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イナリ運輸

 秋が深まってきた、ある日のことだ。

 私は聖域の森の奥にある我が家の縁側に座り、楽しそうに庭を駆け回る狼たちを眺めていた。

 中には虎サイズも混じっているが、慣れたもので誰も怖がったりはしない。


 最近発売された栗饅頭を小さな口に運んでは、時々熱い緑茶で喉を潤す。

 続いてこれまで色んなことがあったなーと、過去を振り返る。




 まず、江戸幕府が立ち上げた稲荷運輸だが、最初から順風満帆とはいかなかった。


 全国的に街道の整備を進めていて、雨が降っても多少ぬかるんだり、水たまりができるだけ済んだ。

 なので、車輪がハマって動けなくなる程ではない。


 だがそれでも、馬車は激しく揺れる。

 人や物をたくさん乗せて長距離を移動できるという利点はあるが、これには堪えた。


 対策として、全国で綿花を栽培させているので、座布団を敷いて衝撃を緩和する。

 それでもあまりの揺れに嘔吐する者が出てしまったり、積んでいる物資も破損したりと散々であった。


 しかしそのおかげで、協力を要請した職人の一人が、サスペンションに近い何かを思いつく。

 実用化までは四苦八苦があったし、初期は未完成なままで組み込むことになったが、揺れは確実に緩和されたので、とにかくヨシであった。




 なお広告に関してだが、当初の予定では運営しているのは江戸幕府の親方日の丸である。

 なので、徳川の家紋のはずだった。


 しかし、ここで何故か私が最初に描いた、親猫が子猫を咥えて移動するイラスト。それを狐に差し替えたものが採用される。


 自身が黒猫の運送屋に習って監修したモノを、全国にお披露目することになったのだ。

 私にとってはある種の黒歴史で、下手をしたら精神的な拷問にも等しい。


 だが今さら中止にはできないため、渋々ながら許可することになる。

 試験運転中の乗合馬車は江戸の町を走ったのだが、目撃した民衆の評判が良いのは、不幸中の幸いだった。


 デフォルメされた親狐が我が子を咥えて運ぶ姿のイナリ運輸を見た人たちは、ほっこりした気分になるらしい。


 評判が良いのが救いだが、黒歴史が日本中に拡散されているには変わりない。

 私は小っ恥ずかしく感じて、布団で悶えることになるのだった。




 なおサスペンション(仮)だが、一年に一度行われる日本勲章授与式で表彰することになった。

 他にも受賞候補者が多数出たので、選抜に苦労するという嬉しい悲鳴があがる。


 しかしここ最近、毎年これをするたびに思うことがあった。


(征夷大将軍を私がやる意味って、もうなくない?)


 前世の知識で賢くなった日本の民衆たちは、オーバーテクノロジーとも言える新製品や新技術を、次々に生み出している。


 例えば今回招いた塩職人さんは、塩田効率を従来よりも大きく引き上げた。


 これは正史の江戸時代には行えなかったことを、私の助力はなく彼ら自身で成し遂げたと言える。

 本当に素晴らしい快挙で、私も誇らしくなって小さな胸を張ったものだ。




 だが国民が数々の偉業を成し遂げるというのに、最高統治者は場当たり的な判断しか下せない。

 頭もあまり良くないし、体が成長せずに寿命も不明である。


 優れた治世者になるのは、最初から諦めている。

 平穏に暮らすという目的は変わっておらず、時が来たら徳川さんにバトンタッチする予定だ。


 ただそれは、自分が思っていたよりも早く来そうだった。

 日本統一に続いて、五穀豊穣RTAもゴールが近づいている。良いことだが、もう少しだけ私の出番は続きそうなのだった。




 また、各地に築いた駐屯地で日夜訓練を続けている自衛隊も、大活躍している。


 最初は上手くいくのが不安でいっぱいだったが、未だにしぶとく存在する野盗や山賊などを退治したり、付近の町村を定期的に見回る。


 治安維持に多大な貢献をし、さらに大型で危険な野生動物の駆除や災害救助など、やっていることは自衛隊だけでなく警察や消防や猟師、その役割は多岐に渡っていた。

 給料や物資も滞ったりきちんと届けているので、今の所は文句はでていない。


 しかし平和すぎて忘れ気味だが、戦国時代が終わってから、まだそんなに時間は経っていないのだ。


 元々血の気の多い侍が固まっているので、何がキッカケになって暴走するかは不明である。

 自衛隊と地域住民との間に、確固たる信頼関係が築けているとは言い辛い。


 せめて町村の隣に駐屯地があるのが普通だと思うぐらい、身近な存在になって欲しいものだ。


 要らぬトラブルは発生にしないに越したことはないが、今の所は割と上手くいっている。

 もうしばらくは、注意深く様子を見る必要がありそうだ。




 あとは、北方の蝦夷との交渉は、現状では上手く行っている。

 そこで手が空いた役人を十分に労ってから、今度は南に向かわせた。


 その際に、長期の航海中の船乗りがかかる病気のことを、呪いだ何だと言っていたが、そんなものは私に言わせればただの栄養失調だ。


 しかしながら、今すぐに証明する手段もない。

 取りあえず今は稲荷神様のありがたいお言葉として、船乗りに徹底させるしかなかった。


 ちなみに対処法は、長期保存が可能な栄養に優れた食べ物だ。

 原因はわかっているので、対処は容易である。


 とにかく航海中でも、栄養バランスに優れた食事を取り続けることだ。

 特に野菜は重要であると、大雑把な方針を出して、あとは現場に丸投げである。


 幸い最近になってガラス瓶が実用化されたので、栄養価の高い保存食は問題はない。

 あとは長期間腐らず、さらに栄養と味を落とさない食事を作れば良いのだ。

 もちろん容易ではないが、多くの料理人たちに協力を要請する。




 それに伴い、お正月に各地の大名に大陸の危険性と、敵を作らずに面倒を避ける重要性を口頭で説明する。


 特に隣の半島や大陸は迂闊に飛び込むと危険なので、適度に距離を取って貿易のみに留めるのが賢い選択だ。

 少なくとも私にとっては、目の前の仕事というか国内の情勢を安定させるので精一杯である。


 見た目は狐っ娘で神を自称していても、中身は平凡な元女子高生なのだ。

 国外にまで目を向けるなど無理難題すぎるので、そういうのは自分が退位してからやってもらいたい。


 もちろん後半は一切口には出さなかったが、内政に専念することは伝わったのだった。







 また別のある日のことだ。

 私はこのところの日本は発展が止まらず、段々と速度を上げている気がした。


 千歯扱きが全国に普及してしばらく経つと、今度は足で踏むと歯の部分が回転する凄い脱穀機が発明されたのだ。


 それら全てを、私のおかげだと敬われるのはマジ勘弁である。

 自分はあくまでも原案を出しただけで、日本国民はとっくに私の手を離れて独り歩きしている。


 彼らは与えられた知識を生かして、創意工夫でここまで発展させたのだ。

 なので間違いなく、この時代を生きる人たちの努力あっての成果である。




 そこで今日は自分は完全にノータッチであると声高に主張するために、江戸の稲荷大社に偉大な功績をあげた人たちを全国から招いた。

 各藩や民衆が見守る前で、敷地内で特別な式典を開いて大々的に表彰するのだ。


 元々、偉大な功績をあげた人は記録に残して、規約通り賞金や書類は郵送していた。

 なので問題はなかったのだが、近年になって街道の整備もかなり進んできて、各藩の行き来も活発になってきたのだ。


 各地にあった関所も、建造物は残っているが本来の機能は果たしていないので、素通りで気軽に旅行ができる。

 他にも様々な理由により、年一ペースで江戸で記念式典が開催されることが決まった。


 その際に、私が手ずから勲章を授与することとなる。

 デザインは稲荷大明神の紋様と、小狐がチョコンと座った造形だ。

 鎖は銀、像は金の可愛らしい首飾りで、一流の細工職人が手掛けた匠の技である。


 ただちょっとややこしいが国民栄誉賞の企画が始まったときには、式典は開かれなかった。

 なのでこれまで賞金や書類で済ませていた人たちも、記念の首飾りと表彰状を与えるので、もし良かったら来てねと書状を送っている。


 その結果、何となく予想はしていたが凄く大勢の人たちが稲荷大社に集まった。

 江戸幕府の役人だけでなく神職もヒーヒー言うことになるが、来年以降は式典の流れを覚えるし、表彰する人数も減るので落ち着くはずだ。




 私はそんな過去を振り返りながら、稲の装飾がされた専用の木製踏み台の上に乗る。

 そして稲荷大社を訪れた大勢の人々を前にして、台本を読みあげていく。


「えー、妙子たえこさんは樽型洗濯機を発明し、日本の発展に多大な貢献をしたことを、稲荷大明神がここに讃え、日本勲章と十貫を与えます」

「あっ! ありがとうございますだ! 代々の家宝にしますだ!」


 嬉しそうに頭を下げる妙子さんに、勲章をそっとかける。

 今のペンダントと同じように、日本人はとっくに私の手を離れて独り歩きしていた。


 私が教えた現代知識は、日本中に広まっている。

 あとは自分が関わらなくても、勝手に芽吹いて花を咲かせてくれるだろう。


 それに洗濯板もとっくの昔に全国に普及している。

 今回は、樽の形をした手回し型が発明されたので表彰させてもらった。


 そんな彼女には、割れんばかりの歓声と拍手が送られる。

 私はそれを満足そうに見つめてから、ゆっくり踏み台から降りた。


 流れ作業のように、木の台を徳川さんが担いで次の人の足元に静かに置く。


「えー…勝さんが指揮する使節団は、蝦夷と濠太剌利亜(オーストラリアと稲荷様が命名)との友好に、多大な貢献をしました。

 稲荷大明神がここに讃え、日本勲章と十貫を与えます」

「ありがたき幸せ! 今後とも稲荷大明神様のために、身を粉にして働く所存でござる!」


 何となく勝という名字に聞き覚えがあるか気がしたが、多分偶然だ。

 彼は私がその場のノリで親善大使に指名したときは、まだ元服したての少年だった。

 だが今は、海風や異国の風土に揉まれたのか、凛々しい若武者に成長している。


 すっかり背が伸びた勝さんの首に勲章をかけて、月日の流れを感じる。

 同時に自分は一向に成長していないことを、改めて自覚した。


(これは早いところ退位して、山奥に引き篭もったほうがいいかも)


 踏み台からよっこらしょっと降りると、徳川さんに次の勲章を渡された。

 式典が粛々と進む中、自分はこの先どうすべきかとぼんやりと考える。




 前世の日本人は、現代になってもやんごとなき方を敬っていた。

 だがもし史実通りに列強諸国の侵攻を受けた場合、私はどうなるのか不安だ。


 自身が平穏無事に暮らせるようにと、外国との戦を回避するために動き、味方を増やしてはいるが、それでも絶対に防げる保証はない。


 特に今は、先進国が大航海の末、未開の地に降り立ち、友好的に近づいて情報を引き出している。

 裏では原住民や動物たちを殺して植民地にすることも、十分にありえた。


 そんな極一部が過剰に拡大解釈された、B級映画のようなうろ覚えの知識に不安を覚える。

 だがもしそんな輩が、日本を治めている私に目をつけたら、一体どうなることかだ。


(殆ど不老不死で、人の言葉を喋る狐っ娘。

 おまけに未知の知識や技術を持っているんだから、狙われないほうがおかしいよね)


 まだ航海技術も情報伝達も未発達で、遠い日本の様子は海外には噂程度しか伝わっていない。


 しかしやがて、世界中で蒸気船が作られるようになる。

 そうなれば黒船が遠方からやって来て、強制的に開国を迫られるかも知れない。


 そして一度でも屈したら、もはや巻き返すのは殆ど不可能だ。

 あとはズルズルと不平等条約を結ばされて、いずれは私は敵国に連れ去られる。

 実験動物のような酷い扱いを受け、獄中で苦しみながら亡くなる可能性もゼロではない。


(平穏に暮らして、天寿を全うするつもりだったのになぁ)


 徳川さんにバトンタッチするのは一緒だが、今の世界情勢を知れば知るほど不穏な気配を感じ取ってしまう。

 私は退位後の隠居生活を練り直したほうが良いかもと、表情には出さずに心の中で溜息を吐くだった。

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