雨宮家の日常:雨宮わたこの場合
「よしっと!...じゃあ、わたちゃんお仕事頑張ってね~!」
「わんわん!」(りさもがんばって~!)
理沙と別れたわたこは、颯爽と王都を走り抜ける.....ことは無かった。
初出勤をした時、翔と理沙に早く会いたくて全力疾走で帰ったことがある。
もちろん、わたこは人に当たらないように走ったのだが、王都を巡回する兵士に危ないから走るな、ときつく注意された事が普段怒られ慣れていないわたこには大分応えた。
以降それがトラウマとなり、のっしのっしと歩くようにしている。
「~♪」(今日はいい天気~!)
心地よい日差しをうけるわたこ。
この日の気温は朝から20℃を超えていたため、グレートピレニーズである彼女には少々熱いはずだった。
しかし、以前翔と理沙が勝ってきてくれた首輪型の魔道具のお陰で周囲の温度はわたこの過ごしやすい気温に保たれているため、わたこにとって日差しさえ出ていればいい天気なのである。
「あ、わたちゃんおはよ!!」
「おはよ~!」
「でっけぇ~!!」
「わふ!」(おはよ~!)
子供がわたこの前方からやってきた。
2人の女の子はわたこの顔見知り、よくお店に来て撫でてくれる子たち。
もう1人の男の子はわたこを初めて見る用だ。
その大きさに驚きはするものの、日本とは違い怯えることは無い。
なぜなら、この世界ではもっと大きなカエルやトカゲ、鶏をペットにしている家庭が多いからだ。
とはいえ、わたこのような犬はこの世界にはいないため、珍しさから男の子は大興奮しているようだった。
わたこは足を止め、片手をひょいっと上げ挨拶を返す。
「わ~すっげ、さわってもいいか??」
「わん」(いいよ~)
そう答えると、わたこはてくてくと男の子のそばまで歩いていき、目の前でおすわりをした。
「お、お前頭めっちゃいいな....うわ...やわらけ....。」
わたこを前から抱きしめた男の子は想像以上の柔らかさに驚く。
このモフモフ具合は魔法とは一切関係が無く、翔と理沙による丁寧かつ入念なブラッシングとシャンプーの結果である。
「あたしもー!」
「もふもふ~~~!」
それを見ていた2人の女の子もわたこをだきしめる。
通りすがりの人たちはその光景を微笑ましく眺めていた。
「.....!!!」(お仕事の時間におくれちゃう!)
歩いて職場まで向かっていたわたこに時間の余裕はない。
そのことに気が付いたわたこはスッと一歩後ろに下がって一吠えする。。
「わん!」(おしごといかなきゃ!またね!)
「ん~?あ、お仕事の時間だ!」
「ちぇ~、また触らせてくれよな~!」
「わたちゃんじゃあねぇ!」
子供たちもわたこが看板犬として働いていることを知っているため、駄々をこねることは無かった。
名残惜しそうに手を振る子供たちを背に、わたこはいつもの1.5倍くらいの速さで店に向かって歩き出したのであった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「おっ、きたきた。今日もよろしくな!わたこちゃん!」
「へっへっへっ、わふ....。」(がんばる...。)
小走りで何とか時間内に『フェンリルの鳴き声』へとたどりついたわたこの息は上がっていた。
わたこは店主に挨拶をし、いつもの定位置へとぺたんと座る。
「ほい、エプロン。...じゃあ休憩時間になったら賄い持ってくるから後は頼んだよ!」
「わん!」(はーい!)
店主は優しい手つきでわたこの首に『フェンリルの鳴き声』と書かれたエプロンをつけると、店の中に入っていった。
この世界に来る前のわたこだったら、エプロンを噛み、おもちゃのように振り回して遊んでいただろうが、高い知能を持った彼女はそのようなことをしない。
「....。」(エプロンであそびたいけどがまん...がまん...。)
しないだけで遊びたくないわけではないが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「へっへっへっへ、わおーーーんおうおうおう」(おいしいよ~ここのごはんおいしいよ~)
「ままー!みてあの子、かわいい~!..ご飯屋さんだって~!ここで食べようよぉ」
「ほんと、かわいいわねぇ...『フェンリルの鳴き声』...ここって辛い料理しかなかったんじゃないかしら?あなたにはまだ早いわよ。」
1組の親子がわたこの鳴き声で店に興味を持ったが、母親の方はあまり乗り気ではないようだ。
そのことに気が付いたわたこは近くに置いてあったタオルを咥えて店のメニューの上に乗せた。
タオル越しにメニューを咥えて親に向かって小さく吠える。
「うぉふっ」(からくないのも美味しいよ!)
メニューを直接咥えないのは、自分の涎が付かないようするためだ。
「あら、料理の一覧かしら?よくできた子ね」
「おりこー!!」
母親がわたこの咥えたメニューを受け取り、親子共にわたこの頭を撫でる。
撫でられて気持ちよさそうに尻尾をパタパタふるわたこ。
「辛くないメニューもあるのね...『わたこ饅頭』ってこの子の事かしら?あなた、わたこっていうのね。」
「オムライスおいしそ~!ねぇここにしようよぉ!」
母親がニコニコしながらわたこを更に撫でる。どうやらこの母親はわたこを気に入ったようだ。
子供の方も、子供向けメニューを見てこの店の料理に興味を持ったようだ。
「....!くぅ~ん」てしっ(もうひとおし...!たべていかないの?)
わたこはメニューを持つ母親の手の上に優しく手を乗っけた。
そして甘えた声のコンボ。
「~~~!!!入りましょう!いくわよ!」
「やった~!ふぇんりるさんまたね!」
どうやら子供は店の名前からわたこのことを『フェンリル』だと勘違いされたらしい。
しかしわたこは気にしていない。
「わんわん!...。」(ごゆっくり~。...ごはんおおもり..!)
午前中にわたこが客寄せに成功したのはこの親子で10組、店主から午前で10組呼べたら賄いを大盛にしてもらえる約束をしているわたこにとって、名前の呼び間違いなど些細なことだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「わん、わん!わん、わん!」(おいしいよ~ここおいしいおみせだよ~)
大盛の賄いを平らげたわたこは退勤前最後の追い込みをかけて意気込んでいた。
後一組の客を呼び寄せることさえできれば、フォレストボアのあばら骨が給料に上乗せされるからだ。
「う~うぉうおうおう~!」(だれかきて~!ほねほしいよ~!!)
もはや客寄せのつもりの吠え方ではないが、その真意を理解できる人間はいないため問題はない。
わたこは何が何でもあばら骨が欲しかった。普段理沙から貰えるのはジャイアントフロッグばかり、フォレストボアのあばら骨はなかなかありつけないご馳走なのだ。
「うぉ~ん、うぉう~」(だれか~きて~)
わたこが悲痛の叫びをあげていたその時、声を聴いて駆けつけたのは3人の猫獣人。
「あ~ん?なんかうるせぇと思ったらいぬっころかよ」
「犬獣人かと思ったわね」
「あいつら発情期になるとわんわんうるせぇもんなぁ!」(そこが可愛いんだけど)
なんだか怖い人たちが来たな、とわたこは3人の猫獣人を見て思った。
実際、彼ら猫獣人は犬獣人の事を見下しているものが多いため、その同じ系統の犬であるわたこに対してあまりいい印象は持っていないようだ。
「わん!へっへっへっへ」(ここのご飯美味しいよ!)
しかしわたこは客寄せのプロ、どんなにガラが悪くても、態度が悪くても接客態度を帰ることは無い。
愛想よくするために楽しくもないのに尻尾さえもわたこは振った。
「おいみてみろよ、俺らに尻尾振ってやがる」
「流石犬、節操がねぇな!」(そういうところも可愛い)
「.....ちょっとかわいいかも...。」
未だ二人の男性はわたこの事を見下すような態度をとっているが、わたこは女性が自分に向けた好意の視線を見逃さなかった。
わたこは女性との距離を詰めて目の前まで歩いていった。
「...な、なによ...。」
「....くぅん...?」(おねえさん、ごはんたべない...?)
女性の足に手を置いて、上目遣いで目を潤ませながら可愛く鳴く。
泣き落とし3連コンボ。
「......くっ.....!!!」
「コイツ、お前の事犬獣人だとおもってんじゃね?」
「馬鹿な奴だな」
女性はつい撫でてしまいそうになる手をもう片方の手でガシッと掴んで止めた。
彼女は今葛藤しているのだろう、猫獣人としてのプライドと、かわいいものを撫でたいという欲求と。
「....わふ。」(おこらないで~こわくないよぉ~)ゴロン
あと一押しあればいけると確信したわたこ、あまりやりたくはなかったが、希少なあばら骨には変えられない。と女性の足元でお腹を見せるように寝っ転がった。
「.......あぁあああああ~~~!!!!!もうだめ!!猫獣人とか犬獣人とかなんでもいい!!!かわいいかわいいかわいいかわいい!!!」ナデナデナデナデナデ
「ふんすふんす」(あばら骨げっと~!)
女性はついに落ちた。
今まで我慢していた欲望を全て開放するように、わたこのお腹を撫でまくり、首元に顔をうずめ、欲望のままに行動した。
「お、おい....やめろみっともない!お前は猫獣人だろうが!」
「そうだぞ!羨ましい!!」(羨ましい!!!)
「...は?」
「あ、違う違う。みっともねぇぞ!!」(羨ましい!!!)
2人の内、片方の男性も、女性と同じように欲望に耐えているようだ。
表に出さないのはもう一人の男性に合わせているからだろう。
「っさいわね!!!もうアンタの犬獣人差別には飽き飽きしてたの!!!あんたとはもう別れるわ!!!文句があるならさっさと帰りなさい!!!!」
この2匹は番だったのか、とわたこは驚いた。
彼女の飼い主である翔と理沙はいつも仲良し、喧嘩なんて見たことがない、この2人とは真逆だったからだ。
「~~~~~~っ!!!!ああそうかよ!猫獣人としての誇りを捨てた薄汚ねぇ雌猫なんぞこっちから願い下げだ!!行くぞ!シャルス!!」
声を荒げた男性が、シャルスと呼ばれたもう一人の男性に向けて叫んだ。
しかしそう告げられた男性は言いにくそうにそれに返す。
「.....あ~~~~すまん、俺も残るわ...。」
「はぁ!?!?....さてはお前、ルシャに惚れてんだろ!!!」
シャルスの胸倉を掴んでにらみつける男性。
そんな二人を見てわたこは(にんげんの番事情って大変なんだなぁ)と犬と人間の違いを実感した。
ちなみに、ルシャと呼ばれた女性はこんな状況でもわたこのお腹を撫で続けている。
「そういうわけじゃねぇけど、正直犬獣人のことディスる方が誇りだのなんだのよりも...ダサくね?」
「~~~~っ!!!もういい!!...クソが!!」
捨て台詞を吐いて近くの木箱を蹴りつけながら男性は去っていった。
残ったシャルスはわたこを見つめると、優しい顔でわたこの頭を撫でた。
「...ははっ、馬鹿じゃねーの?こんなかわいいのに...なぁ?」
「シャルス、あんた中々やるじゃないの。」
「??...わふ」(きもちー)
シャルスの撫でる手つきに、気持ちよさそうに目を細めた時、わたこは気が付く。
退勤時間が近いことに。
「!!わん!!」(そうだ!めにゅー!)
「あっ、もういっちゃうの...?」
「俺頭しか撫でてないのに....ん?料理?」
わたこは勢いよく立ち上がり、いつものようにタオルをメニューにかけてから咥えて二人の元へ渡しに来た。
「ここがあの『フェンリルの鳴き声』だったのか。ルシャ、食べていく?」
「...あなたわたこって言うのね。ふふ、可愛い名前。....そうね、しょうがないからアンタで我慢してあげる。またね、わたこちゃん。」
ルシャはわたこを優しく撫でると、シャルスを引っ張って店内に入っていった。
ひと悶着あったが、これでわたこは
「わん!」(あばら骨げっと!!!)
無事にフォレストボアのあばら骨をゲットした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「もがもが」(ただいまぁ)ピンポーン
首に給料(様々な魔物の肉)をぶら下げ、口には大きなフォレストボアのあばら骨を咥えて家のインターホンを押すわたこ。
『あ、わたちゃんおかえりぃ~!今開けるねぇ!』
「ぼふ」(はーい)
口にくわえた骨のせいでうまく返事はできないが、翔と理沙の2人にのみ有効なわたこの翻訳魔法のお陰で意思疎通がとれている。
「おかえ...わぁ~!今日はたくさんお給料もらえたんだね!しかもその骨、大きさ敵にフォレストボアのあばら骨でしょ~!すご~い!」
流石は理沙、というべきか。
魔物の解体という仕事上、今では見ただけで何の骨かわかるようにまでなっている。
わたこは家の中に入り、玄関にお肉の入った袋と骨を置く。
「わん!....わふ。」(がんばった!!....でもよくわかったね~。)
返答をしながらわたこは足とお尻、寝っ転がった時に汚れてしまった背中を玄関に置いてあるタオルに押し付けて拭いた。
「わかるよ~!解体士さんだもん!.....わたちゃんまだ汚れてる~、貸して?」
「わふ?」(ほんと?)
理沙はタオルを手に取ってわたこの身体を丁寧に拭き始めた。
わたこはされるがままに理沙に身をゆだねる、段々気持ちよくなってきてうとうとしていると、ガチャリと玄関のドアが開く音がして一気に目が覚めた。
「ただいまぁ~...おっ、わたもお疲れ...って!凄い量の肉とおっきな骨!!!」
「わんわん!!」(おかえり!!すごいでしょ!!!ほめてほめて!!)
「翔ちゃんもおかえりなさい~!わたちゃん今日すっごい頑張ったんだって~!」
先ほどまでの眠気はどこへやら、わたこは帰ってきた翔に飛びついてぺろぺろと顔を舐めまわし始める。
「わぷっ、わた、まっ、ちょっとまっ」
「ふふ、わたちゃんそれぐらいにして~、早くリビングいこ~?」
「わふ!!わん!!!!!」(わかった!ごはん!!!)
わたこは舐めるのをやめて一目散にリビングに駆け込んだ。
が、しかし、猛ダッシュで玄関へと戻ってくる。
「わんわんわん!」(骨噛んでまってる!ほねほね!!)
どうやらご飯ができるまで骨を堪能したいようだ。
先ほどまでの熱烈な舐めまわしは何だったのかと思うほどに翔の方を見向きもせず一目散に骨を咥えてリビングへ駆け込んだ。
「あの骨、でっかいなぁ....あ、そうだ理沙、フィーダさんが今度髪の毛染めに来てくれるって~」
「きゃ~!ほんと!?うれし~~!!!フィーダさんの髪染めって今大人気過ぎて3カ月先まで予約が埋まってるらしいの~~!ありがとう翔ちゃんっ!」
「わふわふ!!」(ねぇごはんはやく~!!)
事故によって異世界に飛ばされてしまった、雨宮一家。
そんな彼らの日々は意外にも充実していた。
やりがいのある仕事に就くことができ、この世界の住人ともいい関係を築くことができている。
ある少女のお陰で。