異世界生活
王都ヴァレンシアの市街地にたたずむ風変わりな家からあくびをしながら翔が出てくる。
「ん~。今日はいい天気だなぁ。...あ、トーリさんおはようございます~!今日はいい天気ですねぇ」
翔は家の前を走っていた猫獣人の女性に挨拶をした。
「あ、おはよ~。ショウは相変わらず寝坊助だねー!」
トーリと呼ばれた女性は足を止めずに翔へ挨拶を返すと、そのまま走っていった。
「ん~?まだ8時なのになぁ。」
翔はズボンのポケットからスマートフォン(・・・・・・・)を取り出して時間を確認した。
どうやら、まだ日本での時間感覚が抜けないらしい。
「理沙~!今日は天気もいいし、わた連れて城の近くでも散歩しない~?」
家に入った翔は、朝食を作る理沙とそれを待つわたこに話しかける。
「いいね~!わたちゃんどう~?」
「わふ....。」たすっ
それを聞いた理沙がわたこに話しかけると、わたこは外をちらりと見て窓からさんさんと差し込む陽の光を忌々しそうに見つめた後、理沙の足を手で抑えた。
「あはは~、わかってるって。そろそろお外も熱いだろうし、昨日買った体温調節の首輪もつけてあげるよぉ」
「わん!」
身に着けると周囲を一定の温度で維持する魔道具を付けてもらえることを理解したわたこは、『それならいきたい!』とでも言うように翔に向けて一吠えした。
....雨宮家が不幸な事故に巻き込まれて1週間。
異世界に家ごと(・・・)転移してしまったという非日常に混乱せず、僅か1週間で日常へと適応させたのは彼らが能天気だから....というわけではない。
勿論、それも理由の一つとなる。
ここで1週間前まで時間をさかのぼってみよう。
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「収まった....いやぁ、地震大きかったなぁ。」
「そうだねぇ~。わたちゃん、もう大丈夫だよぉ?」
「わふ」コクリ。
地震が収まった後、しばらくの間彼らは異世界に転移したことに気が付かなかった。
「じゃあご飯にしよっか!!」
「わん!!」
「俺焼きそばがいいなぁ~。」
昼ご飯を食べていたからだ。
「さっきの地震...どの局もニュースでやってないなぁ。」
カチカチとリモコンを操作してチャンネルを変える翔。
「局地的な地震だったのかなぁ?」
野菜を水で洗いながら翔の操作するテレビを確認する理沙。
そう、電気もテレビ回線も水道も、そしてこの時は気が付いていないがインターネット回線もなぜか繋がったままだったのも混乱しなかった理由の一つである。
「???」
わたこが2人の発言を聞いて、耳を澄ませながらきょろきょろと交互に見つめた。
....犬という、意思疎通が困難な生き物が異世界というイレギュラーに混乱しなかったのには訳がある。
その訳には彼ら人間よりも上位の存在である、神が関係してくる。
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翔たちが異世界のイカれた賢者の作ったふざけた召喚魔法を成立させてしまった時、禁忌である召喚魔法が成立したことを神界に住む、2つの世界を管理する女神エリアが確認した。
「えっ!?召喚魔法の気配!?うっそ!!!!」
世界の危機が訪れる時以外、特に神らしい事をすることの無い女神エリアは驚きの余りその場に立ち上がった。
「エリア様...マジです。召喚魔法が発動しました...。」
「だって、あれはクソジジイのフェウーレがふざけて作ったもので、発動するわけないからって放置してたハズ....。」
エリアの部下である下級神は地球のパソコンのような機械を操作して、その事実を告げた。
「たまたま、本当にたまたますべての条件を二つの世界で満たしてしまった様です....。どうします....?」
「どうするもこうするも....発動したならもう止められないわよ!!このことが宇宙神様に知られたら....私の首はおろか貴女達だって...。」
女神であるエリアにも当然、上司がいる。
禁忌である召喚魔法をどうせ成立しないだろうと黙認していたことも、発動してしまったことも上司に知られた時点で彼女たちは罰せられてしまうだろう。
「こうなったら、....見なかったことにしましょう!いいわね?それと、召喚魔法も二度と発動しないように存在を消してしまいなさい!」
「.....はい。...しかし...巻き込まれてしまった方々はどうしましょう....?データベースによると、長年の夢だったマイホームを手に入れた平凡な家族のようですが...。」
カタカタとPCのような物を操作して、雨宮一家の情報を伝える部下。
エリアはそれを聞いて頭を抱える。
彼女は仮にも女神、慈愛に満ちた女神なのだ。
「2つの世界で矛盾が生じないように私が力を使います....。」
目を閉じて手を広げると、エリアは地面から浮かび上がり、神々しい光が彼女から湧き出る。
「.....これでどうかしら。」
「...U6235-3375では転移してしまった土地を人々が視認できないようになっているようです。U6235-3376では、転移してしまった方の住む家がU6235-3375で繋がっていた配線が不自由なく使えるように、また、転移先を大都市の空いた土地に誘導が成功しています。....問題はU6235-3375の人々と巻き込まれた方々ですが....。」
「...この召喚魔法の切っ掛けとなった要因は....フェウーレの子孫のようね。丁度大都市での地位も高いことだし、彼女に神託(説教)を授けましょう。」
再度力を使うエリア、しかし残る問題があることを部下が告げた。
「巻き込まれた方々には神託を授けられませんが....。」
「そっか、U6235-3375では私達を信仰していないものね...。せめてU6235-3376で苦労しないように、存在レベルを引き上げてあげましょう....。はぁ、もうだめ。5万年貯めた神力が一気に抜けたわ....。あとはよろしく....。」
ぐったりと体を前のめりにしながら部下の元を去っていくエリア。
「あぁ....宇宙神様にバレませんように....。」
部下たちは自分たちが神であることを知っていながら、人間達のように唯々ばれないことを神に祈るのであった。
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つまり女神エリアの隠蔽と謝罪の気持ちを兼ねた世界のルールの改ざんによって、電気もガスも水道もインターネットも何もかも都合よく繋がっており、雨宮家の2人と1匹は知らぬ間により上位の存在、上位人と上位犬へと進化した。
それにより、現在の雨宮家は異世界で英雄となれるレベルの素質を持ち.....。
「わふ...?」(さっきから2人の言ってることがわかる気がする....。)
わたこの知能は飛躍的に上昇した。
ピンポーン
「翔ちゃん、お料理で手が離せないから代わりに出てほしい~」
「あいよ~!はーい。」
そして雨宮家に突如訪れた人物もまた、被害者の一人である。
『あの...宮廷魔術師のリュシア・ドラ・フェウーレというものですが....。』
インターホンのモニターを覗いた翔は目をごしごしとこすった。
モニターに映し出されたのはゲームに登場するような魔法使いの少女。
「理沙、理沙....ちょっとこれ見て...。どう思う?」
「んもうご飯作ってるっていったのに....ん~?誰この子?かわいい~~~!レイヤーさんかなぁ」
「.....わん!」(あの帽子噛みやすそう!)
2人と1匹がモニターを覗きこむ。
神から神託という名の(理不尽な)お叱りを受けた少女は雨宮家の保護とこの世界についての説明、身分の確保を一任された。
彼女がしたのは書物を投げつけたことだけだというのに、不幸な少女である。
『ひっ、あ、あの....。この度は多大なご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした....。ご説明させていただきたいのでお話をさせてはいただけませんか...?』
わたこの声に驚き涙目になりながらも、腰を低くして雨宮夫妻へと話しかけるリュシア。
「はぁ....。とりあえず中へどうぞ。今鍵開けますね~。」
事態がわからないとはいえ、奇妙な風貌の少女をためらいもなく家の中へいざなおうとする翔。
「あっ、丁度いいから焼きそば追加で作っちゃうね~!」
呑気に昼食を作る理沙。
「ハッハッハッ」(帽子で遊んでもいいかなぁ??いいよねぇ??)
彼女の事を玩具としか思っていないわたこ。
リュシアによって自分たちの置かれている状況を理解してしまった雨宮家はどのような反応を取るのだろうか。
少し時間を進めてみよう。
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「え~っと。つまり、いろんな偶然でこの家の敷地ごと異世界に来ちゃったけど、リュシアさんが身分を保証してくれるから心配ないって事??」
「はい....。その偶然の一つは私の軽率な行動のせいで....。」
いつになく真剣な表情で話を聞き終えた翔と、頭を下げて翔と向かい合うリュシア。
実は翔、真面目な顔をして(リュシアさんの髪の毛が焼きそばにつきそうだけど、なんか言える雰囲気じゃないなぁ..。)としか考えていない。
「わぁ、翔ちゃん、立派なお家がたっくさんあるよ!..あ!向こうの方にお城が見える!お城!すごーい!わたちゃんもみてみて!」
「すんすんすん」(なんかお外から嗅いだことの無い臭いがする....。)
理沙が窓から外を見ると、周囲にはたくさんの石造りの豪邸が立ち並んでいた。
更に奥には、かつて大阪に旅行した時に見た大阪城よりも大きなお城が立っている。
のんびりとしている彼女もこの時ばかりは大興奮、わたこの上半身を抱き上げて遠くに見えるお城を指差した。
わたこは今まで感じたことの無い臭い...貴族の香水の匂いや香辛料の強い食べ物の匂い、また、初めて嗅ぐ獣の匂いを感じ取り、理沙に抱き上げられながらも鼻を懸命にヒクヒクと動かしていた。
「あの...ショウさん....。妙に落ち着いていますね...?」ソワソワ
宮廷魔術師であるリュシアは異世界について研究している、いわば異世界オタク。
雨宮亭はたくさんの見たことの無いものであふれかえっている。
本来であれば片っ端から用途と原理、素材や原動力について質問をしたいところだが、女神より直々に神託を授かった彼女は、この雨宮一家が現状とこちらの提案を受け入れてくれることこそが、今唯一の望みだったため、あふれ出る欲望を何とか抑えきっていた。
ところがこの翔という男、彼女が想像しているよりもはるかに能天気かつ何も考えていない。
「へ?...ああ、まぁなるようになるしかならないし。外国に家ごと引っ越しした感じでしょ?電気もネットも繋がってるし。それによくある異世界転生系の小説と比べたらかなり安全だもんなぁ~。」
「翔ちゃ~ん、お話し終わったら皆でお散歩しに行こ~!」
「わふ!」(早く早く~!)
ライフラインが全て繋がったままであることが翔が呑気にしていられる一番の理由だろう。
そんな雨宮家を見てリュシアは安心したような、能天気すぎて心配なような、複雑な気持ちになる。
「そ、そうですか....。では私の方でこの国の国民であることを保証する書類を作成しておきますので、お名前と年齢を教えて頂きたいのですが...。」
「ほーい、紙に書いて渡せばいいかな?..雨宮..翔...。理沙ちゃんとわたこの分も書いとくな~。....っと、わたこ...えーっと、犬の名前も書いたほうがいい?」
「うぉん!!うぉん!」(わたこだって群れの仲間なんだけどぉ!)
わたこが翔の発言にすこし怒りを含んだ声を上げる。
それを聞いてリュシアは苦笑いをした。
「わたこさん、大丈夫です。ちゃんと仲間だってわかってますよ。え~っと...ショウさんとリサさんはヒューマン族で、わたこさんは...スノーウルフの変異種?いや、まさかフェンリル....。」
「グレートピレニーズっていう種類の大型犬だよ」
リュシアが自分の知識からわたこの種族を色々アタリを付けていると、翔がきょとんとした顔で答えた。
グレートピレニーズ、白いふわふわとした毛におおわれた大型の長毛種。
しかしそれは地球固有の種であり、この世界に該当する生物はいない。
「グレ..?...とりあえずスノーウルフの変異種と書いておきます...それにしては人語を理解し知能も高いようですが...。」
「....まぁいっか。わたこかっこいいなぁ、スノーウルフだってよ!」
「ふーーーーんす!」(聞いたことないけどなんかかっこいいからいいや!)
翔から紙を受け取り必要な情報を確認していくリュシア。
雨宮家の人たちはこの時気が付かなかったが、この世界の言語は日本語である。
その理由は遥か昔、地球に迷い込んだ一人の地球人がこの世界を平和に導き、言語を統一したのが理由ではあるが..本人が疑問に思っていないため説明は割愛する。
「はい、これで必要な情報は揃いました。...ショウさん、リサさん、わたこさん。ようこそ、王都ヴァレンシアへ。」
「ヴァレンシア?って言うのかぁ、街中を歩くのが楽しみだなぁ!理沙!わたこ!」
「わんわんわん!!!」(早くいこうよお外!ずっとお話ししててつまんない!!)
「わたこちゃんは元気だねぇ~!...でもさぁ翔ちゃん。お金とかどうする~?日本のお金使えないんでしょぉ?」
翔が理沙とわたこを抱き寄せる。
しかし、理沙の発言を聞いて翔の動きが固まった。
そう、ここに住めることは確定したとはいえ、言われるまでこれからどう過ごせばいいのか、全く考えていなかったのである。
「あっ...。」
「心配いりません、私が仕事を斡旋いたします。えっと...見たところそちらの世界は平和だったようなので...皆さんは以前どの様なお仕事をされていたのですか?」
宮廷魔術師とは一体何なのだろうかと思うほどの手際の良さに、普通は裏があるのではないかと警戒するところだろう。
しかし雨宮家は普通ではない。
「ラッキー!いきなり仕事貰えるのか!えーっと、俺は営業...って言っても伝わらないかぁ...。ん~、偉い人と会話して、商品を売り込む...ような仕事かな、ちょっと違うけど。」
「私はパン屋さんでパンを売ったり作ったりしてたかなぁ~」
「わんわんわん!わんわんわん!」(わたこはしょうを朝起こしたり、りさの足を温めてあげたりしてたよぉ)
当然、警戒心ゼロ。
全力でうまい話に乗っかるような、良くも悪くも裏表のない一家なのだ。
「ふむ、では明日までに探しておきましょう。...あ、もし外を出歩くようでしたら、この地図をお持ちください。それと...いくらかお金も渡しておくので、好きに使ってください。」
リュシアはガサゴソと、腰のポシェットのような小さな鞄から、鞄よりも大きな地図とお金の入った袋を取り出して翔へと渡す。
「いやぁ、ありがとう。...ん~。代わりに何かあげたいんだけど....。今思いつくのはこれくらいなんだよなぁ。」
リュシアから地図とお金を受け取った翔は、代わりにと、卓上に置いてあったデジタル式の時計を手に取った。
その瞬間、リュシアの目が輝いた。
「そっ、それがいいです!それを頂けるのなら手持ちのお金は全てお渡ししますっっ!!」
時計を貰えるかもしれない、と思った時、リュシアの緊張とこれまで耐えていた異世界研究オタクとしてのダムが崩壊した。
その勢いに若干引きつつも、翔はデジタル時計を恐る恐るリュシアの差し出した小さな手の上に置いた。
「ふぁぁぁあああ....これが異世界の時計....。魔法の気配を感じないのに正確に時刻を刻むのは一体どうやって....はっ..!」
「リュシアさんは時計が好きなんだね~。」
「ちょっと度が過ぎる気もするけどなぁ...。」
「わふ....。」(なんかこわい...。)
時すでに遅し、これがリュシアの本性。
失礼が無いようにいくら取り繕った話し方をしても、彼女の興味の対象が無数に存在する雨宮家ではこれが限界。
むしろ良く持った方だろう。
こうして、雨宮家はこの世界での安定を手にしたのであった。