中編
そして、その翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日に、ミリアンは目を覚ました。
昨日の夜、窓から外を眺めたまま、きっちりと閉めずに眠ってしまったらしい。
朝食の支度をしなければ。そう思って慌てて起きようとして、もうその必要がなくなったことに気が付いた。
(ああ、そうだった。もうオードのために朝食を作る必要はなかったんだ)
もう少し寝ようかとも思ったが、宿屋から職場に向かうには、今までよりも遠いため、早く出なくてはならない。
簡単に着替えをして、朝食をとるために階下に降りることにした。
「おはよう」
食堂に顔を出すと、昨日の老婦人がにこりと笑って挨拶をしてくれた。
「あ、おはようございます。朝食をお願いします」
「はい。空いている席に座ってね」
彼女の勧めに従って、窓際の席に腰を下ろす。
焼きたてのパンに、具沢山のスープ。フルーツもあった。
誰かが作ってくれた料理を食べるのも久しぶりで、思わず夢中で食べていた。
「おかわりもあるからね」
「す、すみません。つい夢中になってしまって」
優しい声に、思わず頬を染める。
他にも客がいたが、皆年配の穏やかそうな人だ。朝食だけを食べに来ている人もいるようだ。
「とてもおいしかったです。ありがとうございます」
そう言って食器を片付けようとしたところで、店内にある貼り紙に気が付いた。
【住み込みで働ける従業員、募集します】
目立つところに張られていたそれには、そう書かれていた。
(ここで、働く人を募集しているんだ……)
ミリアンは、改めてゆっくりと店内を見渡した。
木造の建物は、かなり年季が入っているが、それでも丁寧に使ってきたのがわかる。厨房を切り盛りしている老婦人は穏やかで優しそうで、客の注文に笑顔で答えている。
来ている客も常連が多いようで、それぞれゆったりと、思い思いの時間を過ごしているようだ。
仕事を押し付ける新人も、特定の人だけ贔屓する店主もいない。
(ここで働けたら、素敵だな)
しかも、住み込みで働くことができるのなら、家を探さなくてもよいのだ。
ミリアンからしてみれば、これ以上ない好条件だった。
「あ、あの」
思い切って、老婦人に声をかける。
「ここで、働きたいのですが」
張り紙を指さしながらそう言うと、彼女は少し驚いたような顔をしたものの、すぐに優しい笑みを浮かべた。
「本当に? それは助かるね。でもね、申し訳ないけど、お給料はあまり出せなくてね……」
「住み込みで働かせていただけるのなら、それでかまいません!」
共同の貯金があるし、もうオードの実家の宿屋を建て替える必要もないのだから、それほどお金は必要ない。
それよりも、今よりも良い環境で働けるほうが、ミリアンには大切だった。
「今の職場を辞める予定で、仕事を探していたんです。それに、住む所もまだ見つかっていなくて。住む所と食べるものさえあれば、賃金などなくてもかまいませんから」
「……さすがに若い娘さんを、そんな条件で雇うわけにはいかないわ」
彼女はやんわりと笑った。
「そんなにたくさんは出せないかもしれないけれど、ちゃんと労働に見合うだけのお給料は出すわ。こんな小さな宿屋でよかったら、よろしくね」
「はい、ありがとうございます。でも私、そんなに若くは……」
二十七歳だと告げると、十分に若いわよと笑われた。
たしかに、オードの連れていた女性が自分よりも若かったから、少し年齢に拘りすぎていたかもしれない。
働けるようになってからで構わないという彼女に礼を言い、まず今の職場に行かなくてはと、急いで支度をする。
いつもと違う道を通って職場に行くと、壮年の店主の不機嫌そうな声がした。
「遅い。さっさと仕込みをしろ」
もちろんミリアンは遅刻などしていない。
時間に余裕をもって出勤しているし、そもそもミリアンの仕事は給仕であり、仕込みをする必要はない。
それなのに店主は、当たり前のようにミリアンに仕事を押し付けようとする。
「これを仕上げておけ。それが終わったら、次は店の掃除だ」
一方的に指示して立ち去ろうとした店主に、ミリアンはきっぱりと告げる。
「掃除と、給仕はします。それが私の仕事ですから。でも、仕込みは私の仕事ではありません」
もうすぐ辞めるのだから、言いたいことは言ってしまおう。そう思ったのだ。
この仕事を失ってしまえば、どうにもならないと思っていた。
九年間、ここしか知らなかった。
だから何を言われても我慢して、この仕事にしがみついていたのかもしれない。
でも、少し町に出ただけで、仕事を見つけることができた。
もしあの宿屋で雇ってもらえなかったとしても、頑張って探せば仕事を見つけることはできるだろう。
王都は広く、こんなにもたくさんの人で溢れているのだから。
「何だと?」
店主は、ミリアンが拒否したことに驚いている様子だった。
ずっと命じられたことを、表立って文句を言うこともなく。すべてこなしていたのだから当然かもしれない。
「口答えするな。お前の代わりなど、いくらでもいるんだぞ」
「そうですね」
たしかにそうだろうと、その言葉に思わず頷いていた。食堂の給仕は、ミリアンしかできないような仕事ではない。
「言われた通りにしないと、クビだぞ!」
いつもと違う様子に苛立ったのか、店主がついにそう叫んだ。彼の背後には新人の女性がいて、こちらを見て笑っていた。
「わかりました」
その勝ち誇った笑みを見た瞬間、ミリアンは決意した。
どんな店主だろうと、この店に九年間もお世話になったことには変わりない。いずれ辞めるつもりだが、代わりの人が見つかってからと思っていた。
でも、そんな気遣いも不要かもしれない。
退職を口にする手間が省けたと、にこりと笑ってそれを承知することにした。
「クビになったので、このまま退職させていただきます。長い間お世話になりました」
そう言って軽く頭を下げると、さっさと店を後にする。
きっと人出が足りなくて苦労するだろうが、クビにしたのは向こうだ。
少しだけ残る罪悪感を振り切って、ミリアンは大通りを駆け抜けた。
もうあの店に行くことはないだろう。
寂しさはなく、ただ解放感だけが胸を満たしている。
最初の頃はともかく、最近は仕事をするのも苦痛だった。いくら頑張っても認めてもらうことはなく、さらに要求されるだけ。
それでも、辞める勇気もなかった。
ただ毎日を生きるので精一杯だったから。
それが一気に動き出した。
(きっかけはオードのあの言葉だった……)
オードに結婚するつもりはないと言われたこと。
あのときはつらかったが、今思えばあれが人生の転機になったのかもしれない。
ミリアンはそのまま宿屋に戻り、驚く老婦人に仕事を辞めてきたことを話した。
「大丈夫だったのかい?」
「はい。今日辞めることを伝えて、代わりの人が見つかってから辞めようと思っていたのですが、クビになってしまって」
思わず正直に告げてしまい、ハッとする。
職場をクビにされてしまうような人間を、雇いたいと思う人はいないだろう。
「あの、違うんです。ちょっと理不尽なことを言われてしまって、それを拒絶したら、クビだと言われてしまって……」
慌てて言い訳をすると、老婦人は優しく微笑んだ。
「いいのよ。あなたの様子を見ていたら、今までよほど我慢してきたってことが、よくわかるわ」
世の中には、こんなに優しい人もいる。そう思うと涙が滲みそうになって、慌てて俯いた。
「私、頑張って働きます。よろしくお願いします!」
「ええ、こちらこそよろしくね」
彼女はエリダと名乗った。
「とりあえず最初に、あなたのお部屋に案内するわ」
狭くて申し訳ないねと言われたが、むしろ居心地が良さそうだ。調理場の器具なども使って良いらしく、簡単な荷物だけで家を出てきたミリアンには、とても有難い環境だった。
仕事内容は、主にエリダの手伝いだ。
料理の手伝いから、給仕。部屋の掃除、客の対応など、やらなくてはならないことは多い。それでもやりがいがあると張り切ってしまうのは、宿屋の雰囲気とエリダの人柄のせいだろう。
少なくて申し訳ないと提示された給料も、ミリアンの想像よりも多いくらいだ。
九年間、一度も昇給することのなかった食堂と、そう大差がない。
むしろ住み込みという状況を考えれば、十分すぎる。
「ありがとうございます! 頑張って働きます!」
そう気合を入れて返事をしたけれど、今日はまず自分の部屋に落ち着き、日用品などの買い物をした方がいいと言ってくれた。たしかにほとんど荷物を持たずに家を出てきたので、少し買い物もしたい。
ミリアンは有難く、その申し出を受けることにした。
まず部屋に置いておいた荷物を持ってきて、払わなくてよいと言ってくれた宿代をきっちりと払う。それから用意してもらった部屋で、まとめていた荷物を広げた。
九年間暮らしていたわりには、荷物はそう多くない。
着古した衣服が何着かと、日用品しかなかった。
「どうしようかな。接客業だし……」
衣服を少し、買い替えたほうがいいかもしれない。持っている服は数年前から着ているものばかりで、今のミリアンにはあまり似合わない。
そう思い立ち、エリダに断ってから町に出た。
あまり余裕はないが、宿屋の建て替えのために貯めていた資金がある。それを自分のために使うことには少し抵抗があるが、もうミリアンがオードの実家の宿屋に関わることは二度とない。
新生活のために少し使って、あとは貯蓄しておこうと思う。
大通りを出て、服屋を探してみる。
普段は古着ばかり買っていたので、新しい服を見るのは初めてかもしれない。
(こんな着古した古着で行って、相手にされなかったらどうしよう)
そんな不安があり、無駄に大通りを歩き回ってしまった。それでも、あまり高級ではない服屋を見つけて、思い切って入ってみる。
「いらっしゃいませ」
しっとりとした大人の女性の声がミリアンを迎えてくれた。
オードと、職場でのことがあってから、若い女性が少し苦手になっていたミリアンは、声の通りに落ち着いた雰囲気の店員を見てほっとする。
彼女は過剰に商品を勧めたりすることもなく、お客にアドバイスを求められたときだけ、そっと助言しているようだ。
だからミリアンも、気兼ねなく服を見ることができた。
(宿屋の仕事って結構動くし、動きやすくて丈夫な服がいいよね)
仕事用に何着か服を購入することにして、手に取る。
ここでは同じ形の服でも、色違いのものがたくさんあった。無難に白にしようと思ったが、汚れが目立ってしまうかもしれないと、ベージュ色にしようか迷う。
「お客様でしたら、こちらの色がお似合いかと」
迷っている様子を見ていたのか、さきほどの女性店員がそっと助言してくれた。それは淡いパープルとピンクの、可愛らしい色だ。
ミリアンも最初見たときから、その色を綺麗だと思っていた。でも可愛らしすぎて自分には似合わないと除外していたのだ。
「私にはちょっと、派手かな、と」
綺麗な色が似合うと言って貰えたのは嬉しいが、お世辞だろうというのはわかっていた。だから言葉を濁して断ろうとした。
でもその女性店員は、そんなことはないと大きく首を振る。
「むしろ、もう少しはっきりとした色でもお似合いになるくらいです。だからこちらの服でしたら、この色が一番お似合いです」
強く勧められ、思わずその服を買ってしまった。
うまく乗せられてしまったような気がするが、値段はどの色でも一緒だった。売れ残りの色を売りたかったわけでもないだろう。
それに、綺麗だと思った服が手元にあるだけで心が華やいだ。
「ありがとうございました」
少し上擦った気持ちのまま、店員に見送られて店を出る。
せっかくお金を出して新しい服を買ったのだから、これを着ないわけにはいかない。明日から、この服を着て新しい職場で働くのだ。
そう思うと、自然に頬が緩む。
こんな高揚感は、本当にひさしぶりだった。
無駄遣いはしないと決めていたので、日用品は最低限の買い物で済ませた。
これで、新しい生活を迎える準備は整った。
(あとは……。両親に手紙を書いて送らないと)
王都に出てから一度も帰ることはできなかったが、手紙のやり取りは頻繁にしていた。
最初の頃こそ、ミリアンも将来の展望について夢を語っていたが、最近の手紙では近況報告のみになっていた。
だから両親も、なんとなく察していたのだろう。
最近は、もしオードとうまくいかないようなら帰ってこいと手紙に書かれていた。
それに対して大丈夫だから心配しないでと言い続けてきたが、今回ばかりはきちんと経緯を話し、よい仕事を見つけたから心配しないでと書くつもりだった。
予定していた買い物もすべて済ませたし、あとは宿屋に戻ってゆっくりと両親に手紙を書き、明日からの生活に備えようと思う。
「あら、おかえりなさい。早かったのね」
裏口から入ると、エリダが迎えてくれた。
ずっとオードと一緒に暮らしていたのに、おかえりなさいと言われたのは、随分とひさしぶりだった。
思わず涙が滲んでしまって、慌てて拭う。
もうオードのことは吹っ切ったと思っているのに、こんな些細なことで涙が出てしまうなんて思わなかった。
「ご、ごめんなさい。失礼します」
慌てて部屋に戻ろうとしたところを、やんわりと留められた。
「仕事もひと段落したし、ちょっとお茶でも飲もうと思っていたのよ。一緒に飲みましょう?」
「……はい」
今部屋に戻ってひとりになったら、きっと泣いてしまう。
オードのことで涙を流すなんて嫌だったから、ミリアンは素直に頷いた。
エリダは手際よくお茶を淹れてくれた。
「そういえば、自己紹介もしていなかったね」
手作りだというクッキーをつまみながら他愛もない話をしていたとき、彼女はそう切り出した。どうせ聞こえてくる話だからと、身の上話をしてくれた。
「私の生まれは、王都から遠く離れた海辺の町でね。漁師だった親が船の事故で亡くなって親戚に預けられたんだけど、居心地が悪くて。ひとりで王都に飛び出してきたんだよ」
それから宿屋の息子だった夫と出会い、結婚して娘をひとり授かった。その娘も結婚して、孫がひとりいるようだ。
夫は早くに亡くなってしまい、娘夫婦と宿屋を運営していたらしい。
ところが五年前の流行り病で、その娘夫婦も亡くなってしまい、今はひとりで宿屋を何とか切り盛りしていた。
「お孫さんは、宿屋を手伝っていないのですか?」
彼女の波乱万丈な人生に、思わずそう尋ねると、彼女は明るく笑った。
「孫は王城に勤めているのよ。たまに帰ってきて手伝ってくれるけど、いそがしいようでね」
何せ、王城を守る騎士だから。
エリダはそう言って、幸せそうに笑った。
「王城の騎士、ですか?」
ミリアンは、思わず大きな声を上げてしまっていた。
近衛騎士団と違い、王立騎士団には貴族以外の人間でも採用されるが、よほどの腕がなければ厳しいと言われていた。
しかも王城を守る騎士なら、かなりのエリートだ。
「すごいですね……」
ミリアンも王都に来たばかりの頃は、凛々しい制服を着た騎士に憧れ、王城を訪れては、遠目にその姿を見ていたものだ。そのときの気持ちを思い出す。あの頃は王都のすべてが新鮮で、楽しかった。
「昔から真面目な子でね。毎日、剣の鍛錬ばかりしていたよ。でも、休みの日になる手伝いに来てくれるんだよ」
エリダにとっては自慢の孫なのだろう。
しかも、彼女にとっては唯一の家族だ。
「ここに来ることもあるだろうから、仲良くしてやっておくれ」
そう言って笑うエリダは、苦労した昔の話や、夫を亡くして悲しかった気持ちも話してくれた。
そんな彼女に、ミリアンもいつのまにか自分の過去を語っていた。
「王都に来たのは、九年前です。故郷の町で幼馴染だったオードと一緒に来て。実は、彼とは恋人同士だったんです。彼の実家が宿屋で、いずれ建て替えて大きくしようって話をしていて……」
話すつもりなどなかったのに、エリダが優しい瞳で静かに聞いてくれるから、苦しい気持ちを吐き出すように、つい語ってしまっていた。
「彼と、結婚するつもりでした。少なくとも、私はそう信じていて。でも、オードは……」
ミリアンと結婚するつもりがなかったこと。
彼には新しい、若い恋人がいたこと。
しかも職場の上司が最悪で、仕事を押し付けられてばかりだったこと。
すべてと決別するために家を出て、偶然この宿屋に入ったこと。
「……大変だったね」
気が付けば、エリダに背をさすられたまま、ミリアンは泣いていた。
「ご、ごめんなさい。泣くつもりはなかったのに……」
「いいのよ。つらいことは全部、涙で流して忘れてしまいなさい」
母親のように優しいエリダの言葉が、ミリアンの心の傷を癒してくれる。
表面は立ち直ったつもりでも、オードによってつけられた傷は、思っていたよりもずっと深かったようだ。
それは、オードに対する未練ではない。
ずっと一緒に過ごしてきた彼によって、ミリアンという人間が軽んじられ、粗末に扱われたことが、ショックだったのだ。
「さあ、そんな男のことなんて、もう忘れてしまいなさい。まだ若くてこんなに可愛らしいんだから。これからきっと、素敵な出会いがあるよ」
「……そうですね」
涙をぬぐって、ミリアンは微笑む。
「実は、彼と離れて自由になれたこともたくさんあるんです。だから、もっといろんなことを楽しんでみようと思います」
それからは、毎日が忙しく過ぎていった。
新しい職場は覚えることも多くて大変だったが、苦痛ではなかった。
宿屋の客も常連ばかりで穏やかな人が多く、嫌な思いをしたことは一度もない。中には偏屈そうな人もいたが、真面目に一生懸命やれば、やがて認めてもらえた。
仕事以外でも、いろいろなことに挑戦してみた。
最近はエリダの勧めで、ずっと長くしていた髪を肩くらいまでばっさとり切った。
こんなに短くするのは初めてで、次の日は少しだけ切ったことを後悔していた。
でもいつのまにか親しくなった服屋の店員が、こっちの方が似合うと褒めてくれたので、思い切ってよかったのかもしれない。
さらに彼女の勧めで、休みの日に着るようにと、作業着ではない服を買ってみた。デートの日にも着ていける服だと言われたが、残念ながら相手はいない。
こんなふうに、休みの日もそれなりに楽しく過ごしていた。
エリダの自慢の孫にも、対面することができた。
名前はマークフェル。
背の高い美丈夫で、彼女が言っていたように、真面目で誠実そうな男性だった。落ち着いた雰囲気で、自分より年下とは思えないくらいだ。
そんな彼は、休みの日もほとんどの時間を鍛錬に費やしているようだが、一か月に何度かは宿屋に顔を出し、エリダの仕事を手伝っていた。
それはミリアンがこの宿屋に勤めだしても変わらず、宿屋の修繕や力仕事などを中心に仕事をこなしてくれた。
「あなたが来てくださってから、祖母はとても楽しそうです」
ある日のことだ。
部屋の掃除をしていたミリアンに、彼はそう言ってくれた。
「こんな小さな宿屋に来てくれて、ありがとうございます」
「い、いえ。私のほうこそ、エリダさんにはお世話になりっぱなしで……」
感謝しているのは、こっちの方だ。
そう言いながらも、自然と頬が紅潮してしまう。
年下の青年に頬を赤らめている様を想像すると、我ながら恥ずかしい。
でもよく考えてみれば、今までオード以外の男性とほとんど接したことがなかった。
しかも相手は、憧れだった騎士なのだ。
余計に緊張してしまい、それが表面に出てきてしまう。
「ごめんなさい。向こうの掃除をしてきます」
顔を隠すようにしながら慌てて立ち去るミリアンを、マークフェルは穏やかな瞳で見守っていた。