「私の弟が放課後あなたに噓プロポーズするわよ」って、親友に言われたんだけど!?
「でね、コーディったら私が大胆にメイクを変えたのに、全然気付いてくれないのよ! 『どこがどう変わったんだ?』って、とぼけた面して! ホント頭にきちゃう!」
「あはは。でも、男の人ってそういうものらしいわよ? 私のお兄様も、しょっちゅう婚約者に鈍臭いって怒られてるもの」
貴族学園のとある昼休み。
私は親友のアレクシアと二人、中庭のベンチでランチを取っていた。
今日もアレクシアの口からは、婚約者であるコーディの愚痴が無限に出てくる。
でも私は知っている。
それはアレクシアなりの、コーディに対する愛情の裏返しであるということを。
その証拠に、コーディの愚痴を言う時のアレクシアは、いつもちょっと楽しそうなのだ。
要は遠回しにノロケているわけである。
私も婚約者が出来たらアレクシアみたいになるのかしら?
まだ全然想像もつかないけど。
「なあ、アレクシア」
「「――!」」
その時だった。
噂をすれば影。
当のコーディ本人が、アレクシアに話し掛けてきた。
「何よ、今私、ケイトと楽しくお喋りしてる最中なんだけど」
アレクシアが私の肩をギュッと抱いてくる。
ふふ、お喋りっていうか、ほとんどコーディの愚痴を言ってただけだけど。
「あー、まあ、そんなに時間は取らせねーからさ。ちょっとだけ一緒に来てくれよ」
「? な、何よ、気持ち悪いわね。ゴメンねケイト、少しだけ外すわね」
「ううん、どうぞごゆっくり」
ブツブツ言いながらも、寄り添うようにコーディと歩いて行くアレクシア。
ふふ、何だかんだ、お似合いの二人よね。
「ケイト先輩」
「――!」
その時だった。
よく通るバリトンボイスが、私の鼓膜を震わせた。
声のしたほうを向くと、そこにはクラークくんが、神妙な顔をして立っていた。
クラークくんはアレクシアの弟で、この春貴族学園に入学してきた一年生。
その無表情ながらも端整なマスクは、瞬く間に貴族令嬢たちのハートを射止め、既に何人もの令嬢から逆プロポーズを受けているらしい。
中には名家の令嬢もいたらしいけれど、それらのことごとくを、何故かにべもなく断っているとか。
そうしてついた二つ名が『氷の貴公子』。
今やどの令嬢がこの氷の貴公子の心を溶かすのかが、学園内で最もホットな話題となっている。
「あ、私に何か用、クラークくん?」
私は子どもの頃からよくアレクシアの家にお呼ばれされていたので、クラークくんとも姉弟のように接してきた。
昔は「ケイトねえさん」と呼ばれていたけど、学園に入学してからは「ケイト先輩」と他人行儀な呼び方をされるようになってしまった。
しかもいつの間にか背も随分抜かれてしまったし。
昔は子犬みたいに可愛かったのに……。
時の流れというのは、本当に残酷だわ。
「はい、実は――ケイト先輩に、大事な話があるんです」
「? 大事な話?」
はて?
何かしら?
見当もつかないけど……。
「放課後、裏庭の桜の木の下で待っていてはいただけないでしょうか?」
「あ、うん、いいけど」
「よかった……。では、放課後に」
「あっ、クラークくん!?」
それだけ言うと、逃げるようにクラークくんは走り去ってしまった。
何だったのかしら……。
「あら? 今のってクラーク?」
と、そこへ、アレクシアが一人で戻って来た。
「うん、よくわからないんだけど、放課後私に大事な話があるっていうのよ。アレクシアは何か知ってる?」
「何ですって……!?」
途端、アレクシアが大きく目を見開いた。
ア、アレクシア??
「なるほど……、そういうこと……」
アレクシアは顎に手を当てながら、ブツブツと呟いている。
「えーと、アレクシア?」
「……多分それは、『噓プロポーズ』ね」
「っ!?」
アレクシアは静かに、だがハッキリと断言した。
噓プロポーズ!?
噓プロポーズっていうとあれよね、所謂ドッキリよね?
「クラークくんがそんな陰湿なことをするとは思えないけど……」
クラークくんは曲がったことが大嫌いで、ジュニアスクール時代も、女子生徒にセクハラ行為をしていた教師を一人で摘発したこともあるくらい、正義感の強い子だ。
そんなクラークくんが、噓プロポーズなんて本当にするかしら?
「うん、それがね、今年名門公爵家のお坊ちゃまが入学してきたじゃない? クラークがそのお坊ちゃまとクラスメイトになったらしいのよ。で、お坊ちゃまが中心になって、噓プロポーズを流行らせてるってわけ。流石のクラークも、お坊ちゃまからの誘いは断れなかったみたいね。まあ、相手がケイトだったら、後でフォローも利くと思ったんでしょう。申し訳ないけど、クラークの顔を立てると思って、噓プロポーズに騙されたフリをしてもらえないかしら?」
アレクシアは両手を合わせて、私に頭を下げた。
ああ、そういうことね。
若干腑に落ちないところはあるけど、まあ他ならないアレクシアとクラークくんのためだものね。
「わかったわ、任せておいて、アレクシア」
「フフ、ありがとう、恩に着るわ、ケイト」
アレクシアはほっと安心したように、柔らかい笑みを浮かべた。
「す、すいませんケイト先輩、待ちましたか?」
「ううん、私も今来たところよ」
そして迎えた放課後。
私が裏庭の桜の木の下で待っていると、程なくしてクラークくんが息を切らせながら現れた。
ここまで走って来たのかしら?
そこまでして噓プロポーズの演技にリアリティを求めるとは、意外と役者の才能もあるのね、クラークくんは。
それにしても、噓プロポーズなら私たちのこの様子を、どこかでお坊ちゃまたちも覗き見してると思うんだけど、それらしい人はどこにも見当たらないわね?
余程上手く隠れてるのかしら?
まあいいわ。
ちゃんと見てなさいよね!
クラークくんと私の、一世一代の噓プロポーズの舞台を!
「ところで、大事な話っていうのは何なのかしら?」
うん、今のは我ながら自然な演技になってたと思う。
「はい、それは……。フー、すいません、少しだけ覚悟を決める時間をください」
「え? あ、うん、いいけど」
クラークくんは胸に手を当てて、ゆっくりと深く息を吐いた。
ううん、いかにもこれからプロポーズをする男の雰囲気が出てるわ。
やっぱり役者の才能あるわよ、クラークくん。
「――ケイト先輩、俺は、ケイト先輩が好きです」
「――!」
燃えるような熱の籠った、エメラルドの瞳で私の目を見つめるクラークくん。
お、おぉ……。
演技とはいえ、思わずキュンとしてしまったわ。
これはあらかじめ噓プロポーズだと聞いてなかったら、大層慌ててたに違いないわ。
ありがとう、アレクシア!
「子どもの頃からずっと、ケイト先輩に憧れてたんです。ケイト先輩にとっては俺は弟みたいな存在かもしれませんが、俺にとってのケイト先輩は、今も昔も変わらず最愛の人です!」
「っ!? ク、クラークくん!?」
随分真に迫った演技ね!?
演技だってわかってるのに、さっきから私、心臓がバクバクいってるわよ!?
「俺にとっての結婚相手は、ケイト先輩以外考えられません。だからどうか、俺の婚約者になってください!」
「……」
クラークくんは深く頭を下げながら、右手を差し出してきた。
ふぅ、見事よクラークくん。
今日の主演男優賞は、君に決まりね。
「ありがとうクラークくん、嬉しいわ。こんな私だけど、よろしくね」
私は震えそうになる声を必死に抑えながら、クラークくんの手をそっと握った。
嗚呼、こんな一言を言うだけでこんなに緊張するなんて……。
やっぱり私に女優は無理ね。
「ほ、本当ですか!? 嗚呼、夢みたいだ! 大好きです、ケイト先輩!」
「っ!!?」
クラークくんにギュッと抱きしめられた。
んんんんんんんん????
そ、そこまでするの????
なるほど、クラークくんは演技に一切の妥協を許さないタイプなのね……。
どうやらこんな身近に、とんでもないダイヤの原石が眠っていたらしいわ。
「フフ、じゃあこれで晴れてケイト先輩は、俺だけのものですね」
「――!」
太陽みたいな蕩けた甘い笑顔を向けてくるクラークくん。
おぉ……、最早氷の貴公子の面影もないわ。
クラークくんも本当に好きな女性の前だったら、こんな顔をするのかしら?
「早速今から二人で、記念品を買いに行きましょう!」
「え?」
クラークくんは私と恋人繋ぎをしながら、鼻歌交じりに歩き出す。
どこかで見てますかお坊ちゃま?
クラークくんは見事に、噓プロポーズをやり遂げましたよ――!
「あ、これなんてどうですかケイト先輩!」
アクセサリーショップにやって来た私たち。
そこでクラークくんは一対の、同じデザインのネックレスを手に取った。
一つはエメラルドが付いているネックレスで、もう一つにはサファイアが付いている。
「こっちはケイト先輩用で、こっちは俺用です」
クラークくんはエメラルドのネックレスを私の首に掛け、サファイアのほうは自分の首に掛けた。
こ、これはあれね?
ロマンス小説でよく見る、相手の瞳の色の宝石を、互いに身に付けるってやつね?
私の目の色がサファイアで、クラークくんの目の色がエメラルドだから。
で、でも……。
「こんな高価なもの、受け取れないわ……」
こういうのは、本物の婚約者のために取っておかないと。
「何を言うんですか! 今日は俺とケイト先輩の想いが通じ合った記念日ですよ! これくらい見栄を張らせてください。俺にも男としての、プライドってものがありますから」
「……! クラークくん……」
クラークくんは私の両手を包み込むように握りながら、真っ直ぐな瞳を向けてくる。
なるほど、クラークくんは、演技にはとことんまでこだわり抜くつもりなのね……!
そいうことなら、ここで私が断るのも野暮ってものね。
「ありがとう、じゃあありがたく受け取っておくわね」
「はい!」
クラークくんは満面の笑みを浮かべた。
嗚呼、演技だってわかってるのに、何故かさっきから動悸が止まらないわ……。
「そろそろ門限の時間ですね。名残惜しいですけど、寮に帰りましょうか」
「そ、そうね」
アクセサリーショップから出た私たちは、また仲睦まじく恋人繋ぎで、夕陽に照らされた道をゆっくりと歩く。
ところでこの演技って、いったいいつまで続けるのかしら?
「ケイト先輩、早速俺たちの婚約手続きのために、両親と顔合わせの場を設けたいのですが、いつなら都合がよろしいですか?」
「――!」
その翌朝。
私の教室にズカズカと入って来たクラークくんは、敢えて周りに聞かせるようなよく通る声でそう訊いてきた。
ク、クラークくん!?
流石にこんな人前でそんなことを言ったら、大事になっちゃうわよ!?
「アラアラ、がっついちゃって余裕ないわねクラーク。独占欲丸出しじゃない」
「う、うるさいな! 姉さんは黙っててくれよ」
そんなクラークくんのことを、アレクシアはニヤニヤしながらからかっている。
――この瞬間、私の中で昨日からずっと抱いていたある仮説が、確信に変わった。
「クラークくん、ごめんなさい、私ちょっとアレクシアと大事な話があるから、その件はまた後でね」
「え? ケイト先輩?」
「アレクシア、私と一緒に来て」
「はいはい」
困惑の色を浮かべているクラークくんを尻目に、私はアレクシアと二人で教室を後にした。
「それで? 私に話って何なのかしら?」
誰もいない階段の踊り場に来た私たち。
そこで私はアレクシアのことを、真正面から見据えた。
「とぼけないで。正直に答えてちょうだい。クラークくんが私に噓プロポーズするっていうのは、嘘だったんでしょ、アレクシア? クラークくんのプロポーズは、本物だったんだわ」
「……」
アレクシアは澄まし顔で肯定も否定もしなかったが、それが何よりの答えだった。
……くっ!
「フザけないでよッ!! どうしてそんな人の想いを弄ぶような酷いことするの!? クラークくんはあなたの実の弟でしょ!?」
アレクシアとは長い付き合いだけど、こんなに怒鳴ったのは初めてのことだった。
きっと今の私は、これでもかと眉間に皺が寄っていることだろう。
「でも、私がああ言わなかったら、あなたクラークのプロポーズ断ってたでしょ?」
「――! そ、それは……」
「きっとあなたはこう言ってたはずよ。『クラークくんに私なんかは相応しくない』ってね」
「……」
完全に図星だったので、思わず言葉に詰まる。
「ど、どういうことだよ……」
「「――!!」」
その時だった。
聞き慣れたバリトンボイスが、下から聞こえてきた。
見れば、そこには顔面蒼白のクラークくんが、唇を震わせながら、階段の下から私たちを見上げていた。
クラークくん――!?
「……クッ!」
「クラークくん!?」
クラークくんは私たちに背を向けて、逃げるように走り去ってしまった。
嗚呼――!!
「追いなさいよ」
「っ!」
アレクシアが諭すような優しい口調で、そう呟く。
「昨日であなたも、自分の本当の気持ちに気付いたはずよ。後はそれを、クラークにブツけるだけ。そうでしょ、ケイト?」
「アレクシア……」
まったくこの子は……。
美味しいところを持っていくんだから。
「――ありがとう、アレクシア、恩に着るわ」
「フフ、いいのよ。だって私は、あなたたちのお姉ちゃんだもの」
「――!」
嗚呼、こんな頼りになるお姉様がいて、私は幸せ者ね。
「頑張りなさい、ケイト」
「はい、お姉様!」
お姉様に二重の意味で背中を押され、私は駆け出した――。
「クラークくん!」
「――!」
案の定クラークくんは、昨日私にプロポーズしてくれた場所に、一人で佇んでいた。
泣くのを必死に我慢していたのか、エメラルドの瞳が充血している。
「本当にゴメンなさい! クラークくんの気持ちを蔑ろにしてしまったこと、心から申し訳なく思ってるわ!」
私はクラークくんに、深く頭を下げた。
「……いや、どうか顔を上げてくださいケイト先輩。ケイト先輩は悪くありませんよ。ケイト先輩も姉さんに騙された被害者じゃないですか」
「……クラークくん」
恐る恐る顔を上げると、クラークくんはどこか達観した表情を浮かべていた。
「おかしいと思ったんです。ケイト先輩が俺なんかのプロポーズを受けてくれるわけありませんから」
「そ、それは違うわクラークくん!」
「――!」
クラークくんはエメラルドの瞳を大きく見開いた。
ああ、驚いた時の表情は、アレクシアにそっくりね。
「アレクシアのお陰で、私もやっと自分の本当の気持ちに気付いたの! ……わ、私もずっと前から、クラークくんのことが、す、好きだった、って」
「――!! ……ケイト先輩」
きっと今の私は、耳まで真っ赤になっていることだろう。
でも昨日私にプロポーズしてくれた時のクラークくんは、この比じゃなかったはず。
だから私も勇気を出して、ちゃんとクラークくんと向き合わなきゃ。
「でも私の家はクラークくんの家ほどの名門じゃないし、私自身これといった取り柄があるわけでもないから、クラークくんとは釣り合わないと、無意識のうちに自分の気持ちに蓋をしてしまっていたの」
「……」
「だからアレクシアは自分が泥を被ってまで、私がクラークくんと真正面から向き合う機会をくれたのよ。――私たちのお姉様は、弟と妹想いの、本当にいいお姉様よ」
「……姉さん!」
感極まったクラークくんは、右手で両目を覆い、声を押し殺しながら泣いた。
ふふ、可愛い。
私は一応年上のおねえさんとして、未来の旦那様の頭を背伸びしてよしよしと撫でた。
「――!」
その時だった。
そんな私たちの様子を、樹の陰からアレクシアとコーディが寄り添いながら、微笑ましい顔で見守っているのが見えた。
この瞬間、私は全てを理解した。
多分コーディは昨日、クラークくんから昼休みにアレクシアを呼び出すよう頼まれていたんだわ。
その隙に、私とクラークくんが二人きりで話せるように。
私とクラークくんの想いが通じ合えたのは、お兄様とお姉様、二人が背中を押してくれたからだったのね。
――ありがとう、お兄様、お姉様。
二人は納得したように深く頷くと、無言で背を向けて去って行った。
そんな二人の背中は、すぐ水の膜で歪んで見えなくなった。
拙作、『塩対応の結婚相手の本音らしきものを、従者さんがスケッチブックで暴露してきます』が、一迅社アイリス編集部様主催の「アイリスIF2大賞」で審査員特別賞を受賞いたしました。
2023年10月3日にアイリスNEO様より発売した、『ノベルアンソロジー◆訳あり婚編 訳あり婚なのに愛されモードに突入しました』に収録されております。
よろしければそちらもご高覧ください。⬇⬇(ページ下部のバナーから作品にとべます)