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理沙の異変

日が上がりきっていない早朝の王都ヴァレンシア。

少し肌寒い程度の気温の中、石畳を走る影が2人と1匹。


「遅いぞー!」

「わたちゃーん!置いてっちゃうよ~!」

「ひゅぅ...ひゅぅ....ぴ~」(ま、まって~...早いよぉ、二人ともぉ....。)

ウィンドブレイカー姿の翔と理沙が軽快に走る中、数十メートル離れた位置でわたこが歩いていた。


わたこがリュシアの研究所から帰ってきてから約数週間。

わずか2日で9Kg増えてしまった体重はなかなか元に戻らず、翔と理沙はわたこと一緒に早朝に走ることに決めた。

門番の仕事をしている翔は普段から体を鍛えていて、この世界に来てから見事なシックスパックを手にしている。

理沙も解体の仕事で体力が付き、才能で筋力が増大しているため、スタミナもすさまじい。

おそらく、フルマラソンを全力疾走で走り切れるほどだろう。


一方でわたこは、リュシアによってついに才能が判明した。

その名も『マナ干渉』。

マナに関する事ならば自由に直接干渉が可能となる才能だ。

そのため、わたこは魔法を発動させる際に必要な詠唱も全て破棄できる。

全属性に適性があったのも才能のおかげだ。


マナに直接干渉するということは、マナを自由に全ての属性へ変化させることができる。


それを知ってしまったせいでわたこは私生活で堕落した。

移動はマナを操って重力魔法を使い、浮いて移動。

喉が乾いたら水魔法で水を出す。(翔の才能でちゅーるに変えることも)

理沙に草刈りをお願いされたら、家の中から庭を眺めつつ、土魔法で寝ながらに根っこから雑草を引っこ抜く。

トイレは空間魔法。


その結果、一向に痩せることはなかったのだった。


「わんわん!....わふ。...わん!」(待ってってばぁ!!....そろそろいいかな。ふわふわウォーク!)

わたこは理沙と翔が見えなくなったのを確認し、自身に重力魔法をかけた。

体重をわずか1kg程度になるようマナを操作し、身軽な体でだだだーっと一気に走り出す。


「おっ、なんだよ、やればできんじゃーん」

「ほんと、わたちゃんて追い込まれないとやる気出さないよね~!」

「わんわん!」(どんなもんだい!)

わたこは不正をしている。

だから毎朝走っても一向に痩せることはないのだが....魔法を使えない翔と魔法を使わない理沙は巧みなマナ操作で魔法を発動しているわたこの策略に気が付くことはなかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「ふ~、今日も走った走った!シャワーおっさきー!」

「あ~!ずるい~!」

いつものコースを走り切り、無事に家に到着した雨宮家一行。

翔は我先にと風呂場へと直行する。


「へっへっへっへ」(つかれた~!)

と、本人(犬)は言っているが、実際のところ息は切れていない。

この発言も演技なのである。


「わたちゃん、なかなか痩せないね~。どして?」

わたこを撫でる手が一瞬ピタッと止まる。

もしかしたら理沙は感づいているのかもしれない、と、わたこは額から出るはずのない汗が滴り落ちる(ような気がした)のを感じた。


「く、くぅん?」(なんでだろうね...?)

理沙から目をそらし、巧みに口を使いながら手足の靴を脱ぐと、そさくさとわたこはリビングに直行した。


「ははぁ~。さてはなんか隠してるなぁ~。」

残された理沙は、わたこの態度からあっけなくその策略に気が付いてしまう。

逃げたわたこを追い、白状させようと思った瞬間、理沙は口を押えた。


「...うっ。」

走りすぎたからなのか、はたまた貧血からか、急に気持ち悪くなった理沙はトイレへ駆け込んだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「ふい~風呂あがったよ~ん。....どうした?わた。トイレか?」

翔が風呂から上がると、わたこがリビングをうろうろしていた。

わたこがこういう行動をとるときは大体、トイレをする前のことが多い。

今やどこでいつトイレをしようが、空間魔法に締まってしまうため家を汚すことはないのだが...。

1年もの間ただの犬として暮らしてきたわたこから、犬の習性が消えることは無かった。


「わふ」(ううん、なんかりさがトイレからでてこないの~。お腹痛いのかなって。)

どうやらトイレではなかったようだ。

理沙は帰ってきてトイレへ駆け込んでから、そのままずっとその場にいるらしい。

わたこは腹痛のつらさを知っている、だからこそ心配なのであった。


「理沙が?腹でも壊したのか?....理沙~大丈夫か~?」

「くぅん」(だいじょぶ~?)

もしお腹を壊していたとしても、翔の行動はデリカシーに欠けるものだが、今回は腹痛ではないためその行動は間違っていなかった。


「う、うん...なんかね~、吐き気がするの...。ちょっと落ち着いたから出る~。」

トイレのドア越しに聞こえてくる理沙の声は弱弱しかった。

トイレを流す音が聞こえた後、具合の悪そうな顔をした理沙がトイレから出てくる。

翔はそんな理沙の手をとってリビングへと誘導した。


「ん~、一応診療所行っておくか...第5地区だっけ?」

「ううん、第5地区にあるのは冒険者用の外科でしょ~。内科はすぐ隣の地区の第2だよ~。でも、わざわざ行くほどのことでもないと思うけどなぁ~?」

この世界の病院と地球の病院は大きく異なる。

薬や手術で長期的に治療を施すわけでは無く、魔法や才能を駆使して短期的に傷や病気を直すからだ。


しかし、地球のように外科や内科といった大きな区分けは存在する。

外傷を直すのには魔法を使い自己治癒能力を活性化させるだけでいいのだが、それ以外に関してはその症状の複雑さ、多種さから、特殊な才能を持つ医師が必要となる。


「まぁ、我が家は金が有り余ってるから、こういう時に使って経済を回していかないとな!」

「わふ?」(今いくらくらい貯まってるんだろうねぇ?)

現在の雨宮家の貯金は余裕で億を超えている。

理沙が臨時冒険者として、ヨゴレとなったクエストを片っ端からこなしているおかげで、ものすごく稼ぎが良いのだ。

翔も地道に仕事をこなし、同時に仕事に困っている人々の才能を生かして仕事の斡旋も行っているため、紹介先からの謝礼が馬鹿にならない。

わたこは「フェンリルの遠吠え」で看板犬と案内の仕事しているが、その愛らしさが有名になり、店は今や王都イチの飲食店まで上り詰めた。

店長は両隣の建物を購入し、店を拡大、看板もカッコいい伝説上の生き物「フェンリル」から愛らしいマスコット性のあるわたこの似顔絵へと変わった。

そんなに設けている店からの給料が安いわけがなく、わたこは理沙の次に稼いでいる。


正直、雨宮家はもう働かなくてもいいくらいなのだが、2人と1匹は今の仕事が楽しみの一つになっているため、貯金がどんどんと貯まる一方なのだ。


「うーん、じゃあお風呂上がったら行ってみようかなぁ~。」

「俺も行く!」

「わん!」(わたも!)

翔は理沙のことが心配な気持ちと、異世界の医者がどんな治療をするのかが楽しみでついていくことにした。

一方でわたこは早朝のランニングで不正を働いている事を理沙が翔に相談しないよう、監視の意味もこめてついていくことに決めた。

もちろん、理沙のことは心配であったが、わたこは理沙の強さを十二分に理解しているため、どうせ治るだろうと思っていたのだった。


「...ふぅ。じゃあ、お風呂入ってきちゃうね~!」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~診療所~

「え?今なんて...?」

「えっ?」

風呂からあがった理沙と一緒に、第2地区の診療所にきた雨宮一家は、若い女性の医者からの診断結果に思わず耳を疑った。

診療のため、理沙の手を触りながら医者がもう一度同じことを雨宮一家へと伝えた。


「ですから、奥さんは妊娠しています。おめでとうございます。」

「わふ?」(にんしん?なにそれ?)

その言葉を聞き、聞き間違いでないことを理解した翔と理沙は互いの顔を見つめ、一気に抱き合った。


「やったーーーーーーー!!翔ちゃん!!!あかちゃんだよあかちゃん!!」

「うおおおマジか!!俺らにもついに子供が!!!」

「わんわん!!」(わたに弟妹ができるってこと!?やったああああ!!!)

わたこは抱き合う2人に飛びついて、2人の顔を同時に舐めまわした。

理沙に何が起きているのか、自分にどう影響するのかが理解できたようだ。


「ふふ、おめでとうございます。」

医者もそのほほえましい光景を見て思わず笑顔になる。

医者の才能は解析、触れた物を状態をマナを通して確認できる。

この世界の生き物は血、肉、骨すべてにマナが混じっており、そのマナに干渉することで相手の状態を解析することができるのだ。

雨宮家はこの世界に来た時から徐々に肉体を変質させ、今ではすっかりこの世界の住人と同等の体のつくりとなっている。


地球にもマナは存在するが、肉体には宿らない。

それが魔法の有無にも関係するのだった。


「....でもこの後、どうすればいいんだ?子供ができるなんて経験したことないからさっぱりわからないんだけど...。」

「うぅーん、定期的に診療所にくることになるのかなぁ~?この世界の妊婦の人たちはどうしてるんだろ~??」

「くぅ~ん?」(違う世界からきたのは秘密なんじゃないの~?)

2人は首を傾げた。

それもそのはず、地球にいたころは子供をいつ迎えるかなど、2人は計画していなかったのだ。

幸い、インターネットは女神パワーによって使用できるが、ここは異世界。いろいろとセオリーが違うと翔と理沙は考えていた。


「こ、この世界...?何やら妙な言い回しですね...。お腹の中の子は母体からマナを貰ってどんどんと育っていきます。よほどのことが無い限りは家で安静にして、沢山栄養をとっていれば問題ないですよ。」

「へ~!じゃあマナを多く含む食べ物をたっくさん食べればいいんだ~!」

滴るよだれを服の袖で拭う理沙。

普段から肉に対して過剰なまでに関心を持っているが、地球にいたころから節約をこなしてきた理沙は通常の食事であまり高価な食材を使わない。

しかし、妊婦という大義名分があればその限りではないのだ。


「わん!」(わたも食べられるってことだ!)

「わたはダイエット...な...。」

翔に頭をぽんぽんと叩かれたわたこはその場で伏せの体制をとって悲しみを表現した。

わたこの体重は現在55キロ、成人女性の体重を上回っている。

この世界に来て体が強くなったから問題ないものの、元の世界では何かしらの病気を患ってしまうほどの体重だ。

はたしてわたこが無事に痩せられる日は来るのだろうか。


「仮に転んでしまったとしても、お腹の中の子はマナを多く保有しているため怪我をすることはありません。その代わり、母体...奥さんのマナが激減してしまいますので、危険なのはむしろ奥さんのほうですね。」

「あ~...それなら大丈夫かなぁ~?」

「妊娠中でも魔物から守ってもらえそうだよなあ」

「わん!」(りさはさいきょーだもんね!)

理沙の才能は「完璧肉体(パーフェクトボディ)」という、筋肉防御力ともに超人となる代物。

たとえ物語に出てくるような伝説の剣でも理沙の素肌に傷をつけられる事は無いだろう。

仮に魔物が王都に襲撃したら、絵面的には最低だが、夫と愛犬を守るお腹の大きい妊婦という構図が出来上がるだろう。


「そ、そうですか...。あとは、そうですね...運動も食事も特に制限はありません。むしろいろんなものを食べたほうがお腹の中の赤ちゃんに抗体ができて強い子になるでしょう。実際、赤ちゃんを鍛えるために毒をわざと飲んでいる民族もいるようですよ。」

胎児は母体の持つマナ以上のエネルギーを元に成長していくため、恐ろしく強い抗体を持つ。

異世界の妊婦は、地球とはまったく違うのだった。


「翔ちゃん!私明日からいろんなお肉、いつもよりもたっくさん食べるね!!!」

「お、おう...。」

普段から翔の2倍は食べる理沙、そんな人間が『いつもより沢山』なんていったいどんな量になってしまうのか、と想像した翔は想像だけで胃もたれを起こしそうになった。


「わ」(わたも)

理沙の発言から、自分も便乗していろんなお肉が食べられると思ったわたこが、尻尾を揺らしながら意思表示をしたところで理沙ににらまれる。


「わたちゃんはダイエット。」

「ん....」(はい.....。)

わたこがダイエット中なのにまったく痩せていないことを理沙は忘れていない。

残念ながらわたこは帰った後に運動しているのに痩せていない事について詰められるだろう。

わたこの尻尾はシュン...と股の間に縮こまっていった。


「じゃ、じゃあ、ありがとうございました。また何かあれば伺わせていただきますので...。」

「ええ、何かありましたらすぐに来てくださいね。この度はおめでとうございます。」

翔はわたこのそんな姿を見ていたたまれなくなり、医者に話を切り出して話をまとめた。

わたこと理沙の間に流れるなんとなく居心地の悪い躾ムードを感じながら、翔は率先して部屋を退室した。


「わたちゃん...後でお話があります....。」

「クゥン....。」(はぃ...。)

(この様子...わたはやっぱり走るのサボってたな....。魔法か?くそー、うらやましい!)

幸せな出来事中にも、躾は欠かさない理沙なのであった。


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