東京行幸
明治元年の九月になり、東京行幸という盛大なパレードを行う計画が立てられた。
今までは日本の中心地は江戸、そして朝廷の住まわれる京都が東西に分かれて並び立っていた。
たとえ日本の最高統治者が在住しており、人口や近代化で露骨に差が出ても、明確に首都とは言い切れなかったのだ。
だが新体制に移行するにあたり、あらゆる面でもっとも発展している東京を名実共に首都とするべきであると、そういった意見が多数を占めた。
ついでと言っては何だが、新しい時代の始まりを日本国民に告げるための東京行幸も行い、広く認知させる。
ちなみに出発は京都で、終点は東京だ。
神皇である私が中心となり、明治政府や公家や朝廷の各関係者を引き連れて、屋根のない自動車に乗って微速前進で、ゆっくりと進んでいく。
交通網はしっかり整備されているうえ、事前に大掃除もした。
特に問題はなく、順調に進んでいく。
だが自動車は、最近ようやく量産化が始まったばかりだ。
まだ排気ガスがモクモク出るし、マフラーをつけても騒音が酷い。
公害対策もしてはいるが、前世と比べれば不十分と言わざるを得ない。
今はお金持ちのステータスの自動車だが、このまま普及が進めばいつかは庶民も手が届くだろう。
何にせよ、昔から環境保護を疎かにしたことは一度もない。
公害病に苦しむ人が出ないように、汚染してもすぐ綺麗にすることを心がける。
これに関しては親日国だけでなく、隣の大陸にも広めていた。
将来的に黄砂とか飛んできたら嫌なので、本心では極力関わり合いにはなりたくなくても、それはそれこれはこれであった。
とにかく東京行幸だが、常に微速前進が基本だ。
そして時間帯は、日が出ている間だけである。
民衆が大歓迎状態の中を、私は素顔丸出しでオープンカーに乗っていた。
朝廷は神輿をスダレで囲んで、神秘性を演出している。
やがて日が暮れてきた頃に、私たちは宿泊先に到着した。
本日の行幸を終えて車を降りて、多くの警備員に守られながら宿の中に入っていく。
店主や女将、従業員一同の歓迎を受けて軽く挨拶をしたあと、個室で一服する暇もなく歓迎の宴に招待される。
地元の町村の人たちも、できればお近づきになりたい気持ちはわかる。
しかし朝廷や公家は滅多に京都から離れることがなく、こんなにも長期間人目に晒されるのは始めてだったようだ。
まだ年若いやんごとなき御方だけなく、一族やその他の関係者が揃って疲れた顔をしていた。
私は仕方ないかと判断して、比較的慣れている自分が横から口を出させてもらう。
「皆様お疲れのようですので、申し訳ありませんが私が対応させていただきます」
「稲荷様自らですか!? それは大変光栄でございます!」
そう言って私は、歓迎の宴を引き受ける。
長期間の密着取材に心身共に疲れ果てた人たちに、客室でゆっくり食事を摂って休むようにと告げるのだった。
宴会場に続く扉を、宿の従業員が開けてくれた。
そこから堂々と入室して自分の席に座った私は、地元の著名人やら取材陣に、あっという間に取り囲まれる。
東京行幸だけでなく日本国では、自分が立場的にトップだ。
なので上座は固定で、大抵が他者と距離が離れて一人孤立している。
左右の列にはそれぞれ朝廷と明治政府の関係者が並んで座っているが、今回は片方だけの出席となっていた
自分の場合は既に日本どころから世界中に、顔や特徴を知られている。
今さら神秘性も何もない、出涸らしのお茶状態だ。
東京の町を歩いていれば、極稀に遭遇するぐらいの頻度である。
朝廷や公家さんを直に見るという激レアには、程遠いのであった。
それはともかく、宴会の席が盛り上がるのは良いことだ。
しかし、皆に嬉々としてお酒を注がれるのは困る。
だが私としては自分から引き受けた手前、今さら止めるわけにはいかない。
なので、どれだけ飲んでもほろ酔い止まりと、無限の胃袋をフル活用していく。
「いい飲みっぷりでございます! ささっ! もう一杯!」
はっきり言って、片側に並んでいる明治政府の接待よりも、地方民はやる気に満ちている。
さらに、頻繁に質問も飛んでくる。
「稲荷様! 今後は君主制に戻すとのことですが!」
「既に告知済みですが、私は統治しませんよ」
この質問も、何度目か忘れるほど聞かれている。
なので私は、テキパキと答えていった。
「既に明治政府に統治権を譲渡しています。
なので、私の出る幕はありません」
「そっ、そんなぁ!」
心底残念そうな顔をする地元民の代表だが、そんなに私に日本を統治して欲しいのだろうかと頭を抱える。
そもそも自分が政治から遠ざかって、既に三百年が経過していた。
今の国内情勢は混沌としており、正直良くわからない。
相変わらず行き当たりばったりだし、頭も全然賢くなれなかった。
心身共に転生直後から変化を許さないので、とんでもない狐っ娘だ。
そして心の中で溜息を吐いている間にも。地方の代表たちは諦めていないようで、再度声をかけてきた。
「何とかなりませんか?」
「なりません。諦めてください」
本当に、どれだけ私に統治して欲しいのかだ。
世界の国々は、王や君主政を廃止して次々と民主主義に移行している。
ここで日本が足並みを乱しては、独裁国家認定されてしまうかも知れない。
せっかく開国したのに、諸外国からの総スカンは避けたいところだ。
内政干渉する理由を与えたくなかった。
しかし江戸時代の間に、すっかり狐色に染まってしまった。
国民は揃って自分の統治を望むので、心底困っている。
注がれた清酒をちびちびと飲んでいるが、ほろ酔い止まりの体はこういう時に便利だ。
アルコールが好きでも嫌いでもない私は、現実逃避や気分を変えたい時には良さそうかもと感じた。
「何か事が起きれば、出張る機会があるかも知れません。
しかしそんな危機的状況は、ないに越したことはありません」
そもそも自分が矢面に立って、果たして何ができるのやらだ。
正直に言えば、日本の舵取りも含めて役に立てる気が全くしなかった。
狐っ娘の中身は元女子高生で、成績は平凡だった。
明治政府で働いているエリート役人たちより、圧倒的に頭が悪い。
なので、いざという時に正しい判断が出来るはずがないのだ。
それでも日本の最高統治者という立場上、国の進退を決める重要な席には必ず出席し、決断を下さなくてはいけない。
今はただ、自国がトラブルに巻き込まれないように願うのみであった。
やがて次の日になって、宿泊施設から外に出た私たちは、オープンカーに乗車して東京行幸を再開する。
朝廷はもちろん神輿で、天候が晴れていて明るいうちしか移動できない。
なので早朝になったら、すぐに出発である。
あらかじめ告知しておいた主要な街道には、地元民や取材陣がズラリ勢揃いしていた。
テレビカメラも、こっちの速度に合わせてしっかり追従してきている。
進路を妨げないのは良いが、民衆やカメラマンは私ばかり注目しているようだった。
(朝廷や公家のほうが、圧倒的にレア度が高いのに、何で私ばっかり?)
実際に、やんごとなき御方が民衆の前に姿を表すことは殆どない。
スダレに隠れているとはいえ、今が絶好のシャッターチャンスのはずだ。
なお私は毎朝の早朝ジョギングや公務で、頻繁ではないがそれなりに顔を出ししている。
あとは変装して買い食い……ではなく、世論調査をたまに実行していた。
正体を隠しているとはいえ、レア度は低いはずだ。
今もゆっくりと進むオープンカーに乗ったまま、笑顔で手を振る役に徹している。
私は何となく周囲を観察して、あれこれ考えていた。
(なるほど。花がないんだね)
基本的に、東京行幸に参列しているのは男性ばかりだ。
女性も居ないことはないが、年齢的にちょっとな方が多い。
その中で狐っ娘は、単純な見栄えや地位だけではない。
数々の萌え要素の融合体のようなもので、さらには不老の幼女でもあった。
薔薇や牡丹といった派手さはないが、野に咲く花のような無駄に逞しくて、小さいながらも可愛らしい感じが、少しはするはずだ。
「「「稲荷様! 万歳! 万歳ー!」」」
そんなことをぼんやりと考えながら、地元民の万歳の合唱に笑顔で応える。
私たちは新たな首都となる東京に向かって、ゆっくりと進んでいくのだった。
後日談となるが、東京行幸の資料映像は膨大な数になった。
また、稲荷神をあらゆる視点や状況で撮影した、貴重な歴史的資料でもある。
そして明治が終わりを迎えた大正元年に、過ぎ去った時代の特番として毎日のように放送されることになる。
この時の私は、夢にも思わなかったのだった。
なお、これは東京行幸の最中のことだが、宿泊先の宴会場で朝廷や公家の方々と話す機会があった。
その時には取材陣も居なかったので、ここだけの話ということで、お互いに清酒をチビチビやりながら色々と質問させてもらう。
「京都から東京に住まいが変わりますが、何か思う所はないのですか?」
「それに関しては、余や公家の者たちも、何もないと言えば嘘になります」
やはり不満に思っていたかと、私は小さく頷きながら若い朝廷の続きを待つ。
「朝廷や公家が権威を持つのは、三百年以上も昔に終りを迎えております。
なので、今さらどうこう言うつもりはございません」
「あー……、それに関してはすみません」
今は内密の話なので、割と緩い雰囲気だ。
自分が神皇の位を得たことで、朝廷や公家がほぼ機能しなくなったことを謝罪する。
彼らは元々権威の象徴として、私よりも昔から君臨すれども統治せずを行ってきた。
だが江戸時代に入ってからは、朝廷や公家の仕事は歴史的資料や文化財、古物を収集する仕事を与えることで、細々と延命していた。
「謝罪を求めているわけではありません。
稲荷様は国の基本方針には口を出しますが、それ以外には一切関わろうとされませんでした。
それに文化財の保護以外にも、江戸幕府の方々から仕事を依頼されることも良くありました」
まあ私は、政治のことはさっぱりだ。おまけに森の奥に籠もって、全然外に出てこない。
なので江戸幕府に統治を任せる形となり、朝廷や公家はその際に中間管理職のような役割も果たしていた。
私に報告するまでもない、政治的案件の事務処理係といったところだろう。
何にせよ古物収集と合わせて仕事に恵まれ、食いっぱぐれがなくて何よりと言える。
「では、何を憂いているのですか?」
「やはり京の都を離れて、東京に移ったことです。
これまでとは打って変わり、人前に出るのかと思うと」
確かに長く住んでいた実家を離れるのは、寂しいものがある。
あとは、朝廷や公家の方々も姿を隠すのではなく、私よりはマシだろうが取材を受けることになる。
「そこはまあ、民主主義国家の宿命と諦めてもらうしかありませんね」
「自分も稲荷様を見て、理屈ではわかっているつもりです。
しかし、……やはり受け入れ難いですね」
民主主義国家というのは、ぶっちゃけ民意が全てである。
そして行政の効率化と統制を図るために、朝廷や公家の方々は京都から東京への引っ越しを余儀なくされた。
なおそれだけではなく、一応は国の政治に関わる者としての意図を明らかにするため、今後は表に出て取材を受けることになる。
「私としては、朝廷や公家の皆さんの助力を得られて、ありがたく思っています」
「稲荷様にそう言っていただけると、大変光栄ですね」
にっこりと微笑みながらそう告げると、皆も嬉しそうに笑う。
だがここで私は、爆弾を投下する。
「前々から私一人だけでは手が回りませんでしたし、外国からのお客さんをよろしく頼みますね」
日本は開国したことにより、外国からのお客さんがわんさと訪れている。
フットワークの軽い私は、呼ばれれば行くが、正直一人ではとても手が足りない。
「わっ、わかってはいましたが! 国際社会とは恐ろしいものです!」
今は臨時政府状態なので、優秀な外交官が余っているとは言い辛い。
しかし朝廷や公家が東京に来てくれれば、そっちの仕事も任せることができる。
「これも日の本の国のためです。
それに外国のお客さんは、東京を中心に活動しますので──」
「京都に居ては、我々はお役に立てないのですね」
「はっきり言ってしまえば、その通りです」
血も涙もないと思うかも知れないが、それが事実だ。
二千年代になれば新幹線や飛行機が出来て、移動時間が大幅に短縮されるが、今は電車が精一杯である。
何にせよ仕事のために京都から東京に向かうにしても、一体何時間かかるやらだ。
「明治政府が本格的に動き始めれば、少しは楽になるでしょう。
しかし今は、国の根底となる政治や公務が行える人材が、全く足りていません」
絶望の色が濃くなったのは、朝廷や公家の方々だけではない。
臨時政府の人たちも、明らかに肩を落としていた。
中には政治や接待が不得意な者も居るだろうが、この際習うより慣れろだ。
血筋や元の身分は確かだし、東京に付いたら政府の関係者がしっかり教育してくれるだろう。
そして彼らは現実逃避するために、アルコールやツマミに手を伸ばす。
流れ的に、どんちゃん騒ぎの宴会が始まる。
結局双方揃って日頃の鬱憤をぶちまけながら、朝まで仲良く飲み明かしたのだった。




