新しい仕事
私が戦国時代の狐っ娘に転生して、いつの間にか数ヶ月が経っていた。
その間に嫌と言うほど理解させられたのは、自動化が進んでいないので人の力に頼ることが多いことだ。
最近の問題もそうで、非力な女子供は健康な男性に比べて選べる仕事は少なくなる。
作業効率の低下は避けられないうえ、さらに理由は色々あるが夫や両親を失えば頼れる者も居なくなって肩身が狭くなってしまう。
そのような対象は、村社会の中で下に見られる。まあそれは今も昔も変わらないが、地域に貢献する手段が乏しいのは何とかしないといけない。
わざわざ山を登って伝えにきてくれた村長さんに、私は考えた末の提案を口にする。
「養蜂と養鶏を、後家さんと孤児の仕事にしましょう」
自分の頭の中で多分いけるだろうと思ったことを、そのまま口に出した。
老人も含めても良いが、彼らは先人の知恵がある。
それに村社会の中では確固たる地位を築いているし、今のところは食料は不足しているが餓死するほどではないので、姥捨て山にはなっていなかった。
現時点で役割があるなら、無理に変えることもないだろうと保留しておく。
とにかくまず救うべきは、村で居場所をなくした未来ある若者からだ。効率重視かも知れないが、働ける人手を遊ばせておく余裕はないし、有効活用できるならしたほうが良い。
それに私も稲荷神(偽)を自称する以上は、信者たちの願いを叶えるという義務が発生する。
もちろん全てを解決することはできないが、食料や住まいなどを提供してくれているので、自分にできることはするべきだ。
そのせいで色々やらかしたり、周囲から神輿のようにワッショイワッショイ担がれるとかも知れないが、妖怪として討伐されるよりはマシだ。
あとは私個人としても後家さんや孤児たちが可哀想だし、できることなら助けてあげたかった。
「養蜂と養鶏、……ですか?」
村長さんは私の提案が理解できないのか、はてと首を傾げている。
この二つが、日本でいつ頃から行われているのかは知らない。
けれど村長さんの様子を見る限り、長山村では行っていないようだ。
それでも、戦国時代に誰もやっていないとは考えにくい。
恐らく効率が悪く採算が取れないので、好き好んでやりたがる人が少ないのだ。
もしくは宗教上の理由があるかもだが、私の足りない頭ではこれが限界らしい。
しかし、畜産業を全く知らない人に一から説明するのは難しそうだ。
私は内心で、どうしたものかと思い悩む。
狐っ娘の中身は平凡な女子高生で、当然教員免許などは持っていない。
授業や日常生活で聞きかじった知識を、教科書もない口頭でわかりやすく噛み砕いて伝えるのは、とても困難だ。
しかし、無理でも何でもやるしかないのが現状である。
これまで血抜きや滑車、千歯扱きなど色んなことを教えてきた。
だがあれは構造や効果がわかりやすく、実演も容易であった。
さらには、木工職人に基礎知識の理解があったので大いに助けられた。
私は、一体何処から説明したものかと考える。
すると村長さんから、先に質問された。
「あのー、稲荷神様」
「何でしょうか?」
「蜂と鳥を飼うことが、どうして後家たちの仕事になるのでしょうか?」
まずそこからかーと、何処から説明すれば良いかを教えてもらった。
私は再びふむっと思い悩み、あれこれ考え出す。
(でも、まだ養鶏と養蜂なら、わかりやすいほうかな)
理解が及ばない知識を、想像で補って教えるのは大変だ。
養蜂と養鶏なら一から十まで全てとは言わないが、ある程度は知っている。
なので私は、静かに深呼吸して気持ちを落ち着け、おもむろに説明を始めた。
「まず、蜂は花の蜜を巣に持ち帰って蓄えているのは、知っていますか?」
「はい、ヘボは肉食ですが花の蜜も吸いますし、巣を探して中の幼虫を食べたりもしますね」
それを聞いた私は、なるほどとと納得した。
だが同時に、あれれーと、疑問も生まれる。
何にせよ村民たちは、蜂の幼虫が食べられることを知っているのは間違いない。
だが肉食とはこれいかにで、花の蜜が主食のはずだ。
もしかして私と村長さんの想像する蜂の種類が、違ってるんじゃと考えた。
しかし実際にその蜂を見ないと、はっきりとしたことは何も言えない。
今はとにかく、説明を先に進めることに決めた。
私はスクっと立ち上がり、大部屋の墨の戸棚からスズリと筆と墨、あとは水差しを取り出す。
簡易机の上に置いて、ゴリゴリと擦って墨汁を作る。
続いて目の荒い紙にサラサラと描き出すが、筆の扱いにも慣れてきたのでかなり手早い。
「これは、木箱ですか?」
「内部には木板が何枚も入っており、この木箱が人工の蜂の巣になります」
巣穴用の木箱を見た一番新しい記憶は、テレビのニュースだ。
グルングルン回して蜂蜜を絞っていた印象が強く、内部構造は比較的に単純だった覚えがある。
あとは板の間隔をどの程度開けるかだが、この辺りはとにかく試行錯誤を重ねていくしかない。
「あの、稲荷神様? 本当に木箱の中に巣を作るのでしょうか?」
「女王蜂を木箱の中に入れて、居心地が良ければという条件が付きます。
ですが養蜂は十分に可能だと、私はそう考えています」
「なっ、なるほど!」
村長さんはまだ疑問を浮かべていたが、取りあえずは納得してくれた。
鶴の一声ならぬ狐の太鼓判により、良くわからないがとにかく養蜂は成功間違いなしだと思ったのだろう。
ただ蜂の好む巣箱、女王蜂を探したり、蜂避けの服を作る。
回転させて蜜を取り出す道具等と、前世の養蜂だから成功したのだ。
他にも、やるべきことは山のようにあるし、どれだけ試行錯誤すれば良いのか見当もつかない。
しかし、せっかく納得してくれたのだ。
ここで水を差すのは野暮である。
最後に、生後一年未満の幼児は蜂蜜が毒になるので、絶対に与えてはいけないと真面目な顔で告げる。
次にコホンと咳払いをして姿勢を正し、続いて養鶏の説明に移るのだった。
養鶏場は手伝いに呼ばれた以外にも、ニュース等で何度も見かけたことがある。
しかし、流石に前世のような施設は高望みすぎだ。
最初はせいぜい学校の飼育小屋のような簡易的な物を目指す。
殆ど放し飼いの小規模な養鶏場も見たことはあるし、そこから少しずつ規模を増やしていけばいい。
「先程も言いましたが、養鶏とは鳥を飼うことです」
「鳥ですか?」
養鶏は鳥なら何でも良いわけではない。
うずら卵という手もあるが、実入りは少なそうだ。出来れば大物を狙いたい。
「はい、鶏という鳥です」
「鶏ですか。……むむむ」
そして村長さんは、何やら真剣に考え込んでいるようだ。
もしかして、戦国時代の日本には鶏は居ないのではと少し不安に思い始めた頃、彼はおもむろに口を開いた。
「その鶏と言うのは、庭つ鳥のことでしょうか?
特徴としては、鳥の中では比較的体が大きく、朝方に大声で鳴きますが」
「あっ、はい。その鶏で合っています。……多分」
呼び名が違っただけで、戦国時代も日本に居たようだ。
私の聞き間違いでなければ、その庭つ鳥が前世の鶏だろう。
少しだけ村長さんのむむむという間が気になり、心配そうに尋ねてみる。
「手に入りそうですか?」
「大丈夫です。鳥を飼うのは禁忌ではありませんので、小屋も用意できます」
一瞬だが、もしかしてお肉を食べたら駄目な系かと思ったが、時代劇では普通に食べていた。
ならば戦国時代でも普通に食べている可能性もあり、こっちは卵なのでセーフだろう。
だが養蜂と同じく、こっちもやるべきことは山ほどある。
ヒヨコのお尻を見てオスとメスの違いを調べる。最初は少ないだろうから、卵を沢山生む鳥へと品種改良。害獣の侵入を防いだり、飛ばないための工夫。餌の安定した確保など色々である。
けれど今の私は、これで蜂蜜と卵が食べられると内心大喜びだ。
表情は真面目でも耳と尻尾を動かすのに忙しく、多分何とかなるだろうと楽観的に考えていたのだった。




