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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ファム・ファタル

作者: 梅霖

地雷一覧↓

・コンビニサンドイッチのレタス一枚程度に百合に挟まる男

・バッドではないがメリバ寄り?

・死ネタあり

・王子がサラッとやや酷めにざまぁを受けている匂わせ

・濡れ場匂わせ


この時点で一つでも無理だな、というものがございましたら、速やかにお退きください。



「ラウィニア・ジゼル! 貴様との婚約を破棄する!」




ラウィニアはヒールを丁寧に回し、体ごと振り返った。

複雑に結い上げたプラチナブロンドは、光が凝固し宝石のように見え、シャンデリアの白い光を受けて眩く光る。



繊手を美しく鳩尾に揃え、声の源と対面する時にはもう、ラウィニアは敬称を伴わずに呼び捨てられた意味を理解していた。また、一切の訂正をしない父親の姿も取り入れた。


いずれ縁戚となる王族は公爵令嬢たる己に付帯する価値であり、そのためラウィニアは()()()敬意を払っていたが、しかし今、殿下は自らの債務を破棄すると同時に債権を剥奪した。

契約の価値が失われた以上、ロマンスのブランドには何の意味もない。


数秒前まで婚約者であった王子は、権威と象徴の記号を張り付けた物体と化し、透徹したアイスブルーの観察眼に晒された。


ラウィニアは、恋なんていう観念に一欠片も重きを置かない、冷徹な政治家だった。



己の立場の推移を把握し、ラウィニアは即座に断じた。


よろしい。


ジゼル『公爵家』のお飾りを失った今こそが、真に私の始まりと言える。

であればこの『ジゼル』の名を泥中に引き回し、使い古して、私の物にしてしまいましょう。

あと四年、いいえ、二年後ね。この『ジゼル』の名で思い出されるのはもはや公爵家ではなく、成功した私の姿でしょう。


「可愛いレネに数々の嫌がらせを──始まりはダンスパーティーの日のこと、レネの大事なドレスを──ついには母親の形見まで──」


見目麗しく育ちの良い、爪先まで磨かれた権力者の子息たち。シャンデリアの照明に溶け滲むような彼らの幼さ...まるで鮫の棲む水辺に広がる血のように、捕食者からするとあまりにも明白な弱みだけを、ラウィニアは思考に留めた。

つらつらと語られる物語を頭半分に聞きながら視線を流し、中核を突き当てる。


「レネの大事にしているもの、すべてを滅茶苦茶にする! 嫉妬でそこまでするとは醜い女の──」

「誰かが裁くべき罪だ! 誰も正義を気にしたいなら、僕たちが──」




────あの子。



瞳に涙を湛えて、一心にラウィニアを睨み付けていた。




ラウィニアはわずかに首を傾げ、その瞳を覗いた。その時にはラウィニアは聞くのを止めていた。

全ての音が背景のノイズへ遠ざかる。

ラウィニアの集中が自然に引き絞られる。


噂は聞いていた。口さがない囁きから、()()()()令嬢だと。なるほど確かに、奇妙な、奇妙な娘だ。



この子は、顔と肩書の見栄えが良い男をお人形にして、愛に浸るのが好きらしい。

ならば叩き潰して差し上げましょう。


見回す顔は、短慮。浅慮。無能。須らく底の浅い。


そんなに誰かに縋りたいの? 私の方が、そこの男どもを束にして秤に乗せても揺るぎないのに。あなたは可哀想な人ですね。きっと私の腕の中を知ってしまえば、もう戻れないでしょう。



ラウィニアはプラチナの睫毛を軽く伏せる程度に目を細め、さらに焦点を合わせようとした。


それは奔放に下ろされた髪かもしれない。短いスカートから剥き出しの素脚かもしれない。この国の女がよくするものよりもどこか一歩外れて、華やかに目元を彩る化粧かもしれない。

しかし具体的にどこかどう異なるのかは捉えられず、その()()()()()という感覚が人生初めてのもので、ラウィニアは興味深く瞬いた。


彼女だけに見えている道を盲従する、熱っぽい眼差しに、常に平坦なラウィニアの脈拍が不規則に乱れていく。

その眼差し、瞬き、かすかな身動ぎ、立ち方が、まったく異なる空気で満たされている。


これが青年たちの囃し立てる『平民由来』のものとは思えなかったが、純白の雪に咲く常夏の花を見つけたような、泥中で飛ぼうと足掻く小鳥を眺めるような、鳥肌の伝うような錯覚を与える、違和感のある引力だ。

仮に彼らの惹かれたものが、私が今見ている()()と同じものだとしたら。


殿下の気持ちがわかりますね。

とても魅力的な人。



桃色がかったブラウンの髪。夢見るような若草色の瞳。華奢な体。低い身長。面立ちも弁舌も甘やかな少女。ラウィニアの視線に、彼女は瞳を揺らして一歩退く。


その不可解な怯懦を解体したくなり、吸い寄せられるようにラウィニアはそれを追い、突然複数の腕に囚われていた。



「彼女に触れるなッ!」

「今になってレネを傷つけられるとでも思ったか!?」

「往生際の悪い......!」


床に強く膝を打ち、後ろ手に回される腕に縄を打たれる。

これまでにない興味を阻害される激しい不快が、ラウィニアの思考を浚う。沸騰し喉元まで込み上げるのもまた、これまでにない怒りだ。


「ねえっ、みんなぁ、もう離してあげて?」

「レネ、さっきのコイツを見ただろう? そんな危険な真似はできない」

「でも、でもぉ、かわいそうだしぃ~...」

「レネはなんて優しいんだ!」

「怖かっただろうに」

「...うん。ちょっと、怖かったぁ。でもきっとぉ、ラウィニアさんも反省してくれてるし、謝ってくれたら、レネは大丈夫だからぁ」

「謝罪だけで済ませていいはずない!」

「この女にはもっと厳しい罰を与えなければ...!!」



ラウィニアは激情の波が去って行くまでの間、痺れたように硬直して俯き、最後の一滴まで味わい尽くしていた。

それからゆっくりと、顔を上げた。


「......わかりました」


まだラウィニアの内面に色濃い高揚が、声を震わせる。



ラウィニアはここでようやく、新たな目で、自分を取り巻く青年たちを()として眺めていた。己の失脚を示す記号群ではない。

淡泊な瞳が素早く滑り、正義の重みを測る。

いつものようにラウィニアの明晰な頭脳は、自身の期待を裏切らず、人たる彼らを剥き出しに暴いた。

しかし容易い観察に、常ならば伴うはずの仄かな満足すら、先ほどの逆波の後には色褪せる。


「...何?」

「わかりました」


怪訝に振り返る王子に、ラウィニアは正答を選び続けている。


「罪を認めましょう。すべてが私の過ちです。願わくば愚かな私が、たとえ側妃としてでも、いずれは王となられる殿下、妃殿下のお傍に侍り、お支えするのをお許しいただきたい」


ラウィニアは深く俯き、胸の前に指を組んだ。

その姿に多くの貴族令息は口籠り、王子も喉を鳴らして、動揺に上擦った声を上げる。


「なッ...! 何を言っている! き、貴様は自分の立場をわかっているのか!? レネにした狼藉が消えたわけではない、のうのうと側に居座ろうなど!!」


ラウィニアは柔和に微笑した。


「ええ。一からやり直す慈悲をいただけたこと、深く感謝いたします」


顔の紅潮を確認したところで関心を失い、ラウィニアすうと目を逸らした。レネを見る。手を伸ばす。

ラウィニアが今見せた姿の後では、こんなもの泣き言か、哀れな感謝にしか思われはしまい。

案の定、制止の声すら無かった。


青年たちに止められながらも、慰める体でラウィニアへ指し伸ばしていたレネの手を、強く握る。


引いた。




「......待っていなさい。あなたの所まで、這い上がってやるわ。お妃様」


引き摺られたレネはキュッと喉を縮め、若草色の虹彩が、現実的な恐怖に収縮した。

一瞬耳に囁かれた低い囁きが、いつまでも頭に残る。



「なっ、───」


それを掻き消さんばかりに、途端にたくさんの拍手が沸き上がった。罪人にも同情を寄せ膝を着く未来の妃。慈悲深いレネ。



思惑通りに事が運んで、愛を手に入れて、ここが幸福の絶頂であるはずだ。今も雨あられに愛と祝福の言葉が降り注ぐ。これが望んでいたものなはずだ。

相応しい結末(エンディング)に歓声が高まっていく。

王妃となる(ルート)は定まっている。




それなのに、悪役令嬢を無事蹴落としたレネの視界に映るのは、クッと笑みに歪む、冴え冴えとした氷色の目だけだった。






***






「どういうことなのッ!」


いつまでも少女らしい声音に微笑んで、ラウィニアは銀縁の片眼鏡を正した。


「閣下...」


思わしげに言葉を始める臣下を視線で制し、ラウィニアは書斎机を立つと、押し開かれる前にこちらから扉を開く。


「レネ。なんて嬉しい驚きでしょう」

「ふざけないで!」


レネはまた悲鳴のような声を上げた。


それに顔を歪める臣下を一瞥で追い払い、優しくレネの腕を取って、先ほどまで自分が座っていた椅子にそっと座らせる。

レネはまさしく壊れ物のように、ラウィニアの腕に脆く崩れた。


「なっ、んで、あんたがそんな平然としてるのかわかんない...意味わかんない...今回あんたが通した法案だって、あんなの、設定になかったし...」


レネが震えながら顔を伏せると、少女時代よりも色を深めた甘やかなブルネットが、とろりと零れる。

政を執り行うラウィニアと違い、美貌のために贅を湯水と注ぐレネは、いつまでも若く美しかった。



ラウィニアもレネも妃を勤める以上、どちらも一定以上の美貌は保つ必要がある。

それでも毎日机でペンを握るラウィニアの手はわずかに荒れ、白皙の肌から潤いは抜け、変わらぬ結い方ばかりのプラチナブロンドの輝きは、ほんの少し褪せた。いずれもラウィニアが利と見て選んだ変化だ。

しかしレネ。

彼女の麗しさは年々、匂い立つように思う。


いつまでも変わらぬ若草に陰を落とす睫毛は瑞々しく、俯きがちに震える頬は肌理細やかに滑らかで、ぽろぽろ転がる涙が本物の真珠のよう。細い体は華奢なままに女性らしい曲線を帯び、くたりとラウィニアに凭れてくる。

ラウィニアの腕に爪を立てる手が、責め立てるよりもむしろ、縋り付く仕草であることに、この子は気づいているのかしら。


数年前よりも白く乾いた指先で、乱れる髪をさらりとレネの耳にかけてやる。

柔らかな耳朶を撫で、そこに輝く宝石を擽ると、レネは肩を竦めて大人しくなった。


「レネ。レネ。何が悲しいの。どうか私にお話なさって」

「なにが、悲しい? はッ。あんたがそんなこと言うなんて、笑える...」

「なぜ?」

「だって、だってっ...」


レネは藻掻くようにラウィニアの手を振り払って立ち、震える甲高い声で叫んだ。




「だって陛下を殺したのはあんたじゃない!!」




ラウィニアは沈黙し、静かにレネを見た。


ある時、妃のみが立ち入りを許される寝所にて、冷たくなっている王の姿が発見された。厳正な調査の結果、王は病により急死されたのだとわかった。

それでも愛する夫の死に深く心を痛めたレネは、たまに痛みに耐え切れず、こうして誰かを責める時がある。


「正妃殿下、宰相閣下に対し流石にお言葉が過ぎると──」

「レイナード」

「...はい、」

「お下がりなさい」

「はい、閣下」


淡泊に命じる間も、肩で息をするレネの輪郭をアイスブルーの瞳が辿る。


「皆も」

「失礼致します。閣下」



正妃と側妃の確執に息を殺していた家臣が皆退席してから、ラウィニアはゆっくりヒールを揃えてレネを見下ろした。



「レネ...」


ラウィニアは柔らかく言った。


「ずっと、そう思っていたのですね」

「っ、」


レネが紅い唇を噛みしめ後退ると、暗色の紅が入り混じったブラウンの髪が流れる。

まるで乾いた血のよう。


そんな美しい髪に、ラウィニアは指を通さずにはいられなかった。これはラウィニアの最も輝かしい勝利の記憶の一つなのだから。


「私のことを、ずっとそう思っていたのね」


しかしレネはラウィニアの手をすり抜けるように逃れた。

かつては王のものであった書斎を後退り、壁の扉を後ろ手に掴むと、開け放って逃げ込む。

ラウィニアは後を追った。


「......ずっとそう思っていたのに、私にこんな真似を許していたのね」


天蓋の陰に隠れていたレネを寝台に押し倒し、ラウィニアは囁いた。




がむしゃらに藻掻くレネの乱れる髪を掬い、掻き抱き、口付ける。


顔を離すと、レネは紅に潤む唇を別け、瞳を虚ろに逃げ惑わせた。甘い面立ちが、歳月により物憂げな陰りを帯びたことで、澄んだ若草の目にはどこか幽玄ですらあった。

子も抱きもしないうちに夫を亡くし、若くして未亡人となった美しく孤独なレネ。

彼女の蠱惑の転換は、間違いなく王の死だろう。


「どうして、なんでゲームに無いことばっかなの、この法案だって──」


喉を震わせ、ラウィニアに包まるように華奢な体を丸める。

とうとうレネは幼子がむずがるようにくしゃりと顔を歪め、滴る涙を拳で擦った。


「こんなの可笑しい、ちがう、こんな(ルート)選んでない、」

「ええ。完全に再現、とまではいきませんでした。けれど近いところまで行けたのではないかしら。男児を二人産んだ後に離縁した者、未亡人となり五年以上経つ者、いずれも二十五歳以上。この条件を満たす女性には、同性との再婚を認めます。救貧院で寡婦を養うよりも、二人で生計を立てていただいた方が、国としても喜ばしい」


ラウィニアは歌うように語り聞かせた。

まるで目の前のレネの泣き顔が目に入っていないような。しかし確かに、目に入ってはいる。

浅く息をするレネと違い、いつものようにその心拍は一点の乱れもなく、呼吸は常に一定だ。


その内容にレネの肌はサッと青ざめる。

だからラウィニアも期待通りに、そっと顔を伏せ、止めを刺してあげた。


「......あなたと私も含まれますよ」



とはいえ何もラウィニアは、そのような私欲で行動を起こしたのではない。ラウィニアが私欲のみで行動することは滅多になかった。

そもそもラウィニアには、機能する私欲そのものが薄い。

この変革のために混在する私情があるとすれば、この一手を眼前に配されたレネがどのような反応をするかへの、淡い興味でしか無かった。

現に今、レネの白く冷たい頬を撫で、興味を満たされたラウィニアは非常に満足している。


ラウィニアにとって、今回の変革はその程度の重みしか無い。


ラウィニアが国に齎した革新は、こんなものに留まらなかった。

むしろ以前に破壊した旧法の数々と比較すると、これは大人しい方だ。あらゆる前時代の制度や思想が、ラウィニアの手により一度は粉砕され、破片を新たに接ぎ合わされている。まるで幼子の粘土遊びのように楽々と。

独裁をしないのは、数百年、数千年の規模で見れば効率を損ねるからに過ぎない。ラウィニアは簡単に独裁者になれる人間だった。

彼女がどこへ向かっているのか、世界にどのような未来図を引いているのか、誰もわからない。


一人を除いて。



「民主主義、でしたかしら。それに資本主義。それに多様性」

「乙女ゲームにきてまで、LGBTとか...」


レネは白い顔を背け、濡れた声で笑った。


「どうか寂しがらないで。私はあなたのために、国を作ってあげているのよ」




麗しい正妃の皮を剥ぎ、瑞々しく弾け落ちる果実のように声を立てる笑いは、この国の淑女が決してしないものだ。



この世に二つと無い、ラウィニアの項の毛をゾクッと逆立てるもの。泣くような壊れたような笑いで、レネはしとどに涙を流す。白い頬を転がる水泡は夢幻へ溶けていく。

今もなお嫌々と首を振るレネの瞳は、熱く蜃気楼を滾らせる、甘い夢を見ている。


「だって、乙女ゲームが──」

「この世にあなたが縋れるお伽噺はありませんよ」


ラウィニアは優しく言った。






もはや音になる声もなく、レネはぼんやりと天蓋を見上げていた。


どのような美品を捧げても、どのように美食を饗しても、彼女の変わらぬ若草色の瞳が、この夢見るような色を失うことは無い。

何をしていても、何処にいても、レネは常にどこか空想に囚われている。


あなたがその瞳の先に紡ぐ終点へ、誰も到達できないと思っているのでしょう。可愛いわね、レネ。


しかし私が奥底に沈められる不安へ手を浸し、掴んだ時はいつも......あなたの瞳はいつも、深い恐怖に蕩け、揺れている。



もっとその瞳に自分の姿を映そうと、ラウィニアはレネの頬を抱いて覗き込んだ。


「少なくとも次の生では、あなたは低俗な恋物語に囚われず、私ばかりを考えて一生、一生を生きます。そうね、あと三つの生は私のことを想って生きていけるでしょう。嬉しいことではなくて?」




レネは思い出したように狂乱した。

ラウィニアの腕に爪を立て、強く罵り、喉を仰け反らせ声なき悲鳴を上げて泣いて縋る。



真実私を恐れているのではなく、形無い恐怖に私の名前を付け、目くらましに使っている。

ある意味では甘えられている。可愛いですね。


望みどおり、その体を腕に抱いて押さえつけてあげた。

私の愛から逃げられないでしょう。だって逃げたくはないものね。

でも逃げたいふりをしたいのでしょう。ですから、逃げようとしても逃げられないように、あなたを掴まえていてあげてるんですよ。

安心して藻掻いてよろしいですよ、愛しい人。



形無い暗闇よりも、私の方が恐ろしくて魅力的ですものね。大丈夫。私はあなたを放さないわ。

自分の手の届く範囲も理解できないどこかの男たちと違ってね。

私は支配し、統治している。もちろん、あなたのことも。


私があなたの重石となり、あなたをこの現実に縛りつけてあげましょう。飛んでいかせたりしないわ。私のかわいい天使。


だからルートなどというものに、縋らなくてもよろしいのよ。




ふと涙に触れる指先が目尻にかかり、レネはバッと身を引く。


「っ見ないで!」

「皺があっても、あなたは素敵ね」


レネは顔を隠すように手を上げた。

彼女のこの振る舞いは、宮廷使用人たちには己の美に執着していると思われているが、違う。



「だって、もし、()が、また()が──」


逃げようと後退るレネを追って寝台に乗り上げた。


「レネ。美しいレネ。老いゆくあなたは美しいわ。きっと死の床でも美しい。もちろん、その()も」


後退ろうとして倒れるレネを膝で押さえた。


「たとえ美しくなくても、あなたを愛してる」


レネは顔を覆って俯いた。


「愛しています」

「...やめて」

「永遠に」

「やめて!!!」


レネが震えながら遮ろうとしても止まらず、ラウィニアは言い切った。

もう何度も言い聞かせた言葉に恐慌し、レネが耳を塞ぐ。



「永遠を怖がらなくていいんですよ。私があなたの生きる意味になりましょう」

「いや...」

「何度生を繰り返そうと、あなたは私の愛を忘れられず、私に再び会える日を信じ生きて死ぬでしょう。そうすればいつか本当に巡り会うかもしれませんね。あるいは、あなたの魂は私の愛のために記憶を使い尽くし、()()()はこの生で死ぬでしょう。どちらも素敵なことですよ」


幼い日の彼女が何度もしたように「そんなのうそ」と弱く詰ることもできず、ひゅっ、ひゅっ、と浅く息をする。ラウィニアはそんなレネを柔らかに引き寄せ、自分の胸に横たえさせた。

逃げたい相手がラウィニアであるにも関わらず、ラウィニアの胸に顔を埋め世界から隠れようとするレネを、愛おしく見下ろす。


「永遠はあなたが恐れるものではありません。あなたのものですらありません。永遠とは、私があなたに刻み付けるものです」




頤に手を添え顔を上げさせて、きつく瞑る蒼白な瞼を見下ろし、囁く。


「大丈夫ですよ。あなたは私のものです。あなたの繰り返す生も私のものです。例え私に会わず生きて死んだとして、あなたが一人になったなどと思い上がらないように。いつの世も、どの世も、あなたは私のものです。あなたは一人ではありません」


ほろほろと恐怖で泣き続けるレネの頬を包んで仰向かせ、涙を拭った。

その濡れた頬に、悲しみを生み出す瞼に、涙の粒に何度もキスをする。

何度も何度も。



「愛していますよ、レネ。愛しています。私の愛は永遠です。あなたの生きる永遠そのものが私の愛です。あなたは私の愛の中で生きるのです、私の可愛いレネ」



私が共にいますよ。


私は手放しませんよ。あなたを一人にはしません。あなたが生きるとしたらそれは私のためですし、あなたの死もそうです。私のせいでもよろしい。私の責任にしてしまっていいのですよ。お好きに選んでね。

永遠の自由が恐ろしいなんて、弱くて可愛い人ね。私は強いから、あなたの永遠をこの身に背負わせても耐えられる。

大丈夫。大丈夫よ。あなたは一人ではない。未来が怖いなら、私のことだけその可愛い頭に詰め込んでいなさい。


ラウィニアは「恐れないで」なんて陳腐な言葉は言わない。



「『転生』などという曖昧で不確かなものではなく、私の愛を恐れなさい」






***






発覚した時、ラウィニアはレネの手を撫でていた。


左手の掌で支え、右手をその上に重ね、皺だらけの甲を繰り返し撫でる。レネの手は美しかった。年輪を重ねてはいっても、終生ペンとインクに触れ続けたラウィニアのように染みや細かな傷は無く、弱く脆くなった肌はなお柔らかく、爪は完璧な楕円を描く。

その手から徐々に温もりが抜け落ちていっていることには気づいていたが、それでもなお、ラウィニアには愛おしいものだった。


「......閣下」


戸口に立ち尽くす男が掠れた声を絞り出した時、見つめ合っていたレネの瞳から、ラウィニアは名残惜しく顔を上げた。

ラウィニアはレネの目を閉ざしてはいなかった。


「どうして...そのような真似をしたのですか」

「レイナード宰相閣下。目下の者に閣下はおやめくださいませ」


今なお怜悧な知性を伺わせる老女の静謐な声音に、壮年の男は一瞬かつてのように怯んでしまい、そんな自分に悔しく歯噛みする。


「どうしてですか! これは教会により禁じられている、いいえ、信条とかそういう話ではありません。禁じられるに足る理由がある。あまりに悍ましい術です。魂を縛る禁術など、なぜ、そんなもので、貴女のような方が──」


罪人を厳しく裁かねばならない立場も忘れ、とうとう男は声を震わせ、顔を覆って頽れた。


「──なぜ、正妃殿下を殺したのですか」



片眼鏡越しに、床の男を老いて白濁の混じったアイスブルーが一瞥し、ラウィニアは冷淡に答えた。


「だって、この子があまりにも怖がりなものですから。『私がいないと()が怖い』と言われましてはね」



途端に一変して優しく微笑み、愛する死体の頬を撫でながら語り続ける。

夥しい魔法陣と枯れた魔石の転がる寝所で、まるで睦言のような風情で滔々と。


我が儘が多かったんですよ。ですから、さすがに苦労しました。

私を看取りたくはないそうです。でも先に死ぬのは怖いそうです。死ぬときに一人は嫌らしいのです。苦しいのも、痛いのも嫌だと。なのに寝ている間にすべてが終わるのも怖くて、眠りに落ちるまで、私に手を握ってお話をしていてほしいと言って。

()に目を開けたなら、そこでも同じように、私に手を握っていてほしいと。

可愛い人ですね。




ラウィニアは断頭台で微笑んで死んだ。






■ラウィニア・ジゼル

×ジゼル公爵令嬢 〇ジゼル宰相閣下

世界を数字で見てるタイプの悪役令嬢。狂気の域で頭がキレる。この世に存在しないはずの思想や制度も、それを肌で知る人間の、些細なボディランゲージ越しに察せられる。

旧弊の破壊者、革命家、どこに生まれ落ちようと確実に前時代を粉砕する傑物。

数百年・数千年スパンで見れば効率が悪いから独裁はしない。


恋なんていう観念に一欠片も重きを置かない、冷徹な政治家だった(過去形)



■レネ

「やったぁ乙女ゲームのヒロインになったからキャラ攻略しよ!」...の、裏を返せば転生した異世界を受け入れられず、前世の記憶にしがみついていた自分を一瞬で見抜かれた。

自分が泣こうが喚こうが可笑しくなろうがラウィニアの精神が強すぎて一切揺るがないのは、絶望というか、安心というか、少なくとも絶対に沈まない救命ボートみたいな。でもこんなことを思う自体が狂気な気がして怖くなる。これが愛なの? 攻略キャラに求めてたのは何だったの? 愛ってこんなものなの?

もちろんラウィニアは一問一答ズバッと答えを与えてくれる。「私があなたに与えるものが愛ですよ」


ラウィニアが怖い。

でもラウィニアを怖がってる間は、他の何も怖くない。




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