守りを作ってあげるようにと、快く素材を提供したのだった。


 どうせ朝起きたら勝手に生え揃っているし、たまにはショートカットも良いものだし、髪を洗うのが楽になる。


 だが現地住民は感極まって崩れ落ち、涙を流す者が続出した。

 そんな彼らに若干引きながらも、どうか新しい土地でも、幸せに暮らしてもらいたいと、心の底からそう願ったのだった。







 昭和六十二年になり、日本の景気が良くなってきた。


 後にバブル景気と呼ばれるこれは、シャボン玉が割れるように終わった後の反動が凄まじいと、無学な私でも知っているほどの有名な出来事だ。


 大本営発表で日本国民に釘を差しておいたが、内容は代り映えしないので省略だ。


 とにかく、無限に好景気が続くことはないので、いつかはシャボン玉が割れて地面に真っ逆さまだ。

 なので土地転がし、投資は嗜む程度にしておくようにである。




 さらに今年になって鉄道事業も民営化が進み、IR(稲荷神有鉄道)グループが発足した。


 自分は別に鉄道なんて保有していないし、そこは日本が入るのではないかとツッコんだ。

 しかし元を辿ればインフラ整備を押し進めてきたのは、この私である。


 縁起を担いでお名前をお借りしましたと偉い人から告げられた。

 まあ確かに、縁起を担いで稲荷や狐の名前を使う企業や団体は、それこそ星の数ほど存在している。


 ならばもう何も言うまいと諦めた私は、前世のJと付くはずの鉄道グループに申し訳なく思いながら、民営化しても頑張ってくださいと、嘘偽りのない声援を送るのだった。







 あっという間に昭和六十三年になり、青函トンネルと瀬戸大橋に、リニアモーターカーの路線が開通した。


 九州もいつの間にか繋がっており、これでもう沖縄を除く日本全国に気軽に行き来できるようになった。


 そうは言っても私は引き篭もり気味な狐っ娘なので、どれだけ観光地をおいでませ稲荷神様とPR活動をしても、実際にそこに行く可能性は限りなく低い。


 だがしかし、月に何度かはふらりと外出したり、旅に出たくなる。


 そんな私が過去にお忍びで訪れた痕跡とも言うべき観光地には、稲荷神様が立ち寄った店として連日大繁盛している。

 テレビ番組にも何度も出てくる有名店になったりと、集客効果がとんでもないことになっている。


 何でも狐っ娘の嗅覚や直感で美食を嗅ぎ分けるので、観光地の隠れスポットを掘り起こしていたらしい。

 なお本人は色気より食い気なので食物関係は発動確率が上がるが、狐火や身体能力と比べると何とも微妙な効果なのであった。







 ちなみに七月になると、ドイツのおいでませリトルプリンセスに根負けして、お忍びでも良いならと、急きょ海外旅行をすることとなった。


 距離が距離なので時間がかかることを嫌い、本当に久しぶりに一般の航空機ではなくエアフォースフォックスに乗り、殆ど一直線に上空を飛んで現地に向かう。


 するとその途中で、イラン航空655便とすれ違うことになった。


 世界中の空には日本以外も航空機が飛び交う時代なので別に珍しくはない。

 なので、その時は報告を受けても全く気にすることはなかった。


 しかし交差するまであと数分という距離になった時に、異変が起きた。

 エアフォースフォックスのレーダーが、前方の民間機に向かっている二発の対空ミサイルを捉えたのだ。


 それを聞いた私はすぐさま座席から立ち上がって、とにかく時間がないので緊急時の脱出用の扉を手動開閉ではなく、強引に蹴り開けて外に飛び出す。


 気圧の変化で大混乱だろうが、搭乗員は皆精鋭で私の暴走にも慣れている。すぐに対処するはずだ。

 そして背後を気にすることなく、翼を羽ばたかせて高速飛行を開始したのだった。




 前方の民間機に向かって飛んでくるミサイルを目で見て探して、発見後に真っ直ぐに突っ込む。


 何とかイラン航空655便の射線上に強引に割り込み、一つは素手で殴りつけ、もう一つは蹴りを叩き込んで衝撃を与えるとともに勢いを殺す。


 そして爆発する前に、高速離脱を図ったのだった。




 ミサイル攻撃を何とか回避したものの、アレはもはや自分が居なければ大惨事確定であった。


 後々の責任問題とか色々面倒そうだし、お忍び旅行の途中に思わぬトラブルである。

 しかし何と言うか、子供や乗員乗客含めて三百人近くが全員死亡という悲劇が起きなかった。それだけは本当に良かった。


 なお私が脱出用扉を蹴り開けたので修理が必要になり、意図せずに付近の空港に着陸態勢に入ってしまったエアフォースフォックスだが、やらかして申し訳ないと謝罪も忘れないのだった。







 同じく昭和六十三年のことだが、陸ルート事件が問題化した。


 具体的な内容は、有力政治家、官僚、通信業界有力者に陸ルート社の子会社であるコスモスの会社の未公開株を譲渡したのだ。

 これは昭和五十九年から始まっていたらしく、何とも根が深く、政財界で不正が横行している証拠となった。


 しかも不正に関わっていた者は百名以上いたらしく、財界、文部省、労働省、電話会社、陸ルート社と錚々たるメンバーである。


 この件を受けて日本中が大混乱に陥る。


 だからなのか、『清廉潔白なのは稲荷神様だけなので、どうか民衆の上に立ち、世を光明で照らしていただきたく願います』と、謁見の間に集まった関係者一同が畳に頭を擦りつけるほどの見事な土下座で、そう懇願される事態になってしまう。


 なお私は政治力は皆無だし、今の平穏な暮らしを捨ててまで国のために必死に働きたくない。

 征夷大将軍に就いている間に、一生分の労働を体験したのでもう十分なのだ。


「人間が過ちを犯すのは当たり前です。

 大切なのは失敗から学ぶことであり、どうか次に生かしてください」


 このように、何かそれっぽいことを適当に公言して、国の舵取りをするのを全力で回避する。


 その後、精神的に疲れて家に帰ってきた私は、居間のちゃぶ台の前にへたり込み、薄型テレビの電源を入れる。


 そこに流れる今年から始まったアンパンが主人公のアニメをぼんやりと眺めて、愛と勇気だけが友達とか自分には無理だと思いながら、ペタンとちゃぶ台に突っ伏すのであった。




 なお翌年の一月七日だが今代の朝廷が、高齢で公務が困難になったことを理由に退位した。

 そして次代に役割を譲り、昭和は六十四年で終り、新たなる時代の平成へと移り変わったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ