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睡蓮と桜

 防衛省本部の地下にて、鳩山にとって三回目になる裏社会に対する集会が開かれた。


「前回、蓮田先生から提案された『裏社会に、殺し屋を殺す殺し屋がいるという噂を流す。』という作戦は睡蓮計画(スイレンプロジェクト)と命名致します。これは、睡蓮の花言葉の一つに“滅亡”という意味があることに由来しています。この国から殺し屋を滅亡させる。この信念に基づいて命名致しました。同様に、殺し屋を殺す架空の殺し屋の名前は【睡蓮】と命名します。なお、この睡蓮の正体につきましては、当然我々だけの秘密です。この睡蓮の存在こそが、本作戦の根幹であり、要となります。つきましては、本作戦を実行後、作戦に関わった五人のプライバシーは一切保護されないものとして、あらゆる生活圏内に監視カメラの設置、二四時間の録音、電子機器の公開を義務付けるものとする。詳しくは書面に書かれていますので、内容を理解したら記入をお願い致します。」

 相馬の説明の後に五人の前に書類が配られた。


「さて、五人全員がその書類にサインをしたら睡蓮計画が実行される。その前にあらゆる懸念事項を確認しておこう。」

 八下田が言った。


「私からよろしいですか?」

 鳩山が挙手をした。誰も返事をしなかったことがYESの意味だと判断して続けた。

「睡蓮計画を実行するにあたり、いくつか疑問点がございます。まずは殺し屋同士の殺し合いに、一般人が巻き込まれないか、ということです。もともと殺し屋を滅亡させる大きな目的に、一般社会への被害が大きくなり過ぎた。というものがあります。それを改善する為に行ったアプローチによって、善良な一般市民が被害を受けたら、本末転倒なのではないでしょうか?」

「それは、仕方がないんじゃないですかね。完全無血で殺し屋を滅亡させるなんて無理ですよ。僅かな犠牲は許容すべきですよ。」

 米沢が言った。

「心理学の観念から言えば、睡蓮の存在がある以上、目立った動きはしなくなるはずです。したがって一般人を巻き込むような大規模な殺しは控えるようになるでしょう。とはいえ米沢教授がおっしゃるように、被害が全く無いとも言えません。重要なのは現状維持より、遥かに良いということです。考え方の問題ですが。」


 蓮田の説明を聞いた鳩山は一瞬、理奈の顔が浮かんだが、このまま何もしない訳にもいかずに納得した。

「分かりました。次の疑問点です。殺し屋同士が殺し合った末はどうなるのでしょうか?少し細かい話ですが、最終的に最低でも一人は残る訳ですよね?」


「最終的には数十人の殺し屋が残ると想定されます。この残った殺し屋達は、睡蓮の存在を信じ続けた者達です。もちろんその正体は我々しか知らない訳ですから、彼らの緊張状態としては最大値。心理学の観点から言えば、ここまで残るような心配症の人間なら、殺し屋を引退、続けたとしても、活動は小さなものになるでしょう。もしくは、恐怖に耐え切れずに精神が崩壊することさえあり得ます。」

 この蓮田の推測は正しかった。実際に椎名を殺した後の鴉は、他のコミュニティーからの襲撃に怯え刑務所に逃げ込んだ。下手に逃げ回るよりも刑務所にいた方が安全なのは裏社会の常識であった。職員に賄賂を渡せば、所内でもある程度自由な生活ができる。


「分かりました。では最後の質問です。殺し屋の数が減っても、新たに参入してくる殺し業者はどうしますか?需要があるところに人は集まります。殺し屋が消えた日本の裏社会には、新規参入や海外からの参入があるのではないでしょうか?」


「需要があるところに人は集まる。それは全くその通りです。では鳩山部長、少し極端な例ですが、今から何かビジネスを始めるとして、アメリカでスマートフォンの開発を行いますか?アメリカにはappleという大手が存在します。そんな巨大な消費者独占企業が存在する市場に、わざわざ参入はしないですよね。同様に、睡蓮という強大な大手が存在する日本の裏社会に、参入する者は少ないでしょう。」


「分かりました。私の疑問点は以上です。」

 蓮田の説明を聞いて、鳩山は書類にサインをした。


「この睡蓮計画ですが、どの程度の期間と予算を考えていますか?」

 米沢が聞いた。


「予算は一千万円程度、期間は蓮田先生の計算では、三年程で大きな効果を期待できるとされています。」

 相馬が答えた。


「たった一千万円で殺し屋共を消せるのか!」

 そう言った米沢も書類にサインをした。


 こうして五人全員の同意が得られた睡蓮計画は始動した。



 国内のありとあらゆる事件、事故を調査し、裏社会と紐付ける作業を行っていたのは、もちろん鳩山だった。

 最初の一年目は、目に見えた大きな成果が、全くと言っていいほどに無かった。睡蓮計画のメンバー内でも、米沢が計画の中止を提案するほどだったが、蓮田が継続を促した。

 この最初の一年程は全く効果が無いというのは、蓮田の想定通りだった。殺し屋が殺される程に、その周囲の緊張感は増していく。つまり殺し屋が殺される程、指数関数的に殺される殺し屋が増えていくことになる。すなわち、この複利の雪だるまがまだ小さな内は、一部の僅かな殺し屋しか消えていかなかった。

 二年後には、明らかに効果が現れた。三年後には、鳩山達が把握しているだけでも五千人以上の裏社会の住人だと思われる人間が死亡していた。そこに闇に葬られた者も含めれば、少なく見積もっても一万人以上は消えているという見立てだった。もちろん、同時に、一般人が巻き込まれるような不可解な事故も減っていった。

 睡蓮計画は確かな実践を出した。


 睡蓮計画が始動してから三年が経過した四月のある日、鳩山は自分がまとめた裏社会に関する事件リストをパラパラと流し見していた。

 その時、ある事件がふと目に留まった。


 “事件No.3568 田口弘樹 28歳 男性 家族構成:妻、娘 概要:2024年8月20日 御岳山の森の中で拳銃自殺 路肩に長時間止まっている自動車を不審に思った近隣住人が通報。備考:傍に落ちていたスマートフォン内のメッセージ送信履歴に【睡蓮】のワード有。”


 おおかた自殺に見せかけて殺された哀れな睡蓮計画の被害者だろうと次のファイルをめくろうとした、鳩山のその手が止まった理由は、ある項目だった。


 “家族構成:妻 娘”

 迂闊だった。裏社会の人間など、天涯孤独だと思い込んでいた。冷静に考えれば、家庭を持った殺し屋がいたっておかしくはない。睡蓮計画によってその家族に危険が及ぶ可能性は充分にある。

 鳩山は大きくため息を吐いて、椅子に深く座り込んだ。

 今まで味わったことのない罪悪感が鳩山の双肩にのしかかってきた。犯罪者が相手とは言え、人が大量に死ぬ可能性が高いこの睡蓮計画を実行することは、業の深いことだという自覚はあった。しかし、殺し屋とはいえ自分たちの計画によって、この世でたった一人の父親を、何の罪もない娘から奪ってしまったというこの事実に鳩山は流石に堪えられなかった。

 いてもたってもいられなくなった鳩山は、この家族に会うことにした。

 自分が会ったところで、何にもならないことは分かっていた。

 ただ、この家族と実際に会って話をすることが、せめてもの罪滅ぼしだと考えた。


 田口弘樹の家は東村山市の閑静な住宅街にあった。

 こんな静かで平和な街に、殺し屋が普通に暮らしていたと考えると、鳩山は改めてゾッとした。

 妻の名前は咲良(さくら)、娘の名前は(かえで)だった。


 インターフォンを鳴らすとスピーカーから女性の声が聞こえた。

「はい。どちらさまですか?」

「警察の者です。鳩山と申します。ご主人の件で、お話しを伺いにきました。」

 鳩山は警察手帳をカメラに向けて答えた。

 しばらくするとガチャっと扉が開き、女性が出てきた。化粧化が無く長い髪は後ろで一本にまとめている。鳩山は天然美人という印象を受けた。

「どうぞ。」

 鳩山はリビングに案内された。テレビの前では三才程度の女の子が、YouTubeを見ていた。彼女は娘の楓だろう。


「事前に何の連絡もせずに、急に伺ってすいませんでした。もう何度も警察とお話はされていると思いますが、改めて伺いたいことがございまして。」

「あぁ、そうでしたか。どうぞかけて下さい。」

 鳩山はダイニングチェアに座った。

「すいません。こんなものしか無くて。」

 鳩山の前にペットボトルの緑茶を置いた咲良は、ダイニングテーブルを挟んだ向かい側の椅子に座った。


「すいません。いただきます。」

 鳩山はペットボトルの蓋を開けて一口飲んで喉を潤した。

「ご主人につきまして、心よりお悔やみ申し上げます。」

「あぁ、それは良いんですよ。私が殺したようなものですから。」

「はい?」

 予想外の台詞に鳩山は混乱した。


「私は主人と同業者だったんですよ。」

「同業者というのは、その、つまり...」

「殺し屋です。」

「え?そんな...」

 たじろぐ鳩山に咲良は畳み掛けるように話した。


「当初は二人で活動していたんです。出会いは中国の学校でした。死人が出る程に過酷な殺し屋の育成学校です。男子生徒はフィジカルなプログラムが多く組み込まれるのに対し、女子生徒は毒やハニートラップなど情報戦に特化したプログラムが組まれるので、女子生徒の死亡率は低いんです。

 ただ、卒業試験だけは男女混合で行われるんです。目的は分かりますよ。実際の現場では、男女で分かれている訳ではないですからね。だから女子生徒の戦略は、いかに男子生徒を誘惑して利用するかなんです。

 ちなみに調べても無駄ですよ。表向きは普通の学校ということになってますから。」


 あまりに現実味を帯びてない話に鳩山は付いていけなかった。

「そこで主人と私は知り合い、日本でも落ち合う約束もしました。日本での再会後、二人で活動していたのですが、私が妊娠していることが発覚して、二人共もう裏社会から足を洗うことにしたんです。それなのに彼は、活動を続けていた。娘が危険に晒されるので迷惑だったんですよ。私たちは殺しのイロハは叩き込まれていますが、人を守る術は学んでいない。ましてや幼児を守るなんてできる自信が無いんです。だから主人を始末する機会を伺ってました。そんな時、ある殺し屋が殺し屋を殺して回っているという情報を入手しました。現場は退いても、裏社会の情報だけは収集していましたから。そしてこの情報を利用することにしました。」


 鳩山は本物の殺し屋を目の前にして、脂汗をかき始めた。天然美人だという第一印象はどこかに吹き飛び、ただ恐怖だけを感じていた。

「主人が定期的に同業者の集まりに参加していることは既に知っていました。だから私が直接主人に手を下せば、感の鋭い同業者である他の四人は、私のことも疑うでしょう。だから自然に五人を争わせる必要がありました。」

「どうやったんですか?」

 鳩山は少しだけ冷静さを取り戻した。

「五人の内の一人を殺しました。毒と塩で。」

「毒と塩?」

「私には裏社会の人脈が、もう無かったので、最先端の武器が手に入らず、身近なものを利用するしかなかったんです。使ったのは、ただの食塩とトリカブトの毒です。簡単じゃ無かったですよ。サプリメントメーカーの役員を誘惑する必要もあったし。色々な条件が嚙み合わないと成功しない試みでした。その人の死を主人にリークしたのも私です。変声装置を使って、情報屋のフリをして主人に連絡しました。」

「それが結果的に成功し、ご主人は殺されたと。」

「自殺に見せかけた殺害、とも取れますが、私が思うに、本当に自殺だったみたいですね。あの人らしい最後だったと思います。」

「その、あなたに仕事を続けていることがバレていると、ご主人は気づいていたんでしょうか?」

「気付いていたと思いますよ。主人はそこまで無能じゃないですから。お互いに気付いていたけど、裏社会のことについては言及しない、暗黙の了解みたいな空気感がありました。」

 鳩山の脳内が徐々に冷静さを取り戻してきた。目の前に元殺し屋がいる。これから起こり得るあらゆる状態を想定し始めた。テレビの前では楓が座り込んでいる。


「刑事さん、変な気を起こさないで下さいね。上着の内ポケットに入ってる銃、抜いても私は問題なく対処できるので無駄ですから。」

 鳩山の動揺が、表情に現れた。

「何故分かったんですか?」

「人は無意識の内に様々なサインを発してます。目線、表情、姿勢。そういう細かいノンバーバルを観察すると、多くの情報が読み取れます。訓練すれば誰にでも出来ますよ。」


 この場の主導権を完全に握られた鳩山は深呼吸をして心を落ち着かせることしか出来なかった。

「安心してください。私に刑事さんを殺す意思があれば、もう殺してますから。今後のために教えておきます。キャップが未開封のペットボトル飲料も、飲まない方が良いです。中身が漏れない程に小さな穴を空けて、そこから毒を注入するやり方が今は主流ですから。」


「正直言って、驚くことばかりですよ。ところで、何故あなたは刑事である私にそんな話をするんですか?」

「私のことを逮捕して欲しいからです。私もほんの少しだけとはいえ、裏社会に戻ってしまいました。睡蓮という殺し屋が私のもとにくる可能性が十分にあるんです。私はどうなっても構いません。でも、娘だけは守りたい。刑事さん、私を逮捕して娘を保護してくれませんか?」

流石の咲良も、睡蓮の正体は分かっていないようで、鳩山は安心した。

「咲良さん、今のあなたの証言だけでは正式に逮捕することはできません。重要参考人として一時的に留置所に居てもらうことはできますが、証拠不十分ですぐに釈放されるでしょう。」

「やはりそうですよね。」

 咲良は駄目元で言っただけで、初めから期待していない様子だった。

「過去の殺人に関して、情報をもらえれば、逮捕はできるでしょう。時間はかかるかと思いますが。ただ娘さんは、一人になってしまいますが。良いんですか?」

「もちろん一緒にいたいですが、娘の安全を考えるなら、私とは離れるのが最適解です。どの道、娘が成人した時点で私は消えるつもりでしたから。」

「これが私の電話番号です。何かあったら連絡してください。」

 鳩山は自分の名刺をテーブルの上に置いた。

 鳩山は立ち上がり玄関に向かった。

 扉を開けて、見送りに来た咲良と楓を見た。


 咲良の瞳には、その年齢からは考えられない苦労が浮かんでいた。

「咲良さん、失礼かも知れませんが、最後に聞かせてください。ご主人に対して、何かその、残念な気持ちと言いますか、そういったものはありますか?」

「聞きたい事は分かりますよ。主人に対して愛はあったかって事ですね。それは、正直自分でも分かりません。先ほど言った通り、私は幼少期から特殊な環境で育っていますから。卒業試験の時から、利用価値がある道具としか見てませんでした。生物の本能として、あの人の遺伝子を求めていたのは確かです。世間一般では優秀な人でしょうから。ただ、彼本人に特別な感情があるかと言われれば、疑問です。」

「そうですか。お邪魔しました。」

 そう言った鳩山は一例して家から出た。


 帰りの電車内、鳩山はさっき起きた事が現実だと思えずにぼーっと夕日を見て黄昏ていた。


 いつの日か読んだ本の内容をふと思い出した。

 天才物理学者アルベルト・アインシュタインが娘に送った手紙の内容だった。



 “この宇宙的な力は「愛」だ。

 科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、

 彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。

 愛は光だ。

 それは愛を与え、かつ受け取る者を啓発する。

 愛は引力だ。

 なぜなら、ある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。

 愛は力だ。

 なぜなら、

 それは私たちが持つ最善のものを増殖させ、

 人類が盲目の身勝手さの中で絶滅するのを許さないからだ。

 愛は展開し、開示する。

 愛のために私たちは生き、また死ぬ。

 愛は神であり、神は愛だ。”



 田口咲良。彼女が行った事は許されることでは無い。いつかはその罪を償わなければならない時が来るだろう。だが、彼女の娘に対する愛は信じることにする。あの天才アインシュタインでさえも最強だと謳った力。

 その強大さは鳩山自身もよく分かっていた。


 電車から見える景色には、桜が満開に咲いていた。


 

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