関東大震災
時は流れて、大正十二年の九月になった。
私は森の奥の我が家で、今日の昼は何を食べようかなと、呑気に献立を考えていた。
だがそこに突然、居間に設置されている無線機から不気味な警報音が鳴り響く。
「嘘! もしかして特別警報!?」
警報の次は、間もなく地震が起きるので、とにかく慌てず騒がず、落ち着いて避難するようにといった内容が流れる。
これが実際いつ実装されたのかは良く覚えていないが、日本は年中災害に遭うので、いざという時の備えは必要だ。
「どどどっ! どうしよう! まさか東京に地震が来るなんて!」
そして私は避難訓練はした経験はあるが、現実に起きたらとても平静ではいられない。
だがとにかく行動しなければと、緊張しながらも駆け足で台所に向かい、ガスの元栓を急いで閉める。
他に何かやることはと考えて、次は電気のブレーカーを落とそうと決めたところで、突然地面が揺れた。
「……あっ!?」
小走りに廊下を移動している途中だったが、私はすっ転ぶことなく器用にバランスを取る。
だが念の為に体を低くして座り込み、頭の上に手を当てて狐耳を隠した。
幸い揺れはすぐに収まったし、家が倒壊することはなかった。
しかし昔から地震は、第二波からが本番と言われている。
今のうちに家の中で昼寝をしていた狼たちを引き連れて、外に避難した。
家財道具を持ち出しても良いが、私はかなり慎ましい生活をしている。
もっとも価値があるのは、職人が手掛けた桐箪笥やカラーテレビといった、かなり大型の物になるだろう。
狐っ娘なら抱えて移動するのは可能だが、もし倒壊しなかった場合に元の場所に再設置するのが面倒だ。
それにぶっちゃけ、なくても平穏に暮らすだけなら困らない。
今回は時間もないことから、置いていくことにする。
外に出た私と狼たちは、家の庭に生えている一番大きな木の下に集まった。
すると全員が木陰に入ったと同時に、第二波が到来する。先程とは比較にならないほどの大きな揺れだ。
地面に深く根を張っている木々は大丈夫そうだが、我が家を見るとグラグラ揺れていた。
「はわわっ! さっきよりも揺れが大きい!」
それでも、流石は宮大工の匠の技だ。
我が家は揺れても土台はびくともせず、振動を上手く受け流している。
なお、家の中は物が散乱して後片付けが大変そうだ。
それでも倒壊は免れるので、そこだけは安心であった。
しかし我が家が大きく揺れたということは、きっと東京の被害は甚大だ。
現に第一波から電気が使えなくなっているので、ライフラインに深刻なダメージを受けたのは、想像に難しくない。
過去三百年に渡り、耐震と耐火性能の高い建築技術を推進してきた。
それでも家屋や施設には耐用年数というものがあり、やはり大地震により倒壊する建物も多く出ることだろう。
そこで、私は気づいた。
もしかして今のが前世で聞いていた、関東大震災なのかも知れない。
「でも、それが今さらわかったところで──」
関東大震災で私が知っていることと言えば、東京で起きた大地震と、深刻な被害に見舞われたことだけだ。
しかし日時は不明でも東京に大地震が来ることは知っていたし、そのことについても国民に伝えていた。
幸いなことに、発生の直前に特別警報が鳴り響いた。
一分にも満たない時間的猶予だが、避難や停車が間に合う人もいただろう。
そしてウジウジ悩んだり考え込むのは、私らしくない。
たとえ東京で大地震が起きても、決して足を止めずに、今出来ることをやるために動き出す。
「私は日本の最高統治者なんだし、何もしないわけにはいかないよね」
たとえ中身は元女子高生だとしても、国民にとっては稲荷神(偽)だ。
日本の最高統治者でもあるので、一人でも信じてくれている限り、期待を裏切るような真似はできない。
ならば私なりの、今できる最善を尽くそうと心に決める。
そうと決まれば善は急げだ。早速近くに居る狼たちに声をかけた。
「貴方たち、外に出て困っている人たちを助けてあげてね」
「「「ワオーン!!!」」」
聖域の森の奥で一斉に遠吠えすると、私の家族が続々と集まってくる。
彼らは賢いので、あとは現場で臨機応変に対処してくれるだろう。
そして私はと言うと、狐耳を澄ませて聖域の森の外へと疾走していく。
昔は稲荷大社に災害対策本部を設置して、そこでお飾りの指揮を取っていた。
だが今は、国会か各県の市役所が個別に対策を行える。
これも民主主義国家になったおかげだ。
「いつもなら炊き出しをするところだけど。今優先すべきは、こっちだよね!」
聖域の森から外に出た瞬間に跳躍して、稲荷大社を囲む大きな堀を軽々と飛び越える。
これをやるのも、江戸で大火事が起きた時以来だ。
着地地点の道路は昔は数人ほどだったが、今では何十人という民衆が居た。
彼らは空から降って来た私を見て驚愕し、大声をあげる。
「いっ、稲荷様!?」
「何故ここに!?」
「外は危険でございます! 稲荷大社にお戻りください!」
この対応も久しぶりだなーと、昔を懐かしむ。
だが呑気に話している暇はないので、気持ちを引き締める。
彼らの心配はありがたいが、今優先べきことはそれではないのだ。
「心配は無用です。それより私はこれから、命の危機に瀕している人々の救助を行います」
なので、こちらの用件だけを単刀直入に告げる。
「余力のある方は、手伝っていただけると──」
「「「誠心誠意手伝わせていただきます!!!」」」
私が最後まで喋る前に、大勢の志願者が名乗りを上げた。
一瞬予想外のことに驚いたが、今は引き気味になっている場合ではない。
気持ちを切り替えようとしたけど、救助活動のやり方で悩む。
狐っ娘パワーで瓦礫を退かすは当然として、今の自分ならそれ以上のことができるはずだ。
時間がないので、いつも通り行き当たりばったりの案を出して極限まで集中力を高めて、大声で叫ぶ。
「来なさい!」
すると周囲の地面が突然青白く燃えあがり、炎は寄り集まって形を取る。
狐火で作り出した大きな狼たちは、数えていないのではっきりとはわからないが、全部で百以上はいた。
「貴方たちは、逃げ遅れた人々を助けなさい。よろしく頼みますね」
「「「ワオン!!!」」」
本日二回目の号令を、狼たちにかける。
周囲の人たちが驚いているのは気づいているが、説明している時間はない。
とにかく狐火で作り出した狼たちが各方面に走り去っていくのを見送り、気を取り直して大きな声を出す。
「大きい瓦礫は私が退かしますので、皆さんは周辺の安全確保、そして人命救助を頼みます」
「「「お任せください!!!」」」
本当は一般市民ではなく、近衛や側仕えに声をかけるべきだ。
しかしあいにくそんな時間はないし、現状は猫の手も借りたいほどに切迫していた。
それに狐火の狼など前代未聞で、すぐに私だと気づくはずだ。
遅かれ早かれ駆けつけると信じて、今は自分ができることを優先する。
「まずは、あちらの倒壊したビルから行きます!」
とにかく、案ずるより産むが易しである。
狐耳を澄ませると、至るところから助けを求める人々の声が聞こえてきた。
なので私は、やる気十分な志願者たちを引き連れて、一目散に現場に向かう。
「行くぞー!」
「稲荷様のために!」
「俺たちで力を合わせて助けるんだ!」
元は数階建てのビルだったようだが、今は完全に倒壊して瓦礫の山になっている。
そこに私は、真っ直ぐ突撃した。
協力者の皆には、瓦礫を移動させるための場所の確保、またはどれから片付けたら良いのかの指摘、人命救助など、やるべきことはたくさんある。
それこそ脳筋ゴリ押ししか取り柄のない私とは違い、各々の能力と個性に合わせて的確な仕事を行ってもらう。
「よいしょ……っと!」
「稲荷様! 瓦礫置き場を確保しました!」
「ありがとうございます! 危ないので離れていてください!」
狐っ娘の体に何処にそんな力があるかは不明だが、巨大なコンクリート片を軽々と持ち上げる。
そして、いちいち運んでいては時間が足りなくなるため、豪快に放り投げた。
狙った場所には百発百中であり、狐っ娘だからこそ可能な投擲だ。
射線上から退避し、衝撃で周囲の建物が倒壊しないようにと、位置取りを良く考えてくれているようで幸いだ。
「要救助者を確認! あとはお任せします!」
「了解致しました!」
大きな破片をあらかた取り除いた私は、小さな瓦礫と人が通れるほどの隙間を確保した。
この場にいる協力者、または狐火の狼たちに任せる。
実際に巨大な狼は気体と固体を使い分けているようで、どんな狭くてもスルリと内部に入っていく。
さらに要救助者をパクリと飲み込んだまま安全に移動できて、瓦礫を粉砕するパワーもあった。
体内はどうなっているのか良くわからないが、消化されることなく適温に保たれているようだ。
とにかく近衛や側仕え、または政府の関係者や自衛隊がすぐに駆けつける。
これなら混乱はなさそうで、的確な指示を出せる。
だが私には、立ち止まって考えている暇はない。
他にも助けを求めている大勢の人たちがいるので、急いで次の現場を目指して駆け出したのだった。
後日談となるが、関東大震災が起きてから十日間、私は不眠不休で瓦礫の撤去作業を行っていた。
水も食事も摂る必要はなく、疲れもしない狐っ娘は、こういう時に便利だ。
それでも時々、おにぎりとお茶を差し入れてくれる人々の気遣いを断ってはいけないと思い、その場はお礼を言って数分だけ休ませてもらった。
だが狐耳が無駄に優れているため、人々の嘆きや悲しみ、苦しみなどが絶え間なく聞こえてくる。
とにかく体を動かしていないと、どうにも落ち着かなかったのだ。
自衛隊も重機で瓦礫を撤去できるが、自分がやったほうが効率が良く、手っ取り早い。
さらに、狐火で作り出した彼らだけでなく、聖域の森から出てきた狼たちも大活躍した。
鋭い嗅覚や聴覚を使って、警察犬のように要救助者を見つけ出す。
人の言葉を理解するので、意思疎通も可能だ。
流石は稲荷神様の眷属だと、人々から大いに称賛を受けることになる。
そんなこんなで働き詰めのまま十日が過ぎて、とうとう助けを求める声が来こえなくなってしまった。
全員を救助したのではない。
当然のように、間に合わなかった人も居る。
それでも、自分がやれることは全てやったつもりだ。
「少しだけ、休みますね」
肉体は全く疲れていない。しかし精神的には限界だったのか、大きな溜息を吐きながら呟き、狐火の狼たちを全て消した。
そんな明らかに元気のない私を気遣って、側仕えが声をかける。
「稲荷様、あまり気に病まないでください」
「心配してくださって、ありがとうございます。ですが、私なら大丈夫です」
そう言って、トボトボと稲荷大社に帰る。
一緒に引き上げてきた狼たちと共に、十日ぶりに我が家に帰ってきた。
家の中は物が散乱していると思ったが、どの部屋も綺麗に片付けられている。
きっと留守中に稲荷大社の人たちが、掃除してくれたのだろう。
「明日から、……また頑張るから。今だけは──」
今日は、何もする気が起きなかった。
お風呂も入らず食事も摂らずに、真っ直ぐ寝室に向かう。
そして、すぐに布団に潜り込んだ。
家族の狼たちも慰めてくれるようで、近くに寄ってきた。
優しく招いて身を寄せ合い、私は夢の世界に旅立ったのだった。
次の日の早朝に目を覚ました私は、避難場所の一つである稲荷大社に向かう。
いつもの炊き出しに精を出す。
過ぎたことをウジウジ引きずるのは性に合わない。
側仕えが出してくれた朝食でお腹を膨らませて、強引にでも気持ちを切り替える。
そして被災地で苦しむ皆のために、割烹着を着て大鍋をかき混ぜる。
マスコミの取材を笑顔で受けながら、それで国民の元気が出るならと、思ったことをハキハキと答えていく。
とにかく日本の最高統治者として、今自分に今できることをやっていこうと、炊き出しを頑張るのだった。




