実りの秋
麓の村を豊かにするための計画が、いよいよ本格的に動き出した。
最終目標は、私が快適で平穏に暮らすためだ。
その途中で盛大にやらかすだろうが、皆が幸せになるなら問題はないだろう。
とにかく、長年使ってきた川沿いの側屋を一つ残らず撤去させた。
そして排泄物を水に流せなくなった代わりに、公共の肥溜めを作ることになる。
私は言い出しっぺの法則で麓の村々を回り、せっせと穴を掘った。
その後は職人にお願いして、雨除けの屋根や仕切り板、落下防止用の網を取り付ければポットン便所の完成である。
だがしかし、糞尿の匂いが予想される。
前世の実家では金木犀を植えて、悪臭を打ち消していた。
全国で見かけるので、戦国時代にも存在していておかしくない。
しかし強烈な香りを放つ金木犀は、まだ日本に伝来してないようだ。
松平さんと手紙でやり取りをしてわかったが、隣の大国まで調査の手を広げて取り寄せてもらうことになった。
香りの強い金木犀を探し出すのに時間がかかったけど、無事に手に入ったのでヨシとする。
しかし本当に松平さんには、お世話になりっぱなしで頭が上がらない。
なのでお礼の手紙を書いて、長山村で採れた卵や新しい道具と一緒に郵送する。
『挿し木で増やして必ずお返しします。それまで待っていてください』
なお私は戦国時代の一般的なくずし字はあまり上手くはないので、村長さんに教わって頑張って勉強している。
手紙を出すときは毎回凄く時間と集中力が必要になり、ほぼ一日がかりになってしまう。
そして最初に松平さんの伝手を持ってきたのは、村長さんだ。
私を支援したいという人が居るよと、ただそんな感じだった。
向こうの詳しい事情は興味はなく、私自身も詳しくはない。
しかし本多さんの上司なのは教えてもらっているし、助けてくれるならありがたい。
支援を断る理由もないので、悪意は感じないで交流を続けていたのだった。
なお後日談となるが長山村を発祥として、便所の周りには香りの強い金木犀が植えられるようになり、外の町村にも少しずつ広まっていく。
さらには開花時期以外にも使える芳香剤も研究開発されて、糞尿の悪臭をより強い香りで上書きする頼もしい存在として活躍することになる。
だが問題もあった。
それは最初に国内に持ち込んで広めようと行動を起こした者にあやかり、稲荷様の香りと呼称されたことだ。
結果的に参拝に来る人たちに大層ありがたがられて、無駄に耳が良い狐っ娘は羞恥のあまり、ペラペラの煎餅布団の上で顔を赤くして転がり回ることになるのだった。
話を戻すが、ポットン便所の肥溜めを含めて、腐葉土や灰、骨粉やボカシ肥料などの作成が本格的に始まる。
それ以外にも労働力の和牛、または鶏の糞の殆どが直接撒くと害になるため、発酵という工程が必要だ。
特に、寄生虫は非常に厄介だ。
危険性をきちんと伝えて、体内に取り込んで悪さをさせないためにも、高温になるまで発酵させて殺し尽くさないと駄目だと口を酸っぱくして教えた。
麓の村だけでなく発酵に詳しい専門家を呼び寄せて、研究開発に協力してもらっている。
それにしても前世の日本で有機農法について学んでいたり、家庭菜園や農業に関して知識や経験があって良かった。
だがそれは戦国時代に飛ばされるか、前世で将来農家にならなければ、全く生かされることはない。
そう思うと、こんな機会が来ないほうが良かったと、やっぱり複雑で溜息が出てしまうのであった。
とにかく前世の知識と戦国時代の肥料の専門家と意見をすり合わせる。
結局最終的には、試行錯誤の積み重ねが必須となる。
たとえ肥料作りに成功したとしても専門の機材がないため、畑の成分を調べる術は長年の経験以外にはない。
混ぜ込みの分量や土壌の状態は、どんぶり勘定は否めない。
しかし肥料の概念はあっても前世とは程遠い戦国時代なら、多少の効果は出てくれるはずなのであった。
秋が深まり、良く晴れたある日のことだ。
犬ぞりに乗って村の見回りをする私は、数人の村人が籠を背負って参道ではなく、茂みに割って入り山を散策する姿を見かける。
何をしているのか気になり、狼たちを少しだけ急かして駆け寄った。
彼らは茂みの中に入る前に私に気づいたようだ。
慌てて頭を下げて挨拶をするが、はっきり言ってそんな畏まった手順は不要としか思えない。
それでも、稲荷神はとにかく偉い存在だ。
一連の流れが終わるまで待ち、真面目な表情で質問を行った。
「山に入るつもりのようですが、何をするのですか?」
「冬の備えの薪拾いが主です。あとは木の実や山芋、茸等の山の幸を見つけて持ち帰りたいですね」
薪拾いと、秋の味覚探しだった。
しかし未来ではスーパーに普通に並んでいる山菜も、山から取ってくる必要があるとは大変な時代である。
だが、天然物のほうが美味しいと聞く。どっちが良いかは一概には言えない。
それでも私は、収量が不安定な現状をヨシとはしなかった。
(秋の味覚をお腹いっぱい食べたいなぁ)
山芋やキノコはお供え物として、少量だが届けられている。
それは彼らが山に入って、頑張って探した成果だと聞いた。ありがたさが心に染みる。
(果樹や山芋は、畑でも育てられそうかな。
茸の栽培キットはホームセンターに売ってたし、菌農家も手伝ったことはあるけど。……うーん)
腕を組んで考えるが、すぐには良い案が思い浮かばない。
病害虫は木酢液でどうにかなればいいが、倍率表示や霧吹きさえないのだ。
効率良く散布ができるとは思えないけど、やらないよりはマシである。
まあ問題が出たらその時はその時だと、前向きに考える。
しかし私が長考していたからか、籠を背負った村人たちが不安に思い、恐る恐るといった感じに話しかけてきた。
「あの、稲荷神様? どうされたのでしょうか?」
「少し考え事を。山芋や茸を育てて増やそうかと思いまして」
「でっ、出来るのですか!?」
「理論上は可能です」
俗に言う、理論は知ってる状態だ。
実際に成功するかどうかは神のみぞ知るである。
なお私は稲荷神でも偽物なので、ぶっちゃけ一発で完成するとは思っていない。
それでも村人たちは、物凄く期待した視線をこちらに送ってくる。
やっぱり無理ですとは言えないし、前世では日本全国でやっているのだ。
成功までの道筋はぼんやりとだが見えているし、何度も試作して失敗の原因を潰していけば、いつかはできるはずだ。
と言うか、戦国時代にも栽培方法が確立していてもおかしくない。
具体的には、鎌倉時代ぐらいから栽培が行われていそうだ。
だがまあいつから栽培していようが結局、長山村では育てていない。
きっと人の手で栽培して、安定供給するのはまだ困難なのだろう。
「果樹や山芋は土が合えば大丈夫でしょう。……問題は茸です」
「茸ですか?」
難しくても、やれないことはないのが果樹や山芋だ。
しかし茸は、それとは別の問題を抱えている。
ホームセンターで購入した栽培キットのように、霧吹きで水だけやってれば勝手に育つほどお手軽ではない。
あれぐらい簡単にポンポン増えるなら、今頃山中が茸だらけになっている。
「茸の増える仕組みは知っています。ですが試したことは、まだありません」
「はっ、はあ、さようでございますか」
プイッと視線をそらして追及を避ける。
取りあえずは仕組みは知っているが、実験しないと何とも言えないよと、遠回しな発言で煙に巻く。
嘘はついてないので、これで良いのだ。
「とにかく一度茸の生えている土壌ごと、少量良いので持ってきてくれませんか?
家で育てて胞子を採りたいので」
「胞子ですか?」
「胞子とは、稲に例えるなら種籾に当たる物です」
村人たちはそれを聞いて、なるほどと納得する。
戦国時代では茸がどうやって増えているのかは、大まかでしかわからないだろう。
私も授業で教わったり、茸農家の手伝いに駆り出されなければ知らなかったし、実際に試すのはこれが始めてだ。
取りあえず、夏休みの自由研究のように、茸が生えやすいと思われる木屑や土等に蒔いてみるつもりである。
最初は多分失敗するが、そう簡単に茸が育てば苦労はしない。
手探りでも一歩ずつ着実に進めていき、最終的に人工栽培が成功すればいいのだ。
私は良い笑顔で山に入っていく村人たちを、犬ぞりの上から手を振って見送るのだった。




