一向宗の末端
<とある村の住職>
雪が溶けて間もない時期に、とある村の寺院で集会が行われていた。
その屋内のもっとも奥の座敷には、青筋を立てた数人の男が荒々しい声で怒号を飛ばす。
それぞれ持ち寄った酒と肉を手に持って飲み食いしているので、かなり酔いが回っていそうだ。
「あの女狐! もはや我慢ならんわ!」
「然り! 民に教えを広めるのも、女狐が私腹を肥やすためよ!
おかげで我らの儲けは減る一方ではないか!」
稲荷神を名乗る小娘が現れてから、それぞれが所属している寺院に寄せられる施しは、目に見えて減り続けていた。
また、それだけではない。
一向宗の信者が次から次へと稲荷神に改宗し、駄目押しとばかりに我々が定めた禁忌も破り出す。
もはや上からの押さえも効かずに、収拾がつかなくなっている。
「害獣や家畜の肉も、最近は回って来ないではないか!」
一向宗の開祖は、妻も取ったし肉も食べた。
しかし、我々はそれを禁止している。
なので仕留めた害獣や亡くなった家畜は、禁忌を定めた寺院に提供される。
罪もない動物を殺生したことへの祈祷を行い、裏では美味しくいただいているのだ。
こちらのしていることが明るみに出ない限りは、共存共栄の関係である。
しかし今は、その風向きが変わった。
女狐は動物を殺生することを許可しており、その仏罰は彼女が全て背負うと豪語したのだ。
戦乱の世は住職と言えども、清廉潔白なだけではやっていけない。
いかにして愚かな民衆を騙して利益を吸い上げ私腹を肥やすか、これに尽きる。
だが最近は信者たちが稲荷神を語る小娘に流れ、おまんまの食い上げが続いていた。
このままではお布施も集まらなくなり、今まで通りの贅沢三昧な生活が続けられなくなって、我々は一人残らず干上がってしまう。
しかもそれだけでなく、憎き女狐はこんなことを言い出した。
『怪我や病気の防止には、米や雑穀だけでなく肉も食べるべきです。
そして天罰や仏罰は、許可を出した私に降りかかります。
皆を誑かした私が一番悪いなら、そうでないとおかしいでしょう?』
なお実際には、禁忌でないものを我々が無理やり禁じているだけだ。仏罰など下るはずもない。
つまりは女狐は我々の企みを逆手に取って、愚かな民衆から食料を奪っているのだ。
「これでは賄賂の払い損ではないか!」
貧しい村々は農作物を守るため、害獣の駆除は必須だ。そのおかげで、毎年かなりの肉が取れていた。
我々はそれを全て奪い取り、裏でこっそり食べたり商人に横流しして銭を稼ぐ。
そして賄賂として一向宗の上役に送ることで、組織の末端で好き放題に振る舞うことへの目溢しとしている。
まさに共存共栄の関係だ。
民衆は騙されるほうが悪く、気づかなければ犯罪ではない。
我々は互いに手を取り合い、この世の春を謳歌していたのだ。
だが、ここ最近は違う。
村人たちは、我々の寺に肉や施しを収めに来ることが殆どなくなった。
それだけではない。
供え物を大切そうに抱えて山の参道を登り、わざわざ女狐の参拝しに行く有様だ。
「そもそも! 栄養素とは何じゃ! まるで意味がわからんぞ!」
女狐の説明は、理解できない用語が多々含まれていた。
しかし疑問には思うが、教えに従えば過程はどうあれ、彼女が説いた結果に必ず行き着く。
なので全てが終わった後に意味を理解することも、珍しくはなかった。
だが商売敵の女狐を邪教の教えだと禁止している我々は、噂で知る以外に術はない。
外から見るだけの彼女のことは、自分たちと同じ詐欺師にしか思えなかった。
「しかしどうする? そろそろ賄賂を納める時期だぞ」
「今年は肉が手に入らなかった。寺の備蓄を売って、資金を調達するしかあるまい」
既に一向宗の上役からは、賄賂はまだかとせっつかれている。
ここで出し渋ったりすると、あっさり切り捨てられるのは必定だ。
寺院や神社は腐敗が蔓延しており、末端の住職の代わりなど他にいくらでも居る。
つまり利益を得られずに役に立たない駒は、理由さえあればいつ見限られてもおかしくないのだ。
ゆえに備蓄を賄賂に回してでも、延命を図るのは悪くない手である。
「今年はそれで良いが、来年はどうする?」
「ふん、来年か。女狐がいつまでも、失敗せんわけがなかろう」
結局は女狐が一度でも失敗したら、途端に村人たちからの信頼を失う
我々も、それ見たことかと一斉に声を上げれば奴は終わりだ。
こちらの正当性を堂々と主張すれば、元一向宗の信者たちも目を覚ますだろう。
だがしかし、彼女の知識や道具はどれも未知の物だが、捨てるには惜しい。
それに誰の目にも明らかに失敗なのに、実はそれこそが後々のための布石だったことも、一度や二度ではない。
そんなとんでもない成功体験を、途切れることなく続けているのだ。
このままでは、先に干上がるのは女狐ではなく我々かも知れない。
現在の状況はそれほど厳しいのだと、否応なしに自覚させられる。
「いっそ禁忌を撤廃して、女狐に頭を下げるのはどうだ?」
「馬鹿を言うな! 民衆を騙していたことに気づかれれば、我々の命も無事では済まんぞ!」
家畜だけでなく害獣の肉を横流しして、これまでずっと甘い汁を吸ってきたのだ。
唐突な禁忌の撤廃により、厳しい追求を受けるのは確実だ。
農民の蓄えを奪っていたので、上手い言い訳が口から出なければ、確実に寺を追われる。
最悪命を奪われるのは確実だし、一向宗の上役も飛び火するのを恐れて、斬り捨てようとするだろう。
だが上役に流すための賄賂を確保しようと、女狐と手を組むのは論外だ。こちらが弱っていることを悟られたら、これ幸いと叩き潰しに来るだろう。
何より奴は表向きは清廉潔白を自称しているが、裏では汚いことをしているに違いない。
だが全くと言っていいほど足を掴めず、現状は八方塞がりと言っても過言ではなかった。
「やはり、商売敵は排除せんといかんのう」
「排除とはどうするんじゃ? 奴は松平家が支援しておると聞くぞ」
どうせすぐに化けの皮が剥がれて、村を追われるか住民に吊るし上げられると高をくくっていた。
だが我々がのんびり構えている間に、松平家と結びついて後ろ盾を得てしまう。
さらに我々が民衆を先導して一揆を起こしても、今では小娘の信者のほうが多い。
こっちの手駒を無駄に減らすだけで、下手をすると誰が裏で糸を引いているかを悟られかねない。
しかし上役に泣きついたところで、掃いて捨てるほどいる末端の構成員だ。
わざわざ骨を折る気はなく、これ幸いと証拠隠滅に動く可能性すらある。
「⋯⋯仕方ない。直接乗り込むぞ」
「正気か?」
正直、口にしている自分も正気を疑いたくなる。
だが、もう手段はこれしかない気がした。
時間が経つごとに、我々が不利になっていく。
今ならまだ巻き返せると思っているし、一か八かでもやってみる価値はある。
これ以上時間をかけたら、いよいよ進退窮まってしまう。
「民衆をけしかけたところで、女狐には勝てん。
ならば我らが乗り込み、舌戦で言い負かすしかあるまい」
少なくなった手駒を無駄死にさせて、我々の元まで辿り着く機会を与えるわけにはいかない。
女狐を反論できないほどに言い負かしさえすれば、情勢は一気に有利になるはずだ。
それに、元々奴は余所者なのだ。
ならば、郷に入れば郷に従えで舌戦を展開していけば、地の利は我らにある。
「民衆には我らの教えが根付いておる。
そこを突いて切り崩してやろう」
最近は鳥を飼い始めたと聞いたが、それが致命的な失策だと思い知らせてやる。
我々が定めた教えでは、家畜を殺して食べることは禁忌に触れる。害獣の肉よりも遥かに重い罪だ。
「育てた鳥の卵を食べるなど。家畜の子を殺すに等しい愚行よ」
他にも、後家や孤児に勝手に仕事を与えたり、田の神を穢した実例もある。
そちらでも十分に言い負かせられるはずだ。
少しでも反論しようものなら、これ幸いと我々の禁忌や昔ながらの慣習で黙らせればいい。
それを聞いた民衆たちも、やはり真に正しいのは我々だと気づき、目を覚ますだろう。
既に勝った気でいる我々は、近日中に山に向かうことを決める。
そして引き続き酒盛りで飲み食い騒ぎ、女狐なぞ何するものぞと、一層増長するのだった。
 




