姫百合の塔事件
同じく昭和四十九年のことだが、田中さんが総理大臣を辞めた。
マスコミの暴いた政治スキャンダルによって、辞職に追い込まれたのだ。
だがしかし、田中金脈問題の全ての騒動を合わせても一千万円には届かなかった。
政治家の汚職にしては、かなりのショボさだ。
狐っ娘というお天道様が見てる的な精神的リミッターが働いたからか、多分だが史実より被害は少ないだろう。
しかし内閣総理大臣のやらかしは、どうしても騒ぎが大きくなる。ゆえに、辞職もやむなしと納得する。
それはともかくとして、田中総理のファミリー企業群の不正や繋がりを暴いてしまうのだから、いつの時代もジャーナリストはたくましいものだ。
IHKニュースを見ていると、自分もいつか日本の最高統治者に相応しくない態度や日頃の生活のあれこれ、または元人間だったことが暴かれて、退位に追い込まれそうだ。
辞めるのは望むところだが、できれば惜しまれつつ引退が良い。
大ブーイングの中で退位しても世間から爪弾きに遭うし、賠償や責任を問う裁判が行われるのは嫌だ。
四百年以上も生きて無駄に功績を積み重ねてきたのだから、一体どこまで遡ればいいのやらと、私は小さく溜息を吐きながらそう思ったのだった。
同年、日本のコンビニエンスストアが、アメリカに一号店を開いた。
地域住民には、ナナコといった略称で呼ばれて親しまれる日本の大手コンビニチェーンだ。
ちなみにコンビニと言っても、二十四時間営業ではない。
普段からブラック企業撲滅を掲げている稲荷神が、労働基準法をガン無視するような過酷な環境を作り出したとなれば、神皇のイメージダウンは避けられない。
ついでに言えば良心の呵責に苛まれるので、断じて認めるわけにはいかないのだ。
なので私は、いつもの稲荷大社の特設スタジオの椅子に腰かけて、周囲を多くのカメラで囲まれながら、堂々と自分の意見を口にする。
「お客様は神様ではありません。
店員が品物を用意しなければ立ち寄ることもないし、何も買えないのです。
どちらが上でも下でもなく、互いに尊重し合える関係が理想です」
理想を実現するのは大変だが、マニュアル対応でしか返せないコンビニやお店の従業員が、不当に虐げられているのを見ると悲しくなる。
だからこそ世の中が少しでも良くなって欲しいという願いを込めて、本音をぶっちゃけるのだ。
なお、そのかいがあったのか、何処かの牛丼屋のように過酷なワンオペや、バイトが冷凍の棚でごろ寝した写真を投稿したり、お年寄りや若者による店員への意味不明なクレーム、そんな闇の深い状況には今の所はなっていない。
ニュースで報道していないだけかも知れないが、お忍びでコンビニに立ち寄った時に、店内状況の改善の一助になるように周囲の観察だけはしている。
しかし国内でホワイト企業を増やせてるかは、各企業の現場を見ていないので微妙なところだ。
昭和五十年の三月十日に、リニアモーターカーの路線が博多駅まで伸びた。
そして続く七月には、沖縄国際海洋博覧会が開かれた。
別に本土復帰を記念したわけではない。
それに安保条約をキッカケにして日本を除く四ヶ国の軍事基地が作られたが、環境に気を使っているので自然はしっかり保たれている。
だからこそ『海-その望ましい未来』を統一テーマとして、日本を含む三十六か国と三つの国際機関が参加する特別博が開かれたのだ。
ここまで見事に環境が保たれた澄んだ海は、世界でも珍しい。
そして今の沖縄は、きっと正史より綺麗である。
なので海に面した国々から、特別国際博覧会を開いて欲しいという要望が集まるのも、納得できる話であった。
当然私も現地に行き、入り口でマスコットキャラのオキちゃんと並ぶ。
さらに日本企業の新作水着を着用して、わざわざポーズを取っての撮影会を行った。
幼女体型なので色っぽさとは無縁だが、十歳ほどの膨らみかけなので少しはある。
だがまあとにかく、羞恥はあっても祖国に貢献できたのでとにかくヨシだ。
会場の見学が終わったあとは、青い海を泳いだり潜ったり、砂浜でバーベキューや花火を打ち上げたりと旅行気分を存分に味わえたので、労働の対価としてお釣りが出るほどだ。
ちなみに、こっちの沖縄は占領されず、過激派に石や火炎瓶を投げられることはなかった。
だが、別の意味での自制の効かないペロリストが暴走した。
彼らは、『ようこそ稲荷神様! 神皇制万歳!』等と口々に叫び、沖縄の糸満市を観光していた私に向かって、姫百合の花束を次から次へと投げてきたのだ。
開花時期を過ぎてるのに、よく手に入ったものだと感心しながら、花言葉は誇りだったことを思い出す。
ついでに、フィギュアスケートのスター選手が演技が終わった後に、声援と共に花束を投げ入れられるアレを想像する。
そしてよく見ると、屈強な体つきをした外国人も大勢混じっている。
うちは移民に厳しいので、他国の人はかなり少ないはずだ。
と言うことは、わざわざ休暇を取って、沖縄の軍事基地からやって来たのだろう。
他の国の軍隊までも狐色に染まっていたことに愕然とするが、すぐに平静を取り戻した私は、彼らに向かってニッコリと微笑みながら小さく手を振り返す。
そして、来訪を歓迎してくださり、ありがとうございますと、殆ど条件反射的に本心を口にする。
咄嗟にその場を切り抜けたのであった。
後日談だが、姫百合の花束は止むことなく投げられ続けて、最終的にはまるで塔のようにうず高く積み上がった。
そのことから姫百合の塔事件と呼称され、全国ニュースが流れて、沖縄県民の語り草にまでなるのだった。
時は流れて昭和五十一年になり、ロッキード事件が起きた。
簡単に説明すると、アメリカの航空機製造大手のロッキード社が、同社の旅客機を受注させるために、多くの国々の政財界に多額の賄賂をばらまいていた事件である。
だが幸いなことに、日本は賄賂の対象には含まれていなかった。
それは何故かと言うと、航空業界に今さら他国の企業の入る余地はないからである。
航空機製造の大手と言っても、それはあくまでもアメリカの話だ。
日本と親日国は、そちらの分野では遙か先を行っている。
うちから見れば型落ちモデルの外国航空機を、最新機種と同額の高いお金を払って購入してくれませんかと、頼まれているようなものである。
さらに、こちらの日本はアメリカとは安保条約を結んでいるが、無理な要求は基本突っぱねると最初に公言しているので、平等な関係だ。
顔色を窺ってペコペコと頭を下げることはなく、はっきり口に出せる立場なのである。
そう言うわけで、世界中の政財界を恐怖のどん底に突き落としたロッキード事件だが、日本と親日国にとっては、殆ど他人事だ。
それでも、ほんの少しは賄賂が流れてきたので、全くの無関係とも言えないのだった。




