第五話 血の狂宴、その4
妹の姿を探しながら僕は異質な雰囲気の廊下を放浪する。
その場の空気は異様なほど冷たく窓から見える灰色をした幾何学模様の空が僕の心を冷たく揺さぶっていく。それでも近くにはエリナがいるという微かな望みだけが僕を突き動かしていた。
「……どこだ……どこだ……」
僕は焦りを交えた声色でそう呟き続ける。
僕はひたすら周囲を歩き回る。どこだどこだとつぶやきながら気が狂うような気持ちを抑えながらひたすら周囲を捜索する。
「……体力を温存しろ。お前が保たない」
アキ君の言葉に僕は感謝を述べる余裕がなかった。
「だとしてもエリナが優先だ。エリナが死んだら僕は……」
「だからこそだ」
「どうして!?」
「こんな状況だからこそ自分を大事にしろ。それとも友達の言葉は聞くに値しないか?」
「……」
「そうじゃないだろう。家族を救うなら余力を意識しろ」
「……すまない」
ありがとうを言いたかったが出てきた言葉は謝罪であった。
「気にするな。慎重にいくぞ」
その優しさがかえって僕の心にズキズキと突き刺す。僕は親友の優しさが辛かった。
そうして僕らが探索を続ける。すると、廊下の奥から何かを引きずるような音が奥から響いた。
ずるり……。
ずるり……。
ずるり……。
ずるり……。
廊下の奥、仄暗い闇に人の輪郭が存在していた。
だが、僕は心の奥底で寒気のような予感を感じていた。
生き物じゃない。
僕は直感的にその存在をそう感じ取っていた。
輪郭は確かに人の姿をしていた。
だが、それは正気の産物ではなかった。
死体。飢えたまま歩く死者がこっちへと歩み寄ってきていた。
その存在を目撃し、僕の全身が総毛立つ。
それは人間と呼ぶにはあまりに歪な亡骸であった。
歩く撲殺死体。目の前に制服を着た亡骸がゆっくりと歩み寄ってきた。
「くそ!?」
僕は恐怖のために後ずさる。アキ君も驚いた表情を見せるが僕よりかは冷静だった。
「下がってろ」
そう言ってアキ君は歩く死体に飛び掛かる。
亡骸はうめくような声を発しながらアキ君に掴みかかろうとした。
「はなせぇ!」
そう言ってアキ君が掴まれた腕を無理やり引っ張ると腕が抜け落ちた。赤黒い血液が断面から飛び散りあたりを不浄に汚してゆく。腐った肉と血が混じった悪臭に僕の顔から血の気が引いてゆく。
アキ君は懐に隠し持っていた折りたたみ式のナイフを取り出すと亡骸の頭部にそれを突き立てた。
「オラァ!!」
そうして胴体に痛烈な蹴りを浴びせると亡骸はぴくりとも動かない状態に戻った。
「……無事か?」
「あ、ああ……」
僕は呆けた様子で死体へと近づいた。正直ゾンビとなった遺体には怖かったが妹のためにも死ねないと思い亡骸の反応を見た。やはりぴくりとも動かない。
「……まだ使えるな」
アキ君はそう言ってナイフを亡骸から抜く。亡骸の頭部から溢れ出る血に僕は吐き気を感じていた。だが、その一方でその亡骸に対して違和感を感じ取る。
「……これ」
「なんだ?」
「……見てこれ」
それは血の付いたメモ帳であった。遺体のポケットからわずかに見えていたそれを僕は取り出す。
「すみません」
思わず僕はそう呟く。
その中には亡骸となった男子生徒の生前の予定や委員会活動のメモ書きがずっと続いていたが、ある時点になにかの走り書きが残されていた。
メモには『隣のクラスの小川アキオ君、怪しい本に取り憑かれている。報告?』とあった。
その後は、文字にならない乱雑な走り書きが無数に存在しているだけだった。
「なんだこれ?」
「……その小川という奴が何かに関わってそうだな」
アキ君は少し考え込んだのちにそう僕に言った。
僕は亡骸のメモ帳にある持ち主の学年を調べる。二年四組と丁寧な字で記されている。
「かもしれない。職員室に手掛かりがあるんだろうか」
「近くに来たら行ってみるか」
「そうだね」
そう言って僕とアキ君は亡骸に手を合わせた後、その場を後にした。
廊下には静寂だけがあった。窓ガラスに映る空の色彩は変わらず暗く狂っていた。夜のような明度の廊下にはおおよそ生存者の姿や気配はなかった。
「どっちから行く?」
アキ君の問いに僕はこう答える。
「二階。二年生の教室に手掛かりがないか調べよう」
そう言って僕らは階段を一歩ずつ登ってゆく。階段を上がるその一瞬ですら底冷えするような恐怖心が僕の胃を刺激する。
「……」
「……」
僕らは仄暗い階段を登り切り周囲に目を光らせる。
廊下は血まみれだった。撲殺された死体、食い散らかされた肉片、真っ赤な血溜まり。
学校という日常の舞台に凄惨な惨劇の痕跡がその場に生々しく残されていた。僕は吐き気と背筋の冷える感覚を抑えながらその場を進む。アキ君は大胆である。こんな恐ろしい現場を目にしても普段通りの沈着な様子を崩すことはなかった。
「アキ君はすごい。冷静で」
アキ君に僕はそう告げる。
「……慣れない方が幸せだ。俺はもっと酷いものをみたことがある」
「え……」
僕はその意味を図りかねた。だがそれ以上の詮索は止すことにした。アキ君は僕にも言えないような辛い経験をしているということをなんとなく察していた。彼はそれを誰にもいうことはないが少なくとも僕が聞いたところで気休めになるかも怪しいと僕は思っていた。
「……そうか」
僕はそこで会話を打ち切ってからある場所を目指す。
「……二年四組」
僕らは『小川アキオ』の所属するクラスの教室前にたどり着いた。
「……」
「……」
僕らはアイコンタクトと共に慎重に教室へと進入する。
中にいるのは怪物か、それとも生存者か、否、生存者である可能性は低いだろう。なにせここは死体ばかりの危険地帯だ。先刻のゾンビじみた存在もうろついている以上は悲観的であることに越したことはない。僕らは教室の扉をゆっくりと開いた。
ガラ……。
引き戸の音があたりに響く。
だが、そこは無人、しかも生き物一つ存在しない教室だった。
しかも他は遺体や血の跡が残っているのにここはその痕跡すら存在しなかった。
「どういう……」
僕はそこにあった机の一つに着目する。
机にはマジックか何かで罵詈雑言が乱雑に書かれていた。
バカ、汚い、虫、汚物、キモいなどのありったけの悪意の言葉がそこに記されている。
「……チッ」
アキ君は心底不快そうな舌打ちをする。
それは僕も同じ気持ちだった。僕も悪ガキに酷い目にあったことがあったがアキ君らが助けに来てくれたことがあった。この小川君は僕よりも絶望的な気持ちで学校にきていたのだろうかと僕は悲しくなった。
「ごめん。見せてもらうよ」
僕はそう言って机の中を探る。
手掛かりは…………あった。
それはノートの一冊。不自然に二つある国語のノート、その一つに書き記されていた。
僕はそのノートをじっくりと読み始める。
その一節に儀式決行日と書かれた日付があった。今日の日付で必要なもののリストと儀式の手順が記されていた。
賢者の石、一〇グラム。
チョーク、二本。
自分の血液、一〇CC(アンプルに入れておく)。
水晶玉、一個。
蝋燭、五本(予備も含め多めに用意する)。
蛇神のナイフ、一個。
人の形をした白紙、三枚。
材料は以上である。それと儀式の手順が記されている。
一、屋上にて自分の血で濡らしたチョークで六芒星を描く。
二、六芒星に水晶と賢者の石を置き、『母なる蛇神』を三回呼ぶ
三、人の形をした白紙三枚に標的の名前を記す
四、蛇神のナイフを三枚の白紙に突き立てる。一回でもいいが何度でもやる
手順は以上である。
「蛇……」
アキ君はなにか思い当たる節があるのか。目を見開いたような表情を浮かべていた。
「これ……どういうこと」
僕の質問にアキ君はしばしの沈黙の後答える。
「……邪教の儀式の一つだ。敵対者を暗殺するための確実なやり方の一つだ」
「儀式?」
「ああ……この儀式は」
その時だ。
窓の外に何かがぶつかる音がした。
ドン……。
それは手形だった。真っ赤な血の手の跡だ。
ドン……ドン……。
手の数が増える。
二つ。
三つ。
四つ。
そして……無数。
ドンドンドンドンドンドンドンドン……!
窓という窓のガラスに無数の真っ赤な手形が張り付く。
その光景に僕の口から悲鳴が短く上がる。当然だ。何もないところに血のついた手の跡ができている。明らかにここになにか恐ろしい存在がいるのは間違いなかった。
蛇の神様とは別に邪悪で悪意を持った存在がいるというのを僕は全身で感じ取っていた。
そして黒板に血文字が記される。
クルシイとある。
黒板にクルシイと書かれたありとあらゆるクルシイの字がクルシイを埋め尽くすようにしてクルシイとクルシイがクルシイを埋め尽くしていた。
『クルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイ』と黒板にあった。その上にさらに文字が記される。
『苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦苦』と床や壁中に無数に記される。その文字は全て真っ赤だ。血文字で苦と抱えていた。いつの間にか血文字があった。全てが真っ赤に染まりそうな勢いで文字が周囲を染め上げてゆく。
「何かいる!何かいる!」
「わかっている!」
僕の言葉にアキ君が叫ぶ。
アキ君は鎖のようなものを取り出した。
「こいつの出番か……?」
アキ君はそう言って周辺を見渡す。だが僕はなにをすべきかわからずオロオロとするばかりだった。なにせ僕はオカルトは創作に使う知識程度で儀式とかまして対抗策に直結するような方策を知るはずもなかった。
不意に、壁やガラスを叩く音が止まった。
「……え、止まった……え?」
沈黙。
僕は一瞬の静寂に呆然としていた。
だが、教室を覆うような敵意らしき気配は消えていない。たまらず僕はあたりを見渡す。
不自然な感覚があった。
それは視覚でも聴覚でも嗅覚でもない。僕の触覚であった。
何者かが僕の足首を掴むような感覚があった。一つではなくいくつもいくつもの感覚であった。
僕は足元を見下ろす。
そこには恐ろしい存在がいた。
「うわぁああああああ!?」
恐怖のあまり僕は叫んだ。なぜなら僕の足元に恐ろしい者がいたからだ。血まみれの中学生たちの顔。無数の恐ろしい顔をした手の化け物が僕の足元を侵食していた。
僕は無数の手によってどこかに引き摺り込まれていた。
ソウジに思わぬ罠……!!
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