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睡蓮と蓮

 鳩山は、防衛省から呼び出された理由について周りからしつこく聞かれたが、適当な理由でごまかしていた。

 あれから鳩山は毎日深夜まで残って仕事をしていた。

 データサーバーに保管されていた事件、事故をしらみ潰しに調べていた。まずは現状を把握しなくてはならない。そう思い、憑りつかれたように過去の事例を調べていた。

 日本では毎年数万人が行方不明となっている。警察は公務員なので事件を解決しようがしまいが給料は変わらない。そのため、ある程度捜査を行っても解決しない事件は未解決のまま諦めるということは往々にしてある。

 そのため、鳩山の作業量は膨大なものだった。


 前回の集会から一ヶ月後。防衛省本部の地下にて、鳩山にとって二回目の裏社会に対する集会が開かれた。


「過去一年間の事件、事故を調べましたが、いくつか不審なものが見つかりました。」

「ほう。」

「まずこちらの事件ファイルをご覧ください。」

 鳩山はUSBメモリをラップトップ型のパソコンに差して、プロジェクターに事件ファイルを表示した。

「要約すると、観光バスが山道で横転して、崖下に落ちるという事故です。

 運転手の居眠り運転ということで、バスの運行会社の健康管理の甘さが招いた結果として処分されています。しかし、当時の聞き込みによると、運転手の健康状態は良好、しっかりと睡眠時間を確保していた筈だという家族の証言もあります。この事件が目に留まった理由は、死亡した乗客の中に一部上場企業の役員が複数人いたという点です。」

「早計な考えではあるが、大手企業の役員達を殺害する為に、運転手に時間差で作用する眠剤を盛って、事故に見せかけて殺したと。」

 鳩山の説明に八下田が答えた。

「そう考えるのが自然でしょう。しかし真相は分かりません。運転手も亡くなっていますからね。死人に口なしです。」


「もう一件紹介します。これはある芸能人が白血病で亡くなった事例です。調査したところ、当時の彼のマネージャーも同じように白血病を発症して亡くなっていたことが分かりました。」

「芸能人本人とマネージャーが同時に白血病を発症だと?そしたら、周囲の人間は何か不審に思いそうなものじゃないか?」

 八下田が言った。

「本人の死後、マネージャーは転職して地方に引っ越しています。時間差と場所の差があったため、不審に思う人間はいなかったのでしょう。当時、二人が良く出入りしていた事務所が入っていたテナントを調べてみました。今は別の会社が入っていましたが、調べた結果、壁に謎のスペースがあることが分かりました。」

「謎のスペース?」

「1辺が2m程度の正方形のスペースです。」

「なんだそりゃ。米沢教授、どう思う?」

 八下田は眉毛を大袈裟に動かして、米沢に聞いた。

「そのスペースに、放射線を飛ばすような装置があったのかも知れません。そこから飛ばされた特殊な放射線は、時間をかけてゆっくりと対象の染色体を破壊した。そばにいることが多かったマネージャーも、巻き込まれて被ばくした。予想ですが。」


「バスの運行会社も、ビルの管理会社もトカゲの尻尾ですよ。彼らを調査したところで、殺し屋にも依頼主にも繋がらない。裏社会では五年以上の付き合いがあるのに実際に会ったことは一度も無い者同士もいるそうですからね。」

 米沢の説明の後に相馬が言った。


「ご苦労だったな鳩山君。引き続きよろしく頼むよ。」

「はい。私は、この国がこんなことになっていることにもっと早く気付くべきでした。とても後悔しています。しかし、それを悔やんでも仕方がない。今は自分にできることを、精一杯やります。」


「今日は私の方からも話があるのですがよろしいでしょうか。」

「もちろんだ。蓮田先生。」

「前回の集まりの時、私は裏社会の詳しい社会構造について初めて知りました。当たり前ですが、今までの自分とは無縁の世界でしたから。あの後、今まで私が学んだ心理学や社会学の知識を活かして、私なりに裏社会についてより深く考察してみました。その結果、一つの解決策を思い付きました。あくまで仮設ですが。このやり方なら、少ないコストで多くの裏社会の人間を消すことができるのではないかと。」

「説明してくれ!」

 落ち着き払った蓮田と反対に八下田は興奮した様子だった。


「誤解や勘違いを生まないように順を追ってゆっくり説明します。

 まず相馬さんが前回説明されていた裏社会の社会構造についておさらいします。我々のいる表社会の多くの組織は中央集権型で成り立っています。一般的な企業はピラミッド型の組織構造となっています。これが中央集権です。中央集権のメリットは意思決定やトラブルへの対応を迅速に進められること、統一感のある行動が実現しやすいということが挙げられます。具体的には、企業のトップが有能であれば、その企業の経営は上手く行くという考え方です。実際に現在、世界経済をけん引している米国のトップ企業の経営者達はカリスマ性があり、トップダウン型の経営スタイルを採っています。更に身近なところで例を挙げると、法定通貨も中央集権です。日本でも中央銀行が円の供給量や金利を操作してインフレーション、デフレーションを起こすことができます。中央集権の弱点として挙げられるのは、この中央が瓦解すれば、そのまま全体が崩壊するという点があります。例えば、どんなに有能な社員を抱えていても、トップにいる経営者が会社の資産を使い倒す無能だったら、その会社は倒産します。日本円も、もし日本銀行がハッキングされて、国民の口座残高が滅茶苦茶な数字にされたら、一気にパニックに陥ります。この中央集権の弱点は、絶対王政によって崩壊したローマ帝国の事例など、歴史を見れば明らかです。そして、反対に各々の業務が分散された、分業体制が徹底されている裏社会においては、この中央が存在しない。だから崩壊させることが難しい。これが現在我々が抱えている問題です。ここまではよろしいですね?」


「素晴らしい。その通りだ。」

 八下田が言った。

「続けます。この中央集権の弱点がありながら、我々の表社会において問題なくこの仕組みが採用されているのは、他者を信頼できる前提があるからです。例えばサラリーマンは、給料日には給与が振り込まれるという信頼において出社します。日本国民は、政府が通貨と認めた紙切れに価値があると信頼してモノやサービスの取引を行います。これらは政府が定める法律によって、その信頼を担保しています。言い換えるならば、信頼が無い状態では中央集権は成立しない。

 裏社会は法律の外側にあります。誰も信頼を担保できる人間がいない。人の命を奪うような世界ですから当然です。では、どのように成り立っているのでしょうか?

 それは恐怖による抑止です。自分を裏切るようなマネをしたらただじゃおかない。お互いのこの主張によって取引が行われている訳です。もちろん我々がいる表社会でも、裏切りや駆け引きは存在します。しかし、例えば会社の同僚に裏切られたところで、受けるペナルティーはせいぜい、出世が遅れる、リストラ、といった程度のもの。しかし裏社会における裏切りは、文字通り死を意味します。裏社会の住人達は容易に他人を信頼できない。裏社会では中央集権が成立しない。分業体制が徹底されているのはなく、分業体制でしか成立しないというだけの話です。表社会が信頼によって成り立っているのに対して、裏社会は他人を信頼しない前提によって成り立っています。」


 今まで他人との信頼関係を何より重視してきた鳩山にとって、蓮田が解説した裏社会の構造は信じ難いものだった。


「それで、それが殺し屋の撲滅と、どう結び付くんですか?」

 米沢が聞いた。


「今の話で、もうほとんど答えは出ていますよ。」

 蓮田は言った。

「すまん。話が全く見えないんだが。」

 八下田が言った。





「殺し屋を殺害している殺し屋がいる。この噂を流すんですよ。」



「は?」

 思わず鳩山はリアクションした。

「もちろん、これは緻密かつ高度な情報操作が必要になります。ただ端的に申し上げるなら、今私が述べたことをするだけです。」

 蓮田が言った。

「殺し屋を殺してる殺し屋がいる。この噂を流すだけで、殺し屋はおろか裏社会の人間が消える?そんな馬鹿な。」

 八下田は信じられない様子だった。

「ゲーム理論の一つ。囚人のジレンマの応用ですよ。」

「あ、それは知ってます。本で読んだことがあります。」

 蓮田の言葉に鳩山がすぐに反応した。鳩山は断片的な記憶を頼りに囚人のジレンマについて説明した。

 囚人のジレンマの例は言い回しを変えていくつも存在するが、代表的なものは以下のものだ。


 “共同で犯罪を行った囚人AとBを自白させるため、検事は囚人AとBに次のような司法取引をもちかける。

『本来ならお前たちは懲役5年だが、このまま2人とも黙秘したら、証拠不十分として減刑し、2人とも懲役2年。もし片方だけが自白したら、そいつはその場で釈放。(つまり懲役0年)。この場合黙秘してた方は懲役10年。ただし、2人とも自白したら、判決どおり2人とも懲役5年。』

 なお2人の囚人A・Bは別室に隔離されており、相談することはできない状況に置かれているものとする。【2人の囚人A・Bはそれぞれ黙秘すべきかそれとも自白すべきか】という心理学の問題である。”


「この囚人のジレンマという思考実験には私を含め、心理学、社会学、経済学などの分野の多くの有識者がのめり込みました。中には最先端のAIを使ってあらゆるパターンを試した者もいます。こうして導き出された答えが【しっぺ返し戦略】と呼ばれるものです。

 これはひとまず、相手を裏切らずにいる。そして裏切られたら次の手では自分も自白して裏切る。ただし、相手が寄り添ってきたらこちらも次の手では許して黙秘する。要はやられたらやり返すというものです。このシンプルな戦略こそが、あらゆる天才達が提唱した戦略を打ち負かして、最大限の利益を獲得できる最適解だとされています。」

 蓮田が説明した。


「その戦略は私もよく仕事で活かしてきましたよ。例えば挨拶をしても返事が無かった人間には次回から挨拶はしません。しかし、一度挨拶をされたら、次回にその人に会った時は、こちらから挨拶をする。返事も無いような人に、いつまでも挨拶してると、こっちが病んでしまいますからね。あ、すいません。続けて下さい。」

 鳩山が言った。


「この囚人のジレンマの最適解がしっぺ返し戦略だとされているのは、あくまで無限に繰り返すことができるという前提があるからです。裏切りが死を意味する裏社会においては、この戦略は当てはまりません。死んでしまったら、やり返すことができないですからね。」

 蓮田が言った。


「なるほど。話が分かってきました。他者を信頼しない、個々が分散された裏社会に『殺し屋を殺す殺し屋がいる。』という噂が流れれば、お互いを完璧に理解していない彼らは相互不信に陥ります。やり直しが利かない囚人のジレンマにおける最適解は....」

 相馬がここまで言って黙った。一番美味しいところを上司に与えたのだ。


「先制攻撃か。」

 八下田が腕組みをしながら続いた。


「その通りです。この場合、何故その殺し屋が他の殺し屋を狙うのかという理由は、重要ではありません。この情報を聞いた裏社会の人間は無条件に警戒するでしょう。そしてお互いに滅ぼし合う。」


「そんなに上手く行くもんなんですかね。そんな噂は頻繁に流れていそうなものですけど。」

 米沢が言った。


「だからこそ、我々の情報操作が肝になってきます。いつもだったら煙のように消えてしまう噂話を、いつまでもしつこく流し続けることによって信憑性を持たせて行きます。実際に死亡したと思われる裏社会の人間も、その殺し屋によって殺害されたということにしていきます。全てを把握している中央が存在しない分散化された世界。そこを逆に付いた巧妙な作戦です。」

 蓮田が答えた。


「裏社会の人間も、五~十人程度の同業者とコミュニティーを形成し、情報交換をすることがあるようです。例えば殺し屋五人にこの噂が流れるとします。噂を知ったほとんどの殺し屋は気にも留めないかも知れない。でもその中の三人は信じて警戒するかも知れない。更にその中の一人くらいは“念のため周りの同業者を殺そう”と思うかも知れない。究極の緊張状態になっている裏社会に、一つでも火が起こせれば、後は全体に燃え広がっていく筈です。」

 相馬のこの見解に、全員が黙り込んだ。


 最初に口を開いたのは相馬だった。

「大臣、私はやってみる価値があると思います。いかがでしょうか。」


「うーむ。確かに、理には適ってるな。」

 ここでずっと組んでいた腕を解いた。

「よし、素晴らしいアイデアが出たところで、今日はここまでにしておこう。いずれにしろ、この案はもっと煮詰める必要がある。各々が次回までに、この作戦の問題点等を考えてみてくれ。これは一回しか実行できない貴重な作戦だ。慎重に運用しなければならない。鳩山君は引き続き事件、事故の調査も頼む。」


 こうして二回目の集会は終了した。

 鴉達が神保町のカフェで睡蓮について話した、三年前の出来事である。

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