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菌床栽培

 雪が溶けて山から麓に降りた私は、いつもの木工職人の仕事場に足を運んだ。


 親方と弟子を集めて今後の計画を練るためなのだが、気の所為か前回よりも人数が増えている。

 だが、取りあえずは話を進めるのが先決だ。


「ふむ、水車小屋でございますね?」


 冬の間、我が家でコツコツと作ってきた回らない水車小屋の模型だ。

 本職の人はそれを一目見て理解したので、知っているなら話が早い。わざわざ説明する手間が省けた。


 だが気になるのは、興味津々という表情で口を出したのが、親方ではなかったことだ。

 新しく入ったお弟子さんのほうが詳しいのかなと、私は首を傾げた。


 すると皆が、ハッとした表情に変わって慌てて姿勢を正す。


「申し遅れました! この者たちは松平様が派遣された、岡崎城下の木工職人でございます!」

「「「稲荷神様! どうぞお見知りおきを!!!」」」


 一斉に頭を下げる彼らを見て、私はなるほどと納得する。


 つまりは私の知識や技術を、直接学んで身につけるために派遣されたのだろう。

 行動が早いと言うか、それだけ自分のことを高く評価しているのかも知れない。




 なお、実は長山村にも水車はあった。


 しかし建てたのは先代や先々代の木工職人で、その人は後継者に託す暇もなく、ある日病気でこの世を去ってしまった。

 そのためろくに整備ができずに老朽化が進んで、やがて倒壊してしまう。


 何処かで技術を学んでくるか、専門の職人を遠方から呼ばない限りは、元の状態に戻すのは困難だ。

 なので今はただの苔むした廃屋となっていて、外から見ただけでは水車小屋とはわからない。




 ちなみにだが、焼き物を作るためのロクロも、遠く離れた町では普通に使われている。

 木工旋盤も含めた様々な便利グッズが、岡崎城下では普通に使用されているらしい。


 しかし、あいにく長山村は金も人材も粘土もない。つまり一から作っていくしかなかった。

 だが今は松平さんが後ろ盾になって、融通を効かせてくれるのは本当にありがたい。




 このように色々と説明されたが、結局のところ私のやることは変わらない。


「それで、水車小屋は作れそうですか?」

「模型とは少し違いますが、元々あったものを修理するか。

 岡崎城下と同型なら、建設可能でございます」


 それを聞いて、水車にも色んな種類があるのだと知る。

 私は内心でふむふむと頷く。


「しかし水車小屋を、一体何に利用されるおつもりですか?」

「穀物をすり潰すためです」

「ふっ、……普通でございますね」


 噂の稲荷神なら、もっと突拍子もない利用方法が出てくるとでも思っていたのだろう。

 確かにこれまでは、従来の常識に囚われない突飛な発想や発明ばかりしていた。


 しかしあいにく、水車小屋の利用方法は、すぐ思いつくのはそれぐらいだ。

 主に食欲方面に偏っているとも言えるが、平穏な暮らしを目指してなのは変わらない。




 とにかく水車小屋は、天候にも左右されるが殆ど年中休まず稼働して便利だ。

 最低でも、各村に一つは欲しい。


 自分ならば石臼を回して粉を作るのは、無駄に体力があるので大した手間ではないが、人間には過酷な重労働なのだ。


「これからは粉物の需要が高まりますので、水車小屋がないと加工するのに不便なのです」

「そうなのですか?」

「はい、天井知らずに上がり続けます。

 それに潰して粉にしたほうが、ええと……食べるのが楽ですしね」


 消化と吸収が良くなると言いかけたが、説明が面倒なので少し考える。

 そして、粉のほうが食べるのが楽だと言いかえた。


 皆はそういうものかと頷き、わざわざ説明を求めることはなかった。


 前世では当たり前の常識でも、戦国時代には異端で理解も難しい。

 少しずつ改革を進めているが、道のりは険しいと改めて自覚させられる。


 あとは神様を自称しているおかげで発言力が高くなり、あまり疑うことなく従ってくれるのは助かる。

 しかし、もし私が大失敗をしたら、たちまち信頼度が地に落ちるだろう。


 なので正体がバレたり、間違いを犯さないように気をつけなければいけない。

 私は改めて、気持ちを引き締めるのだった。




 それはともかくとして本日、木工職人の仕事場を訪れた目的は、実は水車小屋ではない。

 私は我が家から持ってきた小さな木箱を畳の上に置いて、慎重に蓋を開ける。


「これは、……茸でしょうか?」


 冬の間もせっせと世話をしたのでヒョロかった謎の茸も、木屑と米ぬかから養分を吸い上げて、私の握りこぶしの半分程の大きさに育っていた。


「茸の人工栽培は、一応の成功と言えます

 なので今後は効率化と生育条件を明らかにしていくと同時に、専用の施設での量産体制の確立を目指します」


 この言葉に木工職人たちの間に、水車小屋よりも大きなどよめきが広がる。


 過去に茸栽培に挑戦した人は数多く居た。そして確かに自然発生より効率は上がった。それは間違いない。


 しかし原木に切れ込みをいれて茸が生えるのを待つという、私に言わせれば何とも原始的で運任せな手段だ。


 なので戦国時代までの茸栽培の結果は、自然発生よりもマシだが、殆ど収穫がないことも多かった。


 茸を育てようとした人と繋がりのある職人から失敗談を聞いたけど、今さらながらやっぱり無謀だったかなと内心で怖気づく。


 そして小さな手で木箱を持ち上げて、こっそり後ろに下げようとする。


「稲荷神様! しょっ、勝算はあるのでしょうか?」


 先程まで失敗談を語っていた職人が、興奮した様子でいきなり質問してきた。

 私は驚いて動きが硬直してしまうけど、急いで何か答えないと不味いと考えて、必死に頭を働かせる。


(思いつきを数字で語れるものかよ! って、開き直りたい!)


 なお実際に確率では語れないし、私の提案はその場のノリや単なる思いつきだ。

 意味としてはそんなに違いない。


 それでも茸に関しての知識は、今の時代の人よりは多分ある。

 これまで通りの栽培方法よりは、成功する可能性は格段に高いだろう。


 なので、なるべく稲荷神らしい立ち振る舞いを心がける。

 内心ではちょっとビビっているものの、態度には出さずに堂々と告げる。


「茸の生育の仕組みは理解しています。なので、これまでのやり方よりも、成功の可能性は極めて高いでしょう」

「「「おおおー!!!」」」


 だがそれは、前世の技術や知識があってこそだ。

 ついでに施設や道具が揃っていない戦国時代で、何処までやれるかはわからない。


 努力と根性で補うにしても限度というものがある。

 茸栽培を軌道に乗せるには人員や設備だけでなく、かなりの時間もかかることは確かだ。


「稲荷神様! 我々は何をすればよろしいのでしょうか!」

「それを今から説明しますので、こちらの模型を見てください」


 そう言って私は、あらかじめ用意しておいたもう一つの模型を、畳の上にそっと置いた。


「小屋、……でしょうか?」

「その通りです。しかし、ただの小屋ではありません」


 外からは普通の長細い小屋に見えるが、私は説明を続けながらカポッと屋根を取り外す。


 すると、内部には多くの棚が並んでいた。

 さらに床板を持ち上げると、その下に小さな水路が通っていることがわかる。


「山の中腹にある温泉のお湯は、これまで川に流していました。

 しかし、これからは茸の栽培小屋に引きます」


 温度計がないので、生育状態を見ながら判断するしかない。

 寒ければ茸が育たないのは当たり前なので、前世の床下暖房もどきで代用できないかと考えた。


「薪と違って温泉は年中利用できます。

 なので成功すれば、一年を通して新鮮な茸が収穫できるでしょう」

「「「おおおー!!!」」」


 何度目かはわからないが、またもや大きな声が室内に響く。

 木工職人たちのやる気も急上昇だけど、あくまでも成功すればだ。当然失敗する可能性もある。


(最初から上手く行くとは思わないけど。とにかく一歩を踏み出さないと、改善点もわからないからね)


 私には前世の知識や経験がある。

 だが本職の茸農家ではないので、絶対に成功するとは考えていない。


 けれど、高校一年生までの学力は持っているのだ。

 まあ歴史の成績は壊滅的で、あとは割と平均点ギリギリだったので、天才とは程遠い凡人である。


(本当はガラス窓がいいけど、ないから代用品で何とかするしかない。

 滑車を使って開閉式の天窓で温度調整を行うとして、暗闇じゃ作業はできないし。

 高所にいくつ開閉窓を作れば、必要な光量を確保できるんだろう?)


 所詮は素人の浅知恵だが、戦国時代の茸栽培に携わった者と協力すれば、一歩ずつでも確実に前に進めて、改善点も早く見つけられるだろう。


 なので私は、茸の鉄板焼に醤油を垂らして美味しく召し上がることを夢見る。

 心の中で、頑張るぞと気合を入れるのだった。







 なお後日談となるが、世界で最初に菌床栽培を行い成功させたとして、稲荷神の名前が歴史や専門書に載ることになる。


 だが、何もかも上手くいったわけではない。最初のうちは、思うような成果が出ないどころか原因も良くわからなかった。


 しかしそれは前世の知識や経験を持つ私にとっての、失敗である。

 だが戦国時代に、一つの菌床に十以上もニョキニョキと元気な茸が生えれば大成功と言えた。


 ガラス温室ではない木造で、気温や湿度も正確にはわからない状態だ。

 小屋内に設置された棚の苗床全てを合わせれば、余裕で百本を越える。


 しかも毎日収穫しているのだから、当時としては本当に神の御業としか思えなかったのであった。




 だからこそ、後の茸農家たちは理解した。


 稲荷神様は遥か遠くを見据えている。大成功だと慢心するのはなく、さらなる高みを目指すために、我々も日々精進を続けなければいけないと。




 ちなみに苗床に関してだが、最初は山に入って木屑を集めていたが、それは面倒だし供給が安定しない。

 なので木工職人と協力関係になり、燃料代わりのおが屑を譲ってもらうことになった。


 さらにそこに米ぬかを混ぜたあとに蒸気で殺菌するという、何とも原始的なものであった。


 しかも栽培小屋に入る農家は直前に必ず身を清めて綺麗にして、施設内の掃除も欠かさないように厳命されている。


 最初は理解できなかったが、それでも菌床栽培を続けることで少しずつでも知識と経験を蓄えていく。




 そして茸栽培の計画書を提出したその日に、顕微鏡の研究開発も裏でこっそり進めることになる。

 こちらは試作機ができるまで一朝一夕ではいかずに、かなりの長期になってしまう。


 だが世界に先駆けて菌や微生物が観測できるほど科学が発展すると、やはり稲荷神様は正しかったのだと、全国の茸農家たちは狐っ娘をワッショイワッショイするのだった。

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