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プロジェクトF

 明治八年になり、カラーテレビの開発に成功した。

 すぐに量産化が始まり、日本で一番最初に我が家の居間に設置される。


 そんな、ある夏の夜のことだった。


 我が家の窓を網戸にして、涼しい風を感じながら居間で家族狼と戯れていると、何となく点けっぱなしにしていたテレビから、興味を引く単語が聞こえてきた。


 なので私は、それに思いっきり反応ししてしまう。


「今、うなぎって言わなかった?」


 視線をテレビ画面に向けると、『プロジェクトF~挑戦者たち~ この後すぐ!』というテロップが、でかでかと表示されていた。


 それを見た私は慌てて、本日の新聞を引っ張り出す。

 続けて、裏面の番組欄を念入りに調べた。


「へえー、シリーズ番組の初回なんだ」


 私が番組欄に目を通している間にも、プロジェクトFは進んでいく。

 だがまあともかく、鰻は自分の好物だ。


 取りあえず考えるのは後回しにして、台所に麦茶を取りに行く。

 作り置きしておいた麦茶を冷蔵庫から取り出していると、背後からテレビの司会の声が聞こえてくる。


「今、日本でもっとも有名な魚介類。皆さんは何を想像しますか?

 カツオ? サンマ? アジ? タコ? 正解は鰻です」


 そして愛用のマイコップも一緒に持って来て、居間のちゃぶ台の前に戻る。

 座布団に腰を下ろした。


 私は湯呑に麦茶を注ぎながら、テレビの音声に耳を傾ける。


「安価で手に入る栄養豊富な鰻ですが、完全養殖と量産化に辿り着くまでには、長く険しい道のりでした」


 自分の記憶が確かなら、前世の二千年代でも鰻の養殖はされていた。

 薬品を使えば一からできなくはないが、それでは生産コストがかかり過ぎてしまうと聞いた。


 結果的に稚魚を捕まえて育てるやり方しかできずに、絶滅危惧種になってしまう。

 だが、こっちの日本は違うらしい。


 完全養殖から量産化の流れが確立されたのだ。

 そして栄養豊富な鰻は庶民の味方とまで言われるほど、一躍日本でもっとも有名な魚介類になった。


 ステマかと思うほどにニュースで連日バンバン報道されているが、私もとにかく凄いとしか言いようがなかった。

 当然のように日本勲章を授与したので、よく覚えている。




 ここに来て少し前の予告で流れた、プロジェクトF~挑戦者たち~というタイトルロゴと、オープニング曲が流れ始める。


 それが終わったら暗転し、場面が切り替わった。


 IHKのロゴが描かれている大型車が、警備員に守られている鰻養殖場のゲートを通過する。

 そのまま駐車場に停めた車を、取材陣が降りて施設内に入り、廊下を歩いて日本勲章が飾られた社長室へと通される。


 少し前に私が表彰した年配の男性が、高級そうなソファーに腰を下ろしていた。

 そして立ち上がり、司会の人とにこやかな笑顔で握手をして、やがて対談が始まる。


「鰻の完全養殖の計画が始動したのは、実は三百年以上も昔のことでした」


 テレビ画面を見ている私は、そうなのかーぐらいの感覚だ。

 けれどインタビューを受けているご老人は、夢叶ったのかとても嬉しそうに話している。


 個室に設置されたガラスケースには、私が授与した賞以外にも様々な勲章が飾られており、まさに時の人だ。


「戦国時代に関東地方の大名であった、北条氏康が後世に残した書物。

 そこに全ての始まりが記されています」


 そう言えば戦国時代に北条さんに会ったことを思い出した。

 私はそんなこともあったなと、テレビを見ながら昔を懐かしんだ。


「宴の席で稲荷神様が、うなぎの蒲焼きの料理法を伝授し、皆に振る舞ったのです」


 北条さんの領地でうなぎ料理を作ったのは、確かに三百年以上も昔のことだ。

 不思議なことに今でも鮮明に思い出せる。


 あの頃から自分は、少しは成長したのだろうか。

 見た目も中身も変わっていないように思えるが、親しい友人との別れによって、物の見方がお婆さんのようになった。


 おかげで、幾度もの別れを乗り越えられた。


 そして私が過去を振り返っている間にも、養殖業を営む老人は説明を続けていく。


「宴に集まった人たちは皆、鰻料理をとても気に入ったと記録には残っています」


 そこで画面が切り替わって、私がうなぎ料理を来客に振る舞っている絵巻物が映された。

 所々の塗装が剥げたり変色しているのは、それだけ長い年月が経っている証拠だろう。


 なおどうでも良いが、実際にそんな場面はなかった。

 私は食べ終わったら満足して、さっさと席を外したからだ。


 あとは各々の料理人にうな重を作らせて、勝手に宴でどんちゃん騒ぎをしていただけだった。


「当時を思えば、保護して養殖させようなどという発想は出てきません。

 何故なら戦国時代の鰻は、川や海の何処にでも見かけるほど、身近な魚だったのです」


 確かに私が初めて鰻を捕まえたときも、かなりの数が泳いでいた。

 今でも変わらず規制は続けているが、昔と比べれば減っている。

 だが生息数は安定しており、絶滅には程遠い。正史と比べても多いだろう。


 私が思案している間にも、養殖業者の代表は熱心に説明を続けた。


「鰻の完全養殖を始めた理由は、漁や流通に制限がかけられたからです。

 しかし、それだけではありません。何よりも、稲荷神様の強い願いがあったからなのです」


 私は、はてと首を傾げながらも、カラーテレビから視線を外さずに続きを待つ。


「もし叶うならば、遠い未来でも鰻を好きなだけ食べたいと、稲荷神様がそう申していたと記録されています」


 発言を思い出した私は、ポンと手を打つ。

 鰻を捕まえるために川に飛び込んだ理由として、苦し紛れの言い訳として環境保護の概念を語ったときだ。


 しかし自分がやらかしたせいで、三百年以上が経ち、とうとう壮大な計画が実現した。

 あの頃の私には、想像もできなかっただろう。


 そこでインタビューが終わったので、私も麦茶を入れ直す。


 暗転して画面が切り替わり、今度は東京のある飲食店が映し出された。


 映像を見てピンときたが、私も三百年以上前から何度も食べに行ったことがある店だ。

 店名はモザイクで隠しても、創業永禄十年の看板がバッチリ映っている。

 東京在住の者ならば、誰もが知る名店なのはバレバレであった。


 そしてレポーターがテレビカメラの前に進み出て、やや緊張しながら解説を始める。


「このお店は、元々の稲荷神様が住まわれていた稲荷山の麓で営業をしていました。

 しかし幕府を開くと同時に暖簾分けして、江戸に移転しました」


 店内にも創業ついての説明が書かれていたので、私も良く知っている。

 かつて試作品の卵焼き器を渡した料理人と、その弟子に当たる孤児たちが開いたお店の一つだ。


 専属料理人として幕府が召し抱えたがったが、数名がそれを断る。

 強い希望により、江戸で飲食業を始めることになった。


 さらに何度も代替わりや暖簾分け、または建て替えをし、かれこれ三百年以上も営業を続けている。


「うなぎ料理の元祖を名乗るお店は数ありますが──」


 説明を続けながら、レポーターが店の暖簾をくぐる。

 取材の許可は取っているらしく、休日である水曜日の昼間なのに鍵はかかっていない。


 そして中にも、他の客は誰もいなかった。

 掃除が行き届いて広々とした店内に、テレビカメラが入って撮影していく。


「見てください! 卵焼き器が飾られています! それ以外にも店内は国宝だらけです!」


 かつて私が渡した卵焼き器が、あちこち傷んでいるものの、ガラスケースの中で飾られていた。

 さらには他にも様々な調理器具の試作品が、年代順に綺麗に並べられている。


 後の世の職人たちが改良を重ねて日本中に広めていった軌跡を、テレビのレポーターが熱く語っていく。


 私はそれを見て、昔あったことを思い出してポツリと呟く。


「そう言えば試作の調理器具は、江戸に引っ越しする時に全部あげたんだっけ」


 技術は月日と共に洗練されていくものだ。そして、改良品がどんどんお供えされる。

 湯呑や茶碗は愛用の品があるが、やはり調理器具ぐらいは新しい物を使ってもいいかなと思う。


 なお森の奥に引っ越してからも、新製品や改良品が全国からどんどん送られてきた。

 そういう事情もあり、江戸幕府以降の中古品は正倉院に押し込むか、稲荷大社の関係者に下げ渡している。


 それはそれとして、レポーターが興奮気味に話している。

 貫禄のある店主がカウンターの向こうに佇んでいるが、そっちは完全にスルーされていた。


「これらの料理器具は、全て稲荷神様が考案や監修をされました!

 現代と比べると荒削りですが、当時は基盤として大切に用いられたのです!」


 見様見真似で手工業だったので、荒削りなのは仕方ない。

 だが改良を重ねるための基盤として使うのなら、何も問題はなかった。


 なおレポーターの熱心な語りは、番組の都合上、途中で丸々カットされた。

 その後は、日本で初めて鰻の蒲焼きを作った後家さんについて、店主の説明などに差し替わったのだった。


 それを見ながら、私は大きく息を吐く。


「昔使った私物が国宝や重要文化財になるのは、ちょっとなぁ」


 もしかしたら、欠けた湯呑や切れ味の落ちた包丁なども、文化財として永久保存されているかも知れない。


 そう考えると、思わずチベットスナギツネのように微妙な表情に変わってしまうのだった。

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ふぉーっくす(゜∀゜) 主題歌はさしずめ「稲荷の星」かの?
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