新しい家族
目が覚めた私は寝ぼけた目を擦りながら、ゆっくりと体を起こす。
鏡がないのでわからないが、昨日はみっともなく大泣きしてしまったので、目が赤くなっていないか心配だ。
しかし寝起きで多少ぼんやりしている以外は特に異常はなく、老夫婦は出かけているのか姿は見えず、周囲に人の気配はない。
私は取りあえず大きく息を吸ったり吐いたりして気持ちを落ち着け、木枠の窓から差し込んで来る太陽の光を眺めながら、あることを思い出す。
昨日の山の様子や田園風景から考えて、今の季節は多分夏だ。
それに永禄と言っていたので、時代は戦国だろう。
ただし歴史のテストが毎回赤点で苦手だった私は、その年代に何が起きたのかはさっぱりわからない。
なので現時点でこれ以上考えても仕方ないと息を吐き、私が寝ている間にかけてくれたと思われる麻の服を横に退かし、丁寧に畳んで軽く伸びをする。
時計がないので何とも言えないが、きっと朝が早いのだろう。
私が寝過ごした可能性もあるけど、木枠の窓から差し込む光はまだ弱くて気温も涼しく、直感だが午前なのは間違いなさそうだ。
そんなことを考えていると、私のお腹が可愛らしい音を鳴らす。
「……お腹空いたな」
昨晩の記憶を辿ると、夜中に招き入れてくれたあとは、私が眠るまで二人はそばに居てくれた。
大泣きして精神的なストレスを発散したおかげで落ち着いたが、物を食べた覚えはない。
睡眠だけでは肉体的な休息は不十分で、お腹が空くのも無理はなかった。
片手をお腹に当てて、再び何かないかと辺りを見回す。
すると少し離れた場所に、木枠のオボンが置かれているのを見つける。
私はよっこらしょと立ち上がって、ノソノソと歩き出して確認視させてもらう。
「あっ、お粥だ」
木製のオボンの上に置かれた欠けた茶碗には、お粥がよそってあった。
精神的な色々限界だった私を気遣ってくれたのかはわからないが、弱った胃にも優しいのでとても助かる。
座布団がなかったのでゴザのようなものの上に座り、一緒に置かれていた箸を手に取った。
きちんと正座してから、いただきますと手を合わせる。
「ん、冷めてる。でも……美味しい」
空腹のおかげもあるが、きっとおじいさんとおばあさんは自分のために作ってくれたのだ。
そう考えると、また涙が溢れてしまう。
ちょっと塩っぱい味になったが、美味しかったので問題なしだ。
品種改良されてないので未来とは色も味も異なり、玄米で消化や質が悪くても気にならない。
鏡はなくても白湯に映った自分の姿は、胸まで届く狐色というより金に近い艷やかな長髪をなびかせた、紅白巫女服を着た10歳ほどの幼女であった。
瞳の色はちょっとだけ赤が混じった茶色で、容姿は大変可愛らしい。
それはそれとして、やがて食事を終えてお腹が膨れると、何はともあれ元気は出た。
箸を置いてごちそうさまでしたと告げた後、腕を組んでこれからのことを考える。
普通なら元の時代への帰還を目指すべきだ。
しかしそのための手段に、まるで見当がつかない。
一番可能性が高いのが、最初に自分が倒れていた朽ち果てた社だ。
だが出発前には怪しい場所は見当たらなかったし、もし帰れても人間の姿と記憶が戻る保証はない。
もっと言えば狐っ娘の姿に転生して、超常能力を得た代わりに記憶だけでなく戸籍も失った私が、現代日本でまともに生活できるはずがなかった。
そもそも元の時代と場所に帰れる保証が全くない時点で、この計画は失敗に終わる可能性が非常に高い。
もういっそ帰還するのは諦めて、この時代で生きていくことを前提に行動するべきかも知れない。
「でも狐っ娘幼女だし。何より頭そんなに良くないからなぁ」
しばらく腕を組んで、ウンウンと唸って色々と考えてみる。
だが自分は元々考えるより先に体が動いていたり、口や手が出てしまう脳筋であった。
全くと言っていいほど、名案が浮かばない。
「駄目だー。今後の計画はあとにして、一先ず状況を整理しよう」
現時点でわかっているのは老夫婦の会話で今の私は狐っ娘、つまりお稲荷様の化身に見えることだ。
さらに身体能力が大幅に向上しており、自由に大きさと温度を調整できる狐火も出せる。
まあそれで何ができるかと言うと、パッとは思い浮かばないのが私の駄目なところだ。
ぶっちゃけどれだけ強くても、別に戦うのは好きではない。
下手に喧嘩を売って妖怪として退治されるのはごめんだし、前世の私は歴史の成績がとても悪かった。
織田信長や豊臣秀吉、徳川家康等の有名武将の名前ぐらいしか知らず、彼らにどんなドラマがあったのかは、全く記憶に残っていない。
永禄という年号から、戦国時代だと気づけたのは、まさに奇跡だ。
ここまで状況を整理した私は、薄汚れた天井を見上げながら大きく溜息を吐く。
「とにかくまずは、衣食住の確保が最優先かな」
そもそも衣食住が揃ってなければ、行動を起こすのも一苦労なのだ。
前世の未練である家族や友人が思い出せないため、最悪戦国時代に骨を埋めることになっても仕方ないと、口には出さないが一晩経った今では内心では渋々受け入れてさえいた。
今後の方針が決まったので、取りあえず立ち上がって茶碗と箸を片付けようと流し台を探す。
現代社会とは勝手が違うのか、キョロキョロ周囲を見ても炊事場が見当たらない。
近い物はあるのだが、戦国時代の常識を知らない私がやって良いものかと迷いが生まれ、あれこれ考えたあとで、老夫婦が帰って来るまでその場に放置することに決める。
二人が戻って来たら改めて尋ねて、片付けを手伝えば良いだろう。
私は大きく溜息を吐き、再びその場に腰を下ろす。
すると聴覚に優れた狐耳に反応があった。
「……ん?」
外から大勢の人間の足音と話し声が、だんだんと近づいてきた。
もしかしてこの家の老夫婦が私のことを村人に教えて、妖怪退治に来たのでは…と考える。
顔色がみるみる悪くなり、少しでも情報を得ようと耳を澄ませる。
だがそれにしては殺気は感じず、何処となく喜んでいる雰囲気だ。
「どっ、どういうこと?」
私はどうしたものかと考えながらも、良い案が出ずにオロオロするばかりである。
そうしているうちに、やがて玄関の引き戸が外がガラガラと開けられ、昨日のおじいさんが顔を覗かせた。
「おお、稲荷様。目が覚めたようじゃな」
「はい、昨夜は泊めていただき、それにお粥もありがとうございます」
お粥をごちそうになったお礼に頭を下げる。
「ほほほっ、気にすることはありませぬ。……それよりも」
私は、そこで言葉を止めたおじいさんの背後を見る。
すると多分村に住んでいる住人だろうが、十を軽く越える老若男女が揃って、興味津々という表情で扉の隙間から私のことを観察していた。
「あの、……そちらの方々は?」
「うちの村の者たちじゃよ。皆、稲荷様を一目見ようとのう」
内心でマジかよとちょっと引いたが、冷静に考えれば気持ちはわかる。
昔は神様の存在が信じられていた。
狐の耳と尻尾がピョコンとはみ出た紅白巫女姿の私を、幼い稲荷様だと勘違いされてもおかしくないのだ。
(けど、正体が人間だとバレたらヤバいんじゃ?)
歴史に詳しくない私でも、神を語った者の末路ぐらいは知っている。
おまけに今の状況を見る限り、もはや手遅れと言えた。
この場に居る村人たちは皆、私のことを稲荷様の化身だと信じている。
もし否定したら、さてはオメー妖怪だなと態度が豹変し、討伐対象待ったなしだ。
そもそも狐耳と尻尾が生えた人間など居るはずがないうえ、超常能力にも目覚めているので弁明不可能である。
(どっ、どうすれば!?)
私は足りない頭をフル回転させて、どう対処するかを必死に考える。
まずいくら信頼関係を築いても、中身が現代の女子高生などとは口が裂けても言えない。
この事実は決して公表せずに、墓まで持っていくのは確定だ。
そして妖怪だと疑われるのを極力避けるため、この場は人間の味方アピールをしておく。
私は少し緊張しながら村の人たちに微笑みかけ、右手を軽く前に出す。
「一応、狐火は灯せますよ」
「「「おおー!!!」」」
右手を前に出して熱くない青い炎をパッと灯した。
当然のように、村人たちの表情は驚きに変わる。
自分としては灯りや種火代わりしか思いつかなかったが、稲荷様ロールプレイとして信用を得るには便利そうだと実感した。
神様を語って騙した罪は重いが、そうしないと最悪この場で殺されるので致し方ない。
緊急事態的な措置だから、本物の稲荷様もきっと許してくれると、心の中で謝罪する。
「稲荷様は、やはり山の社から来たのでしょうか?」
村人からの質問に、不審な点がないように良く考えながら丁寧に答えていく。
「はい。山の社で合っています。
しかし帰れなくて困っているので。しばらくの間、村に置いてもらえればと──」
昨晩は本当の幼子のようにワンワンと大泣きしたので、私が家族と離れ離れになり、元の世界には帰れないのは既に知られている。
ならばあとは適当なカバーストーリーをでっち上げて、稲荷様っぽく振る舞えば、取りあえずの辻褄は合う。
幸い今の10歳ほどの幼女体型なら、物心がついてすぐに地上に来たという言い訳ができる。
向こうのことは殆ど覚えていないとはっきりと口にすれば、簡単に誤魔化せるはずだ。
ある意味、子供で助かったと、ホッと胸を撫で下ろす。
村人たちが大勢で何やら話し合っているのを横目に、私の表情こそ穏やかだが、もし断られたらどうしようと、内心ではかなり緊張していた。
何しろ右も左もわからずに後ろ盾も何もない世界に、いきなり放り出されたのだ。
おまけに神様と妖怪は見た目では判断し難く、いつ態度が豹変して斬り捨てられてもおかしくない。
そんなハラハラした状況がしばらく続き、やがて集団の中から一人がこちらに進み出て、笑顔で口を開いた。
「我々は構いません。むしろ稲荷様にこの村に住んでもらえて、感謝したいぐらいです」
他の村人も皆好意的らしく、にこやかな笑顔であった。取りあえずは許可が取れたので私は心底安堵し、しばらくの間は村に住まわせてもらえることになり、一歩前進だと態度には出さないが喜んだ。
とにかく少しずつでも、戦国時代で生きていく術を身に着ける。
そして地盤を築いていかなければ、あっという間にあの世行きだ。
詳しいことは知らないが、今の日本では毎日のように戦が起こっている。
まさに生き地獄という時代だったはずだ。
自分はそもそも戦うのは好きではないので、なるべく平穏に暮らすために稲荷神っぽく演じる。
人を騙すのは悪い気がするしバレたときが怖いが、もう誤解されているので今さら修正不可能だ。
それに多少なりとも村の人たちの役に立って働き口を確保すれば、生活用品を分けてもらえるかも知れない。
いわゆる持ちつ持たれつという関係で、両方に得があれば問題ないよねと、私は足りない頭であれこれ考えるのだった。
お稲荷様(偽)である私が何処に住むかだが、山の中腹にある社の近くが良いのではないかと、村人たちは満場一致でそのように決まった。
自分としては普通に村の一員として住まわせてくれればいいのだが、神様は人間よりも遥かに格上な存在である。
特別扱いしないと世間的に不味いようで、言われてみればもっともだ。
それに前世の地元でも、神職以外が御神体を直接拝むと目が潰れると言い伝えられていた。
お稲荷様(偽)と村民の距離が近すぎるのも、信仰上で色々問題なのだろう。
もっと言えば村人に常に見られていたら、ボロが出ないように常に気を張り続ける必要があり、気疲れしてしまう。
人間だとバレたり妖怪認定されたら、斬り捨て御免の外見をしているで、どうしようもない。
だがそういった危険が避けられるなら、むしろ良いことだろう。
しかし神様としていざ頼りにされても、私にできることは少ない。
元々頭があまり良くないうえに、人並み外れた身体能力と狐火ぐらいしか能力がないのだ。
雨乞いや豊作を祈願されてもどうにもやりようがなく困ってしまうので、どうか頼まれませんようにと内心で切に願った。
「稲荷様! これでどうでしょうか!」
麓の村の衆が総出で、山の中腹にある社の境内の下草を刈り、稲荷様の御神体が安置された本殿のすぐ横に、掘っ立て小屋(社務所)を建ててくれた。
「ありがとうございます。皆さんのおかげで、本当に助かりました」
「いえいえ! 五穀豊穣の神様である稲荷様を祀るのは、当然のことですから!」
ここまで一週間という短期間で完成したが、有り合わせの木材を使ったので、継ぎ接ぎだらけで隙間風は吹き込むし、見た目もオンボロだ。
地震が来たらすぐに崩れそうだが、何より無料なので贅沢は言えない。
今は夏の忙しい時期でもうすぐ稲の収穫が間近だ。そんな時に豊穣の神である稲荷様がひょっこり現れたのだから、縁起を担ぐという点では重要なのだろう。
私を手助けすれば豊作祈願は間違いナシと思っている知れないが、昔ながらの大工仕事の経験がない現代の女子高生にとっては、非常にありがたい。
取りあえず仕事を終えて麓に下りていく大勢の村人たちを、笑顔で手を振って見送るのだった。
「さてと、……これからどうしよう」
立て付けが悪くガタつく玄関の引き戸を開ける。
入ってすぐの右手にカマド、左に倉庫、正面には一段高い畳の大部屋に家財道具の一切が置かれ、部屋ごとの仕切りがなく、窓も木枠で外から丸見えの状態のあばら家の敷居をまたぐ。
土間に下駄を揃え、村の皆で古い畳を出し合ってくれたようだ。
上にあがらせてもらい、さらにペラペラの煎餅座布団を敷く。
ちなみにコレは私の自作だ。
村では藁やイグサを編んだ茵や円座が一般的で、袋の中に綿を入れる座布団は流通していなかった。
なので村民がせっせと家を建ててくれている間に、自分は裁縫仕事を頑張って座布団と布団と枕を作成したのだ。
しかし綿が高級素材で村になかったので、乾燥させたそば殻を入れたり麻を足して厚みを増したりと、涙ぐましい企業努力をすることになる。
そっちも割とお高い素材なのだが綿よりはマシで、そば殻の枕は実家の祖父母が愛用していて、形状や管理方法などは心得ていた。
どんな容姿をしていたかは全然思い出せなくても、何があったかは覚えているのは不思議なものだ。
それに学校で裁縫をしたこともある。
今の時代はミシンがないから手縫いで苦労はしたが、狐っ娘の身体能力はかなり高い。
最初はおっかなびっくりで戸惑いはしたが、慣れている人に教えてもらいつつコツを掴むと、後半は割とスイスイと縫えてしまった。
少しでも世話になった恩を返そうと、余った時間で試行錯誤を重ねて老夫婦や村民たちの分も作って提供したが、やはり時間も素材も足りずに大した数は作れない。
なので受けた恩を、全て返しきれなかった。
でも今後も持ちつ持たれつの関係が続くのだし、これからお世話になりますと挨拶代わりの手土産にはなっただろうから、少しは村民の役に立てたと思いたい。
それはそれとして、私は中央の囲炉裏の前に敷かれた煎餅座布団に、よっこらしょと腰を下ろして一息つく。
本来は格式高く、高位の僧侶や高貴な人のみが使用を許されているらしいが、未来を知る私にとっては庶民も普段使いしている煎餅座布団である。
麻を追加して厚みを増すなど工夫しているが現実はペラペラで、個人的に何も敷かないよりはマシ程度の弾力という厳しい評価だ。
なので割と切実に綿花が欲しくなったので、村の人にそれとなくお願いしておいた。
続いて周囲を見回して家具などを確認しつつ、現状について口に出して整理していく。
「生活用品一式は全部中古だけど、村の人たちからタダでもらえた。
食料も置いていってくれたし、湧き水も年中凍らずに流れてる。
水の心配がいらないのは、本当にありがたいね」
本来は稲荷様のお祈り前に、汚れた手を清めるのが主な使用目的だ。
しかし別に飲めないわけではないし、山の中腹に登ってくる村人たちも普通にガブガブ飲んでいた。
社の近くの崖には、木枠の管を岩盤の隙間に突っ込んである。
そこから自然に湧き出てくるので、この時代の井戸水よりは腹を下す確率は低そうだ。
まあ狐っ娘が腹痛を起こすかは不明なのは、一旦置いておく。
「あー……お風呂入りたいなー」
目の前まで迫っていた危機を回避したことで、少しだけ心に余裕が生まれる。
今までは緊急ということで、横に置いていた雑念がひょっこり顔を出す。
一応薪はもらったが、カマドで火を起こすのが精一杯の量だ。
一から十まで狐火で代用しようにも、使い慣れないうちは火力調整が難しいので、下手をしたら桶や家が焼けてしまう。
「そもそも五右衛門風呂もないしなー」
煎餅座布団に座って腕を組んで考えるが、相変わらず足りない頭では良い考えが浮かばない。
しかし現代の女子高生としては、毎日お風呂に入って体を洗わない生活は、とてもではないが耐えられない。
だが戦国時代は、木材資源の全盛期だ。
鍛冶職人に大釜を作ってくれと頼み込んでも、何処をどうすれば五右衛門風呂ができるのかがわからない。
鉄などの鉱物資源も貴重だろうし、加工も大変だ。
さらに先立つものがない。
下手に無理を通すような要求をすれば、怒り狂った村人に住処を追われるだけでなく、討伐隊を送られて斬られるかも知れない。
ここまで考えた私は溜息を吐き、まずは地元住民と良好な関係を築くことに決めた。
しかし、それではそれとして、やはり入浴はしたい。
「汗臭いからお風呂入りたいー。でも水浴びは嫌ー」
参道から少し外れて、傾斜を下った先には渓流が流れている。
イワナかヤマメが泳いでいて、水もとても澄んでいた。
そうなると川で水浴びするか、湧き水を桶に貯めて布の切れ端で体を拭いて汚れを落とせる。
だがやはり浴びるほどのお湯を使って、体をゆったり沈めたいと思ってしまう。
現代の女子高生のサガだが、最終的にはそこに行き着くので堂々巡りである。
「はぁ……お腹空いたし、おにぎり食べて今日はもう寝よう。……グスン」
やはり元の時代に帰れないことと、自分や家族や友人の記憶がなくなってしまったので、精神的にまだ不安定のようだ。
夜の闇に包まれても小屋の中で安全だが、山中でたった一人なのは無性に心細い。
独り言が多いのも寂しい気持ちを紛らわせるためだが、若干涙目になって鼻をすすりながら、作り置きの握り飯を小さな口に運ぶ。
村の人の心遣いを感じて多少は気が楽になる。
やがてお腹が膨れたようで、あくびをしながら畳の上で横になる。
自作の煎餅座布団を上にかけると、数分もしないうちに、スヤスヤと寝息を立て始めるのだった。
夜中に妙な物音を感じて目が覚める。
相手は足音を殺して小屋を取り囲んでいるようだが、狐耳は普通の人間よりも遥かに良く聞こえるのでバレバレだ。
おまけに夜目も効くので、木枠の窓の隙間から外の様子をこっそり伺うと、数匹の野犬の姿を確認できた。
玄関は閉めてあるので、家の中に居る限りは安全だ。
しかし現代建築と比べて耐久性に難があるため、絶対ではない。
それにこの先もずっと付きまとわれたり、参道を登ってくる村の人が襲われたら一大事だから、なるべくならこれっきりにして欲しい。
(私に退治できるかな? うーん、……何とかなるでしょ!)
元々はインドア派だが、今は村の人に混じって重い材木をまとめて担いで山道を駆け上がったり、無駄にアクロバティックな動きを披露したりと、お稲荷様の身体能力は相当高い。
それに、いざとなれば狐火がある。
山火事を起こすわけにはいかないので、低温状態を維持して空中を漂わせるだけだが、それでもびっくりさせて追い散らすことはできる。
とにかく使い道には殆どなくても、無駄にハイスペックな身体能力はとても心強い。
私が撃退方法を考えている間にも、野犬は小屋の周囲で匂いをかぎながらウロウロしている。
木枠の窓の隙間から外の様子を窺いながら、飛び出すタイミングを慎重に図る。
噛みつかれたら大変なので、家の倉庫にあった手頃な長い棒を武器にして、玄関脇に身を潜める。
「……今だっ!」
狐耳が音を拾ってすぐ近くまで接近したことを確認すると、玄関の引き戸を開けて勢いよく飛び出した。
驚いて固まっている野犬めがけて、追い払うだけなので殺さないように手加減して木の棒を振り下ろす。
「ぎゃうんっ!?」
「よし! 次っ!」
そのまま、二匹目、三匹目、山の奥に逃げようとした四匹目と五匹目までも、何故か追いつき追い越して正面に回り込む。
山中を駆け回っても息一つ切らさずに、脳天めがけて木の棒を振り下ろしていく。
そして結果的に、ワンショットスリーキルとは違うが、野犬の群れをあっという間に再起不能にすることに成功したのだった。
片付いたので逃げようとしたワンコを引きずって、一匹残らず社の前まで連れて来る。
一番最初にぶっ叩いた犬がヨロヨロとだが起き上がって逃走を企てていたので、木の棒で軽く地面を叩くと、驚いて身をすくませ大人しくなった。
その後、五匹を境内の一箇所にまとめて、私じっと見下ろす。
何だかんだで勢いで退治しちゃったけど、これからどうしようかと、頬に手を当てて考える。
ワンコは皆、恐怖のあまりガタガタと震えていた。
どうやらどちらが格上なのかを、完全に理解したようだ。
「犬なら家で飼えるかな?」
正直一人ぼっちはとても寂しいので、アニマルセラピーとして一緒に居て欲しいのが本音だ。
木の棒でバンバン叩いてしまったが、やらなきゃやられる状況だったので仕方ない。
取りあえず私は、ここで待つようにと完全に萎縮したワンコたちに告げると、一度小屋に引っ込んだ。
その後、入ってすぐ左の倉庫から鹿の肉を探し出すと、無造作に手に持って再び外に出る。
「きっと鹿肉の匂いに釣られてきたんだろうね。
食べてもいいけど、私の命令には従うこと。……わかった?」
「「「バウバウ! バウワウ!」」」
ワンコたちが必死にコクコクと頷いているので、私は手に持った鹿肉を群れの中心に放り投げると、皆で取り合うように勢い良く食べ始めた。
しかし余程空腹で足りなかったのか、あっという間に完食し、物欲しそうなつぶらな瞳が飼い主を射抜く。
「うぐっ! しっ、仕方ないなぁ! でも、今日だけだからね!」
ハッハッハ…と嬉しそうに尻尾を振るワンコたちの可愛らしさに胸キュンしつつ、私はニコニコ笑顔を取り繕うことなく、もう一度鹿肉を取りに倉庫へと向かう。
人間ではないが家族ができた嬉しさもあるのかも知れないが、とにかくこれで寂しくはなくなった。
しかし犬にしてはやけに体が大柄に見えるのだが、動物の種類にそこまで詳しいわけではない。
なので今はお肉をあげることが重要だしと、私は考えることを止めて餌やりを続けるのだった。