「女はアホや」
ふと、気がついてみると亭主の口癖の「女はアホや」を最近聞かなくなった。
「あっ、しもた。ストロボの電池がなかった」
「女はアホや」
「あっ、忘れとった。確定申告の前に医療費の集計するんやった」
「女はアホや」
台所で茶瓶をガチャン
「女はアホや」
「ちょっとまって、これは女がアホなんとちがう、私がアホなんよ。私を見てて女が皆アホと思わんといて、賢い女もたんといてんねんから。」
このパターンが、一年少し前迄の我家の夫婦の会話に、よく登場したものである。
おおかたの亭主族にとって、女房とは、家庭用品の一部と思っているものらしい。
一生故障しない買い物をしたと思っていたのに少し調子が悪くなりでもしたら、
「まんが悪かった。」という顔をする。
何せ家庭用品の一部なのだから。
ところがこちらは自分のことを、家庭用品だとは思っていない。人間の女だと思っている。
「一人で生きていけない未熟児め。」
亭主に向かって言えない胸のつっかえを、友達のところで吐き出しては、それでもすっきりしないで帰って来る。
結婚の前夜、実家の母の、「旦那様の悪口を他所で言ってはいけません。旦那様の値打ちが下がるだけです。」の言葉を思い出し、「あっ、又母の教えを破ってしまった。」と思いつつも、あまり後悔もしていない。
八方塞がりで、自分も亭主もよく見えなくなっていた三年前に、ひょんな事から、自分自身の仕事を持つ事になった。
自営業の亭主の手伝いをしている間は、自分の仕事など持てない、と思っていた矢先、両方やっていけるという条件に、飛びついた。
一年後に曲がりなりに極少のちっぽけな経営者(?)になった。
そして、もう一年。
その頃からのようである。
「女はアホや」が見かけなくなったのは。
ズブの素人が、えっちら、おっちら、経営らしきことに、ぶつかっている様子に、少しは何か感じてくれたのか、と思っていたが、そうではなかった。
自分の仕事を持ってみて、初めて知識としてではなく、世間のしくみと自分自身がほの見えてきた。
そして、不満で見えなくなっていた、亭主の姿も見えてきたのだ。
最近ぐちの聞き役だった友達に言われた。
「この頃、御主人の悪口言わなくなったね。」
亭主の悪口を言うのは、実は、天に向かってツバを吐くことだったと、「アホな女」は今頃やっと気がついたのです。
そして、母の教えが間違っていなかったことも。