火縄銃
右足が沈む前に左足を前に出して、それを交互に繰り返す。
私は物凄い速さで海面を疾走しつつ、さらに狐火を足先から放出して沈まないようにする。
それは良いのだが、急いだせいで目標である商船団に追いついたが、急には止まれずあっさり追い抜く。
だが足を止めると沈んでしまうため、商船団の前方に躍り出たところで、水面を勢い良く蹴って跳躍した。
背後に物凄い水飛沫が上がったが、その程度は些細な問題である。
空中でくるりと一回転して船団の最後尾の、もっとも大型船の甲板前方に危なげなく着地した。
オリンピックに出る気はないが、もし審査委員が居たら十点満点がつく。それぐらい見事な跳躍であった。
驚き戸惑っている多くの船員を放置して、私は呼吸を整えた後に、もう一度耳を澄ませる。
すると先程よりもはっきりと、嘆きや悲しみが聞こえてきた。
この船で間違いないと察する。
ならばするべきことは一つで、姿勢を正してコホンと咳払いをした。
そして驚愕の表情を浮かべている船員たちに、まどろっこしい交渉など必要ないとばかりに、単刀直入に告げる。
「神皇である稲荷神が命じます!
これより貴方たちの商船団を拿捕して捜査を行いますので、即刻港に引き返しなさい!」
今の発言を聞いて、まるで事態が掴めずに取り乱す者や、自らの運命に絶望する者たちとで、見事に反応が分かれた。
それを見た私は、商船には奴隷販売に進んで加担している者だけではない。
何も知らずに、真面目に仕事をしている人も居るのだと、何となく察した。
しかし、商船団の動きは止まらない。
だからと言って、港に引き返す様子もない。
甲板の前方に威風堂々と立つ私は、命令を聞かなければプランBを行うしかないと、基本的に行き当たりばったりで行動しているので、急いで代案を考えるのだった。
甲板が静まり返ったまま、一分ほど過ぎた。
商船の代表らしい恰幅の良い日本人が船室から出てきたのか、柔和な笑みを浮かべて私のすぐ前まで歩いてくる。
ちなみに彼は、胸元に高そうな十字架の首飾りを下げていた。
つまり、キリシタンであることがわかる。
「これはこれは稲荷様。我が商船に、ようこそいらっしゃいました」
「御託はいりません。先程の命令通りに、今すぐ港に引き返しなさい」
笑みを崩さない商船のおじさんに、もう一度港に戻るようにと伝える。
すると彼は、困ったように苦笑した。
「急に乗り込んできて、拿捕するなどと申されましても。
我々は清廉潔白な商人でして、決して不正に手を染めるなど──」
おどけた調子で無罪を主張するので、大した面の皮の厚さだと感心する。
だが別に、羨ましくなかった。
しかし今現在も、奴隷として捕まっている人たちの嘆きや悲しみを耳にしているのだ。
私にとっては余計に、神経を逆撫でするような発言でしかない。
なので先程よりも強い口調で、再び彼に話しかけた。
「貴方たちは本当に、清廉潔白な商人なのですか?」
「はい、神に誓って決して嘘は申しません」
私は溜息を吐いて、港町の方角を見る。
速度を緩めずに前進しているので、段々と遠のいていくのがわかった。
つまりは命じられた通りに、引き返す気は一切ないのだ。
次の取り引き先に向かうか、あわよくば手が届かない遠くへ逃げるかの、二択を選んだということだろう。
他にも思惑があるかも知れないが、とにかく私は呆れたような溜息を吐く。
次に、表情を厳しくして命令を下す。
「では、言い方を変えましょう。
日本人の誘拐及び、拉致監禁。
そして法律で禁止されている奴隷販売の件について、島原奉行所にて取り調べを行います。
ただちに出頭しなさい」
この発言を聞いた恰幅の良い商人は、途端に表情を崩して困惑顔になる。
そしてしばらく考えた後に、苦笑しならがやれやれと肩をすくめた。
次に、私からゆっくり距離を取る。
「いやはや、そこまでご存知でしたか。
流石はこの国の最高統治者。大変聡明であらせられる」
下がった彼の代わりに、やたらと屈強な男たちが次々に前に出てきた。
しかも、それぞれ銃火器を構えて隊列を組み、明らかに私を威圧している。
「我々の商売の邪魔さえしなければ、穏便にお帰りいただけたものを」
十中八九で面倒な展開になることは、予想していた。
なので私に動揺はなく、相変わらず真面目な表情でじっと彼らを見据える。
「リトルプリンセスは賢くはあっても、弱き者を救うために自ら死地に飛び込む。
その慈悲深さは長所ではありますが、今この瞬間に限っては、愚かとしか言いようがないですな」
稲荷神様ではなくリトルプリンセスと呼んだことで、鈍い私でも察してしまう。
この商人たちは、狐色に染まるどころか日本国民の自覚が薄い。
どちらかと言うと、宣教師か貿易相手国の勢力に属している。
奴隷販売は儲かるが、私はそれを禁止したのだ。
国内での需要は激減したけど、外国ならまだ引く手数多だった。
金儲けがしたければ、たとえ危ない橋を渡ろうとも、そっち側に加担する気持ちはわからなくもない。
しかし、やはり面倒事は避けられそうにないので、大きな溜息を吐いて彼に尋ねる。
「それで? 貴方達は、これからどうするつもりですか?」
「当然、貴女をこの場で捕らえさせていただきます。
証拠は隠滅するに限りますし、ここで逃したらそれこそ大損です」
随分大きく出たなと思ったが、火縄銃を構えて整列している者たちに、恐れはなかった。
感情を抑える訓練しているのか、それとも銃火器を信頼しているのかは知らない。
無力化するにしても、これは少々骨が折れそうだ。
そして彼は値踏みするように私を観察しながら、ニヤついた表情で声を漏らす。正直、気持ち悪かった。
「リトルプリンセスは大変可愛らしい容姿をしておられますので、愛好家は多いでしょう。
それとも政治や信仰、またはこの国を脅す道具としても使えますな」
つまりはこの商人が外国との間に太いパイプがあるのは、ほぼ確実だ。
ついでに彼らがそういった犯罪に加担する人間だという証言は、もう十分だった。
あとは船の足を止めて捕縛し、陸に連れ帰る。
その後に、奉行所で洗いざらい白状させる。これ以上は、今考えても無駄だと決断した。
私は商人がまだ何か喋っている最中に、強引に割り込んだ。
「最後にもう一度命令します。今すぐ港に引き返しなさい」
これが最終通告だが、周りの者たちは私を小馬鹿にしたように嘲笑うだけだ。
さらに、堂々と口も出してきた。
「リトルプリンセス、貴女は馬鹿なのですか?」
彼のその台詞を聞き、元々感情のままに動くは私はカチンと来た。
自分が行き当たりばったりで考えが足りないのはわかっていたが、はっきり指摘されるとやはり頭にくる。
それに、やはり聞く耳を持たないようだ。
そ周りの屈強な男たちに、銃口の照準を合わせるように指示を出し、あくまでこちらを脅す。
「リトルプリンセス! 命令しているのは我々だ!
痛い目に遭いたくなければ、頭を垂れて命乞いしろ!」
だが乗り込む前に覚悟完了しているし、色んな意味で吹っ切れている。
商人に対する返答として、そんな脅しなど何処吹く風だ。
なので、あろうことか甲板で準備運動をしながら、あっけらかんと発言する。
「せっかくですが、お断りします」
悪徳商人からの降伏勧告を、きっぱりと断った。
私のやるべきことは一つだ。もちろん脳筋ゴリ押しで、この手に限ると言うか、この手しか知らない。
なお今回は木造船なので、狐火は使えなかった。
着火した瞬間に、あっという間に燃え広がってしまう。
ならば襲いかかってくる敵を無力化するには、殴る蹴るしかない。
他の商船も周囲に展開しているので、何人ボコボコにすれば抵抗を止めて降参するのか、皆目見当がつかなかった。
なので、今回は結構な長丁場になることが予想される。
いくら疲れ知らずの狐っ娘でも激しい運動をする前には、念の為に体をほぐしておくのだ。
前世で元女子高生をしていた頃の癖のようなもので、この体でも効果があるのは知らない。ただ気分的にやっておいたほうが気合が入るので、そうしているだけだ。
だが商人は、いつまでも降参しない私に痺れを切らしたようだ。
近くに居た強面の男に、苛立ちながら指示を出す。
「おい、一発撃ってビビらせろ」
彼は日本の最高統治者に銃口を向けるのはともかく、流石に発砲するのは抵抗があるようだ。
若干ビビりながら返事をする。
「よっ、よろしいのですか?」
「構わん。威嚇で掠めるだけだ」
たとえ小声でのやり取りだとしても、狐耳には丸聞こえだった。
強面の男が、自衛隊の型落ち品らしき火縄銃を構える。
相変わらず準備運動を続けながら、横目で様子をチラチラ見ている私を慎重に狙う。
そして、パンという火薬の爆ぜる音が聞こえた。
私の右頬を掠めるようにして、弾丸が勢い良く発射されたのだ。
「よっ」
一瞬のことなので、彼らにとっては何が起きたかわからなかったようだ。
私は射出された弾丸を、無造作に親指と人差指で摘む。
「「「えっ!?」」」
さらに、この場に集っている者に見せつけるように、わざと甲板に落とす。
そのうえ、鋼鉄よりも頑丈な初期装備の下駄で踏みつけ、あっさり埋没させた。
落ち着いているように見えて、実は内心ではブチ切れている。
彼らには私に逆らうだけでなく、日本の法律を無視して堂々と悪事に手を染めたらどうなるかを、否応なしに理解してもらう。
「あっ! 悪魔だ!」
「いいえ、私は稲荷神です!」
先程までは強気だった商人や用心棒たちの顔が、みるみる青ざめていく。
それとは逆に、捕縛対象である私は余裕の表情を崩すことなく、可愛らしく微笑みを浮かべた。
そろそろ準備運動も終わったので、両手を上げて軽く伸びをしてから、恐怖に震える彼らをじっと見つめる。
明らかに、狩る者と狩られる者の構図だ。
そして、武装商船団にお灸をすえる時がやって来た。
「かっ、神に仇なす悪魔を討伐しろおおーっ!!!」
この場の最高責任者らしい商人の大声で、甲板で震えていた用心棒たちは恐怖を押し殺す。
一斉に火縄銃を構えて、甲板に立つ私に逆扇の形に射線を通して照準を合わせた。
だが私は、ここで気づいてしまった。
避けるために動き回れば、同士討ちになったり船の何処かに穴が空いて、最悪水漏れが発生する。
そうなれば自分以外は皆、海の藻屑だ。
死人に口なしで、最悪犯人グループも不明なままである。
おまけに捕まっている奴隷を救出できなければ、勇み足で乗り込んできた意味がない。
何よりも救出失敗は、何としても避けたいところだ。
ならば当たっても無傷だからと、仁王立ちして一方的に攻撃を受けるべきだろうかと考える。
しかし、背後の誰かを庇うならまだしも、ただ受けるのは何となく馬鹿っぽい。
漫画やアニメに出てくる舐めプ上等なキャラは、油断した末に致命的な一撃を受けてやられるものだ。
弾丸が発射されるまでの短い時間で、私はそのような考えを巡らせていた。
「殺せ! 偉大なる主の信徒である我らの手で! 恐ろしい悪魔を倒すのだ!」
商人の命令と同時に、火縄銃の先から弾丸が飛び出して、真っ直ぐ私に向かってくる。
自分にとっては見てから対処が余裕なので、取りあえずその場から一歩も動くことなく、一つずつ丁寧に手で掴んでいった。
連続発射できないのか。それとも一撃で仕留められると考えていたのかは不明だ。
火薬の爆発音が止んだので、私はあっけらかんとした表情で声を出す。
「終わりですか?」
「なっ! なんだとっ!?」
両手の中に収まった、合計十数発の弾丸を彼らに見せつける。
さらにギュッと握り潰して大きな塊にして、甲板にゴトリと落とす。
私は先程と同じく足で踏みつけて、より深く陥没させた。
真っ青な顔になり、子鹿のように足が震え始める商人や乗組員たちだが、まだ銃火器を持っているので油断はできない。
そこでふと私は、火縄銃は連続発射が難しいと、自衛隊の人から聞いたことを思い出した。
「では、今度は私の番ですね」
「次弾装て──」
残念ながら、商人の彼はそこまでしか喋れなかった。
一瞬のうちに私が肉薄して、顔面を殴りつけて吹き飛ばす。
昏倒すれば、もう意味のある言葉を口に出すことはできない。
そして、そこで手を止めたりはしなかった。
銃火器を持っている相手を優先して狙い、目にも留まらぬ速さで次々と無力化していく。
熟練者なら、十秒かからず次弾装填できるかも知れない。
だが私にとっては、それが致命的な隙であった。
腕や足を折ったり顎を砕いたりと、情け容赦なく沈めていく。
少しでも抵抗するようなら、その時点で敵認定だ。
結果、甲板の上を縦横無尽に動き回る。
そして数分足らずで、武装した乗組員を完全に無力化してしまったのだった。




