安保条約
昭和二十六年になり、日米安全保障条約を結ばないかと提案された。
アメリカの要求を日本が受け入れて、安保条約を締結することになるのは、転生した私なら当然知っている。
だがあいにく、内容も時期も殆ど覚えていなかった。
それでも沖縄に米軍基地が作られたり、アメリカの顔色を伺って仲良しアピールからのイエスマンになっているのは、この日米安全保障条約が原因の一端になっている。
そこは何となくだが、察することができた。
しかし今思えば、前世の歴史のテストは赤点ばかりだった。
今さら狐耳と尻尾を生やした生徒として学校に通ったり、自宅で頑張って勉強する気はまったく起きない。
そもそも神皇を退位して日本の最高統治者でなくなれば、ヤバい案件に関わらなくて済む。
あとは平穏に暮らせるのに、民意には逆らえないので、仕方なく日本の最高統治者をやっている。
いつでも退位OKなのに、国民がそれを望んでくれないのが悲しいのだった。
私は居間に設置されたテレビから流れるニュースを、のんびり眺めていた。
だが真面目に公務に励む気が全くない私は、しばらくウンウンと唸る。
そのまま数分ほど、ああでもないこうでもないと思案した。
やがて目の前のちゃぶ台に突っ伏して、大きな溜息を吐く。
「条約を結ぶ日本のメリットが、殆どない気がするよ」
今やっているニュースでも紹介されているが、正史は知らないけれど凄くまともな条約な気がする。
だが、それでも日本側のメリットは殆どないのだ。
私は起き上がってちゃぶ台に頬杖をついて、白雪煎餅をバリバリと齧る。
テレビを眺めながら再び考えた。
「今のところはアメリカは大人しいけど、この先どうなるかわからないしなぁ」
世界の警察官に相応しい軍事力を持ち、国土も巨大なアメリカ様である。
その一方で、技術力は圧倒的でも資源の乏しい島国の日本だ。
ついでにこっちの日本と親日国は、技術力の差は殆どない。
今は良くても僅差でうちが上なので、いつかは追い越されるのは確実だ。
さらにもし将来アメリカや親日国が追い抜き、軍事力で日本を従わせようと画策したら、果たしてどうなってしまうやらだ。
「親日国は、今のところは大丈夫だろうけど」
将来的な不安はあるが、日頃から友好的に接している親日国は多分大丈夫だ。
そしてこれまで私は、困っている国があれば深く考えずに支援してきた。
だが裏では、国の運営方針について口出しされるのに反発しており、国際社会での日本の優位性が揺らいだ瞬間、下剋上してくる可能性も捨てきれない。
前世のお隣さんを知っているからこそ、そんな不安はいつまで経っても消えてくれなかった。
「日米安全保障条約も、私の決断一つだしね」
数日前に関係各位を招集して、稲荷大社の謁見の間で話し合っている。
だが、その時は決断できなかった。
今はメリットとデメリットが絶妙に釣り合っている。
どちらを選んでも日本のためになると、そういうことなのだろう。
「政府関係者の説明と私の直感を信じるならだけど。難しいなぁ」
重大な決断を前にして、私の直感が外れたことは四百年では一度もない。
それ自体はとてもありがたく、政府関係者の説明を受けて行動を選択する時に、毎度役に立ってくれている。
「便利といえば便利なんだけど」
本当にどうでもいい時しか失敗せずに、それさえも最終的には終わり良ければとプラスに働く。
どう転んでもワッショイワッショイは避けられない、酷い能力となってしまっていた。
しかし危機的状況では正解を選ぶしかない。
どうでも良い時に不正解を選んでも、国民が失敗から学び、結果的にさらなる成功を手にするのだ。
正直お手上げ状態であり、退位に対して投げやりになるのも仕方がない。
それでも諦めるつもりはないのだが、道のりは遠い。
そんなこんなで、ある意味絶望的とも言える状況にガックリを頭を垂らす。
私は本日何度目かの溜息を吐いて首を左右に振って、多少強引でも考えを切り替える。
「まあ、退位については一旦置いておこう。今の問題は日米安全保障条約っと」
国会でも、意見が真っ二つに割れている。
政治や経済に素人の私は双方の主張を説明されて、知恵熱が出そうなぐらいにこんがらがっていた。
だからなのか、あと一歩という決め手にかけるため、なかなか決断できないのだ。
「いっそのこと、アメリカだけじゃなくて他国も巻き込むのはどうかな?」
唐突な思いつきではあるが、新たな一手としてはなかなか良いかも知れない。
つまり、日本とアメリカ以外も含めた安保条約を結ぶのだ。
名称は日米英独豪安全保障条約になる。
長い上に語呂が悪いが、この際目をつぶる。
とにかくこれでアメリカの一強でなくなるし、仲の良い各国が勝手に監視してくれる。
日本の不利な行動はそうそうできない。
変わりに日本政府が血反吐を吐くが、もし締結すれば歴史的偉業を成し遂げたも同然だ。
私は取りあえずでも納得できる結論が出たことに満足し、内閣総理大臣である吉田さんに連絡を入れるために、座布団からよっこいしょと立ち上がるのだった。
政府関係者に無茶振りしてから時は流れて、昭和二十六年九月八日になった。
その日、日米英独豪安全保障条約が無事に締結された。
なお、条約内容の説明は長くなるし、堅苦しい言葉のオンパレードである。
何より私もはっきりとは理解できていないので、簡潔にまとめさせてもらう。
日本、アメリカ、オーストラリア、イギリス、ドイツの間の相互協力及び安全を保障する条約である。
これでもまだ少し固いのでもっと柔らかくまとめると、喧嘩せずに仲良く協力し合う。もし他国に攻められたら必ず助ける。大体こんな感じだ。
そして安保条約が締結されたのは良いのだが、ついでに盟主をやってくれと頼まれた。
元々日本に打診があったものを強引に他国を巻き込んだので、結局断りきれずに沖縄に軍事基地を作っても良いよと許可することで、盟主としての役割を果たしたことになる。
肝心の場所だが、名護市の辺野古に、日本以外の四国の軍事基地が作られることになった。
その際に、将来起こるであろう騒音問題の対策案として、基地周辺の民間人の立ち入りを全面的に禁止した。
さらに、土地は提供しても海の上だ。
各国それぞれが建設してくださいと言った、酷い扱いであった。
それでも、一応水深が浅い土地を選んだので、割りと早い段階で人が住める状態に持っていける。
所変わって、安保条約締結後に稲荷大社の特設スタジオに入った。
私は椅子に座りながら周りを囲むテレビカメラを前にして、堂々と発言する。
「十年や二十年という短期間で条約を破棄するなら別ですが、締結している限りは、軍事基地はなくなりません」
前世の日本では二千年初頭になっても、沖縄の軍事基地は残っていた。
こっちがそうなるかは不明だが、少なくとも十年かからず撤退ということはないだろう。
「海上なら、騒音や現地住民とのトラブル緩和も期待できます。
我が国の環境保護基準を満たさない場合、相応の厳罰が課せられる旨も、条約に盛り込んでいます」
なおこれは日本国民にも当てはまるが、四百年以上も続けて習慣化させている。
普段通りの生活をしていれば、何の心配もいらない。
取りあえずは、沖縄に居ると思われる環境保護団体が大人しくなってくれれば、それでいいのだ。
いつものように即興で大本営発表をしたが、この判断がどのような結果を生むのかは神のみぞ知るである。
自分の提案でありながら、無責任極まりなかった。
だが政治も経済も過去から全く成長していない私では、この辺りが限界なのだ。
沖縄の軍事基地は、ヨーロッパの火薬庫のように危険極まりない。
下手に関係がこじれれば、第三次世界大戦が始まっても、おかしくなかった。
逆に言えば安保条約は世界の縮図であり、この五国が不穏な行動を取らずに仲良くしていれば、世界は概ね平和ということになる。
なので、鉱山のカナリアのように世界情勢の異常を感知するという点では、とても優れているのであった。
そのため、日本の政府関係者が各国のバランス調整に細心の注意を払う。
十中八九で仕事の重圧でヒギイすることになるが、そっちはコラテラルダメージだと割り切り、私に飛び火しない限りはヨシと、今日もワンコたちと戯れながら平穏に暮らすのだった。




