騒動
魂にも記憶は存在する。その言葉と法則をリメイラが思い出したのは、なんでもない晴れの日に、屋敷のテラスで高価な天然紅茶を口にしていた時だった。華奢な手が滑ってカップが落ち、真っ白なテーブルクロスに染みを作っていく。
「まあ、リメイラ様!」
「あ、ああ、ごめんなさい……手が滑って」
メイドの悲鳴が聞こえて、彼女ははっと顔を上げた。そうして、テラスの窓硝子に、自分の顔を映した。
自分は地球移民、すなわち人間だ。だが、ここにいるのは、現地で生きる女性だ。いかにも強い意志が垣間見えるぱっちりとした青い瞳に柔らかく白っぽい金髪と、端麗な容姿が映っている。身体はいかにも華美なドレスや装飾品に覆われて、清潔な中世ヨーロッパ然とした姿をしている。怜悧な印象を与える色彩の女性は、時代が時代なら悪役令嬢と揶揄されたやもしれない――その日、岸壁の港町の令嬢、リメイラ・マレンシャは自分が地球にかつて存在した青年『阿良川 瑠華』であることを思い出してしまった。
地球で何があったのか、そして、今、自分がどうしてリメイラの身体にいるのか。今まで分かるはずもなかったことが、机の上の紅茶のように、瑠華の理性の中に広がっていく。
(やばい。なんでこんなタイミングに思い出すの!?)
瑠華は動揺を取り繕いながら、繋がった全ての記憶を辿る。地球は人がドラゴンに変貌する火竜病によって壊滅し、人類の遺伝子は宇宙を逃れ逃れて、夢と魔法が詰まったこの世界『ディスワールド』へ至った。だが、人類の遺伝子は地球の記憶を忘れられなかった。こうやって、時々誰かの中で蘇るのだ。それが例え、貧しくなりゆく名家を支え、忙しい日常に一息つく、令嬢であってもだ。
(やば……バレたら追放される!)
そんな歴史は正直、瑠華にとって些細なものだった。問題は、この世界で地球の記憶を思い出す者について、すでに対応が決まっているということだった。
地球を思い出した者を、人は『帰郷者』と呼ぶ。発覚し次第、ただちに戸籍修正が行われ、場合によっては退去を求められる。親やパートナーが引き留めるのならまだいいだろう。別人になるのだから手放す者もいる。当たり前のことだ。
(やばい! 今夜が婚約発表なのに!? っていうか、僕は男なんだけど!?)
瑠華にとって最悪なのは、今夜が婚約パーティーと決めていたことだ。岸壁の港町の諸事を定める議会にも名を連ねる名家の御曹司、ミスカ・アルクラデといえば、茶髪に健康的な褐色の肌が似合う超エリートの青年だ。
端正な顔立ちと丁寧な所作、端々に見える気遣い。その中で、時折見せる俗っぽさが親近感を呼ぶ。そんな青年である。だが、阿良川瑠華は異性愛者の男である。一瞬にして、御曹司に向けていた百年の恋は冷め、どのように婚約パーティーを乗り越えるかに考えが変わっている。アルクラデ家とマレンシャ家は長らく不仲であった。が、今回は岸壁の港町設立当初から領主の座を欲しいままにするファニング家に対抗し、双方の発展を願う政略結婚を目論んだ。アルクラデ家は新興ゆえの人脈を求め、マレンシャ家はじりじりと貧する家を救うために。リメイラは、それを分かって受け入れた。自分が帰還者と発覚すれば、家を守ろうとした彼女の面目さえ保てない。
「やばい……」
側にメイドがいなくなったのを確め、消え入りそうな声で、瑠華はもう一度、呟いた。瑠華は帰郷者となったことで、急にひとりぼっちになってしまったのだ。
「リメイラ様、リメイラ様。どうなさいました? 食事のおかわりですか? それとも、メイド長とまた喧嘩ですか?」
ふと、自分を呼ぶ明るい男声に、はっと瑠華は顔を上げた。そこには、一人の黒い髪のアンドロイドが立っている。心配そうであるが、その薄紫の瞳孔は開き気味だ。カメラアイと相まって、ちょっぴりぐるぐるしているように見える。それさえ除けば、リメイラに並んで丁度いい、クールな見目をしている。黙ってさえいれば、明るいミスカと比べて、かなり落ち着いた印象を受けるはずだ。
「ローレンス」
瑠華は、彼の名を呼んだ。
Mid_Bird-002”Lawrence”。ローレンスは、限りなく人間に近く作られた無性別男性型アンドロイド、Mid_Birdシリーズの第二作だ。高級調度品の名を冠した彼は、リメイラおつきのアンドロイド執事である。だが、彼はどうしてか言動と感情表現が妙なのだ。あまりの出来映えに元の持ち主から気味悪がられ、この家に売られてきた経緯がそうさせるのかもしれない。日常業務に支障はなく、むしろ優秀なぐらいであるが、驚くほど空気を読まない。街はずれの医者に診せた時もプログラムに異常は見られなかったので、そのままにされている。
傍目から見れば、悪役風令嬢にポンコツ執事のでこぼこ主従だ。が、リメイラにとっては、幼い頃から付き添ってくれた頼れる相棒だった。相談だって、たくさんしてきた。彼はとんちんかんな言動をしているように見えて、正しくアドバイスをしてきてくれた。この一見して脳天気な人型機械に、どれだけ救われたか分からない。
「ローレンス。あの、ね」
小さい頃から側にいてくれた彼には、迷わず話してしまってもいいかもしれない。瑠華は、唇を開こうとした。だが、そうことは上手く運ばない。
「リメイラ様。そろそろパーティーの準備をしてくださいまし」
いつも毅然としたリメイラを恐れながら、メイドたちが自分を呼んでいる。ローレンスは着付けの最中は一緒にいてくれない。渋々、「ごめんね、後でね」と彼に告げて、瑠華はリメイラとして、メイドたちの方へと歩いて行く。イブニングドレスを着たら、もう婚約発表だ。彼と二人きりになれる時間は、残っていない。馬車に乗り込み、御者の背中を眺め始め、目的地のファニング商会ホールに辿り着くまで、帰還者としての苦悩は瑠華の中でぐるぐると回り続けた。当然、答えは出てこなかった。
◆
岸壁の港町で、ファニング商会館といえば、議席に名を連ねるVIPたち御用達の建物である。かつて、ここの音楽ホールでMid_Bird型のプロトタイプが歌を披露した時、リメイラもその美しい声と繊細な表現に心を震わせたものだった。もっとも、彼は岸壁の港町から去って久しいし、今の瑠華には処刑場に等しい。育ててくれた父母に恥をかかせぬよう、彼は馬車からしずしずと降りて、今日の会場へローレンスを伴って進んで行く。
白を基調とし、華美すぎぬよう細心の注意を払って作られたイブニングドレスは、リメイラ自身の美しさも相まって人々の心を掴む。「リメイラ様だ」「まあ、綺麗」という声は聞こえてくる。だが、それが何の慰めになるというのか。瑠華はあいまいに笑って彼ら彼女らに手を振ってそそくさと通路を移動し、ミスカのいるところまで向かう。ホールには、奥の扉からミスカと一緒に出る予定だ。舞台からスピーチし、階段を降り、参加者と合流するという流れである。
「ローレンス、もう大丈夫」
「本当ですか? いいですか? 手を離しますよ?」
瑠華はそう言って、一歩前に出る。ローレンスは、支えてくれていた手を、そっと離してくれた。もう覚悟を決めるしかない。ミスカの待つ部屋に、ローレンスがノックする。
「ミスカ様、リメイラ様をお連れしました」
「ローレンスか。待っていた。リメイラをこちらへ」
扉を開くと、タキシードに包まれた艶やかな褐色の肌が目に留まった。しっとりとした色彩の青い瞳を見て心がときめかないかと淡い期待を持っていた瑠華は、それがなかったことに心の中で肩を落とし、けれど顔を上げ続けた。中世ヨーロッパのような時代遅れの一礼をして、瑠華は改めてミスカに向き合う。気が早い彼は、指輪までしている。
「いよいよだ。僕らの結婚が成立して、二つの家が結託すれば、ファニング家をトップから引きずり下ろすのも夢ではない」
「そうですね。これは、私たち双方のためです」
筋肉質な彼の腕が自分の細い身体を抱き留めてくれる。そのことに、安堵をしないわけではない。けれど、どうやって彼に打ち明けようか、瑠華は彼を抱きしめ返しながら思考する。
「もう少し、こうしていていいですか?」
「ああ。構わないよ」
誰も騙したくないし、誰も傷つけたくはない。侍従たちが自分を呼ぶその時まで、瑠華はリメイラとして、ミスカを抱きしめ続けていた。
ほどなくして、いよいよ二人はホールの奥へ通された。ふっくらとしたベルベットの幕が上がり、階段下のホールには歓声が響く。瑠華はミスカと肩を並べて、全身で晴れの日を感じ取っていた。心は晴れなかったけれど、リメイラの父母が喜んでいる中、自分が別人になってしまったことを言い出せはしなかった。
「皆様、本日は私どもの婚約パーティーにお集まり頂きまして、誠にありがとうございます」
ミスカが凜とした声でスピーチを開始する。瑠華も一礼をして、不安がらせないよう務めた。彼はこのまま、丁寧にスピーチを終えて、両家の結束の強さを伝えてくれるだろう。瑠華はそう信じていた。
「ですが、私は先に、皆様にお伝えしなければならないことがあります」
原稿にないことをミスカが口にした時、瑠華は婚約者の方へ頭を向けた。否、瑠華がリメイラのままであっても、同じことをしただろう。おもむろに挙げられたミスカの指に、奇妙な青い輝きが見えた。彼は自分を一瞥すると、声高に叫ぶ。
「この指輪が証明しています。我が婚約者、リメイラは『帰還者』です! これは、マレンシャ家が密かに企てていた計略です!」
「えっ」と瑠華から声が漏れた。ミスカは、自分が帰還者だとすでに見抜いていて、しかもそれを家全体の陰謀だと突き付けてきたのだ。父にも母にも知られていなかったことだ。二人はわけがわからないといった風で、顔を見合わせ、こちらへ視線を移した。瑠華は、口をはくはくとさせて、観衆とミスカを何度も見比べた。婚約者は、鬼の首を取ったように笑っているではないか。
(あの指輪、マジックアイテムか! となれば、入っているのは相手が『帰還者』かどうか見抜く魔法の類――どうやって、僕が『帰還者』になることを予測できたんだ?)
リメイラの明晰な頭脳は、瑠華に知恵を貸してくれた。魔法の存在するこの世界で、ミスカは魔法の道具を使って、自分のことを暴いたのだ。そして、こともあろうに、この衆目の前でマレンシャ家を穢そうとしているのだ。
「帰還者となれば、すみやかに報告せねばなりません。だが、マレンシャ家は娘が帰還者となった事実を隠し、このアルクラデの財産目当てに刺客として送り込んだのです!」
「そ、そんな! 言いがかりです! やめてください!」
「触るな! リメイラの身体を奪った穢らわしい余所者が!」
父母が見る目の前で、ミスカはリメイラの腕を振りほどき、下へ突き落とした。小さな悲鳴を上げて、リメイラの華奢な身体は階段下へ転げ落ち、白いドレスにほこりがついた。父母が慌てて駆け寄ろうとして、警備兵に取り押さえられる。瑠華は、その警備兵がアルクラデの手の者であるとすぐに見抜いた。そして、リメイラの努力が一切無駄であることを思い知った。アルクラデ家は、元から、こちらの資産を奪う目的だったのだ。おどろき、どよめく衆目に、父の懐を探っていた警備兵が、鋭利なナイフを見びらかす。当然、父がそのようなものなど持っているわけはない。
「ご覧ください! 我ら、アルクラデの家の者を誅殺せんと、あのようなものまで持っております! 皆様も知っていましょう、マレンシャの家は言葉巧みな商家。民草に売るものの値段をつり上げてきました。この頃は家が傾いて、その野心はより鋭くなった。そのナイフのように!」
違う。仕入れが大変だから仕方なく値上げをしたんだ。瑠華の声は出てこない。
人々は突然のことに驚き戸惑い、一番声が大きなミスカに意識を向け、じきに、疑いの目をマレンシャ家の者たちに向け始めた。本当にそうなのか、いや、すでにこのような騒ぎになっているのだから、何かはあるに違いない。痛くもない腹を探る言葉が、階段から転げ落ちたままの瑠華の頭の上を飛び交った。
とんだ茶番ですこと。恐怖と混乱で身動きが取れない瑠華の耳元で、気丈なリメイラの囁きが聞こえたような気がした。
「謀ったな、アルクラデ! やめろ! 妻に手を出すな!」
警備兵に引きずられながら、父が怨嗟の言葉を吐いて退場させられる。母に至っては、取り押さえられた時にどこか痛めたのか、ずっと苦しそうに唸っていた。瑠華はどうしていいか分からないまま、二人と同じように警備兵に引っ立てられそうになる。だが、それは阻まれた。
『ファニング家の当主を引きずり下ろすのに、マレンシャの人脈は必要だ。あれがまるごと欲しい』
ここにいるミスカではないミスカの声が、ホールじゅうに響いたからだ。ぎょっとして目を見開くミスカをよそに、それは音響装置を使って再生される。
『しかし、ミスカ様。どのようになさるおつもりですか?』
『マレンシャは落ち目だ。新興のアルクラデを狙う理由などいくつでも用意できる。だが、今後のことを考えればリメイラは目障りだ。あれは頭がいい』
おそらく、使用人と話しているらしいそれは、どこかで録音されたものなのだろう。これが"とんだ茶番"だと知られたくないミスカは、この想定外の暴露に一人、慌てて階段の上から駆け下りてくる。聴衆も、さすがにできすぎていると気づき始めたのか、再びざわめきを取り戻す。
『この魔法の指輪は帰還者の記憶を取り戻させる作用があるそうだな。これを使う』
「だ、誰だ! おい! 音響室の警備はどうした! この騒音をすぐに止めろ!」
「いやあ、すごいすごい」
ざわめくホールの中で、たった一人、ぱち、ぱちと緩慢な拍手をする者がいた。ゆったりとした動作で、一歩、また一歩と、ホールの横の扉から入って来て、内へ内へと進んでくる。
「すごい稚拙。茶番ですねえ! 学院の子どもたちの方が、ずーっとお芝居は上手ですね! あは、あは!」
「ローレンス!」
「まさか、マレンシャ側が何もしてないと思ったんです? すごい、すごい!」
瑠華の視線の先に、無邪気に笑うローレンスの姿はあった。ホールに姿が見えないと思ったら、彼はさっきまで音響室にいて、これを仕掛けていたのだろう。一瞬の隙を突いて、瑠華は自分を取り押さえる警備兵の腕から抜け出し、一心不乱にローレンスの側へ駆け寄った。ローレンスはいつものように支えてくれる。人の体温を知らない金属の躯体が、今は何より心強い。くるくるとカメラアイの奥を動かして、ローレンスは首を傾げる。
「リメイラ様。かわいそうに。あの男にいじめられたんですね? 叩きます? 叩いたら、あの下手くそな演技も直ります?」
「大丈夫よ、ローレンス。私は、私のすることをします」
彼の側ならば、安心して呼吸ができる。瑠華は深呼吸をして、ここに存在しているリメイラという存在の強さを信じた。見事に仕損じたミスカを見据えれば、身体の奥から冷たい怒りが湧き出てくる。言い返せると、瑠華は小さく息を吐き、パーティーの和やかな談話で開くはずだった白い扇で口元を覆った。
「ミスカ。確かに、私は今日の午後、帰還者となりました。それが、あなたの陰謀によるものなのか、天にて療養なさる神のご意志なのかは分かりません。私は今日からルカと名乗り、マレンシャの家を去ることになりましょう」
聴衆は驚きっぱなしだった。だが、堂々と執事の隣で立つリメイラの宣言に、彼ら彼女らは聞き入った。リメイラが常に纏う、怜悧で毅然とした態度がそうさせるのかもしれなかった。突如として訪れた静けさにも、瑠華は動じなかった。
「ですが、それとあなたの企ては、まったく別のこと。この騒ぎは、議会の話題にものぼるでしょうね」
「はっ、どの道、帰還者なんじゃないか。余所者のたわごとなど、誰が聞くだろうな。悪女の身体に宿るに相応しい卑しい魂だ。おい、ここは婚約パーティーの場だぞ。余所者をつまみ出せ!」
開き直ったミスカがそう告げ、手を挙げる。警備兵に扮したミスカの私兵が、いよいよローレンスと瑠華に襲いかかるはずだった。
だが、誰も来なかった。不気味な静けさが、ミスカの背中をぬるりと撫でただけだ。
「どうした? 早く」
つまみ出せ。二度目の言葉は発されなかった。ミスカも、瑠華も、聴衆も、ひょっとしたらローレンスも、パーティー会場の入り口の方を向いて、動くのを忘れていた。
そこにある、束ねられた桃色の髪と灰混じりの青い瞳を恐れない人間は、ここにはいない。それは、ディスワールドの神が作りたもうた、最初の子のしるしであるから。それは、岸壁の港町をとりまとめるファニング家だけが抱える存在であったから。縁に金の刺繍がほどこされた緋色のコートを翻す『それ』は、ファニング家の若き次期当主、その約束された権力の象徴であったから。
「すまない。職務が多く、遅れてしまった。それで、祝いの場と聞いて祝辞を持って来たが……何の騒ぎだ」
鬼気迫るような青い瞳を見せる青年は、ファニング家の第一子、ロステル・ファニングその人であった。影と呼ばれる彼の私兵は、すでにミスカの私兵を軽々とねじ伏せ、場を制圧していた。自らの名を冠した館に、領主の関係者が来ないはずはなかったのだ。まして、議会の二議席が一つとなるめでたい日に。今、この瞬間、両家はファニング家の顔に泥を塗ったことが確定した。
「説明できるか。ミスカ・アルクラデ、並びにリメイラ・マレンシャ」
「っ……!」
ロステルはぐるりと見回して、二人分の名を呼んだ。同時に名を呼びはしたが、このめでたい日に愚かなことをした主犯を、彼はとうに見抜いているようだった。彼は、最終的に瑠華の方を見た。瑠華は、その美しい瞳を見つめ返した。聡明であれど、すでにして疲れ果てた君主の目だ。まだ、自分とも大差ない年なのに。と、ローレンスに支えられたままの瑠華は思った。脳天気なローレンスの声がなければ、長いこと、この青年の目を見ていただろうと感じるほどには。
「次期当主様、私と最初の発音がロで被ってるんですよね。帰りませんか?」
「ああ。宴は中止のようだから、すぐに帰る。ルカ、リメイラさんのご両親はこちらで預かっている。あなたのお母上も大事ない。安心して、会いに行きなさい」
「ありがとうございます、ロステル様」
瑠華は深く安堵の息を付いた。それだけが気がかりだった。彼の視界の真ん中で、ロステルはわずかに年相応の微笑みを見せると、踵を返して手を挙げた。彼に付き従うものたちが、コートの裾の鳴る音と共に、ミスカとその一味を今度こそ引っ立てる。圧倒。もはや、アルクラデとファニングの差は、そう表現する以外になかった。
「ファニングゥゥゥ……!!」
こんなにも妬ましげな元婚約者の声を聞くことになろうとは。瑠華は、ただただ引きずられるミスカの姿を見て、わずかながら哀れみを覚えた。けれど、何もしなかった。リメイラとしての仕事は、彼に怒鳴ることではなく、両親の安否を確認し、マレンシャに連なる者たちに連絡をすることであったから。
「大丈夫よ。ローレンス。私は、大丈夫」
それでも、彼はローレンスの手を離せなかった。このようなことは、到底、地球では考えられなかったというのもあったけれど、愛した男に罵られたリメイラだって怖かったはずだ。一歩間違えば、自分に関わる全てのものが、もっと深く傷ついただろうから。リメイラは冷たい外見の女性であるが、厳しい中に愛を持つひとだと、瑠華は十分に分かっていた。ゆえに、彼の胸は長いこと、怪我もないのに痛んでいた。