松平さんの相談
場を仕切り直した私だったが、緊張していると本来の段取りの一つや二つすっ飛ばすことは良くある。
口には出さないが、別に気にしていないそんな雰囲気を発して、来客に自己紹介を促した。
「これは失礼致した! 拙者は本多忠勝と申す者でござる!」
「私は松平元信です」
「酒井忠次と申す」
「榊原亀丸です。どうぞよしなに」
「我は……」
彼ら以外にも、その後十人近く聞き覚えがあるような、ないような名前が続く。
小さな社務所に十四人も入ると狭く感じるし、全員が畳の上にあがっているのだ。
大部屋のあちこちに視線を彷徨わせながら、全身が見えるわけじゃないし名前を覚えるのは難しそうである。
私は人物を覚えるのは無理だと諦めて、その場の流れで話を先に進めることにした。
「自己紹介が終わったようなので本題に入りますが、皆さんは何故ここに来たのですか?」
まさかこんな寒い冬の日に、参拝目的で山を登ってきたとは思えない。
確かに最近のお稲荷様ブームを考えれば、一部の信者にとってはそれも十分にあり得るのだが、それで冬山登山はやっぱりない。
私が明後日の方向に思考を巡らせていると、松平さんが何やら覚悟を決めたように深呼吸をした。
続いて、思い切って口を開く。
「実は稲荷神様の御力を、ぜひともお貸しいただきたく──」
「お断りします。地上の争いに関わるつもりはありません」
社務所に集まった者たちが皆、驚いた顔をする中で、私は続きを話していく。
「もはや神々の時代は終わったのです。
もし地上の争いを静めたいのならば、貴方たち人間が何とかしなさい」
つまり私は関わるつもりはないよと、そういうことだ。
できればこのまま老衰でポックリ行くまで、お稲荷様(偽)を演じて山奥に引き篭もり、平穏に暮らしたい。
今の見た目は十にも満たない小娘で、今が戦国時代のどのぐらいかは知らない。
それでも運が良ければ江戸時代までは生きるはずだ。
もし松平さんに協力して、私に何かメリットがあるのかと考えると、パッとは思い浮かばなかった。
ついでに戦に参加して傷ついたり死ぬのだけは嫌なので、全力で回避の方向に舵を取る。
「たっ、確かに、この度の戦の原因は人間にありますが……!」
てっきり最初は本多さんが代表かと思ったが、よく見ると松平さんがこの場の最高責任者のようだ。
まだ小さいのに一生懸命頑張る姿に、何となくだがこの先も凄く苦労するだろうなと、そんな予感がする。
「お願いします! どうかこの松平元信に! 稲荷様のお力をお貸しください!」
彼の真摯な態度にお仲間さんたちも同意なのか、皆も次々と私に向かって頭を下げる。
何だかその場の雰囲気で、こっちが悪者のような気がしてしまう。
だが狐っ娘の中身は、平凡な元女子高生だ。
戦国時代で松平さんを必ず勝利に導ける保証はないし、今は自身の身の安全を確保するのが精一杯である。
ぶっちゃけ手を広げる余裕なんてない。
もっと言えば歴史の表舞台に立つと常に見られる立場になるため、うっかり本物に神様ではなく偽者だとバレかねないのだ。
なので私にとってはこのまま山奥に引き籠もって、人前にはあまり顔を出さないほうが都合が良い。
もちろん直接口に出したりはしないが、松平さんには何か良い言い訳を考えないといけないので、即興で私なりの答えを口に出す。
「頭を上げなさい」
「……はい」
「先程も言った通り、私は人の世に直接干渉するつもりはありません」
「……そうですか」
悲しそうな顔をして助けてあげたくはなるが、立場的にそうするわけにはいかない。
何しろ自分は強いが別に戦いは好きじゃないし、大軍相手に無双できる自信は全くなかった。
かかってこい! 相手になってやる! と意気込んでおいて、けちょんけちょんにやられて逃げ帰ったら恥ずかしいどころか、神様としての信頼と実績が大暴落して妖怪認定待ったなしだ。
それに痛いのも苦しいのも御免こうむるので、極力戦闘は避ける方向に持っていきたい。
なので私が安心して外を出歩けるようになるのは、徳川家康が江戸幕府を開いてからだ。
天下泰平の世が訪れれば治安が少しは良くなるし、国同士の大きな戦も殆ど起きない。
とにかく今はまだ、その時ではないのだ。
ゆえに私は、妥協案を口にする。
「直接手は貸しませんが、この場で助言を与えることはできます」
「そっ、それでは!」
「ですが毎日来られては、はっきり言って迷惑です。
と言うか、できれば来ないでください。冬山登山はとても危険ですので」
私の駄目出しを受けて、一瞬元気になった松平さんが再びしょんぼりと項垂れる。
お仲間さんたちも皆、苦笑を浮かべる。
「なので早く、私に会いに来る必要がない、平和な世にしてくださいね。
松平元信さん」
ニッコリと微笑んで松平さんを後押しすると、彼も私の意図に気づいたようだ。
ハッとした顔になり、次に自信たっぷりに宣言した。
「稲荷神様! この松平元信が! 必ずやり遂げて見せましょう!」
元気が出たのは良いことだが、最終的に天下を取るのは彼ではなく徳川家康だ。
三河国では松平家は珍しくなく、将来的にはその中の誰かが出世するのだろう。
そのぐらい頭の悪い私にもわかるが、目の前の少年はまだ若くて未熟だ。
あとは三河国の殿様が、正体不明の狐っ娘にわざわざ会いに来たりはしない。
自己アピールはしているが極めて狭い範囲なので、腰の軽さから殿様ではなく家臣ではなく、十中八九で徳川家康とは別人だろう。
だがあれこれ考えても、私は彼のことを大して知らない。
日本史の成績も悪いし、未来を先読みしての的確な立ち回りは全く期待できなかった。
それでも前世の知識や経験で、飢饉や天災で人が大勢死ぬのを抑えたり、平和のために貢献することはできる。
たとえ歴史が変わってしまったとしても、自分が狐っ娘として転生した時点で既にズレは起きているのだ。
今さら気に病んでもとっくに手遅れだし、亡くなったあとのことを気にしても仕方がない。
もっと言えば頭脳労働は苦手で、基本的にその場のノリで行動するのが私である。
ただそれでも、目の前で困っている人が居たら助けるし、悪人は捕まえる。
聖人君子ではなくても、悪事に手を染めるのを躊躇うぐらいの良心は、持っているつもりだ。
そして松平さんだが、態度には気をつけているので知的に見えなくもない狐っ娘を、憧れの眼差しで真っ直ぐに見つめてきた。
「それでは稲荷神様! 実はさっそく相談したいことが!」
「えっ? 早速ですか?」
「はい! 三河は現在、非常に不味い立場に立たされており、もはや一刻の猶予もございません!」
いきなり相談とは恐れ入った。
しかも中身が普通の女子高生の私にとって、頭の痛くなる問題だ。
なおこれに関して、話が長くなったので簡単にまとめる。
まず今は永禄三年で、織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ったばかりだ。
だがそのせいで、松平さんを取り巻く状況が大きく変わる。
何でも今までずっと、今川家に人質として預けられていたらしい。
三河に帰ってこれたのはつい最近で、義元が討ち取られたドサクサに紛れて帰国した。
ちなみに人質交換は、別に珍しくない手法のようだ。
現代の価値観の違いに驚きつつも、足りない頭で一生懸命考えるのだった。
色々と話を聞いて重要な点を上げると、三河国は長らく今川家の支配が続いていた。
前世でいう植民地のような扱いで、敵対している織田家の防波堤としても便利に使われていたため、そりゃもう国としてあちこちガタガタの酷い有様だ。
まあ元々、織田家と松平家と仲が悪くてしょっちゅう戦が起きていたし、むしろ今川家が兵力や物資を貸してくれたりとか、そういった扱いは時と場合によって変わるので一概には言えない。
重要なのは松平さんが三河国に帰ってきたのは良いが、周辺諸国との関係や内部構造も含めて余談を許さない状況ということだ。
「三河はまだ、今川家の支配から抜け出せていないのです。
なので足利将軍家に名馬を贈り、独立を認めてもらおうと──」
足利将軍家なら、歴史に疎い私でも知っている。
私は条件反射的に口を開く。
「残念ですが、幕府に頼っても徒労に終わりますよ」
何せこの後は、室町幕府を賭け金にした、血で血を洗う闇のゲームが始まるのだ。
どうせ贈り物をしたところで、口を出してもらう前に終わりそうだと、そんな気がした。
ちなみに内情について知っているのは、歴史の先生が話す雑学が面白かったからだ。
年表とは関係ないので、テストの点数が上がるわけではない。
だがドラマチックだったから、私の頭の中にスルリと入ってきた。
けれど知識は穴だらけで相変わらずの赤点だったが、それでも今現在は役に立っている。
田舎の付き合いで割と頻繁に手伝いに行かされた経験も含めて、世の中は何が活用できるかわからないものだ。
なお、松平さんは幕府とは将軍が住む館のことで、足利将軍は大樹と呼ばれていると教えてくれた。
そこで私は咄嗟に、高天ヶ原では幕府と呼ばれているのですと、取り乱しつつ大声を出して何とか納得してもらう。
正直、稲荷神が偽物だとバレるのではないかとヒヤヒヤしたが、強引にでも押し通せて良かった。
まあ、それはそれとして松平さんが話を元に戻す。
「あっ、あの、それで大樹に頼っても徒労に終わるとはどういう?」
「えー……コホン! 今の室町幕府に、今川家を抑えるほどの力は残されていません」
もし力を借りるなら、最有力候補者は織田信長だ。次に豊臣秀吉。最後に徳川家康の三名である。
特に家康さんは、三百年間日本の平和を保つ土台を築いたので、本当に凄いと思う。
だがしかし、徳川家が何をやってどう成り上がったのかは覚えていない。
何しろ戦国時代は織田信長や豊臣秀吉の名前ばかりが、バンバン出てくるのだ。
それに先程、松平さんが織田信長が今川義元を討ち破ったと言っていた。
少なくとも今の時代は彼は存命だとわかったので、時流を読んで取り入るのが賢い選択だ。
「もし他国を頼るのならば、尾張の織田信長にしたほうが良いですよ。
彼は今後、破竹の勢いで勢力を伸ばすでしょう」
「織田信長でござるか。桶狭間で今川義元を討ち取ったらしいが」
本多さんが顎に手を当てて考え込む。
私としては三河の隣が尾張だと聞いて、これしかないと太鼓判を押す。
織田信長は最後に本能寺で退場するが、その前にも凄いことを色々やってる人だ。
もし頼るなら彼が最有力候補であり、自分の歴史知識が浅いせいで戦国武将の名前がうろ覚えで、きっとろくな案は出てこない。
「尾張の……織田信長」
しかし、松平さんの表情は暗い。
私的には織田信長が優良物件だと思うし、一体何が不満なのかと首を傾げる。
「稲荷神様に、そこまで言わせる男ですか。……それに比べて私は」
どうやら織田信長と比べてしまって、自己嫌悪に陥ったようだ。
隣の国なのでなおさら気になるのはわかるが、私はどうしたものかと考える。
「松平さん。今は我慢の時です」
「我慢の時、ですか?」
「はい、織田信長が成鳥だとすれば、松平さんはまだ雛鳥です」
この先は言わなくても察してくれるだろう。松平さんもいつかは良いことある。……とは言えないが、未来に期待するのだ。
なお、私はこれから彼が大成するかは知らない。
でもそれとなく励ましたことで元気が出たのか、松平さんは顔を上げた。
「私もいつか、稲荷神様に認められる男になりたいです」
「松平さんなら、きっとなれますよ」
「はい、私もそうなるように努力します」
無責任にも程があるが、取りあえず言ったもん勝ちである。なので、松平さんを笑顔で応援しておく。
本多さんやその他数名が、ぐぬぬと悔しそうな顔をしている。
そちらは見なかったことにしたが、ロリペタ狐っ娘の声援がそんなに欲しいものだろうかと、私は小首を傾げた。
なお、この日は相談が長引いて夜になってしまった。
元々登山の疲労も溜まっているし、すぐに立つのは難しい。なので我が家に一泊し、出発は次の日の朝となる。
その結果、何故かどんちゃん騒ぎの宴会となってしまう。
冬の蓄えの半分近くが、一晩で消えてしまった。
後日、何らかの形で補填するのでと平謝りしてくれたので、貸しにさせてもらった。
だが冬場に食料を求めて外に出るが、今後は計画的に使わなければいけない。
仕方ないので彼らをそのまま送り出すのではなく、私も同行させてもらった。
いくら吹雪が止んだとしても、冬の山を舐めてはいけない。
他の季節よりも遭難する可能性が圧倒的に高まっているので、狼たちを連れて麓に無事に辿り着けるように、慣れている私が道案内をするのだった。




