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靖国神社

 昭和十八年になり、国家のために殉難した人の霊を祀るという目的で、東京都千代田区に靖国やすくに神社が建てられた。


 だが東京の土地は高騰していて、在住している人は大抵他所へ行きたがらない。

 稲荷神(偽)が命じられたのだと公言することで、何とか首を縦に振ってもらった。


 しかし、この薬が効きすぎた。

 稲荷大社や国家の予算が投入されるだけでなく、建築は休日なしで行われた。

 そのおかげで、一年と少しで完成させてしまう。


 そのせいで、悠々自適な引き篭もり生活を満喫していた私は、稲荷様お願いしますと、強引に引っ張り出される。


 何となくそろそろ日課の早朝ジョギングや大本営発表を再開しようかなと思っていたので、良い機会かなと前向きに考えて重い腰を上げたのだった。







 昭和十八年の春、良く晴れた大安吉日のお昼を少し過ぎた頃のことだ。


 私は菊の御紋ではなく、何故か稲荷大社の紋様が刻まれた靖国神社の大門を粛々と歩いて通り抜ける。

 境内に設けられた舞台を目指し、真っ直ぐに進んでいった。


(何だか私を引っ張り出すために、完成を急いだ感があるなぁ)


 天岩戸ではないが、長期休暇の間はお供え物や荷物配達以外は、原則として呼び出しや接触を禁止していた。


 なので一年ほど表に全く姿を見せなければ、国民が不安に思う気持ちもわからなくもない。

 日本政府や稲荷大社が民衆にせっつかれていたと考えれば、ある意味では納得であった。


(しばらく平穏に暮らせたし、表に出るには良い機会だったかも)


 日本の最高統治者兼稲荷神(偽)として、人気に陰りが見えて自然消滅するまで、再び綱渡りの人生が始まる。

 あまり頑張りたくはないけど頑張るぞと、内心で気合を入れた。




 ちなみに本日は、舞台に立って祭礼を行う予定だ。

 いつもの巫女服は変わらないが、その上に美麗な装飾の羽織りや小物を色々と身に着けている。


(しかし戦没者が英霊で、私がその上位存在なのはちょっとなぁ)


 自衛隊は神皇の直轄組織なので、理屈としては間違ってはいない。

 だが死後もそれでは、まるで私はヴァルハラの戦乙女だと、内心で溜息を吐く。


 それでも歩みを止めることなく、左右に整列して道を開ける名だたる著名人や遺族の方々と視線を合わせることなく、ただ真っ直ぐに進んでいく。


 江戸時代に自衛隊を設立した時に、貴方たちが国民を守るのだと宣言したことを思い出した。


 その結果、何故か第二次世界大戦の勝利の女神となり、私の下に数多の英霊が集うことになる。

 つまりは稲荷神とは軍神でもあったことが、ここに証明されてしまったのだ。


 本当に、どんどん欲しくもない偉業が積み重なっていく。

 退位は遠ざかる一方で、人生とはままならないものであると心の内で嘆いた。




 だが時間は刻一刻と流れており、境内の奥に設置された特設舞台の前まで来る。

 私は、階段を一歩ずつ登っていった。


 過去のやらかしのせいで、五穀豊穣、知恵や学問、医者や生命、芸能や武芸やその他諸々に、軍神まで加わったのだ。


 実際に武将と一騎打ちしたり、銃火器相手に無双したりと色々やったせいで、下地は出来ていた。

 さらにライトニングフォックス作戦を成功させて、第二次世界大戦を終結に導いた。


 モスクワ市内で連合の先頭に立って活躍し、軍隊や兵器を相手にしても一歩も退かず、それら全てを叩きのめした。

 または、危機に瀕した一般人をも救ったので、なるべくしてなったと言えなくもないのだ。




 内心で溜息を吐きながらも、舞台に上がってマイクの前に立つ。

 しかし正直に何を言えば国民を励ましたり、遺族の慰めになるのかは、さっぱり思い浮かばなかった。


(うーん、一体何を話せばいいんだろう?)


 いつもぶっつけ本番ではあるものの、今回は前情報なしで自宅でごろ寝していた時に、急きょ呼び出されたのだ。


 台詞を考える余裕がなく、政府の役人から説明を受けて、状況を理解するだけで精一杯だった。


 だが、沈黙していては先に進まない。

 まずは無難な挨拶を済ませたあとに、行き当たりばったりでも良いので、集まった方々に静かに語りかける。


「長く続いた戦争が、皆さんのおかげでようやく終結しました」


 集まった人たちの中には、戦没者の遺族や友人も参列している。

 それぞれ写真や遺品を持って、悲しそうに佇んでいた。


「日本は勝利しましたが、犠牲も少なくはありません」


 他の連合国と比べれば本腰を入れて参戦しなかったが、犠牲者はゼロではない。

 さらには利権も全面的に放棄したので、現状では踏んだり蹴ったりで、国民は胸の奥に不満を抱えていると言える。


「私の力及ばず、国事に殉じてしまった方も大勢でてしまいました」


 混沌とした戦時下では、誰が何処で亡くなったのかは不明なことが多い。

 名前も知らない者が殆どだが、作戦を実行したのは連合国の盟主である自分である。


 今でもあの時の判断が正しかったかはわからないが、メンタルの強さには自信がある。

 起きてしまった過去は変えられないので、彼らの犠牲を無駄にしないためにも、未来を見据えて歩いて行きたい。


「彼らの尊い犠牲のおかげで、日本は戦火に晒されることもなく、平和に過ごせているのです。

 そのことを、決して忘れてはいけません」


 ソビエト連邦の最終目標が日本だったからこそ、私は第二次世界大戦の介入を決めた。

 自衛隊を派遣するだけでなく、連合国の盟主までやったのだ。


 力及ばず殉職者が出てしまったが、日本単独でソビエト連邦に挑むよりは、被害は少なかったはずだ。


 だが、たらればの話をしても仕方がないので、靖国やすくに神社について説明を行う。


靖国やすくに神社は、国のために殉難した人の霊を祀り、心安らかにあの世に逝けるように。そう願って私が建てさせました」


 しかし残念なことに、ここに来て話のネタが尽きてしまう。

 サブカルチャーの知識なら割りと豊富だが、真面目な話は本当に苦手なのだ。




 なので言葉ではなく行動で示そうと、私は側仕えに渡された神楽鈴を両手で構えて、静かに振るう。


靖国やすくに神社に集いし、日の本の国を守りし英霊たちよ」


 黙って喪に服している方々が集う靖国神社の境内に、神楽鈴の音が鳴り響く。


「親族や友人との、最後の別れの時が来ました」


 私の言葉が終わると、境内の至る所に青白い火の玉が浮かびあがった。


 やがてそれは人の形を取り始めたが、さしずめ私の力で具現化した幽霊だ。


 その正体は遺族や友人の思い描いた幻影で、決して本物ではない。

 狐火はかなり応用が効くらしく、熱も実体もないガワを再現しただけだ。


(流石に数が多すぎて、ちょっと疲れた)


 第二次世界大戦が終わってから、また狐っ娘パワーが増大した。

 おかげで数多くの幻影を見せられたが、戦没者の数が多いため、倒れはしないが物凄く疲れる。


 靖国やすくに神社に集まった参列者は、私の異能だとわかっているので動揺は少ない。

 現状を素直に受け入れて、戦没者の再会に喜んだり嬉し涙を流している。


「日が沈めば、英霊たちはあの世に旅立ちます。

 それまで、どうか心の残りのないよう、お別れを済ませてください」


 そこで私は大きく息を吐き、次の言葉を喋った後に、背を向けて舞台から降りていく。


「少し力を使い過ぎました。私は先に失礼させてもらいます」


 正直、立っているだけでもしんどい。

 だが辛い顔は見せずに、行きに通った道を逆に辿って正門を目指す。




 近衛や側仕えに守られながら移動していると、周りから私に対するお礼の言葉が次々と飛んでくる。

 それ自体は慣れたものなので、無難に受け流せる。


 だが一つだけ、気になったことがあった。


 遺族や友人のイメージを読み取って、3D化した幻影を作り出したはずだ。

 英霊たちは言葉は一切喋れず、ただ近くで佇むだけなので、昔から良くある幽霊そのものである。


(でも、遺族や友人の言葉に反応してるんだよね)


 もしや本当に人には魂があり、それが狐火と混ざって実体化したのかは全くの不明だ。

 しかし彼らには感情や意思を持っているような気がする。


 まるで人間のように振る舞っているのだ。


(ううん、何だか知らないけど、日本国民が喜んでいるから、ヨシ!)


 考えてもわからないので、細かいことはいいんだよの精神だ。


 ちなみに幽霊を維持できる時間は、告知通り日没までだ。

 私は暗くなる前に皆がお別れを済ませてくれることを願いながら、靖国神社の大門を通って外に出る。


 そして、あらかじめ用意されていた専用車に乗って、心身共にグロッキー状態の私は後部座席にもたれながら、稲荷大社へと帰るのだった。







 ちなみに即興で行った英霊召喚だが、効果は靖国神社だけではなく、日本や親日国全土に及んでいた。


 そして各国の民は青白い火が突如空中に出現しても、割と落ち着いていた。


 私の仕業だと理解していることと、テレビやラジオの放送で政府が告知を行ったのだ。

 その結果、日没までに亡くなった人たちとのお別れを済ませることができたのであった。


 だがやはり、日が沈むと狐火も消えてしまう。


 人ではなく青白い火の玉に戻った状態で、彼らは一斉に空へと登っていき、多くの国民がその光景を涙を流しながら静かに見送ったのだった。




 余談だが、時期がたまたま春分の日に近かったことから、毎年三月二十日頃には里帰りしたり先祖の墓参りに訪れる。

 そういったお彼岸の習慣が、各国に定着したのだった。

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