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複合宗教

 年号が宝永に変わり、日本全国から江戸の稲荷大社に参拝する人の数が明らかに増え始めた。


 あまりにも数字への反映が顕著なので、何で参拝が流行り出したのと、思わず首を傾げてしまうぐらいに理解不能であった。


 しかし冷静に考えれば、蒸気タービン機関車が通常営業を開始したのが原因になっていると思い至る。

 他にも様々な要因が重なったのだろうが、私の足りない頭ではちょっとわからなかった。


 何にせよ徒歩や馬では何日もかかる距離を、一日かからずに行き来できるのだから、とんでもない技術革新だ。


 まだ蒸気タービン機関車の数が少ないし、各部品の劣化は前世と比べるとかなり早い。

 そのため、一日の本数を減らして整備点検の機会を増やす必要がある。

 

 さらに線路も本州の各藩に敷かれているが、分岐や停車駅もかなり少ない。

 最近になって海に橋をかけて九州と四国に繋がったのは良いが、乗車切符は高額だ。


 だが徒歩や馬、船よりも格安で、時間的にも最速で目的地に到着する。

 それに物珍しさも相まって利用客は多いので、毎日満席状態であった。




 そしてこれよって人の流れが大きく変わるため、様々な職業に影響が出る。


 だがまあそこは前々から忠告していたし、時代の流れには逆らえない。

 私も前世の旅館経営や観光地に関しては、少しだけ知識があるので、その辺りを江戸幕府の役人たちと相談して、要点を書面にまとめて全国に向けて配布しておいた。


 あとは現地の人たちの頑張り次第だ。







 そんな様々な事情があったわけだが、一番の問題はそれではない。

 注意すべきことは、日本全国から数百万規模でのお稲荷参りが行われつつあるということだ。


 既に参拝者の増加という形で前兆は現れており、一向に減る気配がない。

 来年には神職関係者の処理能力を越えてしまうだろうし、もう年間行事のたびに大騒ぎだ。




 そして宝永元年の春になり、かつてない危機的状況を打開するため、今代の神主さんが我が家までわざわざ尋ねてきた。


 疲れた顔をした彼を家の中に招き、居間のちゃぶ台の前に敷いた座布団に座らせる。

 そして温かいほうじ茶と、シロップ漬けのミカンを混ぜた牛乳寒天をそっと出して、私も自分の席についた。


「既にご存知でしょうし、説明は省きます。

 どうしたら良いでしょうか?」


 困った時の神頼みをする彼に、的確に答えてあげたいところだ。

 しかし私は経営に関しては専門外で、どうしても無難な回答となってしまう。


 なので愛用の湯呑に注がれたほうじ茶で喉を潤しながら、場当たり的な意見を口に出す。


「臨時雇いを募集して、急場を凌いだらどうでしょうか?」

「やはり、それしかありませんか」


 私と同じようにお茶を飲んで少しだけ癒やされた彼が、溜息を吐きながら呟く。


 極めて無難な対策だが、現状ではこれが一番効果的である。

 早期に職員を雇用して経験を積ませ、いずれ来る大波に備えるのだ。


 だが、こんな誰でも思いつくような答えを聞くために、神主さんはわざわざ私の家に来たわけではない。


 こちらが返答してもまだ疲れた表情のままなので、他にも心配事があるかも知れない。

 悩むのは性に合わないので、取りあえず考えるより先に尋ねてみる。


「他にも悩みがあるのですか?」

「はい、実は──」


 どうやらこちらが本命らしい。


 ほうじ茶をちゃぶ台に置いた彼は、姿勢を正して真面目な顔をする。

 続いて、お稲荷参りが巻き起こす問題を教えてくれた。


「江戸に幕府が開かれてからというもの、稲荷神様に信仰が集まる一方でございます。

 他の神社仏閣の勢力は大きく衰えましたが、今後はますます差が開くでしょう」


 その言葉で神主さんが何を言いたいのかが、何となくわかってしまった。

 日本の最高統治者である神皇には、面と向かって文句は言えない。

 そんな事をすれば、多くの民衆を敵に回してしまう。


 そして稲荷神への信仰が集まれば、相対的に他の宗教が割を食うことになる。

 そんな状況を、他に神仏を信仰している者たちが喜ぶはずがない。


 今後、さらに差が開いてしまえば、私や江戸の稲荷大社はともかく、他の稲荷神社に恨み辛みをぶつける者も出てきそうだ。

 人は感情で動く生き物であり、誰もが聖人君子になれるわけではない。


 私なんて稲荷神を自称しているが、中身はもろに元女子高生の俗物だ。


 まあそれはともかくとして、話は大体理解した。ならば、私から言えることは一つだ。

 その前に自分の解釈が間違っていないかどうか、神主さんに尋ねる。


「他の宗教が割りを食わなければ、面倒も回避されるのですか?」

「恐らくは、……しかし」


 宗教の垣根を越えて、仲良くしようと口に出すのは簡単だ。

 しかし現実には言うは易く行うは難しで、前世になっても解決してない根の深い問題だ。


 私は自称とは言っても、稲荷神である。

 少なくとも日本国内ならば、争いを止める抑止力になり得るはずだ。


 ならば今こそ、無駄に高い身分を有効活用すべき時だろうと、堂々と発言する。


「この問題を解決するための手段が、一つだけあります」

「そっ、それはどのような!?」


 神主さんがガバっと身を乗り出して尋ねてくる。

 藁にもすがる思いで興味津々といった感じなので、きっと今まで相当悩んだのだろう。


 ならば私はそれを、脳筋ゴリ押しで無理やりにでも解決するのみだ。


「江戸の稲荷大社を、神社仏閣教会などのあらゆる宗教の複合体にします!」

「えっ!?」


 神主さんは完全に沈黙してしまった。どうやら理解が追いつかないようだ。


 ちなみに江戸時代の宗教観だが、仏を信仰しているのに神道のお守りを売っていたり、逆もまた然りだ。


 なので、一番の売れ筋である稲荷神の関連グッズなど、全国の神社仏閣で普通に置かれているだけでなく、狐っ娘のご利益を授ける儀式まで行っていた。


 前世では考えられないが、宗教の垣根を越えて何でもありだ。

 皆やっているし私自身にご利益はないので、いちいち止めさせるのは何だか恥ずかしい。

 けれど、やっぱり本家の稲荷神社には敵わないのか、恨み辛みは溜まっていくものだ。


 理不尽ではあるが、だからこそ私は、今回はそれを逆に利用することにした。

 垣根がガバガバならば、他宗教を取り込んでも大した問題にはならないだろう。


 それに何かあっても、自称神のお膝元である。

 私に真正面から喧嘩を売ってくる者も居ないだろうし、きっと上手いこと回っていくと判断したのだ。


 こちらの説明を無言で聞いていた神主さんは、やがて少しだけ口元を緩めて微笑む。


「このようなことは、稲荷様しか成し遂げられませぬ。

 そもそも思いついても実行に移すなど、他の者には到底不可能でございます」


 確かに誰が思いついても不思議ではないが、常人には実行はできない計画である。

 前世になっても割と頻繁に宗教戦争が起きているので、危険極まりなかった。


 だが鎖国中の日本で信仰されている宗教は、どれも本家からは切り離されている。

 外国や宣教師の助けが得られない今、最高統治者である私が仲良くしようねと言えば、まな板の上の鯉のように運命を受け入れるしかない。


 しかし私は別に、宗教弾圧をするつもりはないのだ。

 そのことを、神主さんにはっきり告げておく。


「服従しろとは命令しません。

 江戸の稲荷大社と共同体になって得られる利益もありますし、参拝者も他教に分散するでしょう」


 この構図だけを見れば、私が日本の宗教界の頂点に君臨している感じがする。


 実際に一番勢いがあるのが稲荷神なので、間違ってはいない。

 本当は分不相応の評価は小っ恥ずかしくて心底嫌なのだが、今はこの面倒を片付けるためにも、真摯に受け止めるしかない。


「確かにこれなら、各宗教に利益も提示できます。

 さらには神職もうち以外に増えますし、敷地外は協力できないにせよ、分散しますし助かりますね」

「そういうことです」


 話し合いが一段落したので、私はすっかりぬるくなったほうじ茶を飲んで一息つく。

 取りあえず問題を解決するための案は示したので、後は現場の判断に任せるだけだ。




 なお、私は汗水垂らして働く気はない。

 森の奥の我が家で、平穏に暮らさせてもらう。

 実際に神様の出番なんて、ないに越したことはない。


 そう思って一歩身を引き、そろそろ帰るかなと玄関まで見送ろうとした。


 だがそこで神主さんから、稲荷大社だけでなく私の家の建て替え工事も視野に入れる話が出た。

 それを聞いた私は、動きを止めて愕然としてしまうのだった。




 後日談となるが、日本中の宗教の複合体計画は、割と上手く行った。


 稲荷神の傘下に入ることで、表面上の仲良しアピールができる。

 さらに各宗教も、参拝客から十分な利益を得られて、堂々と自らの宗派の布教も行える。


 だがそのせいで江戸有数の名所に改めて登録されてしまうのは、うっかりしていた。

 お稲荷参りだけでなく、他の観光客も大勢押し寄せる事態となったのだ。


 参拝者の分散化に成功したとはいえ、流行が終わるまでは江戸の神職関係者はろくに寝られない。

 連日、働き詰めになってしまうのだった。




 なおそれとは関係ないが、私の家も新築された。

 小ぢんまりとした小屋から、一人暮らし用の一軒家にランクアップする。


 炊事洗濯掃除が大変になるので、出来るだけ小さく作ってくださいと強く要望したので、間取りはマンションの3LDKと大体同じだ。

 そして自分の身長に合わせた平屋のバリアフリーで、宮大工の技をこれでもかと詰め込んだ自慢の我が家である。


 しかし建築に関わった大工さんたちいわく、せっかく稲荷神様のお役に立てる機会をいただけたのに、短期間で終わってしまい、腕の振るいがいがなかったそうだ。


 そのように嘆き悲しみ、心底残念そうにしていたので、建て直される稲荷大社で頑張ってもらうように励ましておいたのだった。

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