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岩倉使節団

 明治四年になって、アメリカやヨーロッパに日本の使節団を派遣する計画が立てられた。


 しかし国際化が著しい今日この頃でも、海外に行って学ぶことはそこまで多くない。

 だが、郷に入れば郷に従えだ。

 日本と異なる文化を糧にするのも、悪いことではない。


 物事を一方からではなく、様々な角度から観察することで、新たなインスピレーションを得ることができるかも知れないのだ。




 そんな使節団の準備が着々と進んでいる、ある日のことだった。

 私は稲荷大社の謁見の間に呼び出されて、明治政府の関係者が集まり、会議を執り行うことになる。


 そこで一歩前に出るのは、くじ引きで派遣される使節団の代表に選抜された、岩倉具視いわくらともみさんだ。

 彼は渋い表情で頭を下げて、私に懇願してきた。


「稲荷様! 自分は海外などには、行きたくありませぬ!」


 切実な訴えだが、海外に使節団を派遣することは、政府機関で既に決定したことだ。


 その件には私が関わっていないし、日本は民主主義国家となった。

 今後のためにも海外、特に先進国と足並みを揃えて歩んでいく姿勢を見せる必要がある。


 そのため、高い地位を持つ者を筆頭にして、大勢を送り出して主要国に顔を売っておく。

 他の役人が私が口を開く前に、横槍を入れる気持ちもわかる。


「岩倉ぁ! お前は国家の重要な任務を何と心得るか!」


 老齢の役人が、怒り心頭といった表情で岩倉さんを恫喝する。

 だが彼はジト目で視線を合わせて、投げやりに吐き捨てた。


「でしたら! やる気のある鍋島さんが交代してくださいよぉ!」


 ここで売り言葉に買い言葉で引き受ければ、格好良かった。

 だが鍋島さんはいきなり挙動不審になって、言い訳を始める。


「いっ……いや、政府機関以外にも、北海道開拓の仕事があるしね?

 それに儂って高齢で病弱だし、これ以上の激務は体に障るって言うか~?」


 話し終わった後に、わざとらしくゴホゴホと咳をして視線をそらした。

 鍋島さんも心底海外には行きたくないんだなと感じたが、定期的に病院に通って薬を処方してもらっているので、一応病弱ではある。


 だが岩倉さんも結構なお年だし、断る理由としてはやや弱い。

 なお、この場に居る関係者は、揃ってそっぽを向いている。

 誰も変わってあげる気はないのだと、はっきりわかった。


 しかし欧州やアメリカに使節団派遣は、国際社会での日本の立ち位置の確立。

 そして今後の外交方針を明確に定めるための、重要なお役目でもある。


 なおアメリカ合衆国とヨーロッパ諸国は遠く離れているし、外国の文化をある程度学んでくるため、帰国が叶うとすれば数年後だろう。


 岩倉さんを代表とした政府首脳や留学生を含めると、総勢百七名になる。

 彼らはもう間もなく、遠い世界に旅立っていく。


 そのはずであったが、現時点では計画の棚上げもあり得る。


「稲荷様! どうか! どうか使節団の派遣に反対を! 何卒お願い致します!

 自分は日本を離れたくありませぬ!」


 畳に頭を擦り付けるほどの、迫真の土下座を披露していた。

 それはもう鬼気迫る勢いで、鍋島さんや他の役人が止めても、岩倉使節団の関係者は結束し、声を揃えて海外派遣の撤廃を求めている。


 なお私にとっては、そもそも自分が提案したわけではない使節団の派遣である。

 しかも、何故そこまで嫌がるのか理解できていない。


 何となく外国生活は大変そうだとしか、思っていなかった。


 ついでに言えば、別に日本に危機が迫っているわけでもない。

 わざわざ私を呼び出して会議を開かなくても、明治政府内で白黒つければ良いと思っている。


 だがまあそれが難しかったから、お上である稲荷神に判決を下して欲しいのだろう。


 ならば取りあえずは理由を聞いておくべきだろうと、私は口を開いた。


「何故そこまで、海外派遣を拒むのです?

 岩倉さんたちは、これが日本にとって重要な仕事だと理解していますよね?」


 先程日本を離れたくないと言ったが、それでも数年我慢すれば帰国が叶うのだ。


 すると彼はしばし思案した後、土下座ではなく姿勢を正して背筋を伸ばす。

 続けて、堂々と声を出した。


「重要なお役目なのは、理解しております! しかし、日本を離れるわけにはいかぬのです!」

「ふむ、どういうことですか?」


 つまり自分の仕事を理解していても、岩倉さんたちを引き止める何かがこの国にあるということだ。

 口元に手を当てた私は、静かに続きを促した。


「海外にいる間は、稲荷様のお姿を見られぬだけでなく! お声も聞けぬのです!

 胸が締めつけられるほど苦しくなり、気が散って仕事が手に付きませぬ!」

「えっ? やだ、何……それは……?」


 一瞬聞き間違いかと思ったが、内容が衝撃的なのでつい素が出てしまう。

 そして岩倉さんの言葉を、頭の中でもう一度整理してみた。


 つまり彼ら使節団が海外派遣に反対するのは、私と離れ離れになるのが嫌だからだ。

 正直、とてもではないが信じられなかった。


「岩倉さんは子供ですか。

 ああ、いえ、日本国民は皆、私の孫でしたね。……義理ですが」


 岩倉さんが言っているのは、子供が母親から離れたくないと、必死に駄々をこねているようなものだ。


 だが、それも無理はないと思った。

 何故なら私は、かれこれ三百年以上も祖母視点で彼らを見守り、時に手を差し伸べたり助言をして、慈しんで大切に育ててきた。


 岩倉さんも歳を重ねて貫禄が出ているが、年齢だけを見れば私には及ばない。

 出産や恋愛経験がゼロのままで、義理の孫ができるとは思ってもいなかった。


 まあそれも今さらだし、長い時の流れですっかり慣れたものだ。




 だがそれはともかくとして、岩倉使節団は親離れできない大きな子供たちということになる。

 何処かの赤い彗星のように、小さな女の子に母性を求める人が居ることは知っていた。

 けれど現実に遭遇するとなると、事態はかなり深刻と言える。




 しかし私は、慌てず気持ちを切り替える。

 今ならまだ取り返しがつくはずだと、前向きに考えたのだ。


 そして小さく咳払いをした後、彼に優しく声をかける。


「帰国したときに元気な顔を見せてください。土産話を楽しみにして──」

「年齢的に、これが今生の別れかも知れませぬ! 稲荷様! どうかお慈悲を!」


 快く送り出そうとしたが、途中で遮られてしまう。しかし一体どれだけ、私と離れたくないのかだ。


 確かに岩倉さんは、かなりの高齢である。

 さらに日本は三百年以上昔から環境保護を推進しており、衛生や医療は世界最先端と言っても過言ではない。

 水や食材も豊かで美味しく、栄養バランスの概念も広まっている。

 各々が注意すれば体調を崩すことは殆どないし、医療技術は明治時代でも前世とほぼ同じレベルであった。




 だがアメリカと欧州は現在、産業革命による汚染や公害が深刻だ。

 たまに日本人も旅行に出るが、その際に食べ物や水に当たったという話も割と良く聞く。


 さらには環境の違いに戸惑ったり、言語や習慣、容姿が異なるために迫害されたりと、精神的に病んだり、風土病にかかる事例も報告されている。


「確かに外国は、日本より過ごしにくいし死亡率は高いでしょうね」


 私が何の気なしにポツリと口に出したせいで、岩倉さんたちは揃って顔を青くする。


 何だかんだで日本は治安がいいし、法整備が行き届いていて自国民にとっては暮らしやすい国だ。

 そう考えるとわざわざ何年も海外で過ごそうと考える人は、本当に稀であった。


 だが、今重要なのは、岩倉使節団を快く送り出すことだ。


 外国でのトラブルは、事前の備えを怠らなければ、ある程度は避けることはできる。

 確実ではないが、リスクはかなり減らせるのだ。


 何とか外の世界に向けて一歩を踏み出す勇気を与えて、稲荷神という親から離れてもらいたい。


 これが氷山の一角とは思いたくないが、赤い彗星のようにマザコンならぬイナコンを拗らせた大人の増殖を許すわけにはいかなかった。


 自分はそういうプレイはネタとしては知っているが、現実にはノーセンキューなのだ。

 多少の理解はあれど至ってノーマルな性癖を持つ私は、彼らを何とかするための案を考えて、覚悟を決める。


「⋯⋯仕方ありませんね」


 今までの経験から言えば、彼のような狐っ娘離れできない大人は、この国では珍しくない。

 ならば早急に何らかの手を打たないと、将来的に同じような事件が何度も起きるだろう。


 私は姿勢を正して真面目な表情になる。


「岩倉さん」

「はっ、はい!」


 彼が緊張しながら声を上げた。

 取りあえず幼児退行はしておらず、話を聞くだけの理性が残されていると判断した。


 なので、構わず説明に入らせてもらう。


「貴方たち使節団が海外で活動を続けている間は、私がラジオ番組を行いましょう」


 岩倉さんが呆然とした表情をしているが、正直自分でも何を言っているやらだ。

 だが事態を解決するには、これが適切だと足りない頭で考えたので、順番に説明していく。


「私はラジオにもテレビにも、自分から出演したいと申し出たことは一度もありません。

 しかし海外で活動する岩倉使節団を励ますためなら、放送しても良いと考えました」


 過去に私の撮影や取材をしても、それは現場や各局、民意によって仕方なく応じただけだ。

 自分から発信しようとは、一度たりとも考えたことはない。


 何より、好き好んで大衆の前に姿を晒すなど、絶対に嫌だった。

 私が思い描く、何処までも庶民的で平穏な暮らしとは、明らかにかけ離れているからだ。


 なのでラジオやテレビを使った広報も、基本的には政府機関に委任していた。


「この際ですし、岩倉使節団の海外での活躍を、日本国民に広く知ってもらいましょう。

 貴方たちは手紙、私からはテープレコーダーを交換しましょうか」


 羞恥心もあるが、今だけの我慢だと割り切る。

 遠くに旅立つ孫を見送る祖母のような視点で、私はニッコリと微笑んだ。


「海外でも稲荷様のお声が聞けるのですね!

 何と過分なお心遣い! 岩倉と使節団一同! 感謝感激でございます!」


 船での輸送に時間が取られるので、公式放送から間隔が空いてしまう。

 だがそこまで頻繁に放送する気はないし、週一程度で届ければ問題はないだろう。


 何より岩倉さんと同じようなペロリストが潜伏している可能性は、非常に高い。

 このまま手を打たずに放置するのは、個人的にあまりにも危険過ぎた。


 なのでそういった潜在的に稲荷コンプレックスを抱えている人たちも、私の公共放送で海外に目を向けさせて、早いところ狐っ娘離れしてもらうべきだ。


 私は今回の件で、強くそう思ったのだった。

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― 新着の感想 ―
うわぁ… 岩倉さん… いい歳したジジイでしょーが!(笑)
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