模型作り
松平さんやお仲間の方々が危険な冬山を登って、わざわざ尋ねてきた。
協力を求められたので色々と話し合ってお互いの都合をすり合わせた結果、私なりに考えてアドバイスをする。
その後、どんちゃん騒ぎの宴会に突入し、翌朝になって吹雪が収まる。
彼らに帰りの携帯食料やお土産などを持たせて、心配なので私も道案内として同行させてもらう。
そして松平さんたちを安全に下山させるついでに、村長さんのお宅を尋ねる。
急に押しかけて申し訳ないが、不足した分の食料を補充させてもらい、再び山を登って社務所に戻った。
それからしばらく経ったある日、定期的に水やって観察日記をつけていた茸の苗床に、ある変化が起きた。
ひょろりとした小さな茸が、数本生えていたのだ。
冬の間はずっと囲炉裏に火を入れているので、家の中は比較的暖かい。
土間の隅に並べている実験用の木箱から、茸がひょっこり生えてくる可能性も無きにしもあらずであった。
種類別に分けて土壌管理しているのだが、現在生えている場所を見ると、木屑が足りなくなったときに手近にあった米ぬかと混ぜてカサ増ししたのが、功を奏したらしい。
世の中、何か幸いするかわからないものだ。
「木屑と米ぬかの混合土壌の相性は悪くなさそう。
でも生えても数本だし、ちょっと成功とは言い辛いかな」
いくら基本的な知識や経験があっても、私はプロではなく素人だ。
ベテランの茸農家のように、少し見ただけで一から十まで理解できるわけではない。
だがそれでも、貴重な成功例には違いなかった。
今後も観察日記をつけて、効率の良いやり方を模索していくつもりだ。
「あー、茸だけじゃなくてカビも生えちゃってるよ」
毎日水をやっているのだから、湿気でカビが生えるのは仕方ない。
私は成功だけでなく失敗例まで、きちんと細かく記録に残していく。
「んー? そう言えば、カビも菌の一種だったような?」
カビが出来た土壌には茸が生えないか、明らかに成長が抑制されている感じだ。
私はそれを見て、ふむっと声を漏らす。
「もしかして、他の菌に駆逐されちゃってる?」
過酷な環境だし、着生するのは大変だろう。
そしてたとえ土壌が良好でも、他の菌に栄養を奪われては、まともに育つはずがない。
一理あると思った私は、大まかな予想もなるべく丁寧に書き加えていく。
そして次回の実験は木屑と米ぬかを、蒸気で高温殺菌してから生育を開始しようと心に決める。
「でもこの茸。一体何なんだろう?」
田舎住まいの元女子高生は茸農家の手伝いに呼ばれたことはあるが、それでも椎茸、えのき茸、松茸ぐらいしかまともに覚えていない。
だが前にお供え物としていただき、焼いて食べたら美味しかったし、長山村でも普通に食べられている。
そんな謎の茸をマジマジと観察して、もっと詳しく聞いておけば良かったと後悔した。
けれど雪が溶けたら改めて尋ねれば良いし、今は地道に生育記録をつけるのだった。
冬の間には、前世の知識や経験をまとめたり、今後の計画を書物を記録するだけでなく、模型の製作も行っていた。
私が監修し、戦国時代には珍しいちゃぶ台を木工職人さんに作ってもらったおかげで、畳や木の床の上よりも作業がしやすい。
おまけに小物入れ用の引き出しも追加で作成してもらい、大変便利に使っていた。
おかげで今は長山村だけでなく周囲の村々にも、もの凄い勢いで広まっている。
稲荷神様が監修なされたとか色々言われているが、私の名前など大して宣伝にはならない。
戦国時代の生活空間に無理なく適応し、一式あればとても便利だからだろう。
それはそれとして何故今、模型作りをしているのかと言うと、前世の知識を口頭で説明するのが難しいからだ。
ついでに筆と紙で図面に書き起こしても、一方向からしかわからない。
裏側や内部はどうなっているのかと尋ねられたら、また新しく描いたり身振り手振りで説明するなど、非常に時間がかかるのだ。
しかし模型なら全方位から見られるし、内部構造もある程度は再現できる。
現実にそれがまともに動くかはともかく、説明を簡潔に済ませられて皆が納得させられるのは確かだ。
「滑車や千歯扱きは苦労したしなぁ」
私はつい昨日のように、村の人に滑車と千歯扱きを教えた時のことを懐かしむ。
すぐ近くに現物があって実演できれば説明も簡単なのだが、何もない状態で一から作ろうというのだ。そう簡単にはいかない。
結果的に最初の一個は私が作り、見本として提出するハメになってしまった。
もちろん一発成功ではなく何度も失敗し、そのたびに悪い見本として没収されて大切に保管されるため、黒歴史が増えるという苦しみを味わう。
とにかく色々な苦労を乗り越えて、実用化に漕ぎ着けた時の感動はひとしおであった。
個人的にはプロジェクトなんちゃらのように、壮大なドラマにしても良いぐらいだ。
今は冬で山には雪が降り積もっているので、麓の村々との交流は途絶えている。
前世でいえば冬休みや長期休暇のようなものであり、雪解けまではのんびり過ごせるので気が楽だ。
「水車の構造って、これで合ってるのかな?」
時代劇の水車小屋を参考にして、彫刻刀もどきで木材をちまちま削りながら作っていく。
今の私は冬籠りで時間だけはあるため、書物の作成と同じで、良い暇潰しになっている。
そして自作の水車小屋の模型は、残念ながら部品の大きさが不揃いだ。見た目は不格好である。
しかも再現できたのは表面だけで、内部構造は物凄く適当だし、水車は回転しなかった。
それでも大まかな仕組みがわかれば、あとは本職の人が補完して完成品を作ってくれる。
少なくとも素人の私が作るよりは、素晴らしい出来栄えになるだろう。
「でも水車小屋って、もうある気がするんだよね」
水は年中止まることなく流れているのだから、これを利用しない手はない。
だが具体的には西暦六百年ぐらいに、日本に伝わっていてもおかしくはなかった。
ただ何故か長山村に普及しておらず、私ははてと首を傾げる。
もっと良く聞いておけば良かったと思ったが、目の前の仕事を片付けるだけで精一杯だった。
今は長期休暇中なので他のことに目を向ける余裕があるけど、その辺りは来年の課題だと一旦置いておくことにした。
「そう言えば松平さんたちから聞いたけど、戦場で受けた刀傷を治すために尿や馬糞をつけるとか」
水車の模型作りを一旦止めて、この間の会議を思い出す。
刀傷の治療に、馬糞や尿を塗ったり飲んだりする場合もあると言っていた。
何でも排泄物に含まれる成分には、止血効果があると信じられているらしい。
「すぐに前世の傷口の治療方法を教えたけど。
そんな迷信がまかり通ってたら、怪我が悪化して亡くなった人は多そうだなぁ」
戦国時代は神や仏の神秘性が信じられている。
だがそれと反比例するように、科学技術はあまり発達していない。
そもそも虫眼鏡や顕微鏡は今の日本にはないし、仕方ないと言えた。
レンズはあっても細菌や微生物が発見されたのは、そこまで昔ではなかったはずだ。
けれど流石に間違った医療処置で死者を出している現状を、いつまでも放っておくわけにはいかない。
「まあ、助言を与えるだけならセーフでしょ」
外に出て好き勝手に行動すれば悪目立ちする。
たちまち目をつけられて妖怪認定を受けるのは確実だ。
しかし、参拝に来た人や来客に対して適当な助言をするぐらいなら大丈夫だろう。
松平さんの後ろ盾もあることだし、そこまで危険人物とは思われないはずだ。
それに麓の村々が発展すれば大勢の人が助かって、皆が喜んでくれる。
どう考えても歴史が変わっているが、自分の死後のことまで責任は持てない。
個人的には江戸時代が来るまで引き篭もって過ごして、平和になった日本をのんびり旅をしながら余生を過ごせれば、わが人生に悔いなしだ。
「間違ったことは改めないと、死者が大勢でちゃうよ」
適切な衛生管理で、怪我や病気から身を守る。これは何よりも大事だ。
少なくとも戦国時代の慣習で間違っていることは多く、私が行動を起こさないと全国各地で死者が出続けるだろう。
「でもこれ、今の時代からすれば、絶対異端だよね。
幸い苦情を言いに家まで突撃してくる人は居ないけど、ちょっと不安だなぁ」
思えば千歯扱きを作った時にも、後家の仕事を奪うとは何事かと、息巻いていたお坊さんがいた。
直接乗り込んでこなければ害はないが、もし真正面から抗議に来られたらどうしたものかと、大きな溜息が出てしまう。
「……その時になったら考えよう」
クレームの一つや二つで、人助けを止めるわけにはいかない。
私が躊躇ったせいで身近な人が亡くなると思うと気が気でなく、麓の村々だけでなく松平さんたちも応援してくれるし、さらに全面的に支援してくれるのだ。
大船に乗った気持ちで、このまま進めていこうと決めた。
取りあえず一休みしたので、模型作りを再開する。
一向宗のことなど、頭の中から綺麗サッパリ忘れてしまう。
時々近くに寄ってくる狼たちと戯れながら、外は雪が降り積もって静かな冬の時間を、ゆったりと過ごさせてもらうのだった。
 




