表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
150/280

モリソン号事件

 時は流れて、天保八年のことだ。

 浦賀沖にアメリカの商船モリソン号が姿を現し、マカオで保護された日本人漂流民七人が無事に送り届けられた。


 風になびく旗には赤い横線と青い四角の中で無数の星が描かれており、その特徴的な国旗を見れば、頭の良くない私でもすぐにわかった。


 すぐにアメリカ商船に英語が可能な外交官を派遣し、相手の目的を聞き出すことに決める。


 そして日本の漂流民を助けてくれたことには間違いないので、さっさと追い払うのではなく、歓迎するために浦賀港に迎え入れたのだった。




 なお私の命令で入港させるにしても、普段の浦賀港は外国船の立ち入りは許可されていない。

 なので、いくら急な来訪に驚いても、こちらから砲撃をしないようにと厳命する。

 とにかく表向きだけでも、歓迎ムードを維持するのだ。


 アメリカとは国交を開かず、貿易もしていないので大使館はない。

 それに外国人施設は、長崎の出島に集中している。




 それでも緊急事態ゆえに、何も対応しないわけにはいかない。

 商船を浦賀港に停泊させたあとは仮宿として、江戸幕府が手配した高級旅館に案内させた。


 まずは歓迎の宴を開いて一泊させることで、大航海の疲れを癒やしてもらうのだ。


 なお対処方針を定めるまでの、露骨な時間稼ぎである。

 普通の人は自分と違い、過剰なワッショイワッショイでも大喜びするだろう。


 その一方で、私は稲荷大社の謁見の間に幕府の役人たちを、急いで呼び集めた。


 取りあえず一段高い畳に敷かれた座布団に腰を下ろして、少しでもアメリカの情報を得るために隠し撮りさせた写真を真剣な表情で観察する。


(うーん、どうしよう? ペリーさんじゃないよ)


 船のほうも撮影したが、非武装の商船にしか見えない。

 さらに言えば船団ではなく、単独でやって来たのも引っかかる。


 あとは割とどうでも良いことだが、アメリカ国旗の星も若干少ない気がする。


 想定していた黒船と違うかも知れないと考えていると、幕府の役人が尋ねてくる。


「稲荷様は、どのように対処なさるおつもりでしょうか?」

「……そうですね」


 現在のアメリカがどれ程の国力や発言力を持っているかは不明だ。

 しかし、ゆくゆくは世界の警察官をやることになる。


 何より国土を比較すると、日本との差は歴然である。


 だがやって来たお相手は、ペリーさんではない。

 ならばまだ、開国の時ではないということだ。


 別にフライングして国交を開いても良いが、国の根底を変える決断をするには、ある程度の下準備というものが必要だ。


 江戸幕府を開いた時もそうだったが、きちんと段取りを踏まえて行わないと、要らぬ反発を買うことになる。

 なので今回はご縁がなかったという感じで、どうにか穏便にお帰り願いたいところであった。


 そのようなことを考えて、私はいつものように場当たり的な判断で指示を出す。


「彼らを稲荷大社に招きます。私が直接話をしましょう」

「稲荷様自らでございますか!?」


 役人連中が驚くのもわかるが、私は引き下がらなかった。


「はい、少し気になることがありますし。

 アメリカという大国は、対処を誤れば面倒なことになりますので」


 これがペリー本人なら、きっと大統領的な人から権威と立場を借りてやって来ていただろう。

 そして私は交渉には不向きな直情型なので、きっとろくな結果にならない。


 だが今回の相手は、そこまで偉い身分ではない商人だ。

 これなら直接会っても、いきなり喧嘩には発展しない。


 中身はポンコツだが、立場だけは稲荷神兼神皇で、とにかく凄いのだ。


 そんな雲の上の存在に謁見したとなれば、例え要求を拒否したところで、向こうも仕方ないよねと引き下がってくれるだろう。


 どうせいつかはやって来るペリーによって、日本は開国せざるを得なくなる。

 あらかじめ決めていた正史通り、明治政府に私の権限を譲渡するため、今は計画を邪魔されたくなかった。


 まあ私がやらかしたせいで、そもそも事件が起きないことも考えられるが、その時はその時に考えればいい。


 とにかく、私の思惑は江戸幕府に説明できない。

 なのでこの場は適当にぼかして伝え、その日の会議を締めくくったのだった。




 モリソン号が浦賀港に停泊して、一日が経過した。


 全員を招くのは難しいので、船員の中でも立場の高い者のみに限定して、稲荷大社の謁見の間に案内する。

 もちろんアメリカと日本両国の言語翻訳者も、同席済みであった。




 向こうは畳や座布団という文化はないだろうが、郷に入れば郷に従えをわきまえているらしい。

 特に問題はなく、素直に着席してくれた。


「リトルプリンセス、お初にお目にかかります。船長のデアード・インガソルと申します」


 そう言って、最前列に座っている船長が深々と頭を下げる。

 続いて、後ろに控えている牧師の服を着た二人も順番に自己紹介を行った。


「宣教師のカール・ギュツラフです」

「同じく、宣教師のサミュエル・ウィリアムズでございます」


 事前に情報は調べているので、自己紹介に関しては嘘偽りはないようだ。

 そして、この場は私も彼らに習って、堂々と答えた。


「私は神皇の稲荷神で、日本の最高統治者をしています」


 ただし日本の最高統治者でいる時間は、もうあまり長くはない。

 最近の日本を取り巻く各国の情勢を見る限り、開国の日はそう遠くはなさそうだからだ。


 同時に自分が退位する時が、刻一刻と近づいているのは明らかであった。


 きっと、この後にやって来る黒船こそが本命だ。

 国内が混乱し、開国と鎖国の両勢力が激しく対立することになる。


 三百年近くも安寧とした平和が続いたが、それももうすぐ終わるのだ。

 航海技術の発達から、時代の流れを否応なしに実感させられる。




 とにかく私が穏便に退位して正史へと戻すためにも、事前準備は大切だ。

 そのためモリソン号の人たちには、気分良くお帰り願うつもりであった。


「まずは日本の漂流民を助けていただき、深く感謝致します」


 そう言って私が頭を下げたことで、彼らは明らかに戸惑う。

 流れ的に必ずやっておかないといけないことだし、中身は一庶民なので特にどうとも思わない。


 問題は、頭を上げた次からである。

 私は側仕えから、彼らが日本に訪れた目的が書かれた証書を受け取った。


 事前に読んでいるが、何事にも順番というものがある。

 再度渡された書状に目を通していき、一息ついた後に口を開く。


「貴方たちは日本と通商を行い、布教の許可を得たい。相違ありませんか?」

「はい、その通りでございます」


 代表である船長さんが答えて、後ろの宣教師の二人も頷く。

 どうやらこちらも事前情報との食い違いはなく、正しいらしい。


 だがしかし、だからこそ私は悩んでしまう。

 表情は落ち着いているが、内心ではあれこれ考える。


(ペリーさんが来る前にアメリカと通商条約を結ぶと、開国への舵取りに支障をきたすかも知れない。

 どうしたものかな)


 ペリーさんに率いられたアメリカの黒船は、圧倒的な武力をチラつかせて、日本に開国を迫った。


 歴史に疎い私でも、それだけは知っていた。

 何故ならライトオタクにとっては、最新兵器や軍艦のかっこよさは重要だからだ。


 だがまあ、この際それはどうせもいい。

 問題は現時点でアメリカと通商条約を結んで貿易でも始めたら、きっと向こうは武力で威圧する必要がなくなってしまう。


 つまり日本国民は危機感を持つことなく、開国か鎖国かの両勢力も生まれない。

 これまで通りに平和な時代が続いて、現在の統治システムで少しずつ外国との窓口を開いていくことになる。


 問題がないなら別に良いのだが、それでは倒幕派が台頭して明治政府が樹立されることもなくなるのだ。


 つまり元征夷大将軍である私は変わらず最高統治者のままで、これから混迷極める世界情勢の海に日本という船で漕ぎ出さなければいけない。


 そんなのは絶対に嫌だ。

 いい加減神皇を退位して、徳川家も征夷大将軍を朝廷にお返しし、民衆に政治を任せるべきである。


 そのような事情があるからこそ、私はデアード・インガソルさんたちの主張を、断じて認めることはできないので、はっきりと口に出す。


「残念ですが、貴方たちの要求はお断りさせていただきます」

「そっ、そうですか」


 全ては正史通りに徳川幕府を終わらせて、権威を朝廷にお返しするためだ。

 その後に明治政府を樹立させ、私は穏便に役目を終えられる。


 可能なら世代交代がスムーズに進めて、平穏に暮らしを守るのだ。

 自分が転生してからずっと夢見ていたことなので、絶対に譲れなかった。


「ですが最初に言いましたが、日本の漂流民を救助してくれたことには、深く感謝しています」


 そう言って私は、近くに控えている側仕えに目配せする。

 彼女は小さく頷いたあとに、静かに廊下に出ていく。




 その間に私は、先程は何故断ったのかの理由を、ぼかして彼らに伝える。


「日本は長らく鎖国を続けてきました。

 なので今すぐ大国と通商を行うのは、とても難しいのです」


 ずっと身内だけでワイワイやっていたのに、急に外から仲間に入れてよと見知らぬ人がやって来ても、よく知らないので何となく気まずい雰囲気になる。


 例えとしてはちょっとアレだが、あながち間違いではない。


「ですので、少しだけ時間をください」

「わかりました。リトルプリンセスの心中、お察し致します」


 船長さんが、本当に私の内心がわかっているのか不明だ。

 けれど、とにかく納得して引き下がってくれた。


 きっと彼はアメリカ側の要求を受け入れる気はあるが、家臣団の説得に時間がかかる。

 なので少し待ってね。と。好意的に受け取ってくれたのだろう。


 間違ってはいないが、保留期間は黒船が来るまでだ。実際にはかなり長い。


 だがまあ、深く突っ込まれずに済んだのは幸いだ。


 私が内心でホッと息を吐いていると、廊下に続く襖が開いた。

 そこには近衛や側仕えが大きな葛篭つづらを抱えていて、ぞろぞろと謁見の間に入ってくる。


「私の、⋯⋯いえ、日本の心ばかりの贈り物です。

 のちほど貴方たちの商船に運ばせますが、先に中身をご確認ください」


 そう言って私は席を立った。

 モリソン号の人たちが。葛篭に目を奪われている間がチャンスだ。




 ちなみに中身に関してだが、私はいつももらってばかりで、他人に物を贈るという経験が乏しい。

 なので慣れている役人にチョイスを任せた。


「モリソン号のこれからの旅路が幸多きことを、願っています」


 側仕えにが絶妙なタイミングで襖を開けたので、私はそこから静かに退室していく。


 しかし廊下に出た私は、大きく息を吐いた。


 取りあえずの方針は開国でも鎖国でもなく、保留だ。

 何の解決にもなってないが、モリソン号の人に言ったことは嘘ではない。


 外国の門戸を開くのは地盤が整ってからでなければ、どんな歪みが生じるかわかったものではない。


 ペリーさんの威圧的外交によって開国された時のことを、はっきりとは覚えてない。


 しかし正史の徳川さんは、絶対に狐っ娘よりも優秀だったはずだ。

 なので国内の混乱を最小限に押さえて、上手いこと政権交代したのだろう。




 だが、直情的で考えなしの自分は、そんな器用に立ち回れない。

 それでも日本の最高統治者をしている以上、駄目で元々出たとこ勝負でもやるしかないのだ。


(できれば外国と平等な条件で条約を結んだうえで、穏便に明治政府を樹立したいんだけど。……難しそうだなぁ)


 溜息を吐きながら廊下を歩く。

 今日はとにかく、気疲れしたのでワンコたちに癒やされたい。

 そう考えながら森の奥の我が家を目指して、ゆっくり進んで行くのだった。







 時は流れて天保十年になる。

 稲荷神の洗脳(教育)が行き届いているようだ。

 鎖国をしているからこそ、外国のゴタゴタに巻き込まれずに、天下泰平の世を謳歌できる。

 日本国民は、そのことをきちんと理解しているようだ。


 なので酒に酔った勢いがなければ、稲荷神の代理で統治している江戸幕府に、不満をぶつけるはずがなかった。


 ちなみに気まぐれに、私に対する不満に何かないかと尋ねると、そのような事実は一切ございませんと、十人に聞けば十人全員が即答する。

 何やら幸福を義務化するディストピアの匂いがした。


 しかし、統治を任せている江戸幕府には大なり小なり不満は出るらしい。

 高野長英さんと渡辺崋山さんといった有名人が、酔った勢いで日頃の鬱憤を口走っていた。


 彼らは投獄こそされなかったが、留置所に一晩拘束され、臭い飯という名のカツ丼を食わされて、一週間の禁酒を命じられるハメになったのだった。




 続いて天保十三年には、水戸に偕楽園という美しい庭ができた。

 私も開園を記念する式典に呼ばれたので、お子様サイズの和風の着物で着飾り、マスコットキャラとしての役割を果たす。


 さらにインタビューを受けたり、カメラで記念写真を取られたりした。

 自分は日本の統治者でこの国の顔なので、それも仕方ないかと割り切っている。


 ここ最近は、写真もさらにくっきり映るようになった。

 きっと後世まで記録が残ってしまうのだろうなと、ぼんやり思ったのだった。




 その後は、暦の概念が変わることもなく、他国から日本国民の幸福度をあげるようにと勧告されることもなかった。

 天保は終わり、新年号は弘化となる。


 三年にヨハン・ゴットフリート・ガレが望遠鏡を用いて海王星を発見したらしい。

 だが、機密情報のため公表していないが、日本や親日国には共同開発した天文台が極秘に稼働している。

 太陽系には水金地火木土天海に、冥王星といった星々があることを突き止めていた。


 そして国同士の仲が良好で、日本と共に発展していけるのは大変喜ばしいことだ。

 しかし、せっかく独立しているのだ。

 うちと同じように鎖国政策などせずに、もっと外国と交流しても良いはずである。


 別に技術や情報を流出しない限りは好きにしても良いのに、政治体制も似たようなことをしているのだ。

 まあ親日国だけでなく契約書類で同盟国のような立場になっているので、知識や技術レベルが近い。


 南はオーストラリアだけでなく島々も含まれ、北はアラスカだけでなく隣のカナダ方面まで狐色に染まり始めて、もう終わりだよこの国と布団と上でゴロゴロ転がる有り様だ。


 それはそれとして共同開発や知識や技術発展の事業を行っているので、公には出来ない代物が多数存在している。

 親日国とは、このまま持ちつ持たれつで仲良くしてくれるとありがたい。


 もはや原住民と日本人のハーフなど珍しくないほど、親日国化が進んでいる。

 だがやたらうちの国というか私に甘えてくるか足ペロしようとするので、狐っ娘にバブミでも感じてるのかオメーと、口には出さないが内心ではドン引きであった。


 とにかくそんなこんなで、弘化は五年で終りを迎えるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ