卵焼き
卵を発見した私は、もしかしたら他の鶏も生んでいるかも知れないと考えた。
飼育係の子供たちと一緒に、あちこちを探し回る。
すると昨夜から今朝にかけて、合計四羽が卵を生んでいたことがわかった。
ついでに私は、メスだと判明した鶏は足に色付きの紐を巻き、オスと差別化を図る。
理由としては、繁殖小屋を移動させて数を増やすためだ。
未来の養鶏場を夢見て、今は一歩ずつでも堅実に進めていくのであった。
卵を発見して狂喜乱舞した私は、今は場所を変えて後家さんの家にお邪魔していた。
村長宅や分社でも良かったのだが、ここが飼育小屋から一番近い。
なお私の発案で、家族を失った孤児たちを保護して、母親代わりとして面倒を見ていたりする。
言うまでもなく前世の孤児院の役割だが、戦国時代は死が身近なので色んな事情で孤独になった人は多い。
それはともかく孤児院なら厨房があって、カマドが使える。
あとは私を家に招いて歓迎したいらしいので、ご厚意に甘えさせてもらうことにした。
運んでいる途中に割れたら大変なので、竹籠の中には何枚も布を重ねている。
今はそこに、生みたて卵を四つ入れていた。
和紙製の卵パックも作りたかったが大きさがわからずに断念したが、もう少し情報が集まったら開発に入れそうだ。
ただ人手不足で実用化がいつになるやらだし、今はもっと優先すべきことがある。
私は卵を台所の邪魔にならない場所に置く。
次に小さな手に卵焼き器を持ち、火がついたカマドの前に立って堂々と告げる。
「それでは、今から卵焼きを作ります」
見物人としては、後家さんや子供たちの他に、村の住人が家の外にも続々と集まってきている。
戦国時代の日本では非常に珍しい料理だからか、皆が興味津々という表情で様子を伺う。
外野をいちいち気にしても仕方ないが、せっかくなので説明することにした。
「まず鉄鍋に油を敷き、食中毒を防ぐためにしっかり熱を通します。
基本は焼くだけですが、焦げたりくっつかないように気をつけましょう」
薪を無駄にしたくないので手早く調理に入る。
フライ返しがないので特注した木べらを使うが、私は少し濁った色の菜種油を卵焼き器に薄く敷く。
気泡がプツプツと出てきたところで、井戸水で洗った卵を割って、まずは一つ投下する。
カマドと卵焼き器の規格が合っていないので、初回は下に灰を敷き詰めて薪を高い位置にするなど工夫した。
この辺りも後々改善すべき点だが、狐っ娘の身体能力ならチョロいものだ。
卵が落ちると同時に、油が盛大に弾ける音に驚いたのか、様子を窺っていた村人から大声が上がる。
「「「おおおー!!!」」」
こっちとしては、ただ卵焼きを焼いているだけなのに、何とも賑やかなことだ。
(蓋を頼むのを忘れたから、目玉焼きは難しいかな)
ついでに調理している間に、ごま油も欲しくなった。
今は木べらで何度も裏返して、焦げつきに気をつけて両面をこんがりと焼いていく。
大勢が見ている前で失敗するのは嫌なので、しばらくは焼き加減を確認しながら、慎重に調理を進めていった。
やがて食中毒を引き起こす菌がどの程度で死ぬのかわからなかったため、少し焦げたが何とか食べられる卵焼きが上手にできたのだった。
一息ついて、私は卵焼き器を火元から離して、いよいよ実食に移る。
調味料が塩と味噌しかないのが不満ではあるものの、前世で当たり前に食べられていた卵焼きを戦国時代にいただくのだ。
これは滅多にできる体験ではないだろう。
私は底の浅い木のお椀に移して、両手を合わせていただきますをする。
鶏も自分たちで管理しており、そこから生まれた卵を食べるのだ。敬意を払わなければ失礼だろう。
とにかく卵焼きを箸で切り分けて、その後はヒョイッと摘んで小さな口に運ぶ。
「……美味しい」
「「「おおおー!!!」」」
再びの大喝采である。
一体、今の台詞の何処にそこまで盛り上がる要素があったのか、疑問だ。
問い詰めたいところだが、久しぶり過ぎる卵焼きの味に自然と頬が緩む。
そして、私の目から一筋の涙が流れた。
(前世と比べれば、そこまで美味くはないけど。空腹は最高の調味料とはよく言ったものだね)
少しぐらい味や質が落ちても、前世では当たり前に食べられている料理だ。
長き時を経て、今ここに復活したという喜びが最高の調味料になってくれた。
そして卵はあと三つあるので、私は後家さんを手招きしてこちらに呼ぶ。
「次からは、貴女が作ってください」
「わっ、私がですか!?」
とても驚いている彼女に、私はこれからの壮大な計画を簡単に説明する。
「貴女が私の代わりに、皆に卵焼きを皆に教えるのです」
「しっしかし、禁忌に……いえ、わかりました! 稲荷神様のご命令! 謹んでお受け致します!」
彼女は一瞬禁忌と呟いたが、それでも気を取り直してやる気に満ち溢れる返事をする。
もしかして鶏の卵を食べるのはタブーなのかと考えたものの、今の後家さんは全く迷いがない。
なので、気の所為だったのかもと思い直す。
だがここで、卵焼きと木べらは自分が持っている一品物だけだと気づく。
「貴女にはこれを差し上げます。新品でなくて申し訳ありませんが──」
「とんでもございません! ありがたく頂戴致します!」
後家さんは慌てて膝をついて、卵焼き器と木べらを恭しく受け取る。
自分の調理器具は、また後日作ってもらえば良い。
今は久しぶりに卵焼きを食べられただけでも、十分に満足だ。
だが、いつまでも塩派の独走を許すわけにはいかない。
醤油派やソース派、ケチャップ派も早くレースに参入させるべきだ。私は気持ちを新たにする。
なお松平さんへの報告として、卵と一緒に感想やレシピも送っておいた。
返事もしばらくして届き、醤油っぽいけど大豆ではなく、魚から採れる醤油を送ってくれるらしい。
本多さんの上司は頼りになるなと思いつつ、今後は醤油派が台頭してやっとまともな勝負になると、少しだけ嬉しくなるのだった。
鶏が少しずつ卵を生むようになり、長山村で卵料理が広まり始めた。
しかし一部の人には抵抗があるようなので、もしかしたら命を奪うことに躊躇っているのかも知れないと思い至る。
そこで私は未来のある習慣を取り入れるために、良く晴れた日に分社の舞台に上がって、大勢の参拝者を前に少しだけ話をさせてもらう。
「もし鶏の卵を使った料理に抵抗があるのなら、食事の前には手を合わせて、いただきます。
終わった後にも手を合わせて、ごちそうさま。そう口に出すのです」
今から言うのは、麓の村々だけのローカルルールだ。
しかしこれを口にすることで、少しでも心が楽になれば幸いである。
「いただきますは、料理を作ってくれた方々と食材への感謝。
ごちそうさまは、食べ終わった後にもう一度携わった方々へのお礼となります」
食事とは、動植物の命を奪って自らの糧にする行為だ。
こういった心構えがあるのとないのとでは、大きく違うのであった。
なお後家さんと孤児たちは、やがて日本初の自家製卵の料理店を開く。
私が色々と料理レシピを提供したのが原因なのは予想がつくが、まさに行動力の化身であった。
長山村の名物と呼ばれるぐらい参拝客の間で大人気になったけれど、卵の流通量が圧倒的に少ないので一日に出せる量は限られている。
なので卵を使わない料理も、私が新しく提供することになった。自分もたまには外食したいので、異論はなかった。
それはそれとして、数年前に訪れた外国の宣教師によって、卵料理は日本にもう伝わっている。
しかし安定供給が難しい高級食材なため、庶民はなかなか手が届きにくい。
飲食店に気軽に出せるものではなかった。
しかし長山村の料理店は、卵は自家生産で比較的安定して手に入る。
私の教えた未来の料理を再現しており、さらには味にも自信ありだ。何より庶民のお財布に優しかった。
噂では偉い人がお忍びで食べに来たり、破格の条件でこっそり料理人を引き抜こうとした。
けれど私に料理をお供えするのが目的なので、長山村を離れるわけにはいかないと堂々と断ったらしい。
とてもありがたいが私のために自身を犠牲にするのはどうかと思い、行きたいなら行っても良いよと許可すると、一生かけて恩返しをする所存でございますと重すぎる言葉を受け取るのだった。




