嶋中事件
昭和三十六年になってもこれと言った大きな変化はなく、江戸幕府が定めた法律を時流に合わせて適時修正する程度で済んでいた。
なので、薄型テレビに映る国会中継で、農業に関する基本法が新たに制定されても、私には一体何処が変わったのかは一見理解できなかったので、それぐらい微細な修正なのだろう。
同じく昭和三十六年のことだが、二月一日に嶋中事件が起こった。
ちなみに別名として、深沢さんの短編小説の題名をとって、風流夢譚事件とも呼称されていた。
どのような事件かを簡単に説明をすると、千九百六十年(昭和三十五年)の十一月上旬に発行された、中央公論という雑誌に掲載された、風流夢譚が全ての始まりであった。
小説の内容は、私が性的にヒギイされる記述や、狐耳や尻尾のない成人美女の姿で登場したり、みさくら語での会話や養豚場の豚を見るような目で罵倒と、非常に高度なプレイが畫かれていた。
あまりも表現が過激だったからか、他ジャンルのペロリストが抗議活動を行い、批判と擁護論争が加熱する。
そんな中で、ペロリスト団体大日本愛稲荷党に所属していた少年Kが、あろうことか中央公論社の社長宅に無断侵入した。
さらに、家政婦たちの前で恥ずかし気もなく、推しの狐っ娘を熱く語ったのだ。
事件発生から、私はすぐに稲荷大社の特設スタジオに入る。
色んな意味で気が重いが、表情は真面目に保ちつつ、多くのテレビカメラを前にいつも通り本音をぶっちゃけた。
「表現の自由は守られるべきですが、一方で基本的人権とは相容れない部分もあります。
しかし現実で行為に及ばなければ、私がどのように描かれていても気にしません」
狐耳や目に入らなければ、二次創作でどれだけヒギイされても何とも思わない。
そもそも他人の頭の中まで知ることはできないし、わざわざ変態行為を暴露されたくもない。
だが、現実に実行に移した場合は例外だ。
許容できない線引きについて、きちんと取り決めを行う。
「今回の件が社会的な問題になったのは事実です。
なので、これからはジャンルを分けをしましょう」
私はあらかじめ用意しておいた見本を取り出す。
♂と♀がくっついたタグを、テレビカメラにしっかり見せる。
それと同時に、グロテスクな表現やボーイズラブやガールズラブも、近衛や側仕えや政府関係者に頼んで用意してもらった紙芝居で、一つ一つを丁寧に説明していく。
「自分の嫌いなモノだからと、問答無用で排斥はいけません。
もう一度言いますが、今回の件で表現の自由を規制する気は一切ありません」
前世の日本で、個人的に強く印象に残った騒動についても、順番に語る。
少しエッチなライトノベルやポスターを見て、排除するのが女性の総意であると謳ったり、子供が気持ち悪がってると、本人ではなく弱者を盾にする行為などだ。
そんな紙芝居を公式放送で一枚ずつめくっていく。
あらかじめ用意した台詞を読み上げて、ついでに相変わらずのキレッキレな本音トークで、物怖じすることなくぶっちゃけまくった。
「他人の敷地に無断侵入して、自分が気に入らないからと手当り次第に踏み荒らすような行為は控えましょう」
前世よりも早くに大人になった日本人は、昭和でもきちんと自制ができている。
だからこそ法律で規制しなくても、私が一言釘を刺すだけで済む。
あとは民衆で、適切な判断をしてくれることを期待したい。
だがまあ狐っ娘に関してだけは譲れないラインと沸点が低いので、たびたび騒動が起きる。
それも結局、私が良いと言えば良いのである。
「人は多様性の生き物で、好き嫌いが違うのは当たり前です。
妄想と現実の区別がついていれば、創作活動を踏みにじる権利など誰にもありません」
私としては、好き勝手にぶちまけるだけで手間いらずでありがたい。
なお、あとは現場に丸投げであった。
だがしかし、前世の日本でアニメや小説や漫画、テレビゲーム等のサブカルチャーが槍玉に上げられるのは絶対に嫌だ。
何とか規制を緩くしてオタクの人権が認められるようにと、そう内心で思いつつ大本営発表を行うのだった。
ちなみに、中央公論社の社長宅に無断侵入して、家政婦さんたちの前で自らの推しの稲荷神を暴露した少年Kのその後について語ると、今回が初犯な点が考慮された。
ついでに被害は無断侵入と、特殊性癖を聞かされただけだ。
さらに、中央公論社の社長と少年Kの性癖が同じだった。
志を同じくする友人として、暖かく迎え入れられる。
おかげで警察に捕まって取り調べを受け、家族が迎えに来るまで留置所に入れられた以外は、特にこれといった罪には問われなかったのだった。
時は流れて昭和三十七年になった。
二年後に東京でオリンピックが開催されることが決まり、インフラ整備だけでなく、国立競技場や日本武道館などの競技施設を増改築や建設したりと、日本全国が活気づいている。
そして昭和中期から全国にリニアモーターカーの路線を引いてきたが、オリンピックが開かれる前に、東海道だけでも間に合わせるぞと、日本政府や鉄道関係者が日夜頑張っていた。
あとは量産体制が整って値段が下がった薄型テレビを購入し、オリンピック中継を大画面で見ようとする国民が大勢出たりと、何とも景気の良い話である。
結果、日本全国が好景気に浮かれているのが引き篭もっている私にも、ヒシヒシと伝わってくるのだ。
しかし、勝って兜の緒を締めよという言葉もある。
景気が良い時にこそ、経済成長の勢いが急停止した時のために、先を見据えてある程度の備えはしておくべきだろう。
私は自分なりの結論を出し、稲荷大社の外周ジョギングが終わってすぐにスタジオ入りする。
事前にテレビ放送の予約を入れておいた。
久しぶりの大本営発表だが、同じスタジオなので場所を移動する必要はない。
IHKスタッフの一部を入れ替えるだけなので、すぐに本番に移れる。
大本営発表の終了時間は私の気分次第なので、すぐに家に帰れないかも知れない。
なので、ゼリー飲料のグレープフルーツ味で満足感を得ておく。
取りあえずエナジーチャージが終わった私は、身なりを正してコホンと咳払いをする。
そして準備完了のサインを出して、多くのテレビカメラの前でいつものように全ての日本国民に向けて笑顔で語りかけた。
「親愛なる日本国民の皆さん。こんにちは」
挨拶にしても、全てのカメラが私の一挙手一投足を見逃すまいとして撮影している。
基本的に全てがアドリブで、私は回りくどいことが苦手なので、大抵の場合はいきなり本題に入る。
「突然ですが、今の日本は好景気です」
相変わらずカメラマンは真剣そのものだが、自分は椅子に座ったままで殆ど動かない。
正面以外は必要ないと思うのに、横顔や背後を含めた全方位からの撮影なので、物凄い執着に若干の恐怖を感じる。
まあその辺りも、今さら気にしても無駄だと割り切って、大本営発表を続ける。
「この好景気が二年後に開催されるオリンピックの影響だと、気づいている方も多いでしょう」
ここで一旦言葉を止めて、少しだけ間を空ける。
別にわざと雰囲気を作ったわけではない。ただ単に次に何を喋ろうか思いつかなかったのだ。
時間にして一分足らずだが精神的にちょっと焦りながらも、何とか再開する目処がつく。
「東京オリンピックが終われば景気が落ち込むのは、避けられないことです。
浮かれるのは良いですが、その後に訪れるであろう不況の対策を、決して怠らないでください」
政治や経済に疎い私には、具体的な対策案はパッとは思い浮かばない。
なので日本政府や国民に心構えをしておいてもらうしかない。
自分にできることは、大本営発表でそれとなく釘を差しておくことだけだ。
そんなこんなで即興の本音トークは続き、キリの良いところまで喋り終わったので、IHKのスタッフにテレビカメラを止めるようにと、それとなく視線で合図を送るのだった。
撮影が終わったことを確認した私は、椅子の背もたれに体を預けて大きな溜息を吐いた。
「……私は、何を言っているんでしょう」
自虐的な呟きはIHKのスタッフや近衛、側仕えにしっかり聞かれている。
だが自己評価の低さと退位したい発作には慣れているので、彼らは気にせずそれぞれの仕事を続けていた。
(本当に不況が来るのかは、私にもわからないのに)
前世の日本では自分が生まれてからはずっと不況が続いていて、好景気を実感したことはなかった。
だからこそ、今はオリンピック景気と浮かれているが、いつかは不況に襲われるのではないかと、不安に思ってしまうのだ。
しかし前世の東京でオリンピックが開かれることは知っていたが、昭和に開催されたことは知らなかった。
昭和十五年の夏は参加辞退する国があったが、今回は開催に向けて順調に進んでいる。
そのせいで私は、これも歴史改変の影響かと混乱していた。
これが本来開かれなかった東京オリンピックだった場合、私が不況が来るぞと告げても狂った歴史なら、降って湧いた好景気が二千二十年まで続く可能性もゼロではない。
元々経済にも歴史にも全然詳しくはない私は、いつも場当たり的に動いてきた。
だが前世で一年ほど先に開催される東京オリンピックという物凄く身近な言葉のせいで、妙な疑心暗鬼に取り憑かれてしまう。
(こっちの日本では不況を感じたことないけど。それでも、同じ国なんだよね)
江戸幕府を開いてから四百年以上、多少の波はあっても概ね好景気を維持してきた。
だがそれは、国民の頑張りのおかげだ。
それと狐っ娘が、厄ネタを小さなうちに潰してきたからも少しはある。
けどそのようなことは、日本国民の誰もが知るところであった。
だからこそ、神皇様として崇め祀られているのだ。
しかしやたらと腰の低い狐っ娘としては、認めたら負けである。
退位が遠のくばかりなので、拒否を続けて今日も盛大に溜息を吐くのだった。




