稲荷講和会議
第二次大戦が終結した昭和十八年に、日本の東京で講和会議が開かれた。
私は連合国の盟主だが、政府に代理を立てるように命じて欠席させてもらう。
今は森の奥の自宅で、のんびりと過ごしている。
そして講和会議は、日本で開かれる一大イベントだ。
IHKが特別に取材の許可を取り、テレビで生中継を放送することになった。
私はと言えば、居間の座布団に腰を下ろして狼たちに囲まれ、何となく画面を眺めていた。
ちゃぶ台の上に、温かい緑茶とお供え物の鯛焼きを置いて、平穏な暮らしに戻った喜びを噛みしめる。
「私は平穏な暮らしに戻れたけど、講和会議はどうなるのかな」
幣原外務大臣には思いっきりぶっちゃけたが、嘘をつくのが苦手ですぐにバレるから仕方ない。
行き当たりばったりで、基本的にはいつも真っ向勝負なのだ。
そして大陸に手を出すようなら、私は完全ノータッチでと、予防線を張っておいた。
今後何か問題が起きても、自分が出張ることはないだろう。
さらには、当分の間は引き篭もるので呼び出さないで欲しいと告げて、立ち去った。
おかげで今は、我関せずを貫けている。
それでも、その後の展開がどうなるのかは、やはり気になる。
好奇心を刺激された私は、のんびりとお茶を飲みながら、テレビの向こうで行われている講和会議の成り行きを見守るのだった。
連合国の盟主の代理として、幣原外務大臣が進行役を務めるらしい。
責任の押しつけ合いがあったのだろうが、とにかく彼は大きな声で開催の挨拶を行った後に、他の連合国が予想もしていなかった発言をする。
「まず最初に宣言させていただきます!
日本は今回得られた戦勝国の権利、その全てを放棄致します!」
「「「……はあっ!?」」」
当然、日本以外の連合国は大混乱に陥った。
だが混迷する講和会議の中で、何とか立ち直ったイギリス外交官が挙手して、発言を行う。
「そっ、それは! 敗戦国に要求する賠償金や統治権から、完全に手を引くという意味でしょうか!?」
「その通りです! 日本は敗戦国には、一切の要求を致しません!」
はっきりと告げたことで、講和会議の場は完全に静まり返る。
時々小声で相談しているようだが、誰もが予想外の事態に戸惑っていた。
しばらく、時が停まったかのような光景が続いた。
日本政府は打ち合わせ済みで冷静だろうが、他国の外交官はとても平静ではいられない。
そんな話し合いが一向に進まない中で、幣原外務大臣が挙手して発言する。
「講和会議で発言しなければ、敗戦国に要求はしないことになります! よろしいでしょうか!」
「そっ! それは困る!」
何処かの国の外交官が、慌てて待ったをかける。
第二次大戦では、日本も被害を受けて、出費もかさんでいる。
それなのに、あっさり利権を放棄した件については、一旦置いておくことにしたらしい。
そこから先は各国の間で、盛んに議論されることになった。
元々政治や経済はあまり得意ではなく、興味本位でテレビを見ていた私には、何とも難しい問題ばかりだ。
それでも敗戦国の領土を切り取るために、連合国間で熱い舌戦が繰り広げられていることだけはわかる。
なお、幣原外務大臣は、ひたすら進行役に徹していた。
「では、半島はドイツが統治しよう」
「いいや、日本との付き合いはイギリスのほうが長い。
何かあった時には、協力も得やすいだろう」
イギリスとドイツが、半島の統治権を奪い合っている。
先進国から見れば戦争に負けた大陸各国は、オヤツのようなものだ。
幸い日本は諸外国から内政干渉は受けておらず、いざとなったら追い払うだけの力もある。
おかげで植民地にされることはなかったが、それでも無敵ではない。
一歩間違えれば、隣国の二の舞なのは目に見えている。
本当に国際社会は複雑怪奇で、食うか食われるかの恐ろしい世界だ。
私は日本そっちのけで、議論を白熱させる講和会議をぼんやり眺める。
そして鯛焼きを口に運び、思ったことをそのまま言葉にした。
「正直、よく生き残れたものだよ。
自分が優秀な最高統治者だとは到底思えないし、きっと運が良かったんだろうね」
いくら技術や軍事力が高くても、政治が未熟では列強諸国に良いように搾取されてしまう。
ならば力をつけようと、大陸と関わりを持てば、泥沼の戦争や利権や権力を巡る争いに引きずり込まれる。
今回は結果を見れば多額の戦費を使い、戦死者も出てしまった。
さらに、敗戦国に要求するはずの利権を、全てを放棄するのだ。
明らかに正気の沙汰とは思えない。
だが前世の大陸を知る私としては、とにかく関わりたくはなかった。
理屈抜きの感情任せな発言なので、ぶっちゃけ何の説得力もありはしない。
しかし幣原外務大臣や日本政府は、それに乗ってくれた。
「どう転ぶかはわからないけど! 私が平穏に暮らせるからヨシ!」
テレビの向こうで繰り広げられている、利権を奪い合う講和会議に出席していたら、一体どれだけの面倒を背負い込むことになったことやらだ。
そう考えたら、一切手を貸さずに日本政府に丸投げしたのは、個人的には正解と言える。
「あとはもう、結果だけでいいかな」
そもそも私は、最高統治者でありながら政治には全然興味がない。
決着のつかない講和会議を映していたカラーテレビの電源を、静かに切った。
そして、すぐ近くで寝転んでいる狼たちにくっつく。
長い間お預けだった家族との触れ合いを、存分に満喫するのだった。
講和会議で結果がどうなったのかは、よくわからない。
日本が利権を放棄した以上は、結局のところは他人事だ。
なので正直、難しい政治の話よりも、平穏な暮らしを過ごすほうが、自分にとっては余程大事だった。
早朝に稲荷大社の周りを一周するジョギングも、週一間隔で行っていた大本営発表もお休みである。
少なくとも心身共にリフレッシュするまでは、悠々自適な引き篭もり生活を満喫するのであった。




