まつりの後で
2024/08/29追記
・本文を加筆修正しました。
「そこのカメラ持った兄ちゃん!ちょっと手伝ってくれー!」
「えっオレ?浅間、カメラよろしく。」
「はいよー、私は聴き取り調査して先に依頼者のところに行くからー。てかあいつら遅いなぁ…。連絡もつかないし。」
『噂話』というものは、ほとんどが事実無根か、尾ひれが付いて大きく育ってしまったモノを指す。と僕は解釈している。
「山の上のな、でっけえ門のある…。えーと、豪邸があるのは知ってるけども。」
「あの吸血鬼や幽霊が出るって噂の?」
「それは居るわけねーだろぉ。クマや猪なら出るけんども。」
最初は小さな小さな事実。それが他人の耳に入り次の人へ伝わっていく際に、ほんの少しだけ変わっていく。きっかけは『ちょっと面白くしよう』という人思いな優しさだったのだろう。誰かが話を少しだけ盛る。
「あの家は今、誰か住んでるんですか?」
「矢守邸のことけ?もしかしてネーチャン住む気か?止めとけ止めとけ。女子供の死体が沢山埋まっているとか聞くしよ。」
「それ…、ホントですか?」
「さあね。掘ったことねーで分からん。」
そうすると他の人も面白く思って『少しだけ』と話を付け足して盛っていき、それが事実の様な噂に仕上がると、余所者が本当かどうかと興味本位で寄ってくる。
「分からんねー。小さい頃は誰か居た気がすっけども。」
「会ったんですか!?吸血鬼ですか?幽霊ですか?どんな人ですか?何なら妖怪ですか!?」
「いや、何十年も前だし覚えておらんて。所詮ただの噂じゃろ?冷やかしなら帰った帰った!」
「えっ、あのちょっと!もう…、感じ悪ぅ。あっ、すいません!少しインタビューいいですか?」
「うるせぇ!余所者は帰りな!」
盆休みも近づく日曜日の夕方。屋台の活気や祭りの参加者で賑わいを見せる村役場前の広場とは対照的に、西日に照らされた2階の会議室は、少し温い風が吹き抜けてゆくだけである。
老人達にしつこく付きまとう、メガネをかけた若い女性の働きぶりを2階から見下ろしながら、屋台で頂いたビールを一口入れようとすると、後ろから小林さんの声がした。
「守屋くん!お待たせー。こちら、私達の仲間の松坂さん。」
少しふくよかな体型の小林さんの隣に、アロハシャツにサングラスをかけたガラの悪い初老の男性がビールとツマミを持って立っていた。
「あらぁ!はじめまして!とりあえずカンパァーイ〜。」
「あっ、こんにち、えと、か、乾杯です…。」
初対面なのに遠慮もない松坂さんのノリに少し驚きながらも、その腕の先に握られた金色のグラスに軽くグラスを当てて飲み干した。
久しぶりの日光でぼんやりとした脳みそと、草刈りや夏祭りの準備で疲れた喉に、ホップの苦味が染みていく。「やっぱり美味いねぇ!」という松坂さんの言葉に頭を縦に振って全力で肯定すると、隣の小林さんが会議室の椅子に座りながらニコニコと笑った。
「んで、君が噂の守屋くんかぁ!若々しいね〜!20歳くらい?夜釣りが得意って聞いたけんども?」
「き、恐縮です。年齢はもうちょい上で、夜釣りは、えと。その、東京で良くやってたので…。」
「およっ、マジかよ!そいつは初耳だぜ?なぁ、東京の話、田舎もんのオッサンに聞かせてくれよ~?」
その松坂さんの言葉に、僕は少し赤く焼けた腕を触りながら自慢げに語りだしてしまった。夜釣りの穴場スポットに、美味しい調理方法。あと肴に合う地酒の日本酒やビールとかも語った気がするが、あまり覚えていない。酒が入っていたからだろうか。それとも緊張していたからだろうか。
話が盛り上がりを見せたところで、松坂さんがツマミの詰まった袋からポテトチップスを取り出して「食べて食べて」と差し出してくれた。有り難みを感じながら手を伸ばしかけたが、微かな異臭に気がついて慌てて引っ込めた。「遠慮するなって。」と松坂さんに言われたが、何かを察した小林さんが袋の成分表示を見つめた。
「ありゃっ、これニンニク入ってんじゃん。」
「え、やっぱりですか…。」
「危ぶねぇー。守屋くんニンニクアレルギーなんすよ。」
小林さんの発言に、ニコニコしていた松坂さんが「ゑ゛っ!」と驚く。
「ごめんよ…。俺、なんにも知らなくて。本当に済まない。」
「いえっ、こちらこそ気を使わせてすいません…。あっ、ビール注ぎますよ。」
驚いた拍子に酔いが覚めたのだろう。我に返った松坂さんがパンチパーマの頭を下げてきたので、僕も慌てて謝罪しつつ、小林さんから缶ビールを受け取ってグラスにビールを注いで乾杯をした。
ニンニクに対してはアレルギーも含めてだが、トラウマに近い苦い思い出もある。大昔の事になるから、ここでは割愛するけども。
「まあ俺も昔は大嫌いだったけど、一度食べたら病みつきだね!匂いは強いけどやっぱり美味さには逆らえないね〜。アレルギーならしゃーねーけども。」
「まあ夜になれば、とっておきの楽しみが待ってますからね。お腹の容量は確保しときましょ。」
“楽しみ”という小林さんの言葉に、ニコニコしていた松坂さんの目つきが変わった。夜釣りを心の底から楽しんでいる、あの時の目つきだ。
「おいおい…。それってまさか…?」
「今日は東京から活きの良い土産を4匹持ってきたんですよ!守屋くんが!」
「あらあら、あらあらァ!マジで!そりゃ助かるよ〜!も〜り〜や〜くぅ〜ん!」
「あっ、あう、へへへっ。」
小林さんの口から出た僕のサプライズに、松坂さんは僕の髪をワシワシと乱暴に撫でながら喜んでくれた。ちょっと嫌だけど、僕のプレゼントでこんなに喜んでくれた方は初めてなので、ちょっと嬉しい。
「じゃあ、この3人で夜釣りだね?」
「いや、僕はそのぉ…、まつりを楽しんでからで…。」
僕の言葉に、松坂さんは目線を小林さんへと向ける。「どういう意味だ」と目が訴えている様に見えた。いつもは優しい小林さんも、この時だけは“夜釣り”の時の目をしていた。2秒程だろうか、松坂さんと小林さんは何か納得した様子で、先程のワクワクとした目つきに戻った。
「まあ、前から楽しみにしてたもんね。心ゆくまで堪能してきなよ。」
「それならしゃーねーな。こちらもゆっくり堪能するかね!久しぶりにぃ!ねぇコバちゃん〜!」
「松坂さんテンション高過ぎだって〜。」
もはや夫婦の様なノリでいちゃつく2人をよそ目に、腕時計の時刻を確認する。そろそろ家に戻って準備をしないと、17時の来客に間に合わない。
「あっ、ごめんなさい。僕はこれで…。」
「わかったよ。後で感想聞かせてね。」
「俺らは市場で楽しんでるからよ。あ、市場関係者もポリも俺達も含めてさ、“村人全員”が君の仲間だから気にすんなよぉ〜。」
最後まで新参者の僕に気を使ってくれる松坂さんと小林さんに、僕はペコペコと頭を下げて会議室を後にした。『お疲れ様〜!』という声を背中に受けつつ、小さな会釈で村役場の裏口を抜けて、細い山道を抜けて自宅のアパートへと駆けた。
自室に入り、真っ先に遮光カーテンを引いて暗闇を作り出すと、僕は冷凍庫から黒いパウチを取り出して乱暴にパッケージを破り捨てた。お目当ては新しく見つけた夜釣りスポットで見つけた新商品。本来なら解凍をして飲むべきだが、食欲を抑えきれずに凍ったまま貪った。
「うーん、美味しくない…。」
“ガーン”とでも形容したくなるほどに落胆する程の不味さ。なんというか、雑味が多くて不健康な味がする。でも、入荷が安定していてコスパも抜群。何時でも手に入るのは、流石は『東京&大阪』産だなと感心する。
熊よりはマシだし、前菜と考えればアリだなと納得させて、最後の一口を放り込む。パウチを2つほど空にして満足した俺は、来客の準備を念入りに済ませてから自分の身体をベッドへと沈めた。
やはり、田舎が一番過ごしやすい。東京と違って“余所者”が分かりやすい。あの時の噂も放っておいて良かった。ネットで見かけた時は少し焦ったけど、50年くらい前に聞いた時よりも噂話は盛られていて、腹を抱えて笑ったっけ。
そんな噂話のおかげで真実も有耶無耶になり、若い血肉が手に入りやすいのも助かる。インターネットを発展させていた者たちに感謝したい。
やっぱり、人間って面白いな。そう思っていると部屋のインターホンが鳴った。この時間帯なら訪ねてくる人間は一人に限られるのだが、わざとらしく「はーい」と扉越しに答えた。4人を引き剥がしてくれた村人の方々、そして協力してくれた2人に感謝しつつ頂かないと。
『夜分遅くにすみません。オカルト追跡チャンネルの浅間茉莉と申します。ご依頼主のヤモリ様のご自宅でしょうか…?』
ドアスコープには、村役場でめげずにインタビューを続けていたショートボブの女性が、不安げな顔で映っていた。
「まっ、待ってたよ、まつりちゃん。今、開けるからね。」
僕は浮き出てきた牙を不織布マスクで隠しながら、ドアの鍵を回して主菜を迎え入れた。